142.極限
秘策があったのだ。と、イオは悟った。
自分が「ライネに勝つため」に編み出した策があったように──魔人百人分の魔力を手中にしたように、それに相当するものがライネにもあったのだ。
何がどうなっているのかはわからない。戦いを楽しむために、そして教えてしまってもなんの問題もないために秘策の中身をわざわざバラした自分とは違って、ライネに種明かしを求めるのは期待するだけ無駄だろう。いったいぜんたいどんな手を使って時間制限を急速に早めてまで全力となった自分に追いつけているのか……ともすれば追い越しかねないほどに動きと術のキレが上がったのは何故なのか。イオにはまったく理解できない。
だから考えない。
それこそ思考と時間の無駄でしかないからだ。
とにもかくにもライネは変わった。その気配が、魔力の質が、攻め入り方が──あるいは人が変わったとでも言うべき多大な変貌を遂げてそこにいる。
だがこれはライネだ。どこからどう見てもライネである。いや、ようやく本当の彼に出会えたのだと、そう表現するべきかもしれない。奇妙な感想だがイオの直感はこう訴えている。
今このときをもってライネという存在は『完成』したのだ、と。
「──ははっ!」
そうとわかって、何もわからぬままに本質だけを解してイオは笑い。
自分自身に斥をぶち当てた。
「!」
外付けの魔力、その出力を全開にしたことで【離合】は威力だけでなく起動までの間も更に短くなっている。ノーモーションで行える分、イオが自らの体を動かすよりも出だしの早さに関しては明確に上を行く。
思わぬ挙動にもライネは冷静に刃を当てにいったが、斬れたのは薄皮一枚。小さな出血の軌跡を残して自らの術に弾かれたイオは飛んでいく──その途中で斬り飛ばされた腕を回収したのをライネは見逃していなかった。
舌打ちと共に彼も駆ける。できればもう一方の腕も落とすか、それが叶わないなら落ちた腕を念入りに切り刻んでおきたかったところだが、どちらも叶わなかった。左腕を拾ったのは間違いなく治癒のため。無い腕を生やすよりも切断面の癒着で戻す方が遥かに手間がかからない。魔人の肉体かつ並外れた魔力量を持つ現在のイオなら欠損の再生にも大した時間は要しないだろうが、機動力を各段に向上させた敵を前にしては一刻も素早い回復方法を選ぶのは当然と言えた。
だが癒着であっても多少の付け入る隙くらいならできる。切断面同士の結合などそれこそイオにはほんの一瞬、まばたきほどの短さで済ませてしまえるだろうが、今のライネであればその刹那を攻めることが可能だ。治癒が完了する前に両腕を斬り落とし、その後に頭。そう明確にプランを思い描いて間を詰めんとしたライネは、目撃する。
「【同調】」
「!?」
イオの手の中にある左腕が消失する。不可思議な蒸気のようなものをくゆらせて文字通り煙となって消え失せたのだ。そしてそれと同時に本来あるべき場所に、刹那よりも短い時間で帰ってきていた──イオの左腕が、復活していた。
切断の痕すら見つからない万全のそれを見せびらかすように、そこへ力が集う。
「ッ、氷鱗駆動!」
「重引!」
目論見を誤ったライネはこのまま攻め込むのは得策ではないと判じたのだろう、詰めた距離を咄嗟に取り直そうとした。そんな彼を周辺一帯ごと、あたかも巨人の掌で握り潰すようにイオは引き寄せる。──しかし期待したほどの手応えはない。何故か斥のそれよりは目に見えて影響を受けている様子だが、ライネはイオの手の届くところにいない。
刀と拳の射程外。けれども近しいその間合いで互いは互いを見つめ、思考を回す。
(切り離された自身の肉体との【同調】? をすると部位は元通り、か。どうやらただの傷跡よりも欠損の方がイオにとっては楽な修復になるみたいだな。すると順々に四肢を落としていって確実に首を斬るって策は無理筋か……まったく)
(理屈はどうだっていい。重要なのは今のこいつの反応速度と移動速度! 明らかに術の感知も機動力も桁違いにスピードアップしてやがる。重要なのはその謎解きをするんじゃなく、この状態に俺と同じく時間制限があるのかを知ること……!)
