25.研修
試験前日に夜を明かすために貸してもらえた支部の一室を、僕はそのまま使えることになった。これは偏にエマとガントレットからの厚意によるものだが、支部内にある食堂等の利用代といった生活にかかる費用は諸々込みで僕の給金からきっちりと引かれるようだ。
今はまだ見習いの立場として給料を貰える段階にないので、要は出世払い扱いの借金を背負っているようなものである。あまりうかうかとはしていられなかった。
《早く稼げるようにならないと、ですね。ますます研修に気が抜けませんね》
まったくだ。既に三日分の宿泊代が嵩んでいることを思えば、神のような何かの意向を別にしてもなるべく急いでD級を突破したいところだ。ちゃんと任務を受けられるようにならないと現場員の給金はたかが知れているとのことだったからな……うん、頑張ろう。
試験では着ていなかった一張羅を身に纏い改めて気合を入れる。洗濯してもらったおかげで気分も一新、やる気もますます湧いてくる。昨日一日はまるまる休みに当てたので試験の疲れもすっかり取れている。アイナに付けられた全身の切り傷も塞がっているのを見てエマは驚くというより呆れた様子を見せていたが、魔力とは生命力の一環。優れた魔術師には自然治癒力がやたらと高い者も少なくないようで、僕が際立って異質ということもなさそうだった。
《新人にしては優れている、くらいの評価でしたね。あなたの場合傷の治りが早いのは魔力で治癒力が高まっているというより、例の如く特別性であることが理由の大半だと思いますが》
うん、僕もそう思う。疲れ知らずの休み要らず。限度もあるとはいえ生まれ変わったこの肉体が色々と融通の利き過ぎる代物であることは確かで、ガントレットとの戦闘でヘロヘロになりはしたもののあれだってその日の夜にはもうほとんど回復していた。我ながら恐ろしいが、便利と言えば便利なので文句はない。いつか誰かにこの非人間らしさがバレてしまわないかとそれだけが少し心配ではあるが。
《時間ですよ。ロビーに行きましょうか》
おっと、もうそんな時間か。余裕を持って行動していたつもりだが、朝食でのんびりし過ぎてしまっていたらしい。三十日もまともに物を口にしない生活を送っていたせいで普通に食べるご飯が贅沢品に感じ、ついつい多く口に入れてしまうのだ。またこの身体が食べずともどうとでもなる癖に、いざ食べるとなれば割といくらでも食べられてしまうのが憎いところであった。支部の食堂がかなり美味しいのも悪いと言えば悪い。
なんて誰にともなく言い訳めいたことを考えながら廊下に出て階段を下りていけば、そこはすぐロビー。早朝でも職員や外部の人でそこそこ賑わっている中、シスに言われて僕はその中の一組。四人の男女が集っている輪へと入っていった。
「すみません、遅れましたか」
「いえ、今がピッタリです。遅れてはいませんが……できるだけ時間前行動が望ましいですね」
四人の中で一人だけ年嵩の、明らかに他三名とは雰囲気の異なる男性が薄い眼鏡を指で押し上げながらそう言った。もじゃもじゃとした黒髪が特徴的な痩身痩躯の彼の名は、アイアス。昨日の時点で研修の引率者として僕に挨拶をしにきてくれた先輩テイカーである。
「では全員が揃いましたので、自己紹介といきましょうか。まずは君から」
昨日の初対面時と変わらない、覇気を感じさせないくたびれた様子でアイアスが水を向けたのはこの場にいる唯一の女性。朗らかな笑みを浮かべている優しそうな女の子であった。
「は~い。えっと、わたしはモニカ。訓練所を卒業して来ました。歳は十五だよ。よろしくねぇ」
僕と、他に二人いる少年の内の一人へ視線を向けてモニカはにこやかにそう名乗った。おや、どうしてすぐ横にいる男子をスルーしているんだろう……という疑問は続け様にその子が口を開いたことで解消された。
「俺はザッツ! 同じく十五歳、モニカと一緒に訓練所を出てここに来た! ちなみに入学から卒業までは三ヵ月しかかかってないぜ」
へへん、と得意気な彼に「ほう」とアイアスは感心したように言う。
