32.敵襲
「見たよね? 説明だけじゃわかりにくかっただろうけど、あれが私の唯術。【回生】があるからどんな任務でも私は適任なんだよね。とりあえずぶつけて状況を見たり敵の能力を探ったりすることができるってことで、我ながら上にも重宝されてると思う」
当て馬めいた扱いをされていると言っているも同然なのに、まるで他人事のようにミーディアは明るい。
ルズリフに戻る移動車の中にいるのは運転手を除けば僕と彼女だけ。アイアスとヒューロは脅威が取り除かれた報告と今後について町の人と話すことがあるらしくトモミアに残り、チャックとシリンは自前の能力で空から移動できるために一足先に戻った。
未開域や特定の海域ほどではないが空路でも魔物に出くわす事例があるため誰にでも許された移動手段ではない、とミーディアは言っていた。あの二人はそれを許されている数少ない人員であるとも。そもそも唯術であっても空を飛べる能力がまず相当に希少なようだが。
しかし希少度で言えば飛行能力以上に、やはりミーディアの「死なない」という能力がずば抜けているように思える。他者の唯術について詳しいわけではないので本当にただの感覚的な推論でしかなかったが、それは決して的外れでなく。
「そうだねー、【回生】みたいな唯術は他に見たことがないかな。どんな魔術師だって普通は頭を潰されたら終わりだけど、私の場合はそうじゃないし」
そんな風に言われて僕は言葉もなかった。魔術師がいくら常人よりも頑丈であり、傷の治りだって早いと言っても、だからとて魔力は万能の力じゃない。できることには限りがある。唯術は特定の面においてその「できること」の制限を突破するための力であるが、ミーディアはそれの度合いが逸脱し過ぎている。自身に限るとはいえ蘇生すら可能な力なんて、あまりにも異質だ。
《優れた魔術師の中には魔物が持つような再生能力に匹敵する速度で自己修復が可能な者や、己が魔力で他者すら治療できる者もいるようですが……それらと比べてもやはりミーディアの再生力は飛び抜けていますね。脳が機能を失えば魔力操作なんてできるわけもないというのに》
つまりミーディアの【回生】は彼女の状態・状況にかかわらず半自動的に発動される唯術。そう思っていいのだろう。
軽い怪我くらいなら治す、治さないの選択もできるのだろうが、それが致命傷なら。あるいは即死してしまったなら、本人の意思とは関係なしに魔力が練られて肉体が修復される。見方によっては何かの呪いにも思えるような能力だ。
「まあ私自身この力は重宝しているよ。身の安全を気にせずに攻め込めるのが性に合っているっていうかさ。気質に沿った唯術かどうかって大事だからねー、テイカーにとって」
それはそうだろう。僕も自分の唯術【氷喚】にはしっくりときている。シスが時折感心する程度には唯術の伸びが早いのはきっと僕の体が特別性だから、だけでなく、ミーディアが言うところの「気質に沿った術だから」というのも関係しているに違いない。
それと同じものをミーディアも【回生】に感じているのであれば、なるほどと思わなくもないが……。
《ですが言い換えるなら彼女はただ頑丈なだけのテイカーでしかありません。唯術が攻撃手段にならないために、戦う術が通常の魔力操作の範疇で収まってしまっている。このハンデは大きかったはずですよ》
その通りだ。今回間近で見たA級たちの練度はいずれも圧巻の一言だった。漲る魔力の質が僕とは運泥。唯術による攻めの威力も抜群。ただ、その中でミーディアだけは一撃の威力に唯術がまったく寄与していなかったことを思うと、強力ではあっても【回生】はやはり便利とは言い難い能力である。
《他のテイカーが気を回さなくてはいけない防御や回避を捨てて、持ち得る魔力を攻撃のみに費やせる。などと言ってもそれができるのは能力以上に彼女のセンスの賜物ですからねぇ。断言してもいいですが、別の誰かが同じ唯術を使えたとしてもミーディアのように戦うのはまず不可能ですよ。ましてやA級テイカーになんて昇り詰められはしないでしょう》
