139.応酬
──近づいている、はずだ。
だが。
(どういうこった……?)
イオは術の攪乱を頼りに逃げ続けるライネを追い、攻め続ける。休む暇を与えることなく攻めて攻めて攻めて、やがてその笑みが歪んだ。──いつまで経っても遅延のストックが切れないという不可解に。
「吹雪」
「チィっ!」
あと一歩、のところで差し込まれた突発の氷風。【好調】によりその真価は発揮されないとはいえ、僅かな拘束を嫌ったイオは身を翻し別方向から素早く攻め入る。しかしその時にはもうライネの体勢も整っており、またしても氷術と体術の組み合わせで躱されてしまった。
今のは遅延を切らせたのか? それとも追加の術で対応したのか? どちらなのか判断はやはりつかないし、事ここに至ってはどちらでも同じかもしれなかった。
(ちっとも底をつく気配がねえ……まさかだが、こいつ。今この瞬間に! 遅延術を随時仕込みながらやり合っているってのか……!?)
イオは遅延発動という技術を使わない。それに頼る理由がないからだ。単純な攻撃系の唯術と違い、彼女の【模倣】は遅延の恩恵に預かれる類いのものではなく、またコピーしている【同調】や【好調】もそれに近しい特徴を持つものであるために。現在は手元にないトリータの【吉兆】も含めて自分たちの力が揃いも揃って癖のある代物であることにイオはそこはかとない上の思惑を感じているが──それはともかくとして。
遅延術を使うに足る理由を見出せるのは唯一【離合】くらいのものだが、しかしてこの力は元の持ち主であるライオットがそうであったように、極めれば他のどんな唯術と比べても出が早く、機先を制することに向いている。そういう強さを有している唯術でもあるために、わざわざ遅延の負荷を抱え込むことがデメリットにしかならないのだ。
無論、イオが【離合】をコピーしたてで上手く使いこなせていなかった内なら遅延という工夫を取り込むことにも意味があったろう。だが現在のイオはそうではない──他に至らない点もあれど、少なくとも術を完成させる速度の面においてはライオットと同水準に達している。それはつまり充分に【離合】を扱えているのと同義。このことはまさしく今、彼女が引や斥をいくつも併用しながら長時間攻め続けてもなおキャパシティの限界を迎えていない、という事実が証明となっている。
やろうと思えばやれるだけの処理能力を──シスと同一化を果たしているライネのそれほどではなくとも──持ち合わせていながら遅延術とは縁のないイオ。しかしそんな彼女でもそれが戦闘にもたらす意義についてはよく理解している。その技術の難度もまた、正確に。だからこそ信じられないのだ。
(マジかこの野郎。この目まぐるしい高速戦闘の最中、ワンミスも許されねえシビアな戦い方を要求されながら! その裏で遅延術を延々と練っているって!? どんな超技術だそりゃ!)
ここまでいくつも面白い芸を見させてもらったが──楽しませてもらったが。だがこれは曲芸の域を超えている。とてもじゃないが、人間業ではない。魔人である自分を棚に置いてまでそう感じる。
こちらを見据える冷徹な眼差しが、そう思わせる。
「ハッ──そうかよ」
イオは停止した。手も足も止めて、数メートルの距離を置いてライネと向かい合い、よく見る。息はかすかに上がっているが、それだけだ。傷はなし。体力の低下も魔力の消耗も見られない。いや、どちらも減ってはいるのだろうがまだまだ余裕がある……焦りはない。それは彼のいなす技量が高く、消費を巧みに抑えられているが故だ。それを自分相手にやってのける。節約したままで戦えていることを、しかしライネは誇るでもなく当たり前のように──。
「俺が間違ってた。我慢比べを笑っておいてこっちからも同じ策を仕掛けるなんざ間抜けだったな。……ミス待ちも手札切れ待ちも俺の戦い方には相応しくねえ。この勝負には、似つかわしくない」
「だったら?」
「だったらそうさ、正面突破だ。お前さんがどんだけ芸達者でも関係ねえ。いくつ仕込んでようがなかろうが何もかもぶち抜く! そういう方針を取らせてもらうぜ」
「なら今までと特に変わらなさそうだ」
