180.接触
ライネとオルネイは魔力探知へ重きを置いた警戒をしながら歩を進めていく。大扉の先にあった空間はカクリコが守っていた場所と比べても随分と広く、何かしらの仕込みを行なうには適しているように思えた……が、二人は共にそれらしいものを発見できなかった。
原始的な罠であれば目視で充分に見分けられ、魔力によって作動する魔石仕掛けの罠であればその前兆として発せられる魔力反応がある。優れたテイカーであればそれを見逃すはずもなく、結局何事もなく大広間とでも呼ぶべきその部屋の中途まで進めたことで二人は罠の類いはなしと見做した──見做してしまった。
場合によってはカクリコと同型の魔像がずらりと立ち並ぶ悪夢のような光景が広がっていることも想定していただけに、それどころかここまでのエリアにいくつもあった──そしてその尽くが特A級を中心としたチームで解除されてきた──器械的な罠すらも一切の用意がされていない。そう結論した際、どうしても、変わらず警戒を続けながらもほんの僅かに気の緩みが生じなかったとは言い切れない。「この部屋は安全だ」と思い込んでしまったその瞬間、その隙とも言えぬ小さな意識の隙間を。
狙い撃たんとしている者がそこにはいた。
「「!」」
空間の揺らぎ。シスの力も借りて感度を高めていたライネと、自身が空間に作用する唯術を扱う術者であるが故にその手の感覚に敏感なオルネイは、同時に違和感に気付いた。
異変が起きたのはオルネイの付近。まるで透明なヴェールを剝ぐようにして姿を現した異形の存在──既に攻撃態勢に入っている魔人を認識した二人の反応は、素早かった。オルネイは用心として構えていた補助具である棒手裏剣を異形の足元に向けて投擲。そこへ釘付けにして動きを封じようとし、ライネはオルネイの危機を救うべく最も出の早い攻撃術である氷撃を撃ち放っていた。けれど。
「なっ──」
驚愕の声はオルネイの物か、ライネの物か。彼らが放った武器も術も間違いなく真っ直ぐに対象の下へと向かっていたのが、その途中でぐにゃりと軌道を曲げて明後日の方向へと逸れていったからにはそういうリアクションにもなる。そして魔人の一撃が振るわれる。
「オルネイさん!」
防ぐ暇はもうなかった。オルネイも咄嗟に防御を間に合わせようとしたが、まるでその防御を擦り抜けるようにして魔人の鉤爪が彼の体を切り裂いた。
「がふっ、……く」
余程の腕力だったのだろう、オルネイは吹き飛ばされて広間の壁へと激突し、血に塗れながらそこに崩れる。相当な痛手だ。即死こそしていないが治癒術を使えないオルネイにとっては致命的。なるべく血を流さないようにしながら命を繋ぎ止めておくのが精一杯だろう。早急にライネがオルネイを治療する必要がある──が、そう動こうとするのを敵もまた見抜いている。明らかな攻撃の気配を漂わせながら魔人はライネを牽制していた。
オルネイの下へ向かおうと背中を見せれば、自分もやられる。魔人の一撃の奇妙さにはシスだけでなくライネも気付いている。アレを無防備な状態で受けるのはマズい。オルネイが助かっているのはおそらく腕を交差させての物理的な防御だけでなく、【標点】の空間越えの応用で自身の周囲を異空として敵の攻撃へ干渉したためだろう。魔力反応からしてそれは間違いない──のに、魔人はそれもお構いなしにその手にある鋭い鉤爪でオルネイの努力の全てを切り捨てたのだ。
ちゃきりと爪が鳴り、魔人が口を開く。
「確かめるまでもないだろうが一応訊いておく。お前がライネだな?」
「……僕を知っているのか」
「はっ、当然だろう。いつかやってくるお前を仕留めるべく俺はこうしてお前を待っていたのだからな。それこそが俺に与えられた使命!」
「使命ね。その割には──」
と、周辺を改めて探り直しながらライネは軽く笑って言う。