おそらく、いや間違いなく制限はある。でなければ初めからやらない理由がないからだ。必ずしも時間の制約でなくとも、何かしら使い時を選ばなくてはならないデメリットを抱えているはず。それでも使用に踏み切ったのは、そうしないことには敗北が必至であったが故──そしてきっちりと敵側の制約についても見抜いているが故の判断だろう。
(要はもうすぐへたばっちまう自分よりも先に、相手をくたばらせばいい。それだけのことだもんなぁ!)
蘇った左の掌に引と斥を握り込む。と共に右腕でライネの後方を指定、契印代わりの手動指示による簡略化で魔力の過剰供給と合わせて二重の加速起動。
(そっちのやり方は知らねえが要するに『こういうこと』をしたんだろ? ──お返しだぜ!)
斥の拡散。自身の真後ろで起きたそれを、けれどライネはやはり最低限の影響だけでやり過ごす。みっともなくこちらへと転がってくるような無様は見せない、それを承知の上でイオは動く。元よりたった一瞬だけの時間稼ぎでしかないのだ、最低限でもライネの回避に影響を与えてくれたのならそれで充分。
引も斥もいまいち効力を発揮しないとなれば、破壊力を空間越しではなく──直にその身へ食らわせてやるまで。
「『発』ッ!!」
躱せない、と踏んだのだろう。ライネは悪足掻きをしようとせず受けの態勢に入った。極限の集中下でイオはライネの手元、自身の拳を受け止めようとしているそこへ何かの力が収束していくのを感じ取ったが、構わず攻撃続行。正体不明のそれごとぶち抜くつもりで『発』の装填された打撃を振り抜いた。
「ゥッッ……!」
丘陵を囲う平野の果てまで響き渡るような撃音。それだけのものを奏でたからにはそこに生じた衝撃の凄まじさは語るに及ばず、防御に徹したライネもあえなく吹き飛ばされ──けれど空中でピタリとそれが制止。そして自然落下というには不自然極まりない垂直の軌道で素早く地面へと降り立った。
「馬鹿力め……」
粉砕された右手。そこに握られた刀の柄を守り固定する役目の氷籠手を再展開しつつ、じんじんと痺れる両腕を軽く振って調子を確かめる。──籠手はあくまで氷術で生成された鎧以上の意味を持たない物なのでともかく、イオの一撃を止めたもうひとつ。S級テイカーであるリグレ・リンドルムの遺産である「凩」の柄は、物理的にも術理的にも破損しない「絶対に壊れない武具」だ。
破壊不能という性質上、敵の攻撃を受け止める盾としてもこのアイテムは抜群の機能を発揮してくれる……が、どんなに頑丈だろうが柄でしかない以上は(その形状的にも)盾の役割を十全に果たせるものではないので、ガードを間に合わせてもまったくの無傷とはいかなかった。
全身に負った幾箇所の擦過傷と体内に残る鈍痛を治癒術で解消し、少しでもパフォーマンスを落とさぬようにと努める。無論のことその間にも攻撃が来ることを想定して用心は怠らない。敵の指先の僅かな動きすら見逃さぬようにと注意深く見つめる彼の眼差しを受けて、イオは繋げ直した左腕の具合を確かめるように指を動かしながら言った。
「馬鹿みてーな力だよな、自分でも思うよ。やっぱこんだけ魔力があるとやべえわ。今ある唯術が仮に超の付くクソ雑魚だったとしても十二分な兵器へとグレードアップできるだろうぜ。……んで、そんな馬鹿やべえ力を手に入れた俺と互角に戦ってるお前さんはどうなってんだ? 涼しい顔で受け流せるようなもんじゃねえだろ、百人分の魔力でぶん回す【離合】ってのはよ」
無論それは、答えが返ってくることを期待しての質問ではない。双方共に体勢を整えんとしているこの今、小さな間を埋めるためのただの軽口。お喋りなイオらしい特に意味を持たない言葉……だったのだがしかし、本人の意図にそぐわずその問いかけは思いも寄らない返答を引き出した。
「『受け流す』か。流石と言うべきか、それも直感でしかないだろうに、イヤに正確に物を言い当てるじゃないか」
「あん? どういうこったよ」
「こういうこと」
と、ライネは今まで常に実行し続けていた氷鱗の屈折率操作をやめた。それは隠蔽を解いた、ということだ。結果イオは目にする。腕や脚を中心に体の各所を覆うように纏っていた以前までとは異なり、フード付きのコートのような外見で体を覆うというよりも着飾っている新しい氷鱗の姿を。
