143.一心
足りないものはなんなのか。どうしてあの日本部の屋上で成れたアレになれないのか。シスと限りなくひとつになったあの瞬間の再現ができない理由はどこにあるのか……イオとの決戦を控える僕にとって重大なその謎が解き明かされたのは、ユイゼンとの組手。組手と称しながらも間違いなく命懸けであった例の一発勝負がその切っ掛けと気付きをくれた。
足りていなかったのはただひとつ、僕の──僕たちの意志。強い想いだった。
なんとしても成る。でなければ死ぬ、というくらいに気持ちを固めて高めること。文字通りの必死となって互いが互いを求め、同一になることを望む。それが二心同体の先、僕ら二人が一心の存在になる条件だったのだ。
魔力も体力も、そして技術においても。全てにおいてユイゼンに凌駕されている劣勢の勝負で、本当に限界まで命の燃料が絞られて尽きかけて……そこでようやく僕とシスは真なる一体化を果たすことができた。それは本部屋上での再現を超えて、もっと上の状態。あの日の体験を踏み台として、ユイゼンの計らいを後押しとして辿り着いた最高の姿であり、景色だった。
どれだけ試行錯誤を繰り返したってなれなかったはずだ。と、一度なってしまえばそう納得できた。何せいくら体を共有していると言っても僕とシスは別々の存在で、異なる人間なのだ。バラバラの心も思考も完璧に重ね合わせてひとつとなる……なんてそう簡単なことじゃないし、やろうと思ってすぐやれるものでもない。だからこそ死の覚悟が、決死の覚悟が要るのだ。それくらいに強烈な原動力と欲求がなければ、お互いに同じレベルでそれらを持っていなければ、心身の完全合体など成立するはずもない──だが、そう気付けたからにはもう躓かない。停滞など僕らはしない。
いつでも、どんな時でも、何をしていても決死の覚悟を持てるように。電灯のスイッチを入れるような手軽さで一心化が果たせるようになった時に、僕らの訓練は。対イオを見据えた修行は終わりを迎えた。折よくそれに合わせたようにイオからの宣戦布告もあったことだから、それからは体を休めてベストコンディションに持っていくことが課題となった。
厳しいトレーニングの時間が丸々と空いた代わりに、対話を増やした。シスとの対話だ。一心化を繰り返した影響なのか、僕らは以前よりも強く結びついていた。よりシームレスな意思疎通が行えるようになった……いや、互いの思考を伝え合うまでもなく既に理解できているような。そういう感覚が強くなっていった。僕がシスなのか、シスが僕なのか、ときどき判らなくなってしまうくらいに、僕らの重なりはどんどんと輪郭が克明になっていった。
一本の線のように。
◇◇◇
敵が奥の手を切った。ならばこちらも応じなくてはなりませんね。
うん。だけど、いいのかな。
何がです。
ここからの一体化はこれまでの比じゃない。戻ってこられないかも、しれない。僕と君の境い目は今だってぼやけている。濃く重なることで曖昧になっていっている。
今更ですね。いいじゃありませんか、元々からしてふたつでひとつ。ふたつにひとつなんです、私たちは。あなたは私にないものを持っていて、あなたの不足は私が補う。仮に私という存在があなたの中に溶けてしまって、もう二度と戻れなくなったって──本望としか言いようがない。それとも。
それとも?
あなたはお嫌でしょうか。私と一緒になることが。
……関係性が変わってしまうのが、嫌じゃないとは言えない。こんな風に君と語らえなくなるのだとしたら、それは僕にとって恐怖以外の何物でもないよ。一心化すればそんな怖さも消えてなくなるけど、でも、それでも僕は君と……友人のように話したい。一人じゃなく二人でいたい。
──ええ、私もです。それが理想ではありますが、けれど私たち、二人別々のままでは勝てそうにないですからねぇ。イオはイオにしかできない手段を使っているんです。私たちも私たちにしかできない手を打たないことにはどうにもなりません。背に腹は代えられないというやつですよ。リスクを恐れて死んでしまっては、元も子もありませんからね。
まったくその通りだ。シスはやっぱりどんな時でも、こんな時でも冷静だね。そして間違えない。必要な場面で必要な選択ができる。それはきっと僕にはないもので、君がいるからなんとかなっている部分なんだろうな。
ですね。手前味噌ですがあなたの決断に際し役立っている自負はありますとも、ええ。ですがそれは当然です、『全てはあなたのために』。私がここにいる理由はただその一個だけなんです。そのためだけにあなたにくっ付いている。その私が然るべき場面で然るべく導けないようでは存在意義が揺らいでしまうでしょう?