「いーや、大違いさ。【離合】拡充──」
「!」
不意にイオが突き出した腕。こちらに向けられたその掌の中に宿るそれが、今し方まで振るわれていた重斥とは異なるものに変わっている。そう瞬時にライネは気付き、そして思考よりも先に本能が体を動かした。
「『転』」
撃ちやがった、と内心で吐き捨てた時点でライネはイオの正面から退いている。重引と重斥を掛け合わせて放つ『転』の射程は長く見積もって三十メートル、先と違って彼我の距離がほぼないこの状況では後方への避難は悪手。よってライネはあえて前へ。イオの真横を目指して氷鱗を纏った足で蹴り出すことで射程ではなく射線から逃れていた。
さしもの『転』も前方へ発射する術である以上──そして発射動作であり銃口であるイオの手の向きからしても──術者のすぐ横にまで力の発散が及ぶとは考えにくい。これはライオットの『転』を一度は身で受けた際の経験も元にした確度の高い推理。よって絶対の確信こそなくともライネは迷わず前進することで退避を行なった。
いや、行わざるを得なかった。そう言うべきだった。確かに『転』からは逃れられたものの──。
「来てくれると思ったぜ!」
「!」
当然ライネはイオの傍らという危険地帯で留まるつもりなど毛頭なかったが、しかし思いとは裏腹に足が止まってしまう。地に縫い付けられたように動かせない──これは、引。誘い込まれたのだと理解し、刀を上げる。そこへイオの豪脚が衝突。
「氷瀑──」
「『発』だ」
「っ!」
腕部に氷鱗を集め直したことでどうにか蹴りとそこに乗せられている斥は受け止められた、が、その斥に後乗せで引が加わり、融合。異なる力同士がひとつとなったことで反発が生じ、瞬間的ながらも劇的な発散がゼロ距離でライネを襲った。
「ぐぅ……ッ!」
氷の散弾ごと弾き飛ばされたライネは地を転がり、けれども即座に跳ね起きる。油断なくイオから距離を取る形で立ち上がったのは『転』による追撃を恐れたからだ。しかしイオは『転』どころかその身で追ってくることもしないで、何やら感慨に耽っている様子だった。
「くぅ~、これだよこれこれ。やっぱ【離合】でぶちのめすってのはこういうことだよな。ちゃんとした手応えがあって俺は嬉しいよ。ここまでは何しても全部のらりくらりだったもんなぁお前……ようやくこの術を操れてるって実感できたぜ」
「……敵の肯定がないとそんな自信も持てないのか? 意外と小心者なんだな」
軽口を返しつつ自身の被害を確かめる。……蹴散らされはしたものの、咄嗟に放った氷瀑。それから直に衝撃を受けた氷鱗と籠手がクッションになってくれたおかげで派手な吹き飛ばされ方をした割にダメージは抑えられている。それでも全身のあちこちが痛みを訴えてはいるが、まだ大丈夫だ。傷の度合い的にも、そして魔力的にも。まだ習得した自己治癒の補完の範囲内である。
イオとの戦いには自己治癒も必須の技術になる。そう予感してシスと二人三脚で急ごしらえに身に着けたこの技能。ライネは新進気鋭の天才治癒者であるマーゴットすらも慄くほどの速度で精度の高い治癒術を覚えたものの、しかし流石に他人を治せるまでには至っておらず──己が魔力で他者を癒すのは自己治癒とはまた別の分野と言っていいくらいに勝手が変わる──また自身を癒すことに関しても、あたかも時間でも巻き戻すかのように致命傷すら消せたライオットや、それが技術というよりも肉体的な性能として備わっている魔人とは小さくない開きがある。
部位の欠損や臓器の損耗といった重大な傷を治すには足を止めてそれだけに向き合う必要がある。とてもではないが戦闘行為を継続したままには行えない……一応、シスにそれを任せておけばライネ自身は戦いを続けられるだろうが、その場合は戦闘面での補助が一切受けられないことになる。二心同体の売りである処理能力の増加の恩恵すらもなくなり、そうなればイオの猛攻を捌き切れるわけもない。治癒を待つ間に命を落とすのが関の山だ。
大きな怪我は負えない。今はまだどうとでもなるが、しかし小さな怪我も積もり積もれば魔力の消費に繋がる上、それが呼び水に致命的な負傷をするかもしれない。そう考えればむざむざと『発』を食らってしまったのはとても褒められたことではない……迂闊な判断で窮地へ自ら飛び込んでしまったと反省しつつ、思考を切り替える。