薄く何層にも重なっている煌びやかな氷で出来たコートは、ちょうどライネの銀の髪と青い瞳を混ぜ合わせたような蒼銀の色味を持ち、術のそれとは思えないほど自然体に彼の雰囲気にマッチしていた。
「……随分と趣が変わっているが、そりゃライオット相手にも使っていた氷の移動式鎧だよな? 何かと便利そうな代物だとは観戦してて思ったがよ、そいつがなんだってんだ。【離合】に捕まらねえ理屈がわかんねえよ」
所詮は氷の鎧だろ、と。納得がいかない、というよりも心底から不思議な様子で首を傾げるイオに、ライネは「だからお前の言った通りなんだよ」と言葉を繰り返して。
「まさに受け流しているんだ、氷鱗でね。コートで風から身を守るみたいにして、引の引き寄せる力も斥の引き離す力もその都度に形状と力の入れ具合を変えることで『相殺』させる。原理としてはノイズキャンセリングに近いのかな? なかなか肩の凝る作業ではあるけど、まあ今の僕にならそれなりのリソースを注ぎ込めばやってやれないことじゃあない」
「マジかよ、んなことまでできんのかお前……しかし何度も言うが、魔人兵からかき集めた魔力で放ってんだぜこっちは。それを受け流すのがよしんば可能だったとしても、その分だけリソースを割いてるってんなら『他の部分』が割を食ってねえとおかしいだろ。だがお前さんにはそんな気配もない。こりゃどういう理屈だ?」
硬く、移動力や攻撃力の補助にもなって、その上で敵の術を和らげまでする。どの要素を取っても一流と言えるだけに、そんな都合の良さはあり得ないと断言できる。これでまだしもイオが【離合】の性能を引き出し切れていないのならともかくとして、けれど本人が口にしているように彼女が使うそれは莫大な魔力量とその強引な流し込みによって裏打ちされた文句なしの最大威力なのだ。
氷鱗がどれだけ優れた術であろうと、ライネの技量がどんなに卓越していようと、結局は単独の術と魔術師。まともにやって今の自分がぶつける【離合】に対抗できる道理はない──というイオがいくら考えても解決しそうにない疑問に、しかしライネはやはりあっけらかんと答えを出す。
「簡単だよ、リソースの割り振りをその都度に切り替えているだけだ。防御が必要な場面ならそっちに、移動の補助や攻撃の補助が必要ならそっちに。お前が引や斥で捕えようとしてくれば相殺に力を入れる。一点だけに集中させれば意外となんとかなるものだよ。まあ、それでも魔人百人分の出力はインチキだ。基本は押されてしまうけれど……そこは切り替えの早さと立ち回りでカバーすればいい」
「──、」
瞬間的なリソースの割合の切り替え。ライネはあっさりと言ってのけたが、イオとしては信じ難かった。何せライネはついてくる。彼女がどんなに術と脚を活かして翻弄しようともそれに追いついてくる。肉体的な挙動では遅れようとも認識を、術の操作を完璧に合わせてくる。そして演じられる超高速の戦闘。一秒ですらも「長時間」に感じられる濃密かつ刹那的なやり取りでの攻防。その速度はイオが外付けの魔力を全開にしてから更に上がっている。跳ね上がっている。反射の域で思考せねば振り落とされる神速の世界。
──その極限の最中にライネは、ただ術を操るだけでなくその性能の調整まで行なっているというのか。
切り替えが少しでも遅れれば、あるいは必要を間違えれば、一手で終わる。代償は命で支払われる。それだけギリギリの行為で、死に物狂いという表現が相応しい戦術で命を繋ぎ止めておきながら……何故そうも落ち着き払っているのか。どうしてこんなにも余裕があるように見えるのか、イオにはどうしてもわからない。
「本当にできんのかよ、そんな真似が。聞いてるだけで頭がパンクしそうだぜ」
「できているから僕は今も立っている。難儀しているのは否めないけどね、でもそれだってそこまで苦じゃないんだ。むしろ楽しいよ。イオ、お前と同じで、全力を全力のままに振るえるのは──やっぱり清々しい」
柔らかい口調でそう言って、少年は微笑んだ。




