144.激化
拡充術である重引と重斥の掛け合わせ、紛うことなき【離合】の最大奥義『転』。その威力は射程の淵となるギリギリの距離で受けてもなお氷筍の壁と氷鱗の鎧による堅固な守りを突破してライネの身に深刻なダメージを与えたほどに、途轍もない破壊力を有している。
──それが魔人の軍団から徴収した膨大な魔力によって強化されているのだから、そして現在のイオはそれを惜しむことなく、我が身の負担を省みることもなく全開にしているのだから、そこに生じる力がどれほどのものかはもはや言葉では表せない。
まだしも僥倖は相反する力の衝突と融合、後の発散というプロセスで発射される『転』の性質上、どれだけ魔力を過剰に供給されようとも射程が伸びることはない、という点だ。術の規模が上がることで結果として通常の『転』よりも長い距離を経て威力を届けられることはあっても、それは有効射程が強化されているわけではない。つまり戦いの当初にライネが行なった『距離を取る』という選択は今なお『転』に対する最適解であることに変わりはないのだ──が、しかし。今この場面においてこの事実はライネにとって幸いと言えるものではなかった。
彼我の距離、僅か一メートル弱。今し方刀と拳で切り結んだばかりのこの立ち位置はまさしく目と鼻の先と言っていい、魔術戦における至近の間。こうも近しい距離間で既に発射の準備が整ってしまっているからには最善である後方への退避は最善足り得ない。
では次善策。先ほどもそうやって『転』の脅威から逃れたように、あえて近づくという選択はどうか。イオの真横を取って射線から逃れるという選択ならどうか──否、これも駄目。そう動くことを見越していた先とは違い、イオも今度はきっちりと「当てる」つもりでいるようだ。
一心化により獲得している鋭敏に過ぎるまでの知覚能力によってライネは悟っている。発射口が、あまりにも広い。彼が躱した『転』が点の口から撃たれる線の攻撃だとすれば、これは面の口から放たれる帯の攻撃だ。イオの前面だけでなく、真後ろを除く全周、その範囲全てを埋め尽くす力の脈動が克明にそれを告げていた。
避けさせるつもりは、ない。悪戯なまでに広げられた発射口はその宣言であり証明だ。射程は伸ばせずとも範囲は選べる、ということか。それも外付けの魔力があってこそ叶う術の拡充であろうが、しかしてこれだけ強引なことをしても威力は落ちていない。いやそれどころか先の『転』を超えるだけのものがこれには宿っているだろう。そう確信させるだけの、異常なまでの魔力がイオからは、そして構えられた彼女の腕先にある見えない「それ」からは感じられる。
まともに食らえば骨も残らない。直撃が生み出す被害は明白だった。退避も前進も封じられたライネに許された行動は、ただひとつ。
逆らわないことだった。
「!!」
射撃の瞬間、イオは見た。己が身が窮地に置かれていることを知りながらも冷静極まりないライネの瞳が、こちらの挙動を完全に見定めているのを。そして発射のタイミングを逃さずに捉えた彼の両足がふわりと。まったく焦りや急ぐ様子を感じさせない、むしろ優雅さすら見受けられる静けさと軽やかさで地面から離れたところを──。
轟音が凪ぐ。極大の力を叩きつけられた空間は奇怪なまでの破裂音を連続で奏でながら、それが一瞬で行き過ぎていくのを平野一帯に知らせた。勝負開始地点の丘を丸ごと繰り抜き、ごっそりとこの世から消滅させてもなお止まらず地上に直線上の裂創を描いたイオの『転』は、けれど、その威力を以てしても標的を。たった一人の人間を消し去ることが叶わなかった。
(それどころかダメージさえ……ほとんど負っちゃいねえだと!?)
ライネの挙動は身を守るというより、身を投げ捨てているようにイオの目には映った。が、結果として彼は無事だ。まるで強風に吹かれて運ばれる綿毛のように、風そのものに傷付けられたりはしていない。いや、正確には少なからずダメージはあるようだが、しかし『転』に込められた破壊力からすればそんな小さな不調は誤差でしかない。
受け止める、のではなく、受け流す。「ノイズキャンセリング」などと訳の分からない説明をライネはしていたが、身に纏った氷鱗をどのように扱えば引や斥の影響から脱せられるのかイオにはさっぱり理解ができない。とまれ、とにかく彼の裡にいるもう一人──シスなる存在と完全に一体化しているらしい今、爆増したリソースを注ぎ込めばそういう真似が可能になるのだ、とは理解した。
理解したが、けれど。
(だとしても『転』までその程度で抑えられるのは無法が過ぎんだろ。なんて、俺が言うのはお門違いか?)
