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145.切札

 氷華鱗。それは一心化中にのみ使える氷鱗の上位術。ユイゼンに認められ昇級を果たしてすぐに行なった、共にS級となったイリネロ・ドーパとの交流も兼ねた模擬戦を切っ掛けとして発案・実現されたそれは氷の層結晶の集まりである氷鱗、その小さな一枚一枚の全てを「回転させる」というもの。


 ──まずもって氷鱗が鎧として機能する仕組みは、ただその硬さで攻撃を防ぐだけでなく、耐久を超過する攻撃に対しては積極的に表層から割れ砕けていくことでライネ本体へ威力が届く前に散らす。そして砕けた枚数分だけ瞬時に新たな氷鱗が下層より(つまりライネの身から)順に追加されていくことで補填し、穴を空けずに機能し続ける。そういうシステムになっている。


 薄い中に空気を含んでいる層結晶が、更に何十もの層となってライネの身体を覆っているのだ。彼は割れ砕ける際の反応を利用して機動力や攻撃力にも転化させ、また氷鱗そのものを動かすことで空中での浮遊や姿勢の制御、加えて至近戦における身体能力だけでは決してなし得ない瞬間的な変則体術の助けにも利用するなど、これ以上ないというくらいに利便的な使い方をしており──彼の敵にとっては冗談のように厄介な代物が、氷鱗。この攻防速一体の術をシスと連携することで十全に扱うすべを得ているライネが、過不足なくその性能を活かし切っているのだから攻める側からすれば堪ったものではない。


 が、しかし。それだけ便利な氷鱗であっても、ライネが編み出した傑作戦闘術と言うべき優れた代物であっても、なお「足りない」。そう評価せざるを得ない相手もいる。それがイオ。ライネと同じく神のような『何か』に見出されたもう一人の使命者にして後悔に生きる者。その払拭に全てを捧げる者──そんな異端とでも言うべき存在が背負わされた宿命に決着をつけるべく牙を剥いて、殺意を剥き出しにして襲いかかってくるとなれば氷鱗任せでは「追いつけない」。


 故に、その上位術。氷華鱗の出番なのだ。


「あァっ!? んだこりゃ──」


 衝突は起きた。確かにイオの拳は身構えるライネへ、その身を守らんとする氷術へと命中した。したからには何もかもを抜けるはずだった──確実に全てを、どんな術だろうと技術だろうとぶち抜けるはずだった。そう確信を抱くに足る重みが彼女の拳にはあった。絶対の破壊がそこには宿っていた、なのに。


「づぅ……やってくれる」

「ッ……!」


 ライネは無事だ。文字通りの全力、今のイオが引き出せる最高の魔力による一撃を正面から受け止めて、受け止めきれるわけもないそれを食らってなお、ライネは生きている。右腕をズタボロに、口からは血を零し、少なからずの損傷と損耗を負いながらもしかし、彼はしっかりとこちらを見据えている。その結果にイオは歯噛みした。


 またしても「散らされた」。氷鱗が、その一枚一枚が回転しながら剥がれ落ちていく様をイオは見ていた。単独では呆気なく壊れるだけの小さな鱗が寄り集まり、割れ砕けることで逆に奥まで衝撃を届けない。高威力の攻撃に対してそういう防ぎ方をしているらしいとは──理路から導いたものというより殴打の手応えによって得られた感触からの推測でしかないが──薄々に察していた少女だったが、しかしまさかその守り方に「先」があるとは思いもしていなかった。


 突破の難しい守りも容易く突き破れる。そう自信を持てる、持たねばおかしいくらいの極大の一撃だったのだ。それは打ち放った当人こそが最もわかっている。防ごうと思って防げるものではない。回避以外の方法で無事に済むことはない。そう、信じられる一打をイオは打った。けれども、だ。


「やってくれるはこっちのセリフだぜ馬鹿たれが。元来の氷鱗の性能に加えて回転の力と、そして()()()の『不安定化』! より簡単に結合が解けるようにして食らった威力を術者へ届きにくくした……そういうこったな?」

「……それプラス、生成速度の向上もね」


 回り、割れて、散って消えていくのが氷華鱗の役目。その風に舞う花びらのような姿が故にライネは華の字を術名へ与えた。術としての完成度は氷鱗に輪をかけてピカイチ。その操作と維持の難度から一心化中にしか扱えない点がやはりネックではあれど、しかし一心化を果たさねば倒せないような敵を相手には頗る役に立つ。逆に一心化が必要のない相手であれば氷華鱗の出番もないに等しいので、使用の限定はそこまで問題にはならない。


