29.海上
辿り着いたトモミアの、街というより町と呼ぶのが適切な、住民の息遣いが濃厚に感じられつつもルズリフよりもいくらか閑散とした風景。それをろくに見る間もなく僕たちは漁港に運ばれ、移動車から既に用意されていたエンジン付きの小型船に乗り換えて出港。先に現地にいるという他テイカーを海の上から追いかける。
「海で魔物とやり合うなら機動力が命、ってことで小さい船をお願いしたんだけど。やー快適。操縦も楽だし大正解だねー」
どうせ乗り捨てる物になるかもしれないし、と付け足すように言ったミーディアの真意は明らかだった。移動車で口にした僕に命を預けるという発言の意味もまた……。
海上戦である。
海をテリトリーにしている魔物と海で戦うのだから手段は限られる。その手段を増やす要員として白羽の矢が立ったのが僕。
つまり──。
「足場を作ってほしいんだ。海を凍らせてくれたら私はその上を自由に移動できるからね。できれば魔物の身動きまで封じたくれたら言うことなしなんだけど、あいつのサイズからしてそれは無理っぽいかなー」
空を飛べる唯術持ちや、遠距離に強い唯術持ち。海上戦でも力を発揮できると判断され動員された他のテイカーと一緒に、ミーディアは先日その魔物を目に収めている。作戦決行前の下見は当然大事なことだが、それにしたって何故こんなにも彼女が現場へ向かうのにのんびりしているかと言えば、全ては今し方出された「サイズ感」という言葉にかかっている。
「とにかくクソデカいんだよねー。たまに出るんだよ、こういうタイプの魔物。街道だろうと街そのものだろうとなんの関係もなしに通り過ぎて、かと思えば気に入った場所には長く居つく変わり種。えげつないのはそいつが通った後には何も残らないって部分……なんだけど、今回は海上を漂っているだけだから今のところは被害も出てないんだ。ただし問題なのが」
「新発見されたっていう『魔物の出ない海路』に近づいてきていること、だよね」
「その通り。ついでに言うとそいつがこのままの進路を取るなら十中八九陸地にも被害が出て、最低でもトモミアはぶっ潰される。万が一海路に居つかれても大困り。だから、トモミアに近づき過ぎる前に倒しちゃおうって本部が決めた。ルズリフ支部はそれに従って頑張ろー。っていうのが今の状況ね。飲み込めたかな?」
「うん。力になれると思う」
「それは頼もしい」
土肌を嘗め尽くすように移動する巨大な魔物の呼び名は地噛。今回討伐すべき魔物はそれの水上版ということで水噛と呼称されているようだ。
特別厄介な能力を有しているわけではないが、とにかくデカくてタフで、生半なテイカーではその命にまで手が届かない。ということで魔物としての格付けは中級のプラス。プラス、というのは場合によってはその上の等級にも届き得ると見做されたときに用いられる特殊な評価とのこと。中級魔物の討伐は本来ならB級任務であるが、今回は『海上戦』及びに『通常の討伐任務より重要性が高い』という点が加味されてA級のみが招集された、ようであった。
《あなたのように唯術だけで言えば海の上で戦うのに適したテイカーももっといたのでしょうけどね。だからといって必ずしもその技が水噛戦で役に立つとは限らない。参加するA級からの推薦でもない限りはC級の同行なんてまず許されるはずもありませんね》
ミーディアから伝え聞いただけでも、今件の責任者であるグリンズは僕の参戦について相当に渋っていたことが窺えるものな……これは是が非でも結果を残さないと協会からの覚えが悪くなってしまいそうだ。
《と、怖がる割には落ち着いていますね。あなたにしては珍しい……。ミーディアの命綱を務めると聞かされた時にはあんなにあたふたしていたというのに、いったいどういった心境の変化ですか?》
それを言うなら、心境じゃなくて環境の変化かな? 聞いた限りでは水噛はどうも研修で倒したナメクジトカゲよりもずっと巨体のようだけど、ここは海だ。凍らしやすいもので満ちた僕にとってのホームでもある。これなら相手がなんであれ後れを取る気はしない。
それに僕が行うのはあくまで補助なのだ。ミーディアの戦える舞台を整えつつ、可能ならば氷礫で援護射撃も狙う。それだけでいい。作戦のメインを張るわけではない、という点が精神的な余裕になっていた。
