30.水噛
「しっかし豪華なメンバーだね。A級が五人も投入されてるなんて。シリンなんて特Aへの昇級も有力視されてるんでしょ?」
「高難度の任務でもA級は一人か二人、そのサポートにB級が数人というのが普通ですからね。確かに今回の編成は特例もいいところだ」
「地噛よりデカい亜種の討伐。上が慎重になるのも当然だろうが、やや過剰戦力のきらいも否めんな。この面子なら何があろうと負ける気がしない」
死なない唯術。ミーディアのそのカミングアウトに呆気に取られる僕を余所に、三人は任務開始に向けて行動を開始している。
ミーディアは剣を抜き、ヒューロは切っていた船のエンジンを再起動させ、アイアスはその後部に控える。同格のテイカーとしてミーディアの唯術についてはよく知っている、ということなのだろう。でなければ彼らだって驚いていたはずだ。
「俺たちはこいつで外周しながら適宜撃ち込んでいく。巻き込まれるなよ」
「そこはそっちが巻き込まない努力をしてほしいけどなー」
「ぬかせ、後輩」
そう言ってヒューロとアイアスを乗せた船は走り出してしまう。それを見送ることもなくミーディアは剣を軽く振り、それが合図だったのだろう、空の上の二人もパッと散って水噛を挟み込むような位置取りになる。
「っていうことで、私の足場を用意してくれる? あそこと、あそこに、大きめのをお願い。壊れる度に作り直してくれると助かる。あとはまあ、私の着地……この場合は着水か。それに合わせて臨機応変に頼みたい。できそう?」
基本的には水噛の上にいるつもりだけどさ、と言いながら足場の欲しい場所を剣先で指示する彼女に頷きつつ、懸念も伝える。
「事前に作る分には問題ない……と思う。でも着水に合わせると高確率でミーディアも凍らせてしまうよ。そこの加減はちょっとできそうにない」
「ああ、それはいいよ。氷に捕まった部位は切り離すか捥ぐから」
「…………」
「引かないで引かないで、そういう唯術なんだから。じゃあお願いね」
さっと小型船から飛び出すミーディアに、慌てて唯術を発動させる。初めて湖を凍らせた時とは違い今の僕は無意識ではなく意識的に、つまりは効率的に凍結を行なうことができる。それに加えてロケーションの助けか、あるいは責任感が底上げしてくれているのか。僕は海面に直接手を触れることなく船越しの接触で唯術を行使することができた。
「凍結!」
タン、と軽やかに氷上に足を下ろす音。なんとかミーディアの着水……否、着氷を間に合わせることができた。そこで満足はしない、できない。氷面に降り立ったミーディアは当たり前のように前進していく。速いとは言えないが決して遅くもない進行速度。それに合わせて僕は凍らせた海面を経由点として更に先まで氷面を伸ばしていく。海上だから可能なこの技法を名付けて。
「線条凍結……!」
ミーディアが駆ける。その一歩先を氷も駆ける。そうやって水噛に近づき、とあるポイントで彼女は跳躍。海上から一気に水噛へと足をかけ、その半球状の体躯を脚力任せに駆け上がっていった。なんて身体能力と胆力だろう。同じく魔力で肉体を強化できる身とはいえ、彼女と同じことをしろと言われたって僕には絶対に無理だ。
《魔術というより魔法を見せられているようですねぇ、あの身のこなしは。なんて、感心してばかりもいられませんよ。ミーディアと言えどあれだけサイズ違いの相手なんです。水噛の出方次第でいつ振り落とされてもおかしくありません》
「ああ、わかってる。もうポイントまで術は届けているよ」
線条凍結に続き初めての挑戦だが、同様の要領で行けそうだ。走らせた冷気の架け橋を、ミーディアが示した二箇所においてある程度留めるようにする。ただ真っ直ぐに伸ばすのではなくその地点に根を下ろすイメージで……よし。
「──できた」
要望通りの二点に円状の足場が完成する。浮島ではなく、細い線とはいえここを含めた三点で結ばれているために安定性もあるはずだ……ちょっとくらいは。ただしそれも、攻撃を受けて水噛がどう反応するか次第。最悪奴の身じろぎから生じる波だけで僕の凍結は無為に帰しかねない。
