35.特A級
やった。倒した。僕が勝ったんだ。
そう認識した瞬間、糸が切れた。張り詰めた緊張、相乗する集中力。それらによって成り立っていた覚醒が終わった。ゾーンが解けたのだ。
気付けば座り込んでいた。息が荒い。あまり自覚していなかったが、僕は相当に無茶をしていたらしい。それもそうだろう、コンディションはお世辞にも良いとは言えない状態で動き回り、魔力を使い、唯術だって惜しみなく活用して。これで疲れないわけがない。覚醒の興奮でどうにか、自分で自分を騙すようにして本当にどうにか繋ぎ止めていたものが、ついに途切れたのだ。
間に合ってくれてよかった。ランが倒れないようならもう少しばかり騙しの時間も続いていたかもしれないが、いつどんな拍子でこうなってもおかしくはなかった。そうなっていた時のことを思えばゾッとするな……。
下を向いたまま、なるべくリラックスしながら大きく息を吸って吐いて、呼吸を整える。それだけに意識を向けていると少しずつ楽になってきた……かな。だけどまだまだ動けそうにはない。予定と違って自力で敵を倒せたからには急ぎミーディアを探して、まだ戦闘が続いているようなら手を貸したいところなのだが。この体調では手を貸すどころか足を引っ張ることにしかならなさそうなので、どのみち休息は必須だろう。
そこまで考えて、アレと思う。先ほどからシスの声が聞こえない。どうして彼女は黙り込んでいるのか──。
「ッ!」
思考が中断された。急に影が差したのだ。僕のすぐ前に、誰かが立っている。
ハッとして顔を上げる。
まさかランがまだ──と、いうのは僕の杞憂で。
「そっちも勝ったんだね。お疲れ様」
「ミーディア……」
「ごめんね、助けに来るのが遅れて。坊主の男がけっこー手強くてさ」
抜き身の剣を持ったままいつもの笑顔を見せる彼女に、僕は再度息を吐く。今度のそれは純然たるため息だった。お、驚かされた……心臓がバクバク言って痛いくらいだ。先に声をかけるなりしてくれてもよかったのに。
ただまあ。ミーディアが無事であること、探しに行くまでもなく合流できたこと。それらの喜びの方が勝るので何も言おうとは思わないが。
「坊主の方……ゴードって呼ばれていた男はどうしたの?」
「そんな名前だったんだ? あいつなら向こうに転がっているよ」
倒れているランの様子を確かめながらミーディアはそう応じて、「ああ」と僕の懸念を嗅ぎ取ったように付け加えた。
「ほったらかしってわけじゃないから心配しないで。もう死んでる」
「……殺した、んだ」
「できれば生かしておきたかったけどね。でも難しかった」
淡々と言いながら、ランがしばらく起きることはないと判断したのだろう。ミーディアは血の一滴も付いていない刃を鞘に収めた。
「その点ライネはよくやったじゃん。まだ息がある。腕の断面さえ凍らせとけば死なせずに済みそう」
死なせずに済む。という発言が人命を慮ってのものではないことは、僕にもわかった。色々と聞きたいことがあるので、死人に口なしでは困る。そういう意味だろう。ランをぐっと持ち上げて肩に担ぐようにしたミーディアは、まだ腰を下ろしたままの僕に言った。
「ごめん、あんまり休ませてもあげられないや。ここからならルズリフに直接向かった方が早いし、歩こう。一応は坊主の死体も回収してからね」
……状況がどう変化するか未知数。万が一にも敵の増援がないとも言い切れないし、行方を眩ませた金髪の男と魔石についても支部への報告を急がなくてはいけない。ミーディアが急くのも当然で、だから僕も疲れたなどと甘えたことは言っていられない。
「運転手の人は……」
「落ちたときどう見ても首がイッてたから、もうね。アレじゃとんでもない魔術の腕前か私みたいな唯術でも持ってない限り助かりっこない」
悪いけど三人は持てないから置いていく、とミーディアは冷然と首を振る。左右の肩に一人ずつ男を抱えて、ここからおおよそ十キロほどの道のりを踏破するつもりでいるらしい。彼女ならそれもできるだろう。ただ三人目となるとさすがに無茶だ。
今は死んだように眠っているランがいきなり目覚めて抗ってくる可能性もあるからには、本当は二人運ぶのだってギリギリだ。できれば僕が片方を引き受けるべきところなんだろうけど──『善く生きる』。僕はなんのために生きているのかを間違えてはいけないし、履き違えてもいけない。
浮かぶ選択肢に、どちらが正しいのか判断が揺れる。
《そこはあなたのやりたいようにすればいいのでは?》
シス! 突然戻ってきたその声に僕はびっくりする。なんで今まで黙っていたんだ?