防御や回避を捨てなくたってアイアスやヒューロなら安全かつコンスタントに高威力の攻撃が可能なのだ。一発の重みこそ命を投げ出しているミーディアの方が勝っていたとしても、公平に見て戦闘における優秀な駒と言うならそれはアイアスたちの方だ。
半ば自虐的に彼女自身が言った通り、「万一があっても失われることのない駒」。それでいて強さの保証もある、という点こそがミーディアというテイカーの強味なのだろうな。
「ま、私のことはともかくさ。ライネもよくやったよね! 新人であれだけの出力が出せるのはなかなかいないんじゃないかなぁ」
氷の足場作りで彼女の落下を防いだこと、だけでなく水噛の触手を凍り付かせた件もミーディアは褒めてくれた。我ながら咄嗟にしてはどちらも上手く対処できたと思うものの、人からこうも真っ直ぐに評価されると照れてしまう。
「いやぁ、あの時は無我夢中だったからもう一度同じことができるかどうか。ガス欠にも気を付けるつもりでいたのに結局ほとんど魔力を使い果たしちゃったし……」
「そういえば具合悪そうだったよね。今はどう?」
「しばらく休憩もしたから、もう大丈夫」
そう答えると「そっか」とミーディアは安心したように笑って続けた。
「魔力がなくなったら魔術師もただの人だからね。そこは注意しなきゃいけない。でもミスってほどのことじゃないんだからそう卑下しなくていいと思うな。何よりライネ、あのヒューロから労われてたでしょ? 初対面でこれってすごいことだよ」
「そ、そうなの?」
「そーなの。私が仲良くなれるまでは長かったよー、あの人やけにツンケンしちゃってさ。後から知ったけど後輩には誰にでもそういう感じで接し始めるみたい。ヒューロなりの一線なのかな」
「一線?」
「割と多いからね。新人が新人のまま死ぬことって」
「…………」
「だから初めは親しくなり過ぎないようにしてるのかも……単に人見知りなだけってこともあり得るけどね」
とにかくそんなヒューロからある程度でも認められたのは見事だとミーディアは言う。純粋に見所があると思われたか、そう簡単に死にそうにない新人だと期待を持たれたか。なんにせよ評価してもらえた事実に変わりはないわけだ……陸地へ戻った後たった一言「思ったよりはやるな」と声をかけられただけなのだが、これでもヒューロの言葉としてはかなりの褒め言葉らしい。
「皆が最高の仕事をしたからこれが手に入った。見てよほら、この大きさ。あれだけ大きい魔物だと魔石もデカいね」
そう言ってミーディアは自らの膝に乗せていた水噛の魔石を持ち上げる。確かに、デカい。山犬や荒霊の魔石が指でつまめるサイズだったのに対し、こちらは両手で持つ方が楽なくらいの大きさをしていた。
シリンが回収したものの重いために持ち運びを拒否し、移動車を使う僕たちがルズリフ支部まで運搬することになったのだが……押しつけられた形とはいえ、僕としてはこの先しばらくの間は滅多に見られないであろう上級クラスの魔石を眺めることができて少し嬉しくもあった。
「上級魔物から出る魔石ってみんなこのくらい大きいの?」
「いや、これのサイズは上級でも飛び抜けてる。その代わり輝き方を見るに純度はそこそこってところかな。まーデカさこそが脅威の全てで、純粋な強さって意味じゃあ全然だったしねー水噛。一度相手にしたことあるけど地噛も似たようなものだったよ」
強さは全然か、そうか……僕は水噛の攻撃手段である触手、その十分の一を向けられただけで死に物狂いだったのだが。それ以前に攻撃とも言えないような身じろぎひとつでもかなり苦労させられたのだが、ミーディアから言わせればそれらは純粋な強さの枠に入らないようだ。
《あなたの体と適性があっても、彼女たちA級に追いつくのはまだまだ先の話になりそうですね》
うん。一緒に任務をしたことで僕もそう感じたよ。やっぱり最高ランクに属しているテイカーは凄いんだなって。
尊敬の念を込めて魔石を陽光に翳してその通り方を確かめているミーディアを見つめる。僕の視線をどう思ったか、石からこちらへ目を移して彼女は言った。