僕は、君がいてくれるだけで充分に助けられているよ。
あなたらしいセリフですね。けれど──。
ああ、わかっている。僕も同じだよ。今度こそ報いたい。僕に償いの機会を与えてくれた『何か』にじゃなく、君にこそ報いたいんだ。
…………。
死にたくない。けれどそれ以上に、君に生きていてほしい。もう君を犠牲にするようなやり方はしたくない。そう思っているのに……何から何まで君に頼りっぱなしで恥ずかしいし、申し訳ない。これは「あの時」感じたものと一緒だよ。
そうですか。やはりあなた、もうとっくに気付いていたのですね。私が誰なのか。
もしかしてと考えることは何度もあったけど、確信したのはついさっき。イオに前世の僕を打ち明けている最中だ。僕はあえてこれまで前世について、その死に際を君へ話すことはしてこなかった。でも、反応でわかったよ。君は僕がイオに語った内容を全て知っていたね。それも『何か』から与えられたアーカイブだとか事前知識だとかじゃなく、もっと詳しく。まるでその場にいて体験したことのように理解していた。……僕の知る限りあの研究所で何が起きたかをそこまで把握できているのは二人だけ。僕が最期に道連れにした副所長と、あとは──僕を庇って死んでしまった、あの女の子だけだ。シス。君は、あの子なんだね?
ええ、ご明察。その通りですよライネ。私は檻から逃げ出した実験体の一人。そしてあなたがあんなことを仕出かす決意を固めてしまった最後の要因です。
……ごめん。僕は結局、君たちのことを。
謝罪はいらない、とあの時にも言ったはずですよ。どうせあの体では研究所の外で長く生きることもできませんでした。あれ以上被害者を増やさないためには今いる被害者ごと潰してしまう以外に手はなかったと、私も思います。私以外の皆も、憎き職員たちへ報復できたことはまだしも幸運だったでしょう。本来ならそんな機会もなくただ消費されるだけだったんですから。
シス……。
あそこは地獄でした。倫理も道徳もない、およそ人と呼べる生物のいない場所。そんなところにスカウトされたあなたも、きっと同類だったのでしょうに……それに副所長は人の負の面を引き出すのが異様にお上手な方でもありましたから、あそこに取り込まれないほうがおかしかったはずですが。けれども何故かあなたは、そうならなかった。研究所の実態を知り密かに怒りを燃やし、使命感に駆られ、私の頼みを以て決行に移った。
…………。
驚きましたよ、壊してくれとお願いをした身ではありますが、その日のうちにああも容赦なく研究所を終わらせてしまうとは。あんなことが起こり得るとは夢にも思っていませんでした。まあ、ご存知の通り私は副所長の罠からあなたを守るために命を使ったので、決着のシーンを直接目にしてはいないのですが。ですが相打ちとはいえきっちりとあの人を倒してくれたようで、それをシスになって知って安心しましたよ。……そして私は、今度こそあなたを守りたいと思いました。先に逝くことのない一蓮托生の相棒として、とまではいかずとも。決して離れないあなたの一部になることを、私から願ったんです。
そう、だったのか。じゃあ『何か』はひょっとしてそれを叶えて、僕らに肉体を共有させたのか。
可能性は大いにありますね。そうでなければイオのように私も一人の人間として傍にいたのかも……いえ、その場合はともすれば私は選ばれず、私以外の誰かが相棒としてあなたと一緒に戦っていたかもしれませんね。
そっか。『何か』が何を思って僕や君に目を付けたのかは相も変わらずさっぱりだけど、でも、僕は嬉しい。君が生きてくれている。僕と一緒に戦ってくれていることが本当に嬉しい。それが贖罪になりはしないとわかっていても、生きる希望が湧いてくる。戦う勇気が湧いてくるんだ。
それなら重畳。私も甲斐があったというものですよ、色々な意味でね。繰り返しますが、もう謝罪は要りませんからね。あの時だって本当は、謝罪でなく感謝の言葉が聞きたかったんです。生の終わりに耳にする言葉はあなたの『ありがとう』が良かった──だというのに、泣きながら謝ることしかしないんですからあなたも乙女心がわかっていませんよね。ほんの少しもです。
……それって乙女心と関係あるの?
