21.見極める
《吞まれていましたね、あなた》
担架で運ばれていくアイナを見送る最中、シスが言った。
《それじゃいけません。あの程度の執念に怯むようじゃダメダメです。彼女に目的があるように、あなたにだってやらねばならないことがある。それをいついかなる時も忘れないようにしなくては》
別にあの瞬間、そのことを忘れていたわけではないんだけど。という僕の反論は見越されていたようで。
《だったらああも気圧されるはずがありません。あなたの中にも執念があるなら、他者のそれに怯んだりしないんですから》
一理はありそうだ。立てるはずもないのに立ったアイナを見て、忘却こそせずとも目的意識が薄れたのは事実だった。僕よりもアイナが勝ち上がるべきなのではないか。彼女こそがテイカーになるべきなのではないかと、そんな風に思ってしまったのはシスの言う通り、アイナの執念に吞み込まれていたからなのだろう。
ただひとつ言わせてもらいたいのは、僕は未だにシスから「テイカーになった先のこと」を聞かされていないということ。善く生きるなどという漠然とし過ぎたお題目だけしか与えられていないので、モチベーションにおいてアイナに劣るのは致し方ないはずだ。確実かつ切実な志望動機を持つ彼女に比べれば、僕はテイカーになって何をどうすればいいのかまだ何もわかっていないのだから。
《……そうですね、正論です。けれどまだなんです。先のことを話すにはまずテイカーになるという前提を満たしてもらわねばならない。それが神のような何かが定めた『チャート』ですから》
チャートね……。シスはともかく、神のような何かの導きとやらをどこまで信頼していいものだか。二度目の生を与えてもらったことには感謝しているが、それとこれとはまた別の話だ。ああいや、シスの言葉はもちろん信じているけどね?
《ありがとうございます》
なんだかやけに無機質な礼の言葉だった。妙に居た堪れなくなった僕は、話を打ち切るようにガントレットの下へ向かった。
「あの、ガントレットさん。アイナのことなんですけど」
「ああ、やり取りは聞こえてたぜ。案ずるこたねえ、ああいう奴の処遇を考えるのも支部長である俺の役目だ。悪いようにはしねえさ」
「そうですか……」
少し安心した。このまま脱落者として放逐されてしまえば、アイナがどうなるか知れたものではない。また試験を受けてくれるようならいいが、例の衝動が抑えられずに道端で凶刃を振るいでもしたら……そうならないよう協会に保護してもらえるならそれがベストだろう。
《殺傷衝動ですか。まあ、衝動のままにドロップアウトして夜な夜な街を徘徊する殺人鬼にでもなられるよりは、それを活かして魔物討伐に精を出してもらった方が協会としてもずっといいですものね。ただ、あの様子で彼女が果たしてテイカーとしてやっていけるかは甚だ疑問ですが》
ううむ……三次試験での振る舞いや、いざとなれば人に刃を向けることをまったく躊躇わない、どころか嬉々として斬ってきた姿を思い返すと、確かに危うい。
魔術の素質がありそうな伸びしろも含めて実力面ではなんの不安もないだろうが、精神面。実力と同程度に重視される協調性に関しては不安どころの話じゃない。協会の庇護下でテイカーを目指したとしても、件の飼い殺し枠に収まって雑用ばかりをやらされるのではないか。そうなると衝動を発散できず、いつか脱走でもしてしまうのではないか……。
《そんな妄想に妄想をいくつも重ねて心配してどうするんです。あなた自身が万年雑用係にならないと決まってもいないんですから、他人のことを気にしている場合ではないでしょうに》
う、その通りだ。アイナを下したとはいえ僕だってまだ試験中の身。人の行く末を慮るのは烏滸がましいことかもしれない。集中を切らさないようにしなくては……これが原因で僕まで脱落してしまっては、きっとアイナだって面白くないだろう。
「さぁて、これで四人にまで絞られたわけだが。こっからもう一回絞るぜ。最終試験だ」
