22.最終
七番の彼がぐっと肉体に、何よりも腕に力を込めたのがわかった。全力の殴打を見舞うつもりだ。彼は四次試験でも真正面からの殴り合いを演じており、その体はあちこち傷だらけのボロボロ。そこまで余力が残っているようには見えないが……ガントレットへの勝算はあるのだろうか?
《ないならないで割り切って挑むしかないでしょう。消耗の大きい勝ち方しかできなかったのが悪いんですから。あなたやあの女性受験者だって彼のことは言えませんけどね》
怪我こそ負っていないが蹴り自慢の女性にも疲労は残っているし、僕は全身が切り傷だらけだ。唯一、クイズ勝負で勝ち上がった細身の男性だけが万全に近しい状態にあると言えるか。だけど彼だって、他の組の戦いが覗けなかった三次試験において体力を消耗しているかもしれない。クイズを選んだのではなくクイズしか選べなかったのだとしたら、他の組のように話がこじれなかったことにも納得がいく。
《要するに最終試験まで辿り着いている時点で気力・体力は必ず摩耗している。どうであれ厳しい試験になるようにできている、ということですね》
極限状態に持っていきやすくするためか。それはとても理に適っている。シスにも負けないくらいシステマティックだ。その合理的な厳しさを前に、僕たちができるのは……全力で抗うこと。それ以外にはない。五番の彼もそう理解しているのだ。だから彼は、途中でガントレットの先制が来ることや、あるいはカウンターを貰うことも恐れず、最初の一発で全てを出し切らんとしているのだろう。
「おぉおおお!!」
腰の入ったいいパンチだった。溜めたパワーを余すことなく拳に乗せて、最高のフォームで放たれたアッパー。ガントレットには劣るとはいえ、受験者の中でも特に体格に恵まれている彼が完璧に打ち込んだその一打は……確かにガントレットの顎を捉えながらも、何も起こらなかった。一歩も動かない、どころか顔が上を向くことすらない。微動だにせず。ガントレットの巌のような肉体はまったく揺らいでいなかった。
「な……、」
「なかなかだ、威力だけはな。だがそれ以外はお粗末! 他の全部を犠牲にした一撃ならもっと芯の通ったもんにしなきゃ釣り合わねえぞ。そもそも一発勝負で終わらせようなんつー横着が良くねえ。勝ち目が薄いからこそもっとやらなきゃいけねえことがあるだろうよ」
「──降参だ」
「なに?」
「三度目の挑戦でようやく最終までこられた……おかげで踏ん切りもついたよ。俺じゃあんたをどうこうできる気がしない。これっぽちもな。たとえ万全の体調で挑めたとしても無理だって、今のでよくわかったよ。あんたに一泡吹かせられないようじゃ魔物との戦いなんて夢のまた夢。そうなんだろ?」
「……まあ、な」
「だから降参だ。そしてこれっきりにするよ、テイカー試験。自分の限界を知れてよかった」
「そうかい……協会はお前さんの再挑戦をいつでも待ってるぜ」
ありがとう、と七番の彼は呟くように言ってフロアを去っていった。地上まで目前というところまできて、よもや自身の意思で脱落を決めるとは。態度だけで言えば実にあっさりとしたものだったが、本心はそうじゃないはずだ。そこにはきっと重い決意がある。「二度と戻ってこない」。と、彼の後ろ姿がそう告げているように僕には思えた。
「次だ、かかってこい」
「その前にひとつお聞きしたいことが」
線の細い男性が軽く手を挙げて発言する。ガントレットが顎をしゃくって続きを促したのを確認して、彼は続けた。
「殺しは厳禁、とのことでしたが。仮に私があなたへ致命傷を負わせてしまった場合はどうなるのでしょう」
「ふん、面白くもねえ質問だな十九番。そいつはいらねえ心配だ、仮に俺が死のうが最終試験に限っては不問とする。そんでもって俺を殺せるだけの逸材なら文句なしに合格だと付け加えてやるよ。良かったな、『認められる』以外にも方法が増えたぜ」
ニヤリと意地の悪い笑みで、質問した十九番の男だけでなく僕と女性受験者にも挑発するような視線をガントレットは向けてきた。どういうつもりだ……? 仮に僕らをやる気にさせるためだとしても、そう聞いて試験官を殺す気満々になるような人物はとてもテイカーに相応しいとは思えないが。
