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3.協会

「開拓域って言うんだ。人の住める場所のことね。さっきまで私たちがいたのが未開域。まだ開拓が済んでなくて魔物がうじゃうじゃといる危険地帯。テイカーの主戦場はそこだけど、一般の人は出入りを固く禁じられている。破れば命の保証はない。だから基本的には破る人はいないんだよ。基本的には、ね」

「ごめんなさい……」

「君の場合は事情があるから、っていうか事情がわからないからなんとも言えないけどさ」


 責めるでもなく僕の謝罪をあっさりと流した彼女は、名をミーディアといった。薄い色味の金髪をショート丈に切り揃えている、赤い瞳が特徴的な少女。落ち着いて見てみればけっこうな美人さんで、はきはきとした物言いも相まって僕は少々気後れしてしまう。


 それにしてもこの顔立ち、思いっきり日本人じゃないよなぁ。どころか、これだけはっきりとした赤い虹彩なんて世界各国のどこを探したってそうそう見つかりっこないだろう。魔物がいたり、それと命の取り合いをするのが当然のような口振りだったり、今更ながらここはどうも僕の知る世界とは文字通りに「世界が違う」気がしてやまない。いや、もう気がするなんて段階はとっくに通り越しているのか……僕がそれを認められていないだけで。


「はい、ここが街道ね。そして見えているあそこが人の住む街。あそこまで歩こうか」


 まだ疲れてないよね? と確認を取ってくる彼女に(こういうところは素直に優しい人だ)、僕は頷きを返し、横並びに歩きながら気になったことを訊ねてみる。


「あの。街っていうのはつまり、仰っていた開拓域の中ってことでいいんですか?」

「そうだね。開拓済みじゃなきゃまず居住地なんてできっこないし」

「でもなんていうか……危険地帯の未開域と街が近すぎませんか? これじゃいつ魔物が入ってきてもおかしくないような」


 道中、ミーディアがいてくれるから僕は森の中もそこまで怯えることなく進んでこられたが、この距離感では街中であっても森とそこまで危険度は変わらない気がする。ミーディアが言うには魔物と戦えるのなんてテイカーくらいのもの、らしい。そしてテイカーの数は仕事量に比べてそこまで多くないとも聞いた。それでは残りのその他大勢であるところの一般人は日常生活をどうやって過ごしているのか。


「ああ、そこは大丈夫。街とか、こういう街と街を繋ぐルートには人の香りを充満させているから。そこに魔物は迂闊に近づいてこない。開拓域っていうのはつまり、そうやって魔物から守られている安全地帯のことを指す言葉だね」

「人の香りがすると、魔物は来ないんですか?」


 その割に山犬は僕目掛けて一直線だったが……という疑問を汲み取ってくれたようで、ミーディアの返答は的確だった。


「人間は餌だけど、『人間の群れ』は脅威だと認識しているんだよ。大体の魔物はね。だから人の香りの守り……人香結界って言うんだけどさ。それを気にせず侵入してくるようなのは人の脅威を知らない、山犬とかよりももっと弱い普通の動物と変わらないような魔物とか。あるいは……」

「あるいは?」

「人の脅威を知りながらも恐れない、相当ヤバい魔物ヤツとかだね。あ、もちろんそんなのが入り込んでくるなんて滅多には起こらないから安心して」

「たまには起こるんですね……」

「そこは魔物のすることだからねー。完璧に抑制するなんてできっこないよ。ちなみにそういう魔物から街を守るのもテイカーの仕事の内だったりする」


 などと会話を続けている間に僕らは街に辿り着き、そこでミーディアはまずタクシーを拾った。目を点にする僕を見て彼女は「歩きだとまだ遠いし」と先に搭乗しながらこちらにもそれを促してきた。