ガントレットの言葉に、僕も含めた生き残り四名は色めき立った。とうとう最終試験! これを乗り越えればテイカー資格を得られ、協会の一員になれる。ようやく見えたゴールに喜色を浮かべる受験者に、しかしガントレットはそんな明るい雰囲気を霧散させるように手をひらひらと振って。
「あんまし浮かれてくれるなよひよっこ共。次も生き残ればいよいよ合格だってんだから最終試験こそが当然に最難関なんだぜ……ってのは、ここまで残ったお前たちには言うまでもねえよな?」
最難関。そのワードに冷や水を浴びせられたように場の空気は重苦しいものになった。
当初は三十五人もいた受験者が今やたった四人。それだけ一次から四次までの試験が険しかった、あるいは厭らしいものだったと言えるが。けれどこれでもまだ「多すぎる」。仮にここにいる四人がそのままテイカーになるようなら此度の試験の合格率は10パーセントを超えることになる……そんな高確率はテイカー試験においてあり得ないと、ミーディアやシスからさんざその厳しさを聞かされて僕は知っているし、他の受験者たちもそれくらいの事前知識は有した上で挑んでいるに違いない。
だから、全員がわかっているのだ。ここから更に振り落とされ、残るのは精々一人か二人。あるいは全滅することだって充分に起こり得るだろうと、最終試験の内容を聞かされずともその未来が見えている。
ただならぬ緊張の中、固唾を飲んで最後の試練の中身。その発表を待つ僕らにガントレットは──背を向けて歩き出し、さっきまで僕とアイナが戦っていた場所。ただ広いだけの空間であるこのフロアの中央に仁王立ちして、こう言った。
「この俺とサシで戦り合う。それが最終試験だ。降参や気絶が脱落条件なのは変わらず。ただしクリア条件の方は……『俺が合格と認める』、それひとつ。つまりこいつならテイカーにしてもいいと俺に認めさせたらいいわけだ。理解できたな? なら番号の若い順からかかってこい」
四次試験以上にシンプルでいながら、四次試験以上に過酷である。誰もがそう感じたことだろう。
何故なら今のガントレットは「魔力を纏っている」。ただでさえ常人離れした体格と筋肉を持つ彼なのだ、その身から放たれる重圧は離れたこの位置にも熱風の如く押し寄せてくる。あまりにも偉丈夫。そんな彼と戦い、合格と認めさせる。言葉にすれば簡素なその条件を満たすために必要な労力のなんと甚大なことか。
若い順、と言われてガントレットの正面にまで向かっていった男性受験者は立派だ。四次試験で男らしい殴り合いを制して勝ち上がった例の彼は、やはり勇気と男気に溢れる人物のようだ。ガントレットにじろりと見据えられ、ぶるりと大きく身体を震わせたのは怖気か武者震いか。いずれにしろ彼はそれで腰を引かせるのではなく、ファイティングポーズを取って立ち向かう意思を見せた。
「おっと、ちょいと待ちな七番。始める前にひとつ警告すんのを忘れてぜ」
今にもかかっていきそうな七番の彼を「待て」の合図のように片手を上げて制し、その手でガントレットは握り拳を作った。そして。
「ふん」
床に向かって振り下ろした。ドンッ! という激しい音。それが鳴ったかと思えば、下ろされた拳の真下にある床面が大きく抉れていた。……ガントレットは仁王立ちしたままだ。拳は床に届いていない。だというのに殴打の圧──俗に言う拳圧だけで床にクレーターを作ってみせた。その事実に受験者は揃って震撼する。
このフロアでは都合三度の戦闘が繰り返された。足場としてここの床を何度も蹴り、踏ん張ってきた僕らは、その造りがいかに堅牢であるかを体で理解している。だからこそ目の前で起きている現象が信じられないのだ。
唖然とする僕らにガントレットは言う。
「奇怪に思えるかもしれねえがなんてこたぁない、テイカーになれば誰だってこういうことができるようになる。こういうことをできる奴がテイカーになれるんだって言い換えるべきか? できる奴とできない奴、そこの隔たりは果てしなくデカい。お前さんらがどちら側かを見極めるのがこの最終試験だ……そのために」