それくらいにこの魔物は大きいのだ。それはもう、反則的なまでに。
《しかし良い働きをしていますよ。少々張り切り過ぎなくらいです。魔力の残量には常に気を配ってくださいね》
それもわかっている。水噛の規格外っぷりが僕へ浴びせた冷や水。それがむしろ良い具合に作用してくれており、氷の足場を作るのに必要不可欠かつ最低限の魔力で事をなせた自負があった。
凍結の馬鹿みたいな消費量が根本に横たわっている以上は小手先の技術でどうにかできる問題でもないのだが、それでも多少なりの効率化は図れているのだ。考えなしに凍結を行なうよりもガス欠はずっと遠いはずだ。
「まあそれも水噛の一存かな……」
なんにせよ僕にできるのは、ミーディアが落とされそうになれば落下ポイントに氷を張ること。攻撃に参加できない以上はたったそれだけだ。
彼女が水噛の上にいる間はそれこそ応援しながら見守るくらいしかやれることがない。もはやいないも同然であるが、任務としてはその方がいい。僕の出番がないまま終わるに越したことはない。しかしそれにしてもミーディアは、そして他A級テイカーたちは、この怪獣めいた敵を相手にどうやって戦うというのだろうか。
頂点。緩やかな丘でかけっこでもしているかのようにあっさりと水噛の──頭頂部なのかなんなのか──最高点にまで登ったミーディア。そこで彼女は剥き身の剣を構えた。その刃は下へ。彼女が踏み締めている水噛へと向けられている。まさか、と思った瞬間にはもう剣が振り下ろされていた。
ゾブン、とどう例えていいかもわからない音が聞こえた。それは肉が切り裂かれた音。水噛の頭頂部から体躯と同じ浅黒い色をした粘着質な液体が流れ出した。あれは、水噛の血?
《斬りましたね。大きく、それでいて深く。凄まじい一太刀です》
「……!」
山犬の首を落とした時と同様に──いや、あれ以上の剣の冴えを披露したミーディアに見惚れる暇もなく事は進む。風鳴りと撃音。続け様に耳へ届いたそれの正体を探るよりも早く結果が示された。
水噛の体の一部に穴が開き、線が引かれる。ミーディアの一撃にも劣らない被害を、飛来したアイアスの魔力弾とヒューロの風の刃が与えたのだ。そうとわかったのは傷のついた部位がある直線状に彼らの乗る船がいたからだ。そうか、ああやって随時の遠距離攻撃を行ないながら水噛の周囲を移動し続けるつもりなんだ。おそらくミーディアの初撃は彼らが動き出すための契機になっていたのだろう。ということは。
次は空からくる。という僕の推測は正しく、アイアスたちとミーディアの攻撃箇所のおおよそ中間地点となる高さ辺りへと追撃が襲いかかった。降り注ぐ大量の羽根の弾丸と、迸る空間の歪み。後者に関してはいったいどういった攻撃なのかも判然としないが、とにかく上空の二人も各々の方法で遠距離攻撃に徹するつもりのようだ。
《攻めの主軸は『死なない』能力を持つミーディア。彼女が伸び伸びと剣を振るえるように周辺四方から仲間が援護射撃を送る。作戦というほどでもない力押しの戦法ですねぇ》
だけどきっとそれで正解だ。A級テイカーの攻撃はどれも笑ってしまうくらい高威力で、しっかりと水噛の巨体を削っていっている。これだけ攻めに強いメンバーなら変に捏ね繰り回した策を弄するより、力押しが理に適っているはずだ。
《調べてみたところ地噛という魔物は巨体に見合った耐久度でも知られているようです。亜種である水噛にこの情報をそのまま当て嵌めることはできないでしょうが、あなたが研修で戦った多腕の魔物よりもずっと硬いのは確かだと思われます。とてもそうは見えませんがね》
「うん。むしろ柔らかいようにしか見えない……」
それだけA級が、規格外の魔物にも見劣りしないほど規格外であるということ。