「怖いものじゃないよ。タクシーっていう目的地まで運んでくれる乗り物。代金が出るけどそれはもちろん私が払うから」


 あ……なるほど、記憶喪失(という設定)だから乗り物を見て怯えていると思われたのか。真相はそうでなく、この異世界──と言っていいのかどうかはまだ不明瞭だが──を普通に自動車が走っている事実に衝撃を受けたのだ。いや、それがおかしいなどと声高に訴えるつもりはないが。何もおかしくはないのかもしれないが、でもやっぱりなんというかこう、すごく意外に感じられたのも確かである。


 だって剣だ。魔物だ。テイカーなる如何にも異世界作品における冒険者的なそれと思わしき役職(?)の人までいるのだ。剣と魔法のファンタジーとまで古典的とは言わずともそれに倣うような、「そういう世界観」だと見做すのは現代を生きる日本人の感性としてそれこそ何もおかしな話ではないはずだ。その覚悟を決めていた、と言い換えてもいい。即ち、便利な現代文明の恩恵にはもう預かれないのだろうという、薄々の予感という名の覚悟である。それが見事にひっくり返されたのだから唖然ともさせられる。


《ぷっ。要は勝手に決めつけて明後日な覚悟を決めていたってことじゃないですか。お笑い種ですね。でもまあいいんじゃないですか? そのくらい妄想逞しい方がこの先やっていきやすいと思いますし》


 ……しばらくうんともすんとも言わなかったのでひょっとして声から解放されたのではないかと楽観的な期待を抱いたりもしていたのだが、楽観が過ぎたようだ。システムを名乗る謎の声、未だ健在。一応は助言をくれるつもりのようなので急に消えられたりしたらそれはそれで困った事態になりそうなのがなんとも悩みどころでもある。ミーディアに頼りっぱなしというわけにもいかないだろうからなぁ。


 それにしても、ようやく口を開いたかと思えば嬉々としておちょくってくるとは。わかってはいたがこの声、やはり妙に馴れ馴れしい。というか盛大に僕のことを舐めている気がする。


《いやいや、実際けっこー感心しているんですよ? 魔物に追われて死にかけたり、そこを間一髪で助けられたり、あなたからすれば途方もない体験をしているだろうにその割には冷静じゃないですか。もっとパニックになってもおかしくないですよ、普通》


 パニックになればなるほど窮地における生存率は下がるわけだから、冷静でいられるのに越したことはない。自分が冷静かどうかの判断を客観的に下すのは難しいが、少なくとも声から見た僕は「割と冷静」であるらしい。感心しているというのも決して嘘ではないような口振りだった。


《あと、私が黙っていたのはそこの人が色々と説明している最中だったからですよ。副音声で解説が二重になってもあなたには聞きづらいだけでしょう? それに挙動不審な様子を見せて怪しまれたりしても困りますし》


 如何にも気遣い上手といった体で言う声だった。でも、さっき「テイカーになる」云々の話をしていた際には会話中にも遠慮なく口出ししてきた気がするんだけど。


《重要事項の場合には勿論そうします。遠慮なんてしませんよ》


 やはり声からすると僕がテイカー職に就くのは絶対に譲れない部分らしい。こうもそのことを強調されると先行きにますますの不安を抱えてしまう……。ただ、言われるがままとはいえ先の目標が設定されているのはある意味でありがたいことでもあった。声の存在も指示もない状態で放り出されていたら僕はきっと途方に暮れていただろうし、最悪もう死んでいる。そう思うが故に、多少以上の鬱陶しさと不気味さがあっても僕は声を無碍にすることはできなかった。


 車窓から望める特に目立つ点もない田舎町といった風情の景色を眺めるともなく眺めることしばらく、目的地に到着したタクシーが停止。ミーディアが礼を言いながら代金を支払った。差し出された通貨をそれとなく確かめてみたが、案の定というかなんとうか、運転手が受け取ったそれは僕の知るものとは違った。


