15.一次
シスでも襲撃者の正体は掴めていないようだ。僕の能力のめいっぱいを引き出せるというだけで、なんでも見えているわけではないとは彼女自身の談。暗闇で極端に視界が制限されている上に魔力も使用していないこの状態では、僕と彼女の間に性能差なんてほとんどないに等しい。それでも襲撃者の細かな移動まで把握できるあたりシスは流石だ。
だけどそうなると疑問がひとつ。シスですら探知能力が大幅に堕ちるこの迷宮で、襲撃者がロングレンジから正確な射撃をしてくるのはいったいどういう訳か。気配と風切り音だけを頼りに避け続けるのにも限界がある──評価どうこうとは言っていられない、使うしかない!
《ですね。手早く終わらせましょう》
魔力を解禁する。欲しいのはパワーやスピードよりもセンスだ。五感の強化を意識して体中に魔力を張り巡らせる。すると少し先を見るのが精々だった視界が一気に広がっていく。驚いた。魔力による強化の恩恵。そのありがたみは重々に理解しているつもりだったが、可視化されるとここまで劇的なものなのかと改めてその効力を思い知る。
《これだけ効果的なのは技量の割に強化効率がいい、という理由もありますけどね。あなたが特別性であるが故です。おかげで、ほら。ちゃんと下手人が見えましたね》
昼日中のようにくっきり鮮明、とまではいかないが、闇の中にあってもしっかりと物を捉えられるようになった僕の目は襲撃者を克明に映し出していた。その正体はやはり受験者の一人。サバイバルゲームにでも興じるようなアーミールックな恰好が印象的だった、確か十番台の男だ。
説明なしにあった罠同様、ひょっとすると協会側の刺客が腕試しを目的に襲ってきているのではないかという考えはこれで破棄された。受験者同士の潰し合い、その標的にされてしまったのだと理解する。同時に、相手の姿が見えたことでどうしてこうも狙い撃たれるのかの謎も解明された。相手が頭に被っている仰々しいゴーグルは間違いなく。
「暗視ゴーグルか!」
昆虫の目のように無機質にこちらを見据えるそれが暗闇での視界を確保させているのだ。あれを通して彼には僕の姿が、僕が彼を見るのと同じかそれ以上に鮮明に映っているに違いない。そりゃあ射撃が正確なわけだ。
《撃ってきているのは弾丸ではなくただの鉄製の玉でしたか。ですがスリングショットは馬鹿にできない武器です。魔力なしで受けたら当たり所によっては一発昏倒もあり得ましたよ。危なかったですね》
音のしない射撃武器はスリンガーだったか……ゴム紐の力で撃ち出される弾は、たとえそれがそこらの石ころであっても相当な威力になる。もし襲撃の気配を気取れなければその時点で僕のテイカー試験は終わっていたかもしれない。本当に危なかった。だが、もうその心配はない。見えてさえしまえばどうとでもできる。
「!」
男の驚く様子がよくわかる。僕と目が合っていること。そして弾を苦も無く躱し始めたこと。それらから彼も気付いたのだろう、こちらが闇を見通していることを。慎重な性分らしく一定の距離を保っていた位置取りから一転、射撃を続けながらも下がり気味になったが──逃がさない。暗視ゴーグルでいつでも僕を補足し得る彼を野放しにしては迷宮攻略に差支えが出る。積極的妨害策を採る相手なのだからそれをやり返されたって文句は言えないだろう。
確実に獲る。狩る側と狩られる側は逆転していた。
「ぐげぇっ!」
連続して飛んでくる弾を避けつつ接近。相手の退く速度よりも僕が間を詰める方が遥かに早い。すぐに追いつき、やけくそにスリングで殴ってきたのを頭を下げて躱してがら空きの鳩尾へ拳を一打。喉奥からせぐり上がるような苦悶の声を上げてパチンコ男は沈み、動かなくなった。手応えからして残り約二十分の一次試験中での復帰は不可能だろう。彼は脱落だ。
ふう、と魔力を解除して一安心の息を吐く。それにしてもこの人、よく暗視ゴーグルなんて持っていたな。まるで暗闇の迷宮に潜らされることがわかっていたみたいに……試験の内容は毎回違うとガントレットは言っていたのに。
《毎回違うと言っても試験である以上、傾向を調べて対策を練るのは有効ですよ。道具の使用は特に禁止されていないようですし、事前にどういった装備を持ち込むべきかよく検討したんでしょうね。彼自身リピーターかもしれません》