《ほー、水気の多い場所での安心感。それは私には伝わってこない感覚ですねぇ。それが本当ならミーディアがあなたを連れ出したのはこの時点でも正しい判断だと言えるでしょう。いざ本番となって何かしら致命的なミスでも犯さない限りは、ですが》
不吉なことを言わないでよ……。
《不吉でもなんでもなく起こり得る未来ですよ。水温も低いようですし凍結自体は好きなだけ発動できるでしょうけど、それも魔力が続く限りです。調子に乗ってすぐにガス欠、なんてことになったら補助の役目すら果たせなくなるんですからご注意を》
うん、それもわかっている。何よりミーディアの安全を第一に考えるのが、彼女の信頼に応えることでもある。下手な欲目を出すつもりはないさ。
「見えてきたよ」
「!」
ミーディアが操縦する船の進行方向。彼女の後ろからその先を覗いてみれば──ああ、確かに見えている。海上に唐突に現れた浅黒い何か。最初は点だったそれが近づくにつれてどんどん大きくなり、やがて僕はそれの正しい規模を目の当たりとする。
「お──、おっ、大きい……!!」
半球状の、見上げるほどの高さの物体。巨大な海の魔物と聞いてなんとなくクジラのような姿を思い浮かべていたが、とんでもない。クジラどころのサイズ感ではない。それは一個の山が海の上に浮かんでいるようなものだった。見えているだけでこの大きさだ、海中に隠れている部分まで含めれば……単純に考えて全長はこの倍はあるってことか?
どちらが前で後ろかもわからないほど文字通り規格外の巨体ぶりに、見ただけではっきりと理解できてしまった。後れを取る気はしない? そんな意気込みは馬鹿げた誇大妄想だ。そもそも僕はこれに対して挑めるだけの段階にいない。
どれだけ礫をぶつけようが海ごと凍らせようが、この魔物からすればそんなものは痛手でもなんでもない。蚊に刺された程度のダメージにもなりはしないと、本能レベルで直感した。
「すごいでしょー。大きさで言えば地噛を一回り以上は越しているかな……海棲だと陸上生物より大きくなりやすいって話を聞いた気もするけど、もしかしたらその法則が魔物にも適用されるのかもしれないね。船とかを襲う魔物は大きいのばかりらしいから」
「それにしても大きすぎる気が……」
ホントにね、と同意したミーディアは「でも」と言葉を続けて。
「だからこそ、私たちがいる。……魔物が出ない海を安全海域とか安全海路って言い方をするんだけどさ。それも永遠に続くわけじゃない。安全だった場所もいつかは魔物の縄張りや通り道になる。ただそのサイクルは百年とか二百年の長スパン。人間側の開拓のサイクルはそれよりずっと早いから、とりあえず目先五十年の安泰が確保できればそれでOKって感じ? なんだけど、こいつがいると目先のことすらままならない。だからテイカー協会が率先的に排除する。これは私たちにしか務まらないことなんだ。それってとってもやりがいのある仕事だと思わない?」
ミーディアは恐れていなかった。人とは比べ物にならないくらいの、圧倒的なまでのサイズ差を前にしても、彼女の笑みはいつも通り。まったく恐怖なんてないし、僕のように気後れだってしていない。
自分が魔物を退治する。そしてそれができるのは当然のことである。そうとしか思っていない真っ直ぐな表情と眼差し。──やはりミーディアは、強い。最初に抱いた印象の通りにどこまでも強い人だった。
水噛に怯えを見せないテイカーは彼女だけでなく。
「来たか。珍しく時間通りだな、ミーディア」
「ちょっとヒューロさん、まるで私が遅刻魔みたいな言い方はやめてくれるー? 誤解されちゃうじゃん」
「誤解も何もいつも待たせる側だろう、お前は。今回はお守りもあってかきっちり動いたみたいだが」
そう言って、ミーディアが横付けさせた(ぶつかりそうでちょっと危なかった)こちらも小型船に乗っている人物。タキシードを着た長髪の男性が僕のことをジロリと見やる。
青い海に浮かぶ黒い山、そしてやたらフォーマルな紳士。何もかもがミスマッチでどうにも現実感が薄いが、しかし彼が醸す雰囲気は寝ぼけようもなく本物。立ち姿だけでわかる。この男性もまたミーディアやガントレットと同じ、僕からすれば理不尽に思えるくらいの強者であると。