「君一人なのか。僕が本当に来るのか、来るにしてもどれだけ仲間を引き連れるかもわからないのに?」
「お前が大勢でやってくるような臆病者なら俺も退くまでよ。しかしこうして一対一の状況を作れたからには……確実に殺させてもらう。魔人の世のためにお前は生かしておけん」
なるほど、とライネは内心で頷く。つまりこの魔人の果たすべき役割はテイカー協会の動きを本隊へ知らせること。いつ頃にどれだけの人員を割いてこの場所まで辿り着くか、その情報を得ることだったのだろう。と推測する。
協会がイオの爆弾の正体、つまりは生き残りの魔人の存在と動向を掴むのに苦心しているように、魔人側も協会が自分たちをどれだけ捕捉しているのかは知りたくとも容易には知れない情報だ。それを推し量るため、そしてもしも彼らの親玉であるイオを下した不倶戴天の敵である「ライネ」を消せるチャンスがあれば、それに挑むために。こうして隠れ潜むのに適した魔人を配置しておくのはそう悪くない策だ。
ということは、やはり旧大都を魔人の残党がしばらく利用していたのは確かなのだろう……が、肝心のイオが直接作り出した例の二体はここにはいない。とうの昔に放棄して新たな棲み処を見つけているに違いない。そう理解して捜索が更に難しくなったと頭を悩ませながら、それをおくびにも出さずにライネはいっそ気さくなまでに魔人へと声をかける。
「僕を倒すのにご執心みたいだけど、いいの? それに失敗すれば君は使命を与えてくれた誰かさんになんの情報も届けられなくなる。ここは退いて確実に協会の動きを伝えた方が賢明なんじゃないかな」
「……ふん、俺の撤退を誘って背中を撃つつもりか、あるいは後でもつけようというのか? その手には乗らんぞ」
そもそも、と得意気に魔人は続けて。
「お前の来訪はとうに伝わっておるわ。当然だろう、俺はあの御方の御力によって生まれたのだからな」
「創造主とのリンクか……」
あの御方なる魔人と、その彼ないしは彼女が生み出した魔人との間には術的なリンクが形成されているらしい。イオの【同調】とはまた違った手法で行われているであろう魔人の生成がどんなものかライネは気になったが、まさか馬鹿正直に訊ねて教えてもらえるわけもない。
「そっちが引いてくれるなら本当に何もしないつもりだったけど、そこまで言うならしょうがない。さっさと戦ってすぐに終わらせよう。はやいとこ仲間の治療も済ませたいんでね」
「抜かしおる。俺がお前の前に立った意味がわかっていないのか? カクリコとの戦闘でデータは取れている。その上で判断した、俺ならばお前を殺せるとな!」
「データ?」
きょとんとした表情を見せたライネだったが、すぐに得心がいったのか「ああ、そっか」と小さく笑う。それは明らかに目の前の魔物を憐れんでのものだった。
「何が可笑しい」
「イオを倒した敵を相手に一人でかかろうとは豪胆なものだと思ったけど、そうじゃなくて。さっきの戦いぶりが俺の力の全てだと誤解してしまったんだな、君は。まあ実際に目にしたものを信じるのはそう悪いことじゃあないだろうけどさ。でもそれにしたって、たった一戦盗み見たくらいで知った気になるのは浅はかなんじゃないか?」
ライネが魔力を立ち昇らせながら構えを取る。その出で立ちから底知れないものを感じた魔人は怯むように後退しかけて、しかしそれを気力によって押し留めた。
彼は己がテイカーに対して怯えたなどと認めない。たとえそれが自身の産みの親の産みの親である偉大なる始祖をその手にかけた人間だったとしても、だ。
(イオ様がどのようにして亡くなられたかはあの御方もご存知ではない。だが伝え聞くイオ様の能力が確かであれば敗北などあり得ない──人間一人が太刀打ちできるはずがない! 何かしら卑劣な手を使ったことは間違いないのだ。断じてこいつが実力で打ち勝ったなどということはないのだ……!)