 今、ライネにとって問題なのは。


(外付けの魔力を全開にした一撃……でも、氷華鱗なら耐えられる目算だったんだけど。マズったな、少し「及んでいない」ぞ)


 頼みの綱の防御策。とっておきの手札の一枚だった氷華鱗が、攻撃を防ぎ切れなかった。どんな重い一撃だろうとそこに宿る破壊力を全て霧散させられる、その確信を、絶大なる自信をライネも抱いていたのだ。矛盾に同じ。最強の矛と最強の盾はどちらも規格外であるために、そのどちらもが有する機能を発揮しきれず、故に術者たちは互いに満足がいかずに表情を険しくさせている。


 イオは再び魔力を全身に充満させながら、ライネは右腕の傷を自己治癒で高速修復しながら、両者は空中に立ったまま睨み合う。


(遠距離は避けられ近距離はいなされる。このままのらりくらりとされたんじゃ流石に外付けの魔力も尽きちまうな。だとしてもそこからは俺自身の魔力で戦えばいいだけだが……)


(イオ本人の魔力が顔を出すまではこっちからも有効打は与え辛い。受けに回って待つのが吉……なのはわかるけど、それが明白なだけにイオはそうさせないだろうな。僕は僕でもう自己補完の範疇に収まる魔力の使い方じゃあない)


(高度な術を使ってんだ。それに治癒にも少なくねー魔力を食う。その消費も技巧派のライネは俺よりもずっと安く済ませるんだろうが、だが積み重なったそれらはいくら総量も回復速度も『特別製』だっつっても確実に奴を魔力切れへと近づけさせる。つまり俺がやるべきは──)


(ここからイオが狙うのは一撃で決めることじゃない。それに失敗して、でも多少なりともダメージが通ると知ったからには。外付けの魔力をふんだんに使って、押し付けて、いかに僕の魔力を素早く削れるか。そこに思考がシフトするはず。そして戦い方もきっと──ッ、早速か!)


 イオが落ちる。いや、下に潜ったのだ。反射的にその姿を視界に収めるべくライネは足元に張った氷の板を蹴って上へ。そして氷鱗によって姿勢を真下を望めるように動かす──一連の動作と操作は精密かつ高速に行なわれたが、しかしそれでも遅い。その時点でイオはもう直下に、眼前へと迫ってきていた。思った通りに近接を仕掛けてくる! 唸りを上げて拳が突き上げられるのと同時、ライネは氷華鱗と遅延術。合計六つの氷術を一斉に起動させた。


 轟音と高音。硬いモノが軋み砕け、打突のあまりの威力によって生じた熱が煙を呼び、氷鱗の破片と共に辺りへ散らばっていく。此度の攻撃の手応えをイオが確かめる間もなく、煙の向こう側でふっとライネの気配が消えた。


「けっ」


 息と魔力を殺した彼をイオが見つけるすべはない。時間をかけられるのならともかく、彼我の魔力操作の繊細さがまるで異なっている以上は一瞬での発見は困難。すぐに見つけたければ探知ではなく【離合】を用いて煙を振り払うのがベスト。だがこの局面、どれだけ起動までを短く切り詰めようともそこに表出する隙をライネが見逃すはずもない。


 よってイオは、ライネを見失っても無駄なことはしなかった。魔力を探ったり、あるいは術を使おうなどとは一切考えずに、そこに止まって待ち構える。


 ヒュッ、と風切り音は思いの外すぐ傍から聞こえてきた。


「──!」


 やっぱりな。そう内心で笑いながらイオは迫る刃を紙一重で躱す。モロに急所を狙うこの一撃は、ライネが「逃げに回らない」ことを告げている。彼の最善が時間稼ぎにあるのは間違いない。なるべく魔力消費を抑えながらイオの魔力消費を促し、遠からず訪れる外付け魔力の枯渇を待つ。そういう選択をしているのは疑いようもないことだ。けれども。


 決して消極的にはならない。むしろ積極的に、これまでよりもずっと果敢に攻めてくる──イオはそう予感したし、この色濃い殺意の乗った剣戟は明瞭な答え合わせだった。


(面白ぇ。確かに魔力防御がどんなに分厚かろうと鈍器ならともかく、同じレベルの使い手が振るう刃物の切れ味までは完全にゃ防げない。急所は脆いからこそ急所。そこを打ち抜かれたら今の俺でも即死を免れない危険性がある……けどなっ!)