「先に言われたが俺の名はヒューロ。お前は、ライネだったか」
「は、はい」
「……聞いちゃいたが思った以上にガキだな。顔にも弱気が表れている。本当に大丈夫なのか?」
問いかけは僕ではなくミーディアに向けられていた。あからさまに侮られている。が、正当な評価だ。彼から見た僕という存在がどういったものかは言われずともわかる。神のような何かから貰ったこの身体や顔が初見の相手からは弱く見られやすいことにもとうに気付いているし、今は実際に水噛の想像を超えた巨大さに圧倒されているところでもある。何も言い返せはしなかった。
だからというわけでもないだろうが、不信感を露わにしているヒューロにミーディアはからからと笑って「問題なし!」と返してくれた。
「やるときはやる奴だってあのガントレットさんからもお墨付きを貰ってるライネだよ? 役立ちこそすれ邪魔にはならないよ。ねえ、アイアスもそう思うでしょ?」
「ええ。研修でも彼の働きはずば抜けていましたしね」
ヒューロの後ろから受け応えながらひょっこりと顔を出したのは、僕の研修の引率を務めてくれたあのアイアスだった。今日も今日とていまいち覇気を感じさせない顔付きで彼は会釈をしてきた。
「どうも、先日ぶりですね。まさかこんなにも早く君と任務を共にする日がくるとは驚きましたよ。本日はよろしくお願いします」
やけに丁重な挨拶を行なう彼に、僕も慌てて頭を下げて「よろしくお願いします!」と声を張る。アイアスを前にするとなんだかまだ研修が続いているような気分になってしまうな……。
そんな僕たちのやり取りに「ふん」とヒューロは息を漏らして。
「支部長からの推薦があろうと新人に支えてもらおうとは思わないがな。まあ、お前がそれでいいなら好きにしろ。それよりもだ」
「そろそろ作戦開始だって言うんでしょ。もう少し待って、ぱぱっとライネに皆の紹介しとくから」
ちっと聞こえた舌打ちも気にせずライネは僕の方へ振り返って、仏頂面のヒューロを指差して言った。
「改めてこの人がヒューロ、私の先輩ね。本部の方でちょっとお世話になった。偉そうだけどこれでガントレットさんには頭の上がらない可愛い人だよ」
「殺してやろうかお前」
「唯術は【鎌鼬】。風の刃を飛ばして離れた場所からなんでも斬っちゃう。巻き込まれないよう位置取りに気を付けて」
次に、とミーディアは指の向き先をアイアスへと移して。
「ご存知のアイアス、私とはほぼ同期。【狙撃】の唯術で魔力の弾をばんばん撃ちまくるよ。こっちも威力が凄いから射線に入らないようにね」
「ほぼ同期とは……一応は私が先輩なのですが」
「それで、空の上にいる二人だけど」
ヒューロの物騒な言葉もアイアスの控え目な訂正もさらっと無視してミーディアは指先を上空へと向けた。上? とその指を追って顔を上げて、初めて気が付いた。見上げるほど大きい水噛の高さを越えるほどの高度に、なんと人がいることを。それも生身である。なんの道具も持たない素のままで、その二人は空にいた。
「何もない場所に立っているのがシリン。【空曲】って唯術で空気を……あれ、空間だっけ? だかなんだかを歪められるんだって。攻防一体のえげつない術だよ。私たちの中でも実力はナンバーワンかな」
「ナンバーワン……」
若くしてA級という最高峰にいるミーディアが、自分より上と認める相手か。本心からそう思っているかはともかくとして、対外的にそう説明するのになんら躊躇しない程度には高く評価していることは確かなわけだ。僕とは遠く別世界の話だな。
「そしてあっちの翼の生えている子がチャック。【鳥化】の唯術で体の一部を鳥っぽくして戦える制空マン。羽根を飛ばしたり鉤爪で切り裂いたり殺傷性も抜群だよ。もちろん機動力もね」
以上、紹介終わり! と明らかに締めようとしている様子のミーディアに僕は待ったをかけようとして、その前にヒューロが先に口を開いた。
そう、まだ肝心なことを彼女は説明していない。
「おい。手前の力は教えてやってるんだろうな?」
「ん、そりゃもちろん……ってあれ、まだだっけ? そうか言ってないか! あはは、ごめんねライネ。もう教えたつもりになってたよ」
私の唯術はねー、と特に勿体ぶることもなく彼女は言う。
「【回生】っていう、死なない能力なんだ」