「やっぱ上級としてはちょっと純度低めっぽい。でも上級ってだけのことはあるし、何より大きいからね。これは報酬にボーナスが乗るかもよ。質のいい魔石ってのはどれだけあっても足りないからさ」
「ミーディアの剣も魔石で出来ているんだよね」
「ふっふ、そうだよ。私も直接会ったことはないけど、協会には魔石を加工できる人員がいるんだ。この剣は言わば職人の逸品って感じ? これにも上級魔物の魔石が使われてるだけあっていい仕上がりだよ」
同じように、魔力との親和性が高い武具や防具を求めるテイカーは多い。そして協会自体もテイカー個人より優先的に魔石を本部の守りや施設拡張に用いるとのことなので、なるほどそれはいくら上質な魔石があっても足りないだろうな。どこにでもいる下級魔物と違って中級だってそれなりに珍しいというのに、更にその上の上級魔物なんてそうぽんぽんと現れる存在ではないのだから、必然的に上級クラスの魔石の入手機会も限られるわけで。
まあ水噛の例を思うと、いくら魔石が有用であっても上級魔物に当たり前のように出てこられては協会としても大層困るだろうけれど……。
「ガントレットさんでもここまでの大きさのは見たことないんじゃない? どんな驚き方をしてくれるか楽しみだなー」
自らの被弾も厭わない鬼神の如き戦い方をしていた任務中とは一転、無邪気にそんなことを述べて楽しそうにしているミーディアはまるで別人だった。その様子に僕も笑みがこぼれて──。
《……?》
シスの妙な反応が頭の奥に響く。どうかしたのか、と訊ねようとしたところ。
ドガンッ! と音と振動。激しい勢いで何かに押し出されて、運転手が吹き飛ばされた。気を失っているのか外へ投げ出された事務員はまるで人形のようにぐったりとしており、そのまま頭から危険な落ち方をした。あれはマズいぞ──だが彼の無事を確認することはできない。それどころではないからだ。
「……っ!?」
誰かがいる。男だ。まず間違いなく運転手を退かした張本人であろう謎の男が、車の外から運転席へと乗り込んできていた。
何が起きている!? 急転直下の出来事に理解が追いつかず体が固まる僕に対し、冷静に、けれどいつもより低いトーンでミーディアが言った。
「これお願い」
投げるように差し出された水噛の魔石を、言われるがままキャッチ。そして両手がフリーになったミーディアは席に立てかけていた剣を掴み、鞘から抜こうとした。が。
「あーらよっと」
「! 掴まって!」
そのタイミングで運転席を奪った男が大きくハンドルを切った。曲がるためというより転倒するため。そうとしか思えないくらい急激なハンドルの回し方。当然の結果として移動車は街道を逸れて横合いの森へ──未開域という危険地帯へと突入し、舗装されていない地面を削るように奥へ奥へと流れていく。
信じられないくらい車内が揺れ、危うく魔石を取り落としそうになるのを魔力の身体強化でなんとか堪える。しゃがみ込みながら片手を椅子へやっている僕とは違い、ミーディアはこの状況でも剣から手を放さず両の足でしっかりと立っている。斬りかかるつもりか、と思ったが彼女はその選択をしなかった。
「出よう」
「え?」
反転。運転席から移動車の後方へ向きを変える。そうして彼女は僕の襟を掴んで跳躍。後部ドアを蹴りで粉砕しながら車の外へと脱出。ちょうどその背後で木々を巻き込んでけたたましい音を立てながら移動車が横転したのを空中で確かめつつ、なんとか着地。しきれずいつかのように僕は尻を打ったが、怪我はない。魔石もちゃんと持っている。
「ミーディア、僕は大丈夫だからあの男を」
「いや……そうもいかないみたい」
何故、と思う僕に答えを示したのはシス。
《もう二人います》
「……!」
向きの変わった運転席のドアから出てくる男と、僕たちの後ろから現れた別の二人組。合計三人。正体不明の男たちに囲まれている。ここにきて僕の理解はようやく現実に追いついた──。
敵襲を受けている。