《単に発奮させるつもりで言っているだけでしょう。どのみち、あなたも含めてここにいる誰もガントレットを命の危機に追いやるなんて不可能なんですから》
殺す気で挑むのがちょうどいい、ということか。それもなんだかなという感じだが、試験で殺し殺されの気概を持ち込みたくない僕とは違って、十九番は質問の答えに勢いづいたようにガントレットの前まで進み出た。
「では、遠慮なく。テイカーがそうやすやすと死ぬとは私も思っていませんが、万が一の場合は恨まないでいただきたい」
「いらねえ心配だっつってんだろ、さっさと来い」
呆れた様子で催促するガントレットに対し、十九番の体は火がついたように動いた。腰にやった手に握られた、小ぶりながらに鋭い刃を持つナイフ。武器を持ち出した、と僕が認識した瞬間にはもう彼は突いていた。
じっくりと時間をかけて最高の一発を放った五番とは正反対の、最短最速の刺突。それも鳩尾という刺されば本当に致命傷となりかねない急所へと目掛けて。──このためだったのだ、彼が確認を取ったのは。僕はそう理解する。
顎へのクリーンヒットもてんでダメージにならない相手を倒すにはこれくらいやらなくてはならない。だが、やったらやったで残忍性を問題としてテイカーに相応しくないと合格できないかもしれない。その不安を事前に解消しつつ、事故が起きてもガントレットの責任だという言質まで取りつつ、彼は本気で殺しにいった。いや、殺せるという自信があるのかどうかはともかくとして、殺してしまっても構わないという気持ちで刺しにいったのだ。
恐ろしい。ここまでしなければ合格の目が見えない試験もそうだが、そうと承知してここまでやれてしまえる十九番も。そしてそれ以上に……ナイフが止まっていること。狙い澄ました刃の先端が一ミリたりとも腹筋に刺さっていないことが、他のどんな事実より遥かに恐ろしい。
《今の一撃だけ見ればアイナにも劣らぬものでした。つまり、あなたが魔力を集中させてガードしても完全には防ぎ切れないレベルということです。それをガントレットはただ自然体に纏っているだけの魔力で受け止めた。段違いですね》
シスの言葉もあって僕の驚きは大きいが、刺した当人である十九番からすれば驚くどころの話ではないだろう。それ以上進まない手元と、平然としたガントレットの姿を、視線を往復させて何度も確かめる仕草からは激しい動揺がよく伝わってくる。
「そーいうもんも持ってたか、十九番。これまで使わなかったのは手札隠しと印象のためか? よく考えて試験に臨んでるじゃねえか。ナイフの扱いもそれなりにいい……が、所詮は『それなり』止まりだな。大したものでもねえのに後生大事にしてたってそう意味はねえよ」
それに、とガントレットは十九番の腕を掴んで捻じり、その手から零れたナイフを奪って続けた。
「こんな玩具で俺をどうこうできると思い込んじまう想定の甘さはいただけねえ」
べぎべぎ、と音が鳴る。悲鳴もだ。ガントレットは左手でナイフを、右手で十九番の腕を握り潰していた。両手が開かれ、十九番は弾かれたように距離を取る。痛みに呻きながらも彼は転がった「ナイフだった物」を眺めて、余計に顔色が悪くなった。折れた腕よりもよっぽど切実な苦痛がそこにはあった。
《隠し持っていた武器という切り札が紙くずのようにぐしゃぐしゃになっているんですから絶望的ですね。故にこそ、この苦難を撥ね退けるべく目覚められるか否かが試されようと──》
「こ、降参するッ!」
《って、あらら》
試験としてはここからが本番のはずが、十九番の彼から戦意は既に消えていた。これではもう見極めるも何もない。本人にその気がないのであれば続けたって仕方がないのだなら。
「ナイフの刺さらない人間に片腕で立ち向かえはしない……あなたを倒すヴィジョンがまるで見えない! 降参だ。こんな状態からでも挑まねばならないのがテイカーなのだとしたら、私には無理だ。それがはっきりした」
無理。七番の彼に続いて十九番からも出たそのワードに、ガントレットは鼻息を零して。