《黙っていたのではなく声が届かなかったんですよ。交代はあなたの体へ負担がかかる。今回のようにコンディションに優れない状態で無理に代わると、その後しばらく私たちの距離は遠ざかってしまうようです。「接続が悪くなる」と例えた方が適切でしょうか?》
そうなのか。そんな副作用まであるとは……これは、そう簡単にシスに頼ってはいけないな。その場こそどうにかなってもそれから先シスの助言が貰えない時間が続くのは怖すぎる。今回は割とすぐに接続が復活したからいいものの、これが何時間とか何日間とかになったら大困りだ。普通に死ねる。
《その間は一人でなんとかしてみせる、と思えないあたりがあなたですよねぇ……ともかく、なんだかやけに迷っているようですが。別に好きにしたらいいんじゃないですか。『善く生きる』とはあなたが成し遂げねばならない大目標に掛かっている標語のようなもの。目先の選択ひとつで善人失格の烙印を押されたりはしないでしょう》
あまりにあくどい真似が続くようなら別ですが、としっかり釘も刺してくるシス。
善人、か。それも判定の揺れる定義だ。本当に善人なら魔物であろうとなんだろうと命を手にかけたりしないのではないか?
例えばミーディアは魔物だけでなく人を始末するのもなんとも思っていない。必要だからやる、それだけだ。それがテイカーの正しさならばそもそも『善く生きる』ことに職種そのものが反しているような気がする……だがそれは、僕の思う善人像がそうさせているだけであって。人によってはきっと。いや、大多数がおそらくは。人類の敵である魔物を排し、賊徒を斬り捨てる彼女を正義だと、善の人だと判定を下すことだろう。
神のような何かが僕に望むのもそういった正しさなのではないか。「世界を救う」。それを目標に据えられてしまったからには確かに、救うというのがどういう意味合いであれテイカーらしい合理的な判断はできるようにならなければいけない。そうは思うが──。
僕のやりたいように。
シスが、そう言ってくれたのだから。
「ミーディア。僕はあの人を置いていきたくない。名前も知らない、今日顔を合わせただけの人だけど。でも協会の仲間だ」
敵に情けをかけないのがテイカーの在り方。それには共感できる。かつて僕もそうやって手を汚した──だけど、だからこそ、せめて仲間に対しては優しくありたい。
「僕が担ぐから、あの人も連れていこう。一緒に支部へ帰るんだ」
立ち上がってそう言った。運びきれる自信があるわけじゃない。でも、なんとしても運んでみせる。野晒しになったまま動物か魔物に食べられて終わりでは、いくらなんでもあんまりだ。遺族のためにもせめて遺体は持ち帰ってあげたい。
「その腕と疲れっぷりでよく言うねー。でも気に入った」
なんと言われるか戦々恐々だったが、けれどミーディアはあっけらかんとサムズアップして。
「いいよ、連れてこ。その代わり途中で倒れたりしないでよー? そうなったらライネも置いていくからね」
「き、肝に銘じる」
脅しとも本気とも取れないミーディアの言葉に僕は神妙に頷く。「ならばよし」と彼女はやっぱりいい笑顔で言った。
「まずは坊主の死体を拾って、それから襲われた地点に戻って道なりに行こう。ここじゃいつ魔物と出くわしてもおかしくないしさ」
それを聞いて、未開域にいながら今の今まで魔物と遭遇していない幸運に気が付いた……と言ってもそれが山犬や、山犬に毛が生えた程度の魔物なら、僕たちの戦闘の魔力に恐れをなして何もせずとも離れていっただろうけど。
しかし未開域にいるのはそういった弱い魔物ばかりではない。結界の張られている街道へ戻るのは急務として、僕たちは移動を始めた。あとちなみに、横転している移動車に関しては放置することに否やはなかった。こればかりはさすがにね……。
◇◇◇
ルズリフに到着するまでの行軍はヘトヘトの体にはもちろん辛く苦しいものでしかなかったので、もはや語るまでもないそこは省略するとして。その後にどうなったかと言えば、そちらももちろんのこと……それはもう大問題となった。