ガントレットは拳を、そこに込められた魔力の圧をじっくりと感じさせるように示して続ける。
「最低でも半殺しだ。下手すりゃ死ぬ、下手しなくても死ぬときゃ死ぬ。俺との戦闘はこれまでのどの試験よりも遥かに危険度の高いもんになるぜ。それを承知の上で挑むかどうかを決めな」
人を食い殺しそうな笑顔で彼はそう締めた。受験者たちは、ドン引きしていた。無理もない、おそらく彼らの中に魔力を感知できている者はいない。それができている僕だってガントレットのやったことは理解の範疇にないのだから、ましてや無知識・無防備のまま正体不明のプレッシャーに晒されているこの三人の心境たるや察するに余りある。
いや本当に、どうやったらあんな真似が可能なんだ? 僕じゃあどれだけ拳のみに魔力を集めたって触れもせず物を壊すなんて絶対にできやしないぞ。
《相手は熟練のテイカー、それも支部長の職責を負う大物。当然のことではありますが……あなたとはだいぶ段階の異なる魔術師のようですね。言うまでもなく今のあなたでは天地がひっくり返ろうとも不可能ですよ。彼と同じ芸当がやりたければ魔術師としてもっとレベルを上げなくては》
天地がひっくり返ろうともか。それぐらいの力量差は僕も感じているけどさ。
でも、だとしたら無茶苦茶じゃなかろうか。一応は魔術を扱える僕でも戦うことを想像するだけで足がすくむほどの、圧倒的という言葉でも足りないくらいの強者がガントレット。そんな彼と魔力なしで戦闘を行ない、その上で「認められる」ことが条件なんて……はっきり言って厳しいどころじゃあない。無理ゲーの領域に達している。
《それだけ隔絶しているからこそ良いんですよ。『見極める』ためには》
見極めるって……それは、将来的に魔術師になれるかどうかの話?
《ええ。特別性のあなたと違って普通、魔術を身に着けるのには相当な才覚と適切な鍛錬が不可欠。素養を持っているからと言って誰もが魔力を自覚できるものではありません。ですので、アイナのような例もまた希少。人が魔力に目覚め魔術への一歩を踏み出す最もの契機が何かと言えば……他の全ての技術に同じく『必要に迫られる』こと》
魔力とはその人が持つ生命力だとシスは言っていた。より正しくは、生命力の効率的な使い方であると。そんなものが必要に迫られる場面とは、即ち……。
《そう、死に瀕すること。蝋燭が消える間際にこそ最高の輝きを放つように、命もまた途切れようとする直前に最も力を増す。困難を打破するために、あるいは差し迫った寿命で出し得る全てを出し尽くすために。魔力の知覚はそこで起こる。いえ、必ずではないですから起こりやすい、が正しいですね》
じゃあ、ガントレットが見極めようとしているのはそこなのか。彼が直々に手を下し、受験者を死の間際にまで追いやることで、その瞬間に生命力の爆発を起こせるか否か。裡に眠る魔力を引き起こせるか否かをテストする。それが最終試験の真の目的……!
《状況は絶望的であるほど望ましい。『魔力攻撃によって瀕死に陥る』はその最適解だと言えます。極限の状態でこそ人は魔力に目覚める可能性が高まる……ですがそれ以上に、何も起こらずそのまま死んでしまう方がずっとあり得る。熟練の魔術師があらゆる意味で適任ですね。ガントレットは上手な殺し方とその加減に心得があるのでしょう。少なくとも自分の力量に彼は多大な自信を持っている。それも優秀な魔術師に欠かせぬ要素のひとつです》
そしてあなたの場合は、と淡々と話していた声色を少しだけ深刻なものに変えてシスは言う。
《他の三人とは事情が異なる。既に魔力に目覚めている受験者に対してガントレットは──より苛烈に、より過酷に攻め立てるつもりでしょう。あなたも自覚を持つことです。今、誰よりも死の危機に瀕しているのは、他ならぬ自分自身なのだと》
「言うべきことは言い終わった。そんじゃ、始めるとするか」
ガントレットの宣言は力に満ちており、同時に底冷えするような冷ややかさも備えていた。