 ただし一枚の紙幣と数枚の硬貨のやり取りだったことを思えば、走った距離の体感上、日本円と相場ではそう変わらない気もする。だとすると金銭感覚に大した狂いも出なさそうなので僕としてはありがたい。が、この点も踏まえて疑問はますます尽きない……いや、今はそんなことを考察している場合ではないな。僕たちを降ろして去っていくタクシーを見送る余裕もなく、僕は緊張をもって目の前の建物を見上げる。


「ここが……」

「そう。テイカーの……まあ、この街での寄合所みたいなものかな。ここでテイカーは本部とやり取りするの。事務員を通してね」

「本部?」

「テイカー協会の本部。任務の斡旋とか割り振りとか、人事とか。テイカー全体の管理をしているところ」


 なるほど、と頷く。テイカーというのは僕がなんとなくで予想していたよりも幾分か組織立った集団であるようだ。そしてこの言い方からしてミーディアは本部の人事担当でもなければ事務員でもない、所謂現場の人間なのだろう。そうでなければいくらそれが許された立場だといえども危険区域で単独行動なんてしないはずで、当然と言えば当然かもしれないが。


「じゃあ行こっか」


 勝手知ったる様子でミーディアはまさしくどこぞの事務所めいた建物の扉を開いて入っていき、僕は肩で風を切って歩く彼女の後ろに続かせてもらう。ロビー作りになっている建物内には意外と人が少なく、ぱっと目についたのは入口から真っ直ぐ進めば辿り着けるカウンターに立つ一人の女性だけだった。ミーディアと同じく若いその子も、けれどここにいるということはテイカーの一員であるということで。


「あれ、ミーディアさん。随分とお戻りが早いですね」

「拾い物しちゃったからさ」

「拾い物って、もしかしてそちらの?」

「そっ。えっと……ごめん、自分だけ名乗ってまだ訊き返してなかったね。君の名前は?」


 受付らしき女性の視線に合わせて振り返ったミーディアからの質問に、少し言葉を詰まらせる。僕は生まれも育ちも日本で、当たり前だが名前も純和風のそれだ。しかも結構に古風なものでもある。異世界で名乗るには違和感が勝ち過ぎる……そしてそれ以前に。


 僕はもうあの名前を人に名乗ることをしたくない。


《ライネと名乗ってください。それがあなたの名乗るべき新しい名前です》

「ライネ……」


 思わずおうむ返しに呟いたそれに、ミーディアは反応して。


「ライネ、それが名前? 良かった、そこは覚えてたんだね」

「は、はい。たった今思い出せました」


 名前以外のことは相変わらずさっぱりですけど、と念押しも兼ねて付け足した僕にミーディアは得心したように頷いた。


「そうなんだ。名前を聞かれて記憶が刺激されたのかな? だったらこれからもっと色んなことを思い出せそうだね」


 さらりと出た言葉はどこまでも前向きなもので、嘘をついていることに申し訳なさを感じる。だけどそれ以上に、ライネという響き。ミーディアからそう呼ばれてとてもしっくりときている自分自身に僕は意外さを感じていた。


「いやー、本当に良かったよ。『名前を名乗れない人』はまずテイカー資格を得るための試験すらも受けられないからさ」

「え」

「ライネにはその心配がなくなった。ってところで、一応の確認ね。どうする? 今すぐに試験を受けてみるかどうか」


 受付の女性と一緒に僕の目は丸くなる。確かに僕はテイカーになるために(それ以上に安全な場所へ移動するために)ミーディアについてきたわけだが、だからといってこうも性急に事が進むとはさすがに想定していなかったし、そして受付の女性の反応からしてもこれが一般的なテイカー加入の流れとは程遠いものであることも察しが付く。


 自分を挟んで固まる僕と受付女性に構わず、またはあえて無視するようにミーディアは続ける。


「試験に合格すればおめでとう、晴れてライネはテイカーと認められる。失格になっても再試験のチャンスは何度でもあるから安心して。ただし──不合格者の多くが『死亡』していることも先に伝えておくね」


 あくまで軽い口調で、彼女はそう言った。



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