 それは必ずしもイオを不利にするものではない。逆に言えばライネがイオの全開の魔力防御を抜く手段は凩による攻撃以外にないということでもあるのだから、その事実はイオにとって大きな有利となる。


 ライネの本領である氷術は生成系・凍結系の区別なく、どれもイオに負傷と呼べるほどのダメージを与えることができない。それらは全て攻防の補助にしかなり得ず、唯一の本命足り得る氷鱗で強化した刃の一振りをどうにかして通すこと。彼に許される攻め方はただひとつそれのみ。であるからには注意点もまた明瞭、イオからすればやりやすいとすら言えた。


 刃が空間と、僅かにイオの表皮を切り裂いて過ぎていく。


(──マズいな)


 切っ先がイオの肌を抉った、その感触にライネの眉尻がぴくりと反応する。それは「イオが完全には躱せなかった」のを喜んだのではなく、「イオが完全に見切った」が故に瀬戸際の回避を選んだのだと──今すぐにも反撃が来ると悟ったからだった。


 予定していた二の太刀を即刻中止、ライネは退避行動に入る。が、イオとは反対方向、つまり己が後方に違和感を察知。それに合わせて氷鱗を動かして形状を変えるのと同時、背後で重斥が爆発した。


「っく……!」

「さっき背中から食らわせてくれたお返しだ──そして受け流しの真っ最中なら! 俺の拳を防げる道理はねえよなぁ!?」


 ライネの逃げる先へ設置した重斥と自分自身での挟撃。先に発動した重斥からの被害を逃れようとすれば氷鱗による受け流しは必須であり、そうすれば「本命」たるイオの側へと自らで飛び込むことになる。それを嫌ってあえて受け流しを実行しないというのであれば、構わない。重斥を食らって彼へと拳か蹴りを叩き込んでやればいいだけだ。


 どちらを選ぼうとライネは被弾を避けることができない──。


「それはどう受け流すか次第、だろ?」

「!」


 余裕を持って告げられた言葉の意味をイオは瞬時に理解する。後方からの爆風とでも称するべき「弾く力」の奔流に対しライネは、自分自身が回転することでイオとは別方向、更に上へと浮き上がっていった。フィギュアスケーターのジャンプのような身のこなしで拳の射程から脱されたイオの眉間に深く皺が寄った。


「鱗じゃなくてめえの方が回るとは味な真似をしやがる。そんなに回んのが好きだってんなら──」


 ぎゅうぅッ、と。ライネへ直接にぶつけるはずだった掌の中の重斥。それからもう一方の掌にある、確実に拳をぶつけるために使うつもりでいた重引を重ね合わせる。まるで祈るように、しかして祈りと言うには些か力の籠り過ぎた所作で合わせた手と手を、イオは勢いよく引き離す。


「地の上を転げ回ってな!」


 ──『転』。過剰魔力の斥と過剰魔力の引を過剰魔力によって掛け合わせた、無理矢理に威力と効果範囲を広げた純粋な破壊の力の解放──だけではない、とありとあらゆる感覚器官がけたたましい警報を鳴らしたことでライネはハッとする。


(周囲に無数の引が、既に!)


「くはっ──一斉解放だッ!」


 いくつもの引が同時に起動したことによる力場の乱れ、言わばそれは引力の乱流。四方八方から激しく引き寄せられたライネの平衡感覚がぐにゃりと曲がり、回り、滅茶苦茶になる。そこに迫る『転』の凄まじい膨張は必中にして必殺の矢──否、砲撃か。


(挟み撃ちは曲芸でどうにかできたってよぉ。三百六十度のあちこちから引っ張られてんなら『どう受け流すか』もクソもねえ!)


 今度こそ躱せない、逃げられない。確実に命中する。無数の引の手応えも放った『転』の出来も万全。いやそれ以上だ。イオは真っ向から攻撃を浴びたライネが、氷鱗も刀も飛び散らせて吹っ飛んでいく様を幻視し──。


「……あ?」


 途端に空間そこへ満ちた冷気。悍ましいまでの寒気に身を包まれたことで、またしても自身の確信が空を掴んだと。否応なしにそう理解させられた。


「極点氷霧──『氷結領域』」


 小さな呟きが、轟々と力が唸る中でも不思議とイオの耳に入ってきた。



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