26.トカゲ
大きいな、というのが最初の感想。それから面倒そうだが第二の感想だった。
高さは荒霊と同程度、けれど奥行のある体格のため体長は荒霊を超える。つまり、重量い。大きさと重さはそれだけで立派な武器となる。加えてこいつにはその重さを支えるに充分な本数の脚と、どんな骨格をしているのかとツッコミたくなるほど体のいたるところに無造作に生えた腕がある。その全てが体格に比例して太く長く、しかもどういうわけか人のそれに酷似しているため、見ているだけで気が参るというか削がれるというか……ともあれ一見してやりにくそうな魔物だと感じたのだ。
あと、体表に妙なてかりがあるのもまたなんとも言えず気持ちが悪い。
《多腕多脚のぬめぬめ巨大トカゲ。初陣には悪くない相手ですね》
気楽に言ってくれるものだ、とどこか楽しげなシスに呆れつつザッツたちと共に身構える。アイアスがあえて気配を隠すことなく接近したために、魔物はとっくに臨戦態勢だ。それなりに知恵もあるようで当初はアイアスにばかり注意を向けていたが、彼に戦う意思がないと見るや目の前に立つ僕らへと意識を切り替えた──ところで、先制。魔物が何かするよりも先に氷礫を放つ。
「おらっ、食らえ──あっ!?」
「!」
初撃が決まる、と思った瞬間に氷の礫は別の何かと進路上でぶつかり、魔物に命中する前にかき消えた。「何か」の正体はザッツが投げつけた掌サイズの火の玉。どうやら彼は炎を操る唯術持ちらしく、僕と同じように魔物へ先制攻撃を仕掛けたようだ。互いのコントロールが精密なのが良くなかった。寸分違わずぬめぬめ魔物の顔らしき部分へ氷礫と火の玉が向かったために、その途上でかち合って相殺してしまったのだ。
「俺のファイアーボールが!? ライネ、何やってんだよ!」
「ご、ごめん──でも今のはお互い様じゃ」
《来ますよ》
トカゲの持つ人型の腕の一本が、僕に向かって伸びてくる。伸びてくる!? 射出するような勢いで迫るそれの挙動はまったくの予想外。綺麗に躱せず尻もちをつくことでやり過ごす。目の前を通り過ぎていったトカゲの腕は奥の樹木へとぶち当たり、容易くそれをへし折ってしまった。
け、けっこう威力あるじゃないか……なんてゾッとしている暇もない。座り込んでいる僕に二本目の腕が発射された! マズい、この体勢からの回避は間に合うか……!?
「えい」
危ういところだったが傍にいたモニカが庇ってくれた。彼女の前腕部に半透明の板のようなものがくっ付いており、それを盾として使って迫る腕を受け止めてみせたのだ。太い木を折る一撃だというのに、そんな重みを一切感じさせないくらいにあっさりと。
《ふむ? 身体強化がそれだけのレベル、という風にも見えませんから、あの盾は硬いだけでなく衝撃を殺す機能も付随しているのでしょうね》
シスが冷静に分析する間にも状況は動く。三本目の腕が伸びてこないと見るやギルダンがどこからともなく取り出した刀を振るい。
「まずは二本、貰った」
一太刀につき一本。流麗な刀捌きで伸びきった腕を切り落とし、トカゲの戦力を僅かとはいえ落とさせた──と思いきや。
「む……」
「生えてきやがったぞ!」
斬られた腕の残りを縮ませ、その断面からずりゅりと。新たな腕を生やした。こいつ、再生できるのか!