彼の産みの親はそう疑っていたし、彼自身もそれを支持している。深く考えることもせずまるで縋りつくようにそう信じ込んでいるのは、偏に魔人としてのプライド。驕りと言い換えてもいい人間という種族を下に見る傲慢さが故の無思考であったが、当然に彼はそうとは気付けない。
原因に思い至るほど冷静に自己分析ができる者であれば、そもそも信奉している「御方」が多少以上に警戒してやまないライネへ迷いなく襲いかかったりはしないだろう。その強さに関して懐疑的な見方をしていたとしても今回は観察のみに留めるか、もしくは襲撃するにしても──。
「どうしても殺したいなら玉砕覚悟でまず初めに僕を狙うべきだったね。片割れを排除してのサシの勝負をしたがるなんて舐めている証拠だ……それが君の敗因。いや、死因だな」
「……! 黙って聞いていれば調子に乗りおって。俺は死なん! 死ぬのはお前で、俺こそがお前の死因だ!」
魔人の周辺の空気が歪む。それを見て敵の唯術がやはり空間系のそれであることを確信したライネはまず魔力探知の範囲を自身の半径十メートルほどに絞り、その制御をシスへと一任する。
二心同体は既に発動済みである。より精密に探知を行なえるようになりながらもライネ本人は体を動かすことだけに集中できる理想的な迎撃態勢。完全に気配ごと姿を消せる敵を相手にはこうやって待つしかない──無闇にそこら中へ攻撃したところで隙を晒してしまうだけ。また敵の能力次第では消えている最中にこちらからの攻撃が当たるかも不明であるからには、なおのことに敵が仕掛けてくる瞬間を狙うのがベストだった。
(だろう、シス)
《正しいですね。オルネイへ攻撃する際、あの魔人は姿を消したままではなく直前で身を現わしていた。だからこそ私たちも反応ができたわけですが、もしも見えない状態で攻撃できるならそうしない理由がなく。そして見えないままではあちらからの干渉が行えないとなれば、逆にこちらからの干渉を受けない可能性も高い。ということになります》
二心同体時のやり取りは通常の内心での会話よりもスムーズに行える。元から言葉を発さずに意思を交わせるコミュニケーションであるためにライネとシスの会話は──戦闘中でも滞りなく話せる程度には──時間を取らないものであるが、それに輪をかけて疎通が素早くなり、故にライネの思考の纏まりも早くなる。
(僕の氷撃やオルネイの手裏剣が逸れた時、魔人はまだ完全に姿を現しきってはいなかった。体のところどころが透けるように向こう側が見えていた……全身がしっかりと視認できるようになったのはまさに奴の鉤爪がオルネイを捉えるその瞬間だった。ということは、だ)
ここから推測できることはふたつ。まずひとつは敵の術には段階があること。0と100を切り替えるのではなく、能力の発動と解除はその間をグラデーションの如く行き交う必要があるのだろう。そうでなければ姿を見せるのと攻撃の命中は同時であったはず。そうしなかったということは魔人にも術の制約上それが叶わなかったに違いない。
そしてもうひとつが、能力のグラデーションには相互間の干渉力も比例している、というもの。おそらく完全に消えている内は完全にどちらからも干渉することができず、また「消えかけている」または「現れかけている」最中は魔人からの攻撃も、魔人が受ける攻撃も空間の壁に阻まれて元の威力を発揮しないのだろう。投擲類は進行を誤り、直接の一打も威力が十全には発揮されない……これもまた魔人がオルネイを爪で斬る際にわざわざ全身を見せていたことからそう判断できる。
もしもあのヴェールのようなものを纏ったまま攻撃できるならやはりそうしない理由がないからだ。
(隠密型の空間系唯術……! やっていることからするとオルネイみたいな転移を可能にするとは思えないけど予断は禁物か……いや、それ以上に気にするべきはさっきの一撃の奇妙な入り方だな)
姿を覆い隠すヴェールのようなものを操っている、と魔人の力を推定しているライネだが。しかしヴェールは必ずしも魔人の姿を隠し守ることだけをする防御特化の能力ではなさそうだ。オルネイを切るその瞬間、魔人の手元が不自然にブレたのをライネはしかと目にしていた。基本術か拡充術による応用かは知れないが、ヴェールは攻めにも転用できる。そうと見るべきだろう。
(あの鉤爪の鋭利さと大きさ、魔人の膂力からしてまともに食らえばいくら魔力防御があったところで普通なら三枚おろしだ。オルネイが即死を免れたのは彼の能力故のものだとさっきは思ったが、もしかすると手元にヴェールを纏ったことで斬撃の威力自体が落ちていたせいもあるのか……うん、そう考えると自然だな)
構えたまま立ち尽くすライネ、姿の見えない魔人、息を荒げたまま動くことのできないオルネイ。──大広間の静寂は突如として破られた。




