136.物量
晴れ渡った天気の下の草原。空模様も見えなくなるほど濃厚な冷気に支配されていた今し方までとは一転、立ち込めていた霧などまるで存在しなかったかのようにまっさらな緑の上に二人は立っていた。
鬱陶しいものを片付けて、すっきりした。そう言わんばかりに得意気な表情でイオが首を傾げてみせる。不利をたったの一手で覆した。その手腕を誇る少女に、ライネは無言で眉根を寄せるばかりだった。それはイオの期待を裏切らない、非常に彼女を満足させてくれるリアクションであった。
くつくつと少女が喉奥を鳴らす。
「イイ顔してくれるじゃねえの。さっきまでの能面めいた顔付きよりもよっぽど魅力的だぜ」
挑発のようでいて、その意図も混ぜ込みつつも純粋な喜びの吐露を行なうイオに対してライネはやはり難しい顔をしたまま口を開こうとしない。彼が考えているのはたったひとつ、イオのやっていることの「帳尻の合わなさ」。それに尽きる。
氷霧が消されたこと、これ自体はいい。戦局的にはまったく良くないが、氷霧の無効化程度はイオならばなんらかの手段をもって高確率で実行してくるだろうと想定していた。だから、それは一旦いいとして。
しかし問題となるのは無効化の手段そのもの。『発』。引き寄せる力の引と引き離す力の斥を掛け合わせた奥義。拡充術を含めなければ【離合】という唯術の最大威力と思われる、ライオットも使用していた技だが──。
何故「それ」で氷霧を破れる?
ライネが思い悩むのはそこだ。
「ああ、確かめてみよう」
違和感は早期に原因を探るに限る。取り返しのつかない局面になる前に敵の力を正しく把握することは大事だ。そう内側から促されたライネは同意を返しつつ再び両の手を使って印を組む。ただし今度は片手でひとつずつ、ふたつの契印を同時に作った。
「氷鱗鳥、氷蝶」
「へえ……」
鱗を纏った鳥が十。その隙間を埋めるように五十から六十ほどの氷の「ちょうちょ」が飛ぶのを見て、イオはライネのおおよその処理能力。氷霧を介さない術のキャパシティを推察する。
(さっきは鳥が倍いて、並行して龍の仕込みもできていた。んでもって氷霧なしだと鳥が半減した代わりに蝶を足してきた……んん? 蝶のコスパが悪いのか氷霧の底上げ性能が良すぎるのか、どっちだこれ)
ライネの術理からして前兆無しで遠点での発生は氷霧下でないと不可能。先ほどのような不意打ちはもうできないはず。つまりイオは見えている氷生物だけを警戒すればいいだけ、なのだが。この場面でライネが龍よりも蝶を選んだ理由が彼女にはわからなかった。
(やり方こそ変えなきゃいけねえが鳥を囮に本命の龍を通す、って戦法は氷霧がなくたって全然できるよな。そして数を頼りに攻められるならそのスタイルを徹底することが正攻法だろうに)
もしくは龍すら囮にして真の本命たる「ライネ自身」が攻め込むこと。それこそが彼にとって最大の勝機になるからには、ますます氷生物のグレードを下げる選択に意味があるとは思えなかった。
氷霧の有無で仕方なく龍ではなく蝶を使うしかない、というのであればなんら恐れる必要はないが。もしもそうでなかった時がイオからすると少し怖い。即ち、この戦法の変更に明確な利点が存在しているのであれば。
(蝶に何か仕込みがある。あるいは『攻める』ことがそもそも目的じゃなく他の狙いがあるんだとしたら、迂闊な対応はできねえな)
ライネの眼差しが物語っている。鳥と蝶のセットは氷霧を消されたことでの苦し紛れなどでは決してないと。ならば自分もまた、己の不利を覆した戦果など忘れて大真面目に取り組むべきだろう。短い思考でそう結論したイオは拳を握り、そこに斥を纏わせる。
「視えるか? ここに固まる力が。斥のバリアを両の拳だけに集めたようなもんだと思ってくれ。いやー、ライオットは事も無げにやっていたが全身で斥を着込むってのはなかなか難度の高い術でな。ぶっちゃけるとできるようになったとはいえ俺だとそう長くは続かん。日常の動作くらいならともかくその状態で戦闘するってなると途端にやべえんだよ。だから、拳くらいがちょうどいい。これならいくら動き回っても維持にそこまで気ぃ遣わんで済むからな」
ひとつ残らず叩き潰してやるよ、と。イオがボクシングのそれを思わせるスタンスで構えを取ると同時、鳥と蝶が一斉に羽ばたいた。
(向かってくるのはやはり鳥が早ぇか。だが氷霧内ほどのスピードは出ないようだな!)