事情を聴くなりランを拘束して本部へ連絡を入れたガントレットは数日中にグリンズとは別の人間が寄越されるだろうと僕らに言って、二日後には本当にグリンズと入れ替わって(支部を出立する前に初めて顔を合わせた彼からは労いと激励の言葉をかけられた。いい人だ)新たに本部所属のテイカーがやってきた。それも二人も。
彼と彼女は共に現場員であるようだった──つまりは実戦から離れているグリンズとは違い、現役の戦闘員。荒事への対処を目的に派遣された凄腕の二人組だということで、そんな彼らとの話し合いの場に同席するよう求められた僕は少しばかり緊張していた。
《協会のメンバーなら誰だって仲間なんでしょう? 何故そうも固くなる必要があるんです》
などとシスは真っ当なことを言ってくれるが、小心者である僕の身にもなって考えてみてほしい。
グリンズも、見た目からして荒々しいガントレットとはまた別種の厳つさのあるおじさん(年齢的にはおじいさんだろうか?)であったけれど、しかし物腰や振る舞いは常識的で接しやすい人だった。が、今度来た人たちはなんというか……そういう常識なんてどこかに捨ててきたような二人だと遠目にしただけでもわかったものだから、正直言って面と向かって話をするのが怖い。特に女性の方なんて目付きからして相当な荒くれ者だったし……。
《それ、態度に出さないことをお勧めしますよ》
うん、気を付ける。シスの忠告に内心で返しつつ、扉を叩く。許可を貰って入室すればそこにはガントレットとミーディア。そして例の二人組が既に揃っていた。
ミーディアが口を開く。
「この子が現場に居合わせたライネ。敵の一人を倒してもいる有望なうちの新人。同席させるけどいいよね?」
「嫌と言ってもさせるわよ。どんな情報でも欲しいところなんだから」
そう答えたのは女性の方、真っ赤な髪色が特徴的な、燃え盛る火を連想させる居丈高な人物だ。今朝がた支部を訪れた開口一番から「ガントレットを出せ」と支部長を相手にしているとは思えない要求をした見るからにヤバめな人物。たまたまそのときロビーにいた僕は──グリンズを見送った後だったのだ──怒鳴っているわけでもないのに恐怖を感じさせるその声音に震え上がったものだった。
そんな彼女の後ろで涼やかに微笑んでいる細目の男性もまた、同じくヤバい人物だろうと断定するのになんら迷いはなかった。今も女性の横でアルカイックな微笑を携えたまま、彼が僕を見て言った。
「一方的に名を知られているのも気持ちよくないでしょうから、名乗っておきましょうか。わたくしはマーズ。そしてこちらがダンネロ。共に本部所属の現場員。階級も共に特A級です」
「特A……というのは、A級と何か違うんでしょうか」
「冗談でしょ? 新人とはいえあんたも現場員でしょうが、そんなことも知らないなんてあり得ないわよ」
その女性、ダンネロは僕を睨んでくる。いや、彼女は見たところ常にこういう目付きをしているのでひょっとしたら睨んでいるつもりなんてないのかもしれないが。けれど喧嘩腰な物言いと相まって僕はその迫力にどう応じていいものかわからなくなる。
「それがあり得なくないんだな、ことこの子に関しては」
そこで助け舟を出してくれたのはミーディアだった。怪訝そうに(やはり睨みつけているようにしか見えない)視線を僕から移したダンネロへ、その険相に臆することなくミーディアは堂々と言った。
「何せ目指して一ヵ月でテイカーになったビックリボーイだからね、ライネは。しかも元から使える側だったから訓練所でのお勉強とかも丸々スキップしてる。知識と実力が見合っていないのはそのせいだよ。早熟だったり天才って呼ばれている人たちにはままあることでしょ? そーいうのってさ」
「ハッ……こいつがそうだっていうの?」
「早い段階で頭打ちにならないようなら、本物だよ。間違いなくね」
断言したミーディアをじっとダンネロが見つめる。それをガントレットとマーズは黙って見守っている。やり玉に挙がっているのは僕の話題だというのに、とてもじゃないが口を挟めない雰囲気だ。
やがて、表情を変えないミーディアに対しダンネロの方が先にガンの付け合いを切り上げて。
「特AっていうのはA級の中でも上澄み。枠を分けなきゃいけないくらい『戦闘力が高い』って認められた特別なテイカーのことよ。覚えておきなさい」
そう教えてくれた。