何せただでさえ強力極まりない【離合】の一撃一撃を、他者から得た魔力によって更に二回りほど強化しているイオだ。ライネからすれば無法とはそちらの所業を指すべきものだと言いたいだろう──しかして魔人の軍勢から力を借りて、言わば大集団の力の集約先となっているイオに対し、ライネは個人でそれに対抗できているのだからどちらが「外れている」かは人によって意見の分かれるところである。まあ、これにもライネは個人ではなく「二人の力」で対抗しているのだと反論するだろうが……とにもかくにも、だ。
(規模こそ変われどやることに変わりはねえ。要はお前の守りを! リソースをぶち抜けるかどうかにかかってるってぇわけだ!)
単純な話だ。色々と趣向や工夫を凝らさねばならないライネとは違って──考えることの多い彼とは違って、イオの戦いはどこまでも単純。ただその強大な力が枯渇してしまう前に敵を倒す、それだけを目標に据えて暴れるだけでいい。故に、彼女が取る行動も必然的にこの上なくシンプルなものとなる。
「ひたすらに! 攻めまくるッ!!」
「!」
蹴り出しと共に足裏に置いた斥を解放。魔力を全開放していることで身体強化の割合も勝負開始当初と比べて二段階は上昇しているイオが、術においても脚力においても本気で踏み込んだからには、世界の全てを置き去りに、転移よりも速く目的地へと移動できる。そうして『転』の余波に流されて宙を舞うライネの後方へ回ったイオは。
彼女のその動きを確かめた彼が、想像通りに自由落下を中止してピタリと空中で止まったことに口角を上げた。
(さっきもやってたもんなぁ。おそらくは協会本部の上空でやってたように薄氷の足場で体の全体を固定しているか、もしくは氷鱗駆動とやらで自分を浮かせているか。そのどちらかだろう。それができるなら当然こういう場面で使うわな)
空中で機動力を確保できる便利さはイオも【離合】でよくよく味わっている。ライネにもその自由度があるのなら、ここで活かさないわけがない。落下先で敵が待ち構えているのに悠長に落ち続けることを選ぶわけがない──それがわかっていたからイオは元より「この距離」で攻撃を仕掛ける用意をしていた。
「もう一丁! 『転』を食らいなぁ!」
先ほど目にした投身の如き攻撃への身の委ね方。力の抜き方が重要なのだとすれば、落下を防ごうと我が身を固定させた瞬間にぶつけてやれば氷鱗による受け流しはできないのではないか。そう予想してイオはわざと待つ気もない先回りを行なったのだ。
これまでさんざ徒手格闘で攻めてきたからにはライネも自ずと、今度もイオが直接に引や斥をぶつけるつもりであると考えたことだろう。たった今遠距離攻撃をスカされたばかりであるという事実も相まって尚更に、こちらの思考をそういう風にトレースしたはずだ。その推察の裏をかく。というイオの腹積もりは、少なくともライネに狙ったままの行動を取らせるところまでは成功したと言える。
だが。
「……チッ、これでもかよ」
結果は同じだった。下から放たれた『転』の砲撃にライネは身構えることなく脱力。そしてするりと、直撃するはずの位置にもかからわず、まるで一枚の羽根を思わせる捉えどころのなさで破壊から抜け出してみせた。その技術も然ることながら、今のはこちらの攻撃が読まれてもいた。そうでもなければ流石に氷鱗を合わせることなどできなかったに違いない、とイオは確信する。
つまりは『転』の二連射があちらの想定を裏切ることができていなかった──。
(さては溜めの魔力を見抜かれてたか。……考えてみりゃ俺が少し隠したところであいつがそれを見逃すわけもねえ、か)
