19.四次
またひとつフロアを上がった。ここまでくれば地上も間近だ。ただし、脱落者としてでなく合格者として地上へ戻るにはまだいくつかの試験を通過しなくてはならない。その内のひとつはもうどんな内容か判明している。
「繰り返すぜ、さっき組んだコンビの片割れ同士でバトルだ! 単純な殴り合いでもよし、それが嫌ならクイズ対決なんてのもアリだぜ。とにかく自分たちで勝負の内容を決めて戦え。自発的に『降参』するかもしくは気絶等の『活動不能』の状態に陥れば負けだ。勝ちの条件も相手にそうさせる以外はねえ。三次みたくドローやサドンデスなんざねえからそのつもりでやるこった」
つまり、絶対にペアのどちらかが脱落することになる。双方負けや双方勝ち上がりなどという状況にはならないとガントレットは言っているのだ──情け容赦なくさっきまで共闘していた相手をぶっ倒せと。
《三次で有利になるようにと有望そうな相手と組んだ人ほど難儀することになりますね。なかなか性格の悪い試験です》
心から同意する。三次から四次の流れはあまりに意地悪だ……そうでなくては試験の意義がないと言われればそれまでなのだが。
《文句をつけたくなる気持ちもわかりますよ。何せ『難儀する』という意味ではあなたこそが随一でしょうからねぇ。他のどの受験者よりも、ペアの相手が底知れない》
まったくもってその通りだった。四次試験の内容を聞かされてからはどの組もそれとなく相方とお互いに距離を取っているというのに、アイナは今も僕の横で何事もないかのように佇んでいる。ガントレットの講釈も耳に入っているのか定かでない、一見するとただぼうっとしているだけにしか思えない彼女だが。けれどその本性が決して見かけ通りではないことを僕は知っている。
牙を隠しているつもりなのかどうか。ともかく普段は覗けないそれがひとたび剥き出しになればタダでは済まない……そして今その脅威に晒されているのは、他ならぬ僕である。
参ったな、と思う。こんなことになるなら三次試験で組む相手はもっと考えるべきだったのかもしれない。
《今更、ですね。どうにもネガティブになりがちなあなたの思考回路にもいい加減慣れてきましたが、もう少しくらいポジティブになったって罰は当たらないと思いますよ? 考え方次第ではこの展開、そう悪いことばかりでもないでしょう》
ガントレットによって雑に指名された一組が、フロアの中央で向かい合う。彼らは三次試験では三番目に合格したペアだ。それが最初に選ばれたということは順不同なのか。では僕の番がいつになるかはわからないな。
それで、なんだって? 悪いことばかりじゃない? その意見にはとても同意できない……アイナが生き残りの受験者の中でも指折りの強敵だということはシスだって認めている事実なのだ。そんな彼女とまさかの対決と相成っているこの状況は、どんな考え方をしたって良いようには捉えられない。と思うんだけど。
《何もせずに三次試験を通過してよかったものかと気を揉んでいましたよね。その何もさせてくれなかった相手と、今から雌雄を決するんです。アイナの打倒はそれこそ何よりのアピールになりますよ。あなたの強さをガントレットに見せつける最高のチャンスじゃないですか》
「…………」
そういう発想はなかった……この考え方は僕にはできないものだ。思うに、シスはやはり冷淡だ。冷酷と言ってもいい。僕以外の何もかもを、僕を導く上での利用価値だけで認識しているようである。本人が名乗った通りのそのシステマティックな酷薄さは、頼もしいと同時、なんだか非常に危ういもののようにも感じられた。
逃したアピールタイムの代わりになる、という意見には同意できる。けれど、仮にも三次試験で僕を助けてくれた相手をそんな風に切り捨ててしまっていいのだろうか。
《心象が悪くなるとでも? まさかまさか、それができるかどうかを見る試験なんですからその心配は的外れですよ。むしろこれで全力を出せない方が断然に評価は低くなると思いますがね》