シスの言う通り地噛に比べれば水噛はともすれば「柔らかい」と表現して間違いのない敵である可能性もあるが、そうだとしても僕が苦戦した下級の魔物とは比較にならない堅牢さを持ち合わせているであろうことは疑うまでもない。氷礫くらいじゃ傷のひとつも付けられないに違いない。
「水噛自体の情報はゴアに載ってないの?」
《ゴッドオブアーカイブと言っても所詮は一般知識を得るための機能ですからね。協会でもろくに調べがついていないような魔物に関してまで詳しい情報が記載されてはいませんよ。人さまの個人情報が検索しても調べられないのと同じです》
うーん? それは同じなんだろうか。ただまあ、試験についてにしろ魔物についてにしろゴアに書かれているのは通り一遍の知識だけ。その事実に今更がっかりしたりもしない。それはシスがガントレットやミーディアの実力を事前に教えてくれなかった点からなんとなくわかっていたことでもある。要職についていたりA級としてバリバリに活躍している、テイカーの中でも上澄みの入るであろう二人の情報すらあまり出てこないのであれば、つまりはそういうことなのだろう。
お助け機能ではあっても頼り切りにできるほどではない。神のような何かはおそらくそう調整してシスに検索機能を持たせたのだ──それが善意か悪意かまでは、判断のしようもないが。
「あっ」
なんて考え事をしていると、とうとう水噛がアクションを起こした。肉体の損傷が無視できないレベルに達したか、もしくは巨大さ故に動き出すまでに時間を要したのか。いずれにしろ水噛は大きな肉体をこれまた大きく縦方向に揺らした。その目的は明らかである。
動物や魚がそうやって害虫を落とすように、自らにとっての害そのものであるミーディアを振り落とすための行動だ。狙い通りそれによって彼女はぽーんと、見ようによってはとてもコミカルに宙へ投げ出された。ちょうど剣を振り被っていたタイミングだったのでさしものミーディアも張り付いたままではいられなかったみたいだ。
とはいえ流石はA級、見事な反射神経で投げされる直前に水噛を蹴りつけることで自身の望む方向へと飛んだようだ。そうわかったのは図ったように彼女が自ら指定した氷のポイントへと落ちてこようとしているからだ──が、運の悪いことに僕の悪い予感が的中。水噛の一動作が引き起こした海面の揺れ、が、折悪くミーディアの落下地点で高波となって激しく氷の足場にぶつかった。
そのせいで僕が生成した平坦な氷地はその大半が砕けており、もはや足場とは呼べない代物になってしまっていた。
《間に合いますか?》
やるしかない!
「凍結!」
海に落ちてしまえばミーディアはまともに身動きもできず、無防備だ。そうなってはいくら彼女が強くたってどうなるかわからない。最悪の場合、まだ見ぬ水噛の下半分に襲われて海中に引きずり込まれてしまいかねない。そうならないよう、僕は過去最速で唯術のための魔力を練り上げる。
線条からの遠点で拡張。自分で作った氷を辿ればいいために一度目よりもずっと楽に、ずっと速く目標まで凍結を届かせることができた。それでもミーディアの着氷はギリギリだったが、とまれ間に合ったは間に合った。しっかりと氷の上に降り立ってくれたミーディアの姿に安堵する僕へ、ちらりとこちらを見た彼女が笑顔でサムズアップし、また跳躍。先と同様に水噛の体を駆け登っていった。
《よかったですね。褒められましたよ》
「はは……うん、よかった」
ミーディアのサポート、という与えられた役割を遂行できた。まだ魔力には余裕があるし、海上を思い通りに凍らせるコツも掴めてきた。これならミーディがまた落とされたとしても、見えている範囲であれば足場の作成を間に合わせることができそうだ。さすがにそう何度もそれが繰り返されると魔力が尽きてしまうが……この調子ならばガス欠よりも決着が付く方が早いだろう。
起きかけたトラブルもなんのその、順調に攻撃を続ける五人のテイカーの頼れる戦いぶりを見ながらそう思った。
それがフラグになったのか。
「なっ、んだ!?」
突如として海を割って僕の目の前に「何か」が出現した──。