氷鱗と籠手の再展開良し。遅延術の最大数仕込み良し。痛みを訴える箇所ももうない、完全に治せた。
──被害無し。それが今のライネの状態だった。
「いいねぇ、お前さんも『ちゃんと防いでくれた』ってわけだ。そこらの奴なら今ので肉塊だぜ?」
「嬉しそうだな」
「とーぜん。嬉しくないわけがねえ。この切った張ったの高揚感、誰とでも味わえるわけじゃあないんだからな。ライオットもS級テイカーもスキップした分、お前さんにはしっかりと『強大な敵』でいてもらわなきゃ困るんだよ。なんの苦労もなく勝てるようなら決戦とは言わねえんだ」
「鏡映し、と自分で言ったろ」
「あん?」
「お前が強ければ僕も強い。僕が強ければお前も強い──映し合っているんだよ、僕たちは。等身大の、相応な強さだ。どちらか一方が外れることはない。多分そういう調整がされている」
ライネの言葉に、イオは少し不愉快そうにした。だが否定はできないと彼女自身も思ったのだろう……否、思っていたのだろう。そうと思わないための取り繕いも忘れて、勝ち気な笑みにも陰を滲ませて彼女は言った。
「そーかもな。互角に収束するように、か。一方的に勝負が決しちまってつまらねーのは俺ら以上に『誰か』や『何か』なんだろうしなぁ。けっ、所詮は駒。ゲームマスターの思いのままってな。面白くもねえ現実だが、それも受け入れなきゃいけねえわな」
だけど、と続けて。
「せめて精一杯に今を楽しませてもらうぜ。従順な使徒にしたってそのくらいの権利はあるはずだ。そうだろ?」
「どうかな。戦いを楽しむこと、決着を望むこと。それすら僕たちに刻まれた使命かもしれない。確実な結末を見たいがために、与えられているものかもしれない」
「輪をかけて面白くねーこと言ってくれるじゃねえか。だが、そりゃつまり。お前さんも俺と同じようにこの勝負を楽しんでくれているってぇことだよな? でなきゃそんな発言は出てこねえもんな!」
「──そうかもな」
小さく。極々小さく、ライネの口元が笑みの形を取った。今日初めて見せる彼の表情らしい表情。その共感に対し、イオの胸の奥底に滾る火がより勢いを増した。
「ははっ──ハハハハ! そりゃ何よりだぜっ、ライネェ!」
跳躍。地面を踏み砕くような一歩で跳ね上がったイオは宙で軌道を変え、しかし速度は落とさず。むしろ加速しながらライネ目掛けて落ちてくる。【離合】と人を超えた身体能力が生み出す予測も回避も不能の変則の攻めに、普通ならなす術もなく一撃の元に誰もが屠り去られる──だがライネは、彼だけはその例外にある。
「氷瀑、吹雪──一極集中」
イオが空中でもう一跳ねするよりも先にその軌道変更を読んでいた彼は、慌てることも騒ぐこともなく冷静に遅延術を解き放った。全開放だ。三発分の氷瀑と二発分の吹雪がイオとライネの間を立ち塞ぐように荒れ狂い、しかし突き出した斥でその全てを突破してきたところを、間違いなくそうしてくると予想していた彼は「氷鱗を纏わせた凩」で歓迎する。
──イオの目に、先ほどから戦局に合わせて逐次ライネの身体の表面で動き回っている氷鱗の姿は映っていない。決して小さくないリソースを屈折率操作に割き続けてまでライネが氷鱗を隠し通しているのは、それが必ず意味を生むと知っているからだ。
何かの細工がある。とは、本人がそう述べたようにイオも気付いてはいる。こうして直にやり合っているのだからそれは気付かれて当然だ。が、見えていない以上は、そしてイオの戦い方を観察する限り彼女が魔力探知の精度をあまり上げていない、あるいは大して気にしていないからには。
察知などできない。氷鱗の加護が武具にまで及ぶという発想には至らないはず──これは彼女自身が常に空手で戦うスタイルであることも後押しする、それこその確信に近しいもの。
攻めのみに意識の全てが集中したこの瞬間が、隠し通したこれの活かし時。絶好にして無二の機会──!
「なんッ……」
驚く声も切り捨てるように振るわれた刃が、鮮血を舞い散らせた。




