147.氷結領域
「不可能だ。魔術ってのはつまり魔力……そういう名前のエネルギーを用いて世の理を乱すこと、その技術の総称だ。人間は、そして半分だけ人間の魔人は精神力で生命力から魔力を生み出す。そうじゃねーのは元から魔力で出来てる魔物だけ。だから魔物には特殊能力はあっても『魔術がない』。それは種族としての生態であって、体系的な発展や教授がねーからな。そんなものを技術と人間は呼ばねーわけだ」
「それに対して人間は教授ができる。受け継ぎ、託すことができる。人にも唯術という備わった個別の能力があるけれど、それだって人と人の間で発展してきたものだからね。連綿と紡がれてきた過去が『今』に繋がっているかどうか。そこが魔物と人間の違うところで、彼らが扱う生態と僕らが扱う技術の違いだ」
「……ああ、そうだな。俺たち魔人はそういう意味でも人間と魔物の中間と言えるが、要点はそこじゃねえ。俺が言いてえのは魔術にはきっちりとルールがあるってことだ。世のルールを書き換える超常の力にだって冒せねえ領域や不文律は存在している……そうでなけりゃ技術にゃなり得ねえ。先達が後進へ受け継ぎ託すなんてことはできやしねえんだから当然だわな」
「だから不可能だ、って?」
「…………」
「魔術にもできること、できないことがある。それは正しい。だけど魔力でも唯術でも、個人の技量や解釈次第で『できること』はぐんと増えるじゃないか。そしてまだ誰もその限界なんて知らないはず……なのにどうして不可能だなんて断言できるんだ?」
「俺が魔人だからだよ。お前さんも魔術師向きの身体をしてるんだろうが──や、顔立ちや体格まで瓜二つの俺たちだ。その点は疑問の余地もねえが、だとしてもだぜ。俺の肉体は半分が魔力で出来ている。その分だけ同じ『誰か』の特別製であっても俺の方が魔術ってものの……お前さんの言い方に合わせりゃ深奥に近い。ついでに言えばこっちの世界へ先に来てんのも俺だ、訓練期間つーか魔術に触れている時間だって俺のが長ぇ。だろ?」
「そうだね。君の方が少しだけど先輩だ。それも正しい」
「その立場で言わせてもらってんのさ、ライネ。お前の言ってることはメチャクチャだってな。唯術の能力、じゃなく、唯術そのもので空間を満たして支配する? 意味がわからん。できっこねえよそんなもん」
イオの知識では、体感では間違いなくそうだ。言うなれば唯術とは入れ物で、あくまで能力が中身であり本体である。能力の作用によって魔力放出とは違った技術で──それこそライネの氷霧がその代表だ──空間に魔力を広げるといった芸当は、できる者にはできるだろう。難度の違いこそあれどそれも魔力の放出の一環に過ぎないからだ。しかしライネの説明は既存の技術とは一線を画している。
唯術自体が空間を満たす。魔力でもなければひとつの術の効力でもなく、入れ物であるはずの唯術という概念がその場を支配する。……あり得ない、とイオは思う。冷静に噛み砕いてみてもやはりライネの言葉は荒唐無稽以外の何物でもない。ただのたわごとにしか聞こえない──だが。
「じゃあ君はどう説明する。目の前で起こった現象を、現実を、どう理屈付ける? この空間が普通でないことくらい君だってしっかり感じ取れているはずだ」
「……!」
まさしくそこだ。既存の知識では説明のできない、理屈の付かないことが起きている。それがらしくもなくイオが防御だけに徹したまま長々と談義をしている理由でもある。
己が術が耐え切れないとばかりに消え失せた。出力に関しては度外視で数だけを頼った引はまだしも、必殺の技である『転』までもがライネに届く前に潰えたのだから尋常ではない。
思い起こされるのは広範囲の斥のバリアでライネの氷蝶がそのエリアに入ることもできなくなった、あの現象。しかしそれよりももっと厳格でもっと得体の知れない、物理的な圧力などとはまったく異なる──そう、ルールだ。何かしら新しくこの場に制定された絶対的な規則がイオの術の存在を許さなかった。そういう感覚を、消された術越しにイオは受けた。
言うまでもなく魔力や、たかだか術のひとつで空間に作用をもたらした程度でこんな真似はできやしない。それで掻き消されるほどイオの術は、全開出力の『転』は生易しい代物ではないのだ。──ではいったい何故、どうして彼女の全力は呆気なく消滅してしまったのか?