シスとの会話の間に、殴り合いを勝負内容に選んだらしい一組目の決着がついた。お互いろくに避けもしない壮絶なインファイトの末に勝利を掴んだ一方が、膝を屈した一方に肩を貸して立たせてやっている。二人ともいい笑顔だ。勝者と敗者に別れてしまったものの、彼らの間には確かな友情が芽生えているようだった。
続く二組目に指名されたペアは、なんとガントレットの説明を真に受けてクイズ対決を勝負内容にしていた。ジャンルを『テイカー』に絞って交互に難問を投げ合っている……先のペアとの落差もあって、それはなんだか異様な光景だった。
《次のことも考慮して体力を消耗しない戦いにしたのでしょうね。なかなか合理的な判断です。互いの知識量によっては泥沼にもなりそうですが……》
共に自信があるから『テイカー』というジャンルになったのだろうし、ジャッジもいないことから確かに明確な勝ち負けの判定は難しそうだ……と思ったのだが、意外にも一方が素直に敗北を認めて白旗を上げたことで割とあっさりクイズ対決は終わった。健闘を称えるように握手までしているからには彼らの間にも彼ら自身にしかわからない絆のようなものが出来上がっていることが窺える。
《思ったより性根の悪そうな人はいませんね。みんな公正というか好青年というか。そうでない輩はそもそもテイカーを目指さないということでしょうか》
あるいは面接の段階で弾かれているか、受けても序盤で淘汰されているか、だね。ふとスリンガー男が口元をにやつかせながら撃ってきていたことを思い出す。あれは……試験の性質上悪人とまでは言えないが、少なくとも性根のいい人物がやるような行動とは思えないので、まあ。脱落させたのも悪いことじゃあないだろう。仕掛けてきた彼の自業自得なんだしね。
次なる三組目は、僕とアイナ以外のもう一組の男女ペアが指名された。この二人もできれば別の内容にしたがっている様子だったが、うまく話がつかなかったのだろう。結局は直接戦闘で対決することに落ち着いたようだ。
勝負は当初、長い脚を活かした蹴りを巧みに操る女性側の有利に事が進んだ。男性側はなんとか距離を潰し自分の間合いに持ち込もうとするが、その意図がわかっているだけにそうはさせじと女性も立ち回る。追撃できそうな場面でも深追いせずに距離を保ち、大ダメージよりもちくちくと削っていくことを狙って蹴り続ける。慎重な戦い方だ。あれを徹底されると男性には勝ち目がないだろう。
このままでは崩せない、と悟ったのは当人も同じようだった。そこで男性が取り出したのは──警棒? いや、パチパチと音が聞こえてくるあの道具は、おそらくスタンロッド! 対戦形式の試験を見据えた男性の奥の手であるようだ。
《悪くないですね。あれなら蹴り脚に合わせるだけでいい。そうすれば女性の動きは止まりますから》
接触すればそこから電気が体に流れ、どうしたって女性は硬直する。その隙に男性は易々と懐へ入り込める。あとは思うがままだ。接近戦でもスタンロッドは活かせるし、女性を優位足らしめているリーチさえなくなってしまえば純粋な打撃戦でも彼が上回るだろう。その証拠に武器を構えられた途端に女性は蹴りを出さなくなってしまった。
じりじりと迫る男性に、女性も少しずつ下がっていく。戦局は逆転した。多少のダメージもあれど動きが鈍るほどじゃない男性と、今は万全とはいえ一撃でも貰えば危うい女性。ここから盛り返すのは相当に厳しい。と、この勝負を眺めている誰もがそう思っているはずだ。当然、優勢を得た男性もそれは同じ。
勝負を決めるつもりだろう。そう確信できる自信に満ちた動きで男性の方が大胆に距離を詰めた。近寄らせないためには女性は蹴りを放つしかなく、だがスタンロッドを避けてそれを当てるのは至難の業だ。どうしようもない状況、のはずだが。