なるほど、この人なりに入念な備えをしてきたと。それが一次試験から早速活きたわけだ。……大人しく木札の発見だけに注力していれば二次試験への通過は堅かっただろうに、なまじ装備の有利があるだけにライバル潰しへ走って、結果こうなっている。彼が己で選択した結果とはいえ少しばかり同情も覚える。
《同情なんてしている場合じゃないですよ。彼以外にも結構な大荷物の受験者がいたのはあなたも確認しているでしょう》
……! 他にも暗闇を見通せる道具を持っている人がいて、彼のように潰し行為を行うかもしれない? ないとは言えない。たった今そういう手合いに襲われたばかりなのだからむしろ大いにあり得るとしか言えない。なんだか闇の向こうから別の誰かにじっと見られているような気分にまでなってくる。僕の焦燥に応じるようにシスは言った。
《あなたが迷宮入りしてから既に五分以上が過ぎています。いっそ魔力を使用したまま進みますか? そうでないと木札探しは難航しますよ》
「…………」
木札とゴールの発見に手間取れば手間取るほど他の受験者に狙われる確率も上がっていく。そんなことをしている間に時間切れになったり二十個しかない木札が全滅してしまえば僕はあえなく脱落だ。再受験の希望があるならまだいいが、僕の場合は雑用係として協会に飼い殺しにされることがもう決まっている。そしてその立場から脱却できるかはかなり怪しい、となれば、やはり必要なのは一発合格。シスの言う通りなんとしてもガントレットに「期待の持てる新人だ」と思わせねばならない。
引っ込めた魔力を再び展開。全身に漲らせて、駆ける。最初は壁伝いに進んでいくつもりだったが、過度な慎重さもこの試験においてはかえって仇になる。魔力さえあれば視界も進行速度も確保できるのだから今はとにかく先を急ぐべきだ。
《暗闇さえどうにかできればただの迷路ですからね。地下空間が広大と言ってもそこまで複雑怪奇な代物でないことはここまでの分岐で判明しています。見えているなら罠もなんら怖くないですし、あなたの判断は間違っていないと思いますよ》
他の魔術師に補足される危険性にさえ目を瞑れば、とシスはぼそりと付け足して、けれどすぐにこうも言った。
《待機中に観察した限りじゃあ使えそうな雰囲気の受験者はいなさそうでしたけどね。我流で身に着けたとあれば魔力の完全な隠蔽は難しいはずですから、まあ、杞憂でしかないかもですね》
シスの指導の下に魔物狩りに勤しんだ僕だから魔力の殺し方も習得できたが、けれどガントレットにはそれも通じなかった。事前情報もあったらしいとはいえ一目で僕が使える側だと見抜けたのは偏に魔術師としての年季の差だろう。そんな彼が僕以外の魔術師の存在について言及しなかったという事実からしても、やはり結論は「いない」方に傾く。だが「いる」のにあえてガントレットはそれを明かさなかったとも考えられはするわけで……そこは疑っても堂々巡りだ。
結局のところ魔力を隠さず使用するリスクとリターン、どちらが上であると決め打ちするのは難しい。だったら少しでも可能性の広がりそうな選択をしたい。木札を見つけ出すのに魔力は必須と判断した自分を信じ、途中に何度か人の気配を感じても足を止めずに突っ切る。
遭遇しかけても引き離してしまえば問題ない。たとえ暗闇をどうにかできる道具持ちだったとしても僕に追いつける者はそういないはずだ。すれ違った中には大胆にもランタンのような道具で周囲を照らしている人物もいたが、やはり潰し行為への警戒は強いのだろう。僕の接近に気付いた途端に灯りを消して闇に紛れていた。もちろんそうしたってこちらには丸見えなのだが。
《暗闇対策にしても光を発するタイプの道具では居場所を喧伝しているようなものですから、この試験ではあまり使い勝手もよくないでしょうね。あの素早い消灯がそれをよく表していますよ》
皆も苦労している、ということだ。そう思えば仲間意識も芽生えるが、しかし誰がいつどこで牙を剥いてくるか知れたものではない。人のことには構わず己のすべきことだけに集中しなくては。