異なる術同士を掛け合わせる都合上『転』の発射までにはどうしても間ができてしまう。無論、今のイオにはその間すらも刹那に縮められる。それを活用して一射目の余韻がまだ収まらない内から二射目を浴びせてみせたわけだが、しかしどれだけ溜めが短くなろうとゼロにならないのであればライネが察する予兆としては充分。宙を漂いながら、イオの接近に備えながらでもその手の中にある力の脈動を感じ取り、発射に備えるには十二分であると言える。
これも一心化による冷静さと的確さがなせる業か。そう思えばイオとしてもあながちライネが口にした大言壮語を馬鹿にできなくなってくる。知ったからってどうにもできない。『お前は僕たちに勝てやしない』……なるほど、以前のライネから受けた印象からすれば非常にらしくもないこの自信に満ち溢れた言葉にも、相応の説得力を確かに己は感じ始めている。
「──へっ」
だがそれがどうしたというのか。どんなにライネが神がかっていようと、どれだけ技術の面で卓越していようとも。だとしても強いのは自分の方だ。最強は間違いなく己なのだと、イオの心は揺らがない。彼女の勝利への欲求、そしてそれを手に入れて当然だという自負はびくりともしない。
「『発』や『転』での一発退場を封じたってんなら、ああお見事。褒めてやるよライネ──だが忘れちゃいねえだろうな。【離合】と莫大な魔力が生み出す力が活きるのは雑な遠距離攻撃なんかじゃねえ。近距離戦闘でこそ最も脅威を振るうんだってことを……!」
イオが跳ぶ。ライネの着地を待たずに自身も空中へ、彼の傍へ。それを合わせて翻った刀、その刀身から伸びる氷の刃を接触箇所に纏った重引だけで粉砕し、自らは構わず接近。
氷術で射程を伸ばそうが氷鱗も纏っていない通常の術では【離合】によるガードを抜けない。そんなことはライネとて百も承知だろう──だからやはり仕込みがあった。砕いたはずの氷が不自然な軌道で自身の身体に纏わりついてくるのを察知しながら、けれどもイオはそれにすら構わない。何故なら既に拳が届く距離にライネを捉えているから。
(いいぜ、何をしようとしてんのかは知らんが多少の反撃くらい目を瞑ってやる。代わりに全力の一打をぶっ込むがな!!)
うなじの付近に霜の張り付く感覚を受けながら、最大出力の重斥を拳に装填。いくら攻撃に魔力の大半を注いでいるとはいえ、その余剰分だけでもイオの全身を覆う魔力防御の硬さは生半ではない。それを抜いてくるのだからたかが極小範囲の霜と言っても油断できるものではなく、おそらくこの術がライネ肝入りの「何か」であることはイオも解しているが、あくまで彼女はそれを恐れず、気に留めない。
仮にこれがどんな被害をもたらそうとも、それを遥かに超える被害を与えてやれば。もっと言えばこの一撃で終わらせてしまえばそれで済む話だ。だからイオはひたすらに腕に、拳に、そこに漲らせた魔力と【離合】に全身全霊を注ぎ込む。それをぶつけることだけに意識を傾けて──そして。
「ぉおッッらァっ!!!」
たった一発の殴打。されどそれは、その一発だけで外付けの魔力の残量をがくりと目減りさせるだけの。それほどに力を込めた、魔術の頂点と言ってもいい究極の一打であった。
故に、それに対するライネもまた。
「一極集中──最硬氷鱗」
受け流すことに重点を置くためにコート状に着込んだ氷鱗を、右手の氷籠手を中心として前腕と凩へと集わせる。
物理的にそこに何かが存在するわけではなく、あくまでも魔術的なエネルギーが引き起こす「作用」でしかない【離合】単独の術であれば相殺しながら威力に逆らわず流される、という技法が可能だが。しかし拳に乗せたそれを殴打の威力ごと叩き込んでくる場合には通用しない。
よってイオの物理にはライネも物理で応対せねばならない。ただし、それは単なる守りを固めただけの防御とは異なり、受け流しとはまた別の技法が組み込まれてもいる。
「氷華鱗」
衝突。空間を歪ませるほどの稀代の一打と、そんな中ですらも静かに、そして優雅に舞い散る薄青の輝きが平野の空を彩った。
一瞬の停滞、後、二人は。