「だったら焼いてやるぜ、今度こそ俺のファイアーボールを食らいな!」
再び体中の腕のどれかを射出しようとしたのだろう、身じろぎを見せたトカゲにすかさずザッツが火の玉を投擲。それはトカゲに着弾すると同時に大きく燃え広がってその身の広範囲を炎で包んだ。が、トカゲは炎を振り払うように前進。その肉体に火傷は見受けられなかった。
「マジかよっ、効かねえ!? うわっ」
今度はザッツに向けて伸びた腕が、それを見越していたらしいモニカの盾で防がれる。
「サンキューモニカ!」
「お礼はいらないよ~、ザッツくん」
などというやり取りをしながらも連続で伸びてきた二本目の腕もモニカはしっかりと盾で受ける。口調はのんびりしているのに、彼女には油断も隙もない。その代わりに攻撃能力に欠けているように思えるが、今はそれをカバーする仲間がいる。
「……ちっ」
トカゲがザッツとモニカにかかずらっている間にギルダンが死角から接近、多数ある腕ではなく同じく多数ある脚の一本と胴体部を浅く斬り付けて素早く離脱。ダメージを与えるためでなく、腕以外も再生するのかを確認する目的の攻撃だろう。そして彼の舌打ちからもお分かりの通り、どちらの傷口も瞬く間に塞がってしまった。
「最悪だな。部位を問わずに再生できる上に修復が早い。おまけに妙なぬめりのせいか胴体へは刃の通りが悪いようだ」
「あっ! いまいち燃えないのもぬめりのせいか、ひょっとして!?」
モニカに守られながら火の玉をもう一度投げつけるザッツだったが、やはりトカゲにダメージはない。着弾直後はうっすらと体表が焦げているように見えなくもないが、再生によってそれもすぐ消えてしまう。どさくさに紛れて僕も氷礫を改めて放ってみたが、やはり効いている気がしない。ぬめりだけでなく単純に肉体の硬度も相当なもののようだ。
「どーするよおい。誰の攻撃も通ってないぞ!」
「再生に魔力を大量消費……しているわけでもなさそうだねぇ」
「こういう手合いは再生の暇を与えず一撃で仕留めるのが鉄則。とは習ったが、言うは易し行うは難し。最も狙うべき頭は高さがあって俺の刀も届かない。やるなら多少の無茶が必要だろう」
情報は出揃った、と思う。トカゲの持つ脅威だけでなく、僕ら側の情報も。即席でどれだけ連携できるかを試すため事前に「何ができるか」を打ち明けるのはアイアスによって禁止されていたが、その共有が戦いながら済んだ。あとはそれらの情報を駆使してトカゲを倒すだけ──なのだが、本当にどうしようかこれ。
《あのぬめりが凍結に強いか弱いかで話が変わってきますね。問題はそれを探るためには接触が不可欠であることと、接触なんてできなさそうなこと。この二点ですね》
ギルダンには素早い身のこなしと刀のリーチがある。だから奴のあちこちから生えている腕に捕まることなく一撃離脱も叶ったが、僕が丸腰のままのこのこ近づいては滅多打ちにされるのが目に見えている。しかも斬撃と違って凍結には時間がかかる。さっと離脱することができないので、最悪そのまま戦闘不能にされるだろう。そこまでやって凍結も上手く決まりませんでした、なんてことになっては目も当てられない。
どうやらトカゲは最大二本までしか腕を伸ばせないようで、モニカの防御を中心に行動すれば事故はそうそうに起きない。周辺の木々を犠牲にしながらなんとか無事に立ち回る僕らだったが、いくらチクチクと攻撃を重ねてもトカゲには疲労も消耗も見られなかった。これでは先に魔力が尽きるのはこちらの方だ。あまり長々と膠着が続くのはよろしくない。
では、どんな手を打てばこの戦局を打破できるのか。
……ダメだ、どうしたって一撃でトカゲを仕留められるとは思えない。ガントレットにやったように準備をしてから氷筍で拘束、後に凍結で全身を凍らせる……というコンボも、ガントレット以上のサイズ感でああも動き回るトカゲを相手に成立させるのは難しい。シスもそう判断しているように、まず準備の段階で僕が腕に撃たれるか巨体に轢き殺されるのが関の山だろう。困ったな。氷礫も凍結もできない、徒手空拳も絶望的となっては、まさしく打つ手なしだ。
そもそも僕の氷とザッツの炎の相性が大変よろしくないのも如何なものか。初撃の相殺からは気を付けてお互いに邪魔をしないようにしてはいるが、そのせいでどちらも攻撃頻度が落ちており、トカゲの有利となっている。よりにもよって研修仲間にここまで連携の取りようがない唯術持ちがいるとは……同じことをザッツも考えているのだろうと思うと申し訳ないような、いっそ笑えてくるような。
《本当にそうですか?》
え?
《確かに彼の炎は瞬く間にあなたの氷を溶かし尽くしてしまう。だからこそできることがあるように私には思えますが》
──そうか。シスの言葉で僕は自身の思考が凝り固まっていたことに気付く。彼女の言う通り、僕とザッツの唯術は決して『相性最悪』などではない。使い方さえ間違えなければ……!