「魔術の基礎を学び、実戦へと送り出されるまでにかかる期間は多くの場合おおよそ半年程度。通例の半分とは優秀ですね」
アイアスの補足はザッツにとって満足いくものだったようで、ますます顔付きが得意気になる。だが、続く言葉に彼の表情は固まった。
「そういう意味では君も素晴らしい成績だったと聞き及んでいますが」
「……ええ、まあ。一月程度で出ました。俺は元々ある程度自己流で魔力を使っていたものですから」
ギルダンだ、と名乗るだけのシンプルな挨拶に留めて押し黙ったその少年にモニカは「よろしく~」と屈託なく返していたが、ザッツは少々面白くなさそうにぼそりと呟く。
「なんだよ、元から使えて一ヵ月か。そんじゃそこまで自慢にならないな」
「……訊かれたから答えたまでだ。子どもじゃないんだ、そんな下らない自慢などしない」
ザッツの失礼な物言いにも静かに受け応えたギルダンだが、その中身は痛烈な皮肉そのものだ。自分がお子様だと言われていることにザッツも当然気が付き、ギルダンをむっと睨みつける。く、空気が悪い。モニカもあたふたと「喧嘩はだめだよ~」とザッツを宥めにかかっているが、あまり効果は見受けられなかった。
《むしろ彼女の注意はザッツにとって逆効果かもしれませんね》
うん? ああまあ、熱くなっていると正論なんて耳に入らないどころか火に油の場合も多いものな。男の子同士のプライドが絡む問題、となればここは女子のモニカではなく先輩男子であるアイアスの裁量に期待したいところだ。
「では次」
ところが彼は剣呑な二人の様子などまるで目に入っていないかのように僕へ自己紹介の順番を回してきた。今名乗っても誰もろくに聞いてくれないのではないだろうか……? と思いながらも「ライネです」と簡潔に名乗れば、すぐにアイアスは。
「そういえばライネ君は訓練所をスキップしているとか」
「は、はい。そうですが」
「それは凄い。つい二日前にテイカー資格を得たばかりというのは本当のことでしたか」
エマを通して僕のことは聞いている、と昨日の初対面時にも彼は言っていた。その流れで僕が元から「使える側」であることや試験に合格したてであることも話した……というのに、何故さも初めて耳にするかのように話題を振ったのか。
一瞬だけ戸惑ったが、けれどその意図を僕はすぐに察した。察しもしよう。ザッツとギルダンが睨み合いを中断し、揃ってこちらへ注意を向けてきているのだから。
《ゼロの前で一ヵ月や三ヵ月が張り合うなんて馬鹿らしいことですからね。アイアスはあなたの期待通り上手に睨み合いを中断させましたね……代わりに二人があなたを見る目は少々どころじゃなく厳しくなりそうですが》
ザッツはもちろん、自慢などしないと言いつつギルダンも短期卒業したという事実を誇りに思っていたのだろう。シスの言う通り、彼らが僕に向けてくる目は少しばかり険しい。そんな中でモニカだけが「はえ~、ライネくんってすごいんだねぇ」と純粋に感心してくれているのが唯一の救いだった。
「皆さんはそれぞれ資格取得と訓練所を出た時期が前後していますが、協会の扱いとしては『同期』となります。なるべく仲良くやってください。新人はそれが生存率に直結しますので」
仲良くする理由が切実過ぎる……だがこれがテイカー。命懸けの仕事をするのだから共に戦う仲間との絆は大事だ。命懸けだからこそ、プライドが邪魔しやすい部分もあるのが難しいところだが。
《まだ訓練所で学んでいる者やアイナのような見込みこそあれど即座に資格を渡すわけにはいかない者。そういった例を除けば『同期』もこの程度の数、ということですか》
年に本部と支部のあちこちで数度もテイカー試験が行われているという割には──その合格難度を踏まえた上で──同期の面子が少ないな、とは僕も感じたが。なるほど、同年内に資格を得てもまだ訓練所の卒業が間に合っていない者や、例の囲い込み枠に割り振られている者だっているわけだ。そうなると確かに僕含めて四人というのは決して多過ぎもしなければ少なすぎもしない、新人テイカーのスタンダードな人数なのかもしれないな。