詰んだかに思える女性の口が不意に弧を描いた。そして真っ直ぐに蹴りつける。男性の腹部へと目掛けて放たれたそれは、これまでの牽制と削りが目的だった気のない蹴りとは異なり、体重と勢いを最大限に乗せた必殺の前蹴りだった。スタンロッドごとぶち抜くつもりか! 一発で仕留められるかどうかの大博打。追い詰められたからにはそうするしかないだろうが、分の悪い賭けであることに変わりはない。
やぶれかぶれの特攻を予期していたのだろう、男性はしっかりと空いている腕で防御しつつ、並行してスタンロッドを女性の脚に押し付けていた。ブーツ越しではあるが、ここまでスパーク音が聞こえてくるほど激しい電流が流れているからには衣服や靴の上からでも充分過ぎるほどのショックを彼女へ与えられるだろう。防御しても重い蹴りだったのか男性も苦しそうな表情をしているが、女性の方は苦しいでは済まない。賭けに負けてしまったのだ──と思いきや、すっと脚が引っ込められて。素早く軸足を入れ替えての二発目が男性の顎を打ち抜いた。
《おや。どうやら誘われていたのは男性の方だったようですね》
電気を浴びても即座に反撃してくるとまでは予期できていなかったのだろう。まともに蹴りを急所へ食らってしまった男性は続く三発目にも反応できず、今度こそ前蹴りが鳩尾に突き刺さったことでもんどりうって倒れ、そこから立ち上がれなくなった。スタンロッドも床へ落としているし、誰がどう見たって決着だ。
「あー、そこまでだな」
ガントレットによる制止が入った。降参や気絶こそしていないが戦闘不能であると見做された男性の敗北が決まり、追い打ちこそかけずともファイティングポーズを解いていなかった女性も自身の勝ち上がりが宣言されたことでようやく息をついた。
《あのブーツ、あるいは服もですかね。絶縁性の高い素材で出来ているのでしょう。スタンロッドに怯んでいたのは誘いの演技だったわけですね》
そうだったのか。まったくそうは見えなかった。僕と同じく男性もすっかり騙されて、結果として彼女の本気の蹴りを貰うことになってしまったと……強く、そして強かな女性だ。さすがにテイカーを志すだけのことはある。脱落した彼には悪いが、いい教訓になった。
《あなたもこれからこわーい女子と戦うんですものね》
いやほんとに。他の組が対戦を終えたからには、もちろん次は僕たちの番だ。ガントレットから番号で呼ばれた僕とアイナは並んでフロアの中央まで行き、そこで距離を取って向かい合った。
「一応訊くけど、勝負内容は?」
「バトル」
「だよね」
そうだと思ったよ。別の提案をしたって聞いてくれやしないだろうし、仕方ない。できれば二組目のように穏便なやり方を選びたかったが腹をくくるしかないな。
勝負の始まりを告げる前に、ガントレットからの強い視線を感じた。彼にだけわかるように僕は頷く。厳しく見ると言われはしたものの、ガントレットは魔力の使用自体には何も言ってこなかった。そちらは魔力頼りと思われたくなくて僕が勝手に自重しているだけ。ただし唯術は別だ。受験資格と共に三十五番の番号を与えられた際、彼は明確にその使用を禁じた。使えるにしろ使えないにしろ唯術は封印しておけ、と。無論、僕はそれに了承を返した。
つまりテイカー試験において魔術師が魔力だけでなく唯術まで解禁してしまうのは「悪質な行為」に含まれるのだろう。納得のいく縛りではある。僕の手札は減ることになるが、それは翻って、もしも他に魔術師がいても唯術には悩まされずに済むということでもある。
アイナが魔力を使えるにしても、このバトルに唯術が持ち出されることはない。対魔術師との戦闘経験なんてない僕にとってそれは大きな利点であった。
《問題なのは、魔力を使えないにしたって彼女が相当な強敵であること。ですけどね》
腰に提げられた二本の鞘からすらりと剣が抜かれる。果たしてそれらは三次試験において敵チームを餌食としたのか否か。照明を反射して鈍い銀光を放つ一対の刀身、そのプレッシャーに自然と喉が鳴った。
怖い。だが……これは乗り越えなくてはならない怖さだ。覚悟を決め、構えを取る。
「四次試験最終戦、はじめ!」
ガントレットの号令を受けて──アイナが倒れた。