「提案がある! こいつの全身を氷漬けにして皆で叩けば安全に一発で頭を潰せると思うんだけど、どうかな!?」
「ああ!? そりゃまるごとカチコチにできれば一撃で持ってけるかもしれないけどよ、できんのかよそんなこと!」
暴れ回るトカゲ越しに返ってきたのは疑問の声だった。やはりどこまでも率直なザッツの問いかけに、僕もまた率直に答える。
「僕一人じゃできそうもない。だけど、皆が協力してくれるならいける! と思う! たぶん」
どっちだ!? と自信を持ち切れない僕にちょっと怒っているザッツ。けれど彼以外は思いの外に乗り気な様子を見せてくれた。
「どのみちジリ貧。案があるなら積極的に試してみるべきだ」
「わたしもそう思う~。ね、ザッツくん?」
「っ、わーったよ、俺も協力するよ!」
「よかった。この作戦、特にザッツの唯術が不可欠だからさ」
自然と四人が集合し、モニカが大きめの盾を展開してより堅牢な守りとする。腕の一、二本ではモニカの盾を突破できないことはトカゲも既に把握済み。なのですぐにも距離を詰めてくるだろうが、僕の案を伝えるのにそう時間はかからない。
「んで、俺に何をさせようってんだよ」
「ザッツには僕の氷をどんどん打ち消してほしいんだ」
「最初の失敗みたいにか? そんなことしてなんの意味が」
「ギルダンには少しの間だけトカゲの注意を引いてほしい。攻めるんじゃなくてあくまで自分を追わせる感じで。危ない役目だけど頼めるかな」
「深入りしなければあれは俺に追いつけん。任せておけ」
「万が一トカゲが僕とザッツを狙ってきたときに備えて、モニカは傍にいてくれる?」
「いいよぉ、守りはわたしにお任せあれ」
「それじゃ皆、頼んだ!」
時間もないのでザッツの質問は無視してさっさと作戦決行だ。そのことにザッツは不満そうにしていたが、トカゲが巨体をのたうたせながら突っ込んきたからにはそれどころではない。慌てて回避し、打ち合わせ通りにギルダンが単独でトカゲの程近くで構えて視線を一身に引きつける。その傍ら、モニカを伴ってトカゲから近すぎもせず遠すぎもしない位置に陣取った僕とザッツは揃って唯術を発動させる。
「とにかくぶん投げまくればいいんだな!」
「うん。僕が合わせるから、トカゲの足元から頭の上まで覆うように頼むよ」
「魔力は食っちまうが──やってやらぁ! ファイアーボール連弾!」
両手に生み出した火の玉を次々に投げ込んでいくザッツ。オーダー通りトカゲに直接当てるのではくその周辺に目掛けて放たれるそれらを、僕が後追いさせた氷礫で撃ち落としていく。弾の威力は双方が殺し合ってゼロになるが、しかしそれは完全なる消滅を意味しない。極度の高温で氷が溶かされはしても、そこには水分が残る。
都合十発分くらいか。ザッツの息切れではなくトカゲがこちらに向き直ったことで作業は中断させられた。さすがにこれだけばかすかとやっていれば近くの獲物よりもこっちに標的を移すか……でも充分だ。ザッツの炎のおかげでトカゲの周囲は充分過ぎるだけの水気で満たされている。その体にも、地表にも、空気中にもだ。
《ガントレット戦では敵に協力してもらうことで完成させましたが。手伝ってくれる味方がいるなら魔力も労力も大幅削減できます。しかもお誂え向きに氷を溶かせる唯術まであるんですから条件はよりイージー。ツイてましたね、ライネ》
まったくだ。
モニカの盾を破るべくまたぞろ突進してこようとしているトカゲを見据えなが、僕はしゃがんで地面に両手で触れる。
「氷筍──最大出力」
凍結と違って氷礫は大して魔力を食わない。今回はその氷礫だけで下準備を終えることができたために残存魔力にも余裕があった。おかげで惜しみなく最大限の魔力を用いられる。満ち足りた水分を利用して地面を走り空間を伝った僕の冷気は、莫大な量の氷となって眼前一帯を薄青に染め上げた。
ただ氷で塞き止めたのではくトカゲの肉体諸共に氷漬けにしてその動きを制限させたため、体躯と重量を活かした突進も難なく封じることができた。そしてガントレットとは違い、おそらくこのトカゲは凍った状態から自力での脱出が叶わない。それが氷で覆った手応えからなんとなく理解できた。
「作戦成功。僕たちの勝ちだ」
ギルダンの刀が、モニカの盾が、ザッツの拳が。動かないただの的と化したトカゲの頭部へと目掛けて振るわれ、氷ごと粉々に打ち砕いた。
もう再生はしなかった。