そうやって探索を行うこと数分、なんと木札よりも先にゴールを見つけてしまった。位置的には迷宮の最奥あたりだろうか? 大きな台の中心に小さな蝋燭が立てられてり、それが台表面に刻まれた「ゴール」の味気も減ったくれもない文字を照らしていた。
《台座の縁に木札を嵌める穴がありますね。いくつかもう埋まっているようですよ》
言われて観察してみれば、確かに台の周縁部にはガントレットが見せた木札によく似た物がはめ込まれていた。その数、七つ。既に七人は一次試験をクリアしているのか。試しに触れてみたが木札はまるで吸着でもされているかのようにそこから動かせない。当たり前だが、一度使われてしまった木札は再利用できないようになっているようだ。
残り十三個。そう知って余計に焦る。時間もあと十五分ばかりだ、間に合うだろうか。
《どうします、いっそここで木札を持ってくる受験者を待ち伏せでもしますか? 探し回るよりは手堅く木札をゲットできそうですが》
そうか、先にゴールを見つけたならそういった戦略も取れるわけか。他に誰もやってこなければ意味のない待ちぼうけになってしまうが、十分ほどの間に七人もクリアしていることを踏まえれば残り時間で一人たりともここを発見できないとは考えにくい。待ち伏せ作戦は無闇に迷宮を駆けるよりも確度の高いものかもしれない……だが。
「自分で見つけたい。人から奪うのも策だとは思うけど、できれば僕はそういうことをせずにテイカーになりたい」
《ご立派。皮肉じゃありませんよ、それでこそだと本心から褒めています。では木札探しを再開しましょうか。ゴールまでの道順は私が記憶しておきますので存分に駆けずり回ってくださいな》
「ありがとう、シス」
彼女からの称賛は僕の原動力になる。知り合って日も浅い、まったくもって謎だらけのシスだけど、もはや僕にとっては頼れる相棒だ。その相棒が道を覚えていてくれるのなら僕は探索だけに意識を向けられる──そのおかげか、これまで影も形も見えなかったのが嘘のようにそれを発見することができた。
「木札だ!」
《本物ですか? 騙しとしてそっくりの別物が用意されている可能性もありますよ》
棘が飛び出してきたり足元に紐が張ってあったりと多様な罠を見かけてきたことから木札に対しても疑惑を向けているシスだったが、これは間違いない。矯めつ眇めつ眺めてみたがどこからどう見ても台座に嵌められていた木札そのものだ。迷宮内のどこかに隠されているのかと思いきや、まさかなんの捻りもなくそこらの床に投げ出されているとは。逆に意表を突かれた気分だ。
僕は喜びと共にそれをしっかりポケットの中へと仕舞い込む。よかった、時間もまだある。これで一次試験はどうにかなっ──、
《ッ、躱して!》
「!?」
思考を挟む間もなく体が動き、咄嗟に後方へ飛び退く。ヒュッ、と鋭い風切り音を立てて今し方まで僕の首があった場所を何かが横切っていった。そしてそのままの勢いで遠ざかっていく。
《喜ぶのは結構ですが魔力まで緩めてしまってどうするんです。張り直し!》
叱咤を受けて我知らず解けかけていた魔力を今一度活性させる。警戒態勢でしばらく待ち構えたものの、けれど追撃がくる気配はしなかった。
《一撃離脱、のようですね》
不意打ち、だったんだよな? それに失敗したから逃げの一手と。誰かは知らないが随分と人を襲い慣れている感じだ。あとはシスの指示に従ってゴールまで戻るだけ、という気の弛みを狙ったかのように襲撃のタイミングも抜群だった。
《おそらく素手でしたが、それにしたって急所への躊躇のない攻撃。襲い方にも逃げ方にもまるで無駄がない。受験者の中にかなりのやり手が紛れ込んでいるようですね》
僕の気が抜けていたせいでシスも襲撃者の人相や体型は掴めなかったとのこと。余計なピンチを招いたことも含めて謝るしかなかったが、彼女はあまり謝罪に取り合ってくれなかった。
《あなたは気の緩みを誘われたのかもしれませんよ。あまりに無造作に置かれていた木札がそうも思わせます……ゴールへ向かいましょう、ライネ。とにかく一次試験を通過してしまった方がいい》
珍しく真剣みのあるシスの言葉に僕はおっとり刀で来た道を戻った。わかっていたことだが、テイカー試験はやはり一筋縄ではいきそうになかった。