もしもそこに、それが実現し得る仮定を求めるとすれば。
「癪なことだが……確かに嫌ってほど伝わてくるぜ。この氷球の内部がそれはもうヤバいってことが、ヒシヒシと。ビシビシと肌を叩いてきやがる。俺の知識や経験は完全にノーを突き付けているが、けれど感覚は、直感ばかりは誤魔化せねえ。──俺の勘はお前さんの言うことに嘘がねえと認識しちまっている」
「だろうね、僕は嘘なんてついていない。ずっと本当のことしか喋っていない。それはイオ、君を騙そうとしたって無駄だろうという敬意にも似た想いからくるものだと思ってほしい」
「……ハッ、光栄だね。だがんなことより、騙す気もなけりゃ隠す気もねえってんならさっさと教えてくんねえか。俺には見えねえ、お前さんが作り上げた世界のルールってやつをよ」
「いいとも──ただしそれは言葉じゃなく、実践して学ぼうか。その方が手っ取り早くていい」
「!!」
速い。と感想を抱くだけの猶予もなくイオは唐竹斬りを引いて躱す。が、その瞬間に膨れ上がる魔力。正面と背後の双方から氷の散弾が発射された。
「ちィっ!」
魔力防御を頼りに食らいながらも上へ。しかし斥を用いた空中機動が思った通りの移動にならない──出力が落ちている? いや違う、外付けの魔力にはまだ残量もあるしイオはその開放を緩めてもいない。
「僕の世界だ。僕以外が生む規則はその効力を弱める」
「なん──っぐぅ!?」
半端な浮上しかできなかったところを狙い撃たれた。氷礫の強化術、氷撃。最高硬度の氷塊を最高速度で撃ち出すだけのシンプルな技だが、イオ渾身の魔力防御すら貫いて悶絶させるだけの威力がそれにはあった。撃たれたこめかみから流れる血を乱暴に拭い、すぐに自己治癒で傷を塞ぐ。己の血でもこの氷球内ではライネの武器になりかねないと判断したイオは氷撃の第二射、第三射をすんでのところで躱しながら、大まかにだが理解できてきたこと。その考えをまとめる。
(やはり氷霧にできて極点氷霧──いや『氷結領域』にできないことはない、らしいな! その上でこいつには氷霧になかった機能まで盛り込まれている……!)
敵対者にかかるデバフ。に関しては、魔力防御だけで防げる範疇であるようだ。内部に閉じ込められてからこっち、常に冷気と霜が纏わりつこうとしているが今のところイオはその被害に遭っていない。ただし、全開の魔力なら防げるというだけでデバフの程度が氷霧と同等とは限らなかった。もしもイオが迂闊にも冷気へ素肌を晒すようなことをした場合、肉体の内外を問わず霧に侵される──などという「軽い症状」では済まされない可能性が高い。
そして術者へのバフ。これに関しては明確に氷霧よりも上だろう。術の威力の向上具合も、こちらの動きや魔力を読む探知能力も。氷霧内での戦闘と現在のライネのきれの差からしてそれは明白だった。そしてバフの一環に入る要素として。
「ッ、にゃろうめ!」
氷撃の第四射がこれまで同様にライネから放たれたのに対して、それとタイミングを重ねた第五射はイオの背後より撃たれたものだった。イオはそれを探知できていなかったが本能で危険を嗅ぎ分け、前と後ろからの同時射撃を宙を跳ね回ることでどちらも回避した。自身の必死を嗤うように下方で口角を上げたライネから視線を外さないまま、イオは舌を打つ。
(氷霧でもやってた術の遠点発動も継続。だがこっちの精度も爆上がりしてると見ていいなこりゃ)
ライネは先ほど、氷霧を解除している最中にもイオの背後から術の起動を行なってみせた──が、この謎は解くまでもなく解けている。
そもそも氷霧下で何故遠点発動が叶うのかと言えば、空間を漂う霧が中継役の触媒となっているからだ。と、イオはそう見做している。おそらく【氷喚】は【離合】のように設置する座標の指定さえ行えばそれで済む唯術とは違い、条件を満たさねば術者の手元以外での発動が叶わないタイプなのだろう。だからこそ氷霧という術が彼の戦い方を広げる恰好のフィールドとなる……翻ってその事実は、条件さえ満たしたならば氷霧下でなくとも遠点発動は可能だ、ということを示してもいる。