「そうかい……気が向いたら再挑戦すりゃいいさ。帰る前に腕、治療してけよ」
十九番は無言で頭を下げて、迷いのない足取りで去っていった。彼の背中からも再挑戦するつもりなんてさらさらないという強い意思が感じられる。
最も厳しい試験と銘打たれていただけに、ここでの脱落はこれまでとは意味合いが違うのかもしれない。ガントレットの度を越えた力強さは受験者の心を折るに充分である。どんなに強い肉体も精神も彼の前では無意味なものになってしまうからには、確かに適任だ。困難を乗り越えていけるかどうかを見定めるにこれ以上相応しい試験もないだろう。
「次だ。三十番、来い」
意を決した顔付きで女性受験者が踏み出し、ガントレットの下へ進む。そして対面する。性別の違いもあって前二人よりも体格の差が大きく、ここから見ているとまるで大人と子供のようだった。
しかし三十番の彼女は臆すことなく身構えた。戦うつもりだ。五番や十九番が賢しくも一発勝負で終わらせようとしたのに対して、彼女は正々堂々と自身の力をぶつけてガントレットに認めさせるつもりでいる。それがよくわかる堂に入った構えだった。
「行きます」
「ああ」
短いやり取り、後、仕掛けたのはやはり彼女からだった。膝への回し蹴りから始まり、ガントレットの体中を女性自慢の蹴りが襲った。どれだけ打ち込んでもガントレットはビクともせず、それを前提にしているであろう彼女もまた止まらなかった。三次試験で見せた必殺の三連蹴り以上に激しい蹴撃を幾度となく、数え切れないほどに浴びせる。やがて、ぶしゅりと血が舞って彼女を濡らした。
「な……」
思わず声が出てしまう。何故って、彼女が自身の血で汚れていたからだ。黒くてゴツゴツしたブーツの履き口から、少なくない量の血が滴っている。アレはどう見ても彼女の足が怪我をしている証拠。いったいどうして攻めている側が負傷を……!?
《自分の足が武器。ならばそれを覆うブーツもまた、防具であり武器。絶縁素材なだけでなく中に鉄板か何かを仕込んで固く重くしているのでしょう。そうすれば耐久性と共に蹴りの威力も大幅に上がりますから。しかしそんなブーツ以上に「硬いモノ」を全力で蹴りつけているわけですからね。それも、ああも連続で。足がおしゃかになるのも当然ですよ》
本来は足を保護するためのブーツの内部で、その固さのせいで逆にどんどん傷付いていっているのか。とんでもない激痛に見舞われているだろうに、三十番の彼女は足を振り回すのをやめない。迷彩柄のズボンを血で染め上げながらも蹴って蹴って蹴り続ける。
そこには執念があった。アイナが僕を吞み込んだのと同量かつ同質の、「なんとしても合格してやろう」という激しい執念が。その気合に満ちた戦いぶりはもしかしたらと期待を持たせてくれるものだったが……現実は非情だった。
ガントレットもただ倒されるのを待つばかりではない。とうとう彼からの反撃も行われ、一発のパンチが彼女の胴体を打ち据えた。明らかに本気では打ち込んでいない拳。それでも被害は甚大。彼女は胃からせり上がってきたらしい何かを口に留め、嚥下し直し、そして蹴りを再開させる。そしてまた反撃を貰い、今度は肩に食らったそれの衝撃で倒れそうになるもどうにか堪え、蹴る。その攻防が繰り返された、果てに。
ついに足が止まった。嵐の如き連撃が、止んだ。止んでしまった。肩で息をしてもはや真っ直ぐに立つことすら困難なくらいに体力を使い果たしている彼女へ、ガントレットの拳が落ちる。それを避けるだけの力は彼女にはなかった。ごんっ、と鈍い音を立てて体と一緒に意識も沈んだ。そうとわかる崩れ方だった。
「根性はいっぱし。大したもんだ……が、惜しいことに魔術の素養はからっきしらしい。ここまで魔力の脅威を浴びても目覚める兆しがまったくなかった。マジで惜しいぜ」
血塗れで倒れ伏す彼女へ労わる目を向けて、ガントレットは首を振った。
「おい、医務室へ運んでやれ。なるだけ丁重にな」
アイナと同様に三十番も職員たちに担架で運ばれ、フロアを後にした。最も善戦したと言っていい彼女だが、しかし結果は不合格。これで残りは。
「あとはお前さんだけだな。来い、ライネ」
僕一人。