大ありですよ、まったく。とにかく確認する必要も恐れる必要もありません。私たちは互いに望んでひとつになったし、ひとつになるんです。その結果が力及ばずでもまあ、悪くはないでしょう。勝って元に戻れなくなったとしても、それもちっとも構いません。どちらに転んだってあなたは精一杯に頑張ったと言えるし、私もそれを精一杯に支えたと胸を張れます。そして今度こそ一緒に死ねるんですからこれ以上は求めるべくもありません。あなたは?
──一から十まで同意見だよ、シス。君がそう言ってくれるなら僕だって本望だ。あんな別れ方はもうしたくない。だから、一緒に死のう。それまでは一緒に生きよう。それでいいかな。
勿論。では、始めましょうか。
僕たちの戦いを。
◇◇◇
「へえ、一体化ならぬ一心化。その身体を本当の意味で共有する技と……技かこれ? もはや魔術の理論だとか特別製の肉体とか関係なくお前らが変なだけじゃねーの? なんて思わなくもねーが、まあいいぜ。とにもかくにもそいつが奥の手ってわけだな。俺を倒すためだけに必死こいて編み出した必殺の手法ってこったな……嬉しいねえ、そこまでの覚悟を引き出すことができて俺はマージで嬉しいぜ。ふたつの心が、意識が綯い交ぜになって戻れなくなる。それがどんなもんかは俺じゃあ想像もつかねーが尋常でないことだけはわかる。どんだけ特別な関係の奴だろうと他人とそんな状態になるのは本当ならすげー怖いはずだよな。だが、お前さんはそうじゃない。俺がいるから、俺を倒さなくちゃいけないから恐怖なんてどっかに置いてきちまった。そういうことだろ?」
「全てが自分を中心に回っていないと気が済まないらしいね、お前は。僕たちはそこまでイオっていう存在を特別視はしていないよ。倒さなくちゃならないから倒す、それだけだ」
「全然結構、それでいい。重要なのは俺にとっての全てであり、お前だからな。本質なんて実のところどうだっていいのさ……で、もうひとつ訊くが」
「なんだい」
「氷鱗の仕組みを明かして、それを可能にしている一心化とやらの仕組みまで明かして、お前は何がしたいんだ? さっきまでの慎重さが嘘みてーに、黙ってたっていいことを──いんや、黙っていなきゃならねえ手の内を急に曝け出して。いったい何を狙ってやがる?」
「なんだ、そんなこと」
別に何も狙っちゃいないさ、とうっそりと笑ったままにライネは言った。
「そっちが自慢げに明かした外付けの魔力と同じ。知ったからってどうにもならないことだから知らせてやったまでだよ。つまり何が言いたいかっていうと……イオ。『お前は僕たちに勝てやしない』。そういう意味なんだけど、通じていなかったんだね。意外と勘が鈍いな」
「……はっ、なるほど。言うこともまるで今までとは別人だな。だがそっちの方がしっくりとくるぜ。お前たちは真実二人で一人らしいな。ああ、それも良し。それがお前らの在り方であり誇りだってんなら、この場に部下を連れてこなかったのが俺の誇りであり在り方だ。──ぶっ潰すぜ、力だけでてめえの何もかもを」
「できるものなら」
交錯。共に踏み出した一歩が互いを目の前まで運び、そしてすれ違いざまに拳と刃の一閃が交わる。
「ッ……、」
「ほら、できない」
右腕に縦の一文字が赤く刻まれたイオを、傷を負っていないライネが見てくすりと小さく零した。それに対してイオは一言。
「舐めんなよ」
重引×重斥。激しく反発するそれらをひとまとめに、発射口を指定。魔力の胎動が空気を震わせて。
「『転』」
宣言通りに確固たる力が、その象徴となる術が放たれた。