モニカ。ザッツ。ギルダン。僕もちゃんと覚えておこう。協力して任務にあたる最初のテイカー仲間が彼らになるのだから。
「さて。お互いを見知ったことですし、向かいますか」
「向かうって、どこにっすか」
十五歳らしい率直さで物を訊ねるザッツ少年へ、アイアスは再びメガネに触って答える。
「未開域。魔物蔓延る危険地帯へ、ですよ。あなたたちにはそこでとある魔物を狩ってもらいます。その経過と結果次第で研修を終えていいか私が判断します」
「おーし。わかりやすい任務でラッキーだぜ」
ザッツは戦闘に自信あり、といったところか。彼だけでなくギルダンもモニカも未開域へ入ると聞いてもまったく怯えていない。この落ち着きぶりはひょっとすると、訓練所で魔物との戦いも経験してきているのかもしれないな。
《未開域への遠足でもカリキュラムにあるのか、あるいは教材用の魔物を用意しているか。山犬程度の弱い魔物ならそれも充分に可能でしょうね》
同期の中では山籠もりならぬ森籠りをした僕にこそ戦闘面で一日の長がある、などとは自惚れない方が良さそうだ。シスに言われるがまま相当な無茶をしたつもりもあるが、それと訓練所が課す鍛錬とどちらがよりタフであるかは不明だ。それに僕は元から人を引っ張っていくタイプでもないため、三人から学ぶつもりでいるくらいが丁度いいだろう。
「皆さん準備はできていますね? ……よろしい、それでは出発です」
◇◇◇
タクシーは街と街を繋ぐ街道を走りたがらない。街中に比べて多少とはいえ魔物の出現率が高く、また魔物狩りのスペシャリストが常駐しているテイカー協会の支部まで距離もあって迅速な助けが見込めない。となればタクシードライバーに限らず人々が護衛なしで街道を行くことを避けたがるのは道理であった。
けれど今回は利用客が他ならぬテイカーである。アイアスから「なので街道からは目的地まで徒歩で行きます」と言われた際には僕たちなら目的地の近辺まで乗せてもらえるのではないかと疑問にも思ったが、シスの《降ろしたあとドライバーはどうするんです》という指摘で帰り道の問題に気が付いた。
そうか、未開域へ消えてしまう僕たちの帰りを待つにしろ先に街へ戻るにしろ、結局ドライバーはその間一人になってしまうのか……押してそんな危険なことを請け負うドライバーなんているはずもないし、いたとしても僕らだっておいそれと世話にはなれない。徒歩も止む無しである。
ちなみに支部にはテイカーを現地へ運ぶための移動車とそれを運転する事務員が用意されているらしいが、まだ研修も終えていない内はそのお世話になれないようだ。
「で、アイアス先輩。未開域のどこが目的地なんすか?」
具体的なことは何も聞かされないまま未開域に突入した僕ら全員を代表して再び質問したザッツに、先頭を行くアイアスは振り向かずに言った。
「既にここが目的地ですよ。皆さんも魔力を探ってみるといい。感度のいい者なら見つけられるでしょう」
アイアスという引率者がいるとはいえ、ここはいつ魔物が飛び出してもおかしくない危険地帯。言われるまでもなく魔物が醸す気配や魔力を探ってはいたが……その口振りからしてアイアスは、僕たちが探知だけに集中してようやく知れたその存在をもっと離れた位置から把握できていたようだ。
「……デカいな」
ギルダンがぼそりと言った。同感だ。まだ距離はあるが、それでもわかる。そいつから伝わってくるモノはこの移動中にも何度も感じた山犬が放つそれとはまるで異なっている。確実に、そして圧倒的に、この先にいる魔物は山犬よりも荒霊よりも──。
強い。
「とあるC級のペアが発見した魔物です。消耗があったことから戦闘を避けて支部へ報告だけ行なったようですが、それと前後して別のテイカーからも似た特徴を持つ魔物の目撃例が上がってきています。私たちが行うのは件の魔物の発見と能力調査、そして可能なら討伐も済ませます。発見までは私がお膳立てましたがそれ以降はあなた方の役目です……というわけで、頼みましたよ。くれぐれも無理はしないように」
接敵。いくつもの腕と脚を持つトカゲとナメクジの混種のような魔物の前に、僕ら四人の新人テイカーは並ばされた。