予想だがライネがやったのは冷気での仲介。察知されないよう限界まで細く、限界まで薄く。攻防の最中に伸ばしたそれを座標の指定としてイオの背後から氷瀑を放ってみせた。それが事の真相だろうとイオはとっくに当たりをつけていた。これもまた大した技量だと舌を巻く思いも確かにあるが、注意深く警戒するほどの脅威ではなかった──のだが、冷気の遠点と氷結領域の遠点とはまったく話が違ってくる。
(氷霧の仕組みはあくまで冷気の遠点の延長線だったが──ここでの遠点には経路がない! 俺が【離合】でやるような設置のプロセスすらなくいつでもどこにでも術の起点が置ける……いや、既に「置いてある」! 氷球内でならライネはそういうことができるってぇことだ)
氷結領域が実質、巨大な設置点である。故にその内側ではライネの手の届かない範囲がない。そう捉えておくべきだろう。氷霧以上に自由で手間がない、それでいて攻撃精度まで上となればなるほど、その性能は氷結領域が遥かに上。上位術と称するに相応しいだけのものがある……だが、それは大したことじゃない。
ここまで判明した利点のどれもが「どうでもいい些事」でしかなくなる。それくらいに、イオをして周囲に満ちる冷気とはなんの関係もなく心胆を凍えさせるほどの、氷結領域特有の強みはなんと言っても。
(クソっ、なるほどな。ようやく訳のわからん理屈に追いつけてきたぜ)
突如として頭のすぐ上から落ちてきた氷龍の牙を防ぎながら、重斥を連発することでなんとかイオはそれを破壊した。苦労している、出力を抑えた斥の一発で壊せた氷龍に、今は途方もない労力を割かれている! これは氷霧と氷結領域とで術への強化幅に差があったとしても甚だおかしなこと。何せイオの術だって先刻までとは比較にならないほど強化されているのだから。つまり。
「マジで俺の術理が弱まってやがる。お前の術理で先に満たされちまってるこの場所は、他の超常が通らない。存在することすら許されねえ超絶排他的な空間になってるってこったな──」
まさしくライネの説明に嘘や欺瞞はひとつもなかった。イオの嗅覚がそう嗅ぎ取った通り、彼は一から十まで真実しか口にしていなかったのだ。
空間を満たす術理に、それ以外の術理は全て上書きされて消えてしまう。それが『転』が進行途中で消えた理由であり、イオが思う通りに【離合】を扱えていない理由。この上書きの強制力があまりにも強過ぎて、外付けの魔力の最高出力を以てしても術の強度が持たず、威力も精度もガタ落ちしてしまっているのだ──なんとも恐ろしい術である。心の底からイオはそう震え上がる。
辛うじてイオが「まだ負けていない」のは彼女に優れた武器である【離合】とそれをこの上なく活かせる類い稀な直感力、そしてそのふたつを盛大に後押ししてくれる膨大な魔力があるからだ。見方を変えるなら、ここまで完璧な装備をしても逃げ回るのが精一杯。並の術者なら魔力を練ることすらもできずに堕ちるだろう、氷結領域はそれだけ過酷で冷酷な処刑場に他ならなかった。
砕いた先から新たな氷龍が別の角度から食らいついてくる。それが咄嗟に数を確認できないほどの群れになったところで隙間から氷撃まで差し込まれるようになった。完全なる飽和攻撃。氷蝶と氷鳥の最大展開で行われたそれよりも量においても質においても上回っているこの猛攻に、イオは血みどろになりながら。時には自爆めいた特攻をしてでも逃げ道を確保しながら。果てしない絶望的な状況に陥っていながら──。
(──勝てるな、これ)
己の勝機を見出していた。
「……流石だよ、本当に」
冷静に、冷徹に。遠距離から術を起動させることだけに徹し、盤上の駒を追い込むように一歩一歩敵を死地へ追い詰める作業の中で、あたかもイオの内心を読み取ったかのように……通じ合ったかのようにライネはぽつりと呟いた。
「まだ足りないな。氷結領域でもまだお前に勝つには足りていない……だったら」
凩を握るその手に、決意の力が込められた。