総数が落ちているのも合わさってこれではテレフォンパンチ、どうぞ迎撃してくださいと言っているようなものだ。だったら遠慮なくそうしてやろう、と接触を見越したイオの打撃の射程に入り込む寸前、鳥が急激に軌道を変えた。五羽ずつにまとまってそれぞれ左右へ逸れていく。そして正面からは遅れてやってくる蝶の群れ。イオは口角を上げる。
「涙ぐましい工夫だなっ!」
回り込んで斜め後ろから再接近を果たそうとしている鳥たちの動きも把握しつつ、イオは迷わず前進。後方からくる攻撃を遅らせつつ前方の「見えている脅威」へと飛び込んだ。イオにはライネが蝶という小さくも数の多い氷生物に頼る理由が読めていた。
(格闘じゃ潰し切るのに時間を要すると踏んでのこったろ!? かといってさっきやったみてえに引でまとめて排除しようとすれば今度は後ろの鳥共をまとめて片付ける手段がなくなる。その対処に追われたとこを刺そうって腹だろうが──甘いとしか言いようがないぜ。斥は殴打に乗せて威力を上げるだけじゃなく! こういう使い方もあると知りな!)
蝶の群れを眼前に、イオが何もない空間を殴りつける。その瞬間に拳の斥を解放。打突の勢いと共に放たれた引き離す力は放射状に広がっていき、蝶を一匹残らず飲み込むと同時に荒々しく叩いた。斥そのものを直接ぶつけられたわけではなくその余波による被害とはいえ、元来耐久力に欠ける氷蝶がこれに耐えられるはずもなく──崩壊。キラキラと輝く薄羽を散らして全五十六匹の蝶たちはあえなく全滅した。
かに、見えたが。
「!?」
光が妙に眩しい、とイオが感じた時にはもう遅かった。散った羽の全てがまるで示し合わせたようにイオの瞳に向けて陽光を反射。魔力による強化に頼らずとも氷霧の中を見渡せるほど優れた視力を持つ彼女だからこそ強烈に目を焼かれ、視界が白く塗り潰される。
ぐ、とそれに苦しみながら、しかし魔力の探知を怠っていなかった──否、目が利かなくなったが故に咄嗟に魔力感覚をより鋭敏に尖らせたイオは、死んだはずの蝶が引き起こすもうひとつの異常も察することができた。
(霧が……!)
蘇っていく。砕け散った蝶の群れの残骸がそこから更にもう一段階。独りでに細かく崩れていき、そして広がって空間を満たす。疑似的な氷霧! そうイオは解した。ライネが自ら展開する本家の氷霧とは範囲も濃密さも比べるべくもないが、けれど罠としての役割を持たせられる氷蝶を用いた展開は今この時、その存在意義を十二分に発揮していた。
自身の周辺を覆い尽くす氷霧に対抗し、呼吸を介した冷気の侵入を防ぐべくイオは斥のバリアを再度身に纏いながら反転、即座に拳を振るってそこに突っ込んできていた氷鳥を迎え撃つ。──だが、硬い。一撃で壊しきるには至らなかった。あるいはちゃんと目が見えていれば、ヒットポイントを的確に合わせられていたら一撃粉砕も叶ったかもしれないが、魔力感覚にも優れていながらトリータやティチャナなどとは違ってその識別が(生来の性格のせいか)多少以上に雑であるイオには、この状況下で氷鳥の細かな位置や造形を読み取ることまではできていなかった。
打ち漏らした半身がそのまま突撃を敢行してくる。それに続いて残りの九体も続々と。バリア越しにも衝撃を受けて舌を打ちつつ、しかし案の定に氷龍ほどの威力はないと安心もしながらイオはまた思考を巡らす。
(察するにこの氷霧は時間制。いつまでも展開はできないしここから性能を上げて本家級になることもねえだろう。ライネ本体がこの霧の中に入ってこればそういうこともできるかもしれんが……)
だがライネが近づいてくる気配は今のところない。そして彼が氷霧に触れていないということは先のような起こりが見えない術の遠点発動もないということ。とすれば現在、早くも視力が回復してきたイオにとって不都合は何も存在しない。
丁寧な打撃で手の届く個体から始末していき、最後の一体を潰したところで折よく霧も晴れた。ざっと十数秒、それくらいが氷蝶から発生させた氷霧の限界であるらしい。息苦しい斥のバリアを解きながら再びどうだと言わんばかりにライネを見やったイオは。
「……おいおい」
今度は鱗を纏っていない鳥が三十体。そしてそれを覆い隠すように数え切れないだけの蝶が舞っている悪夢のような光景に、せっかく見えるようになった目を塞ぎたい気持ちで言った。
「勘弁してくれよ、同じ戦法を延々と……我慢比べがご所望なのか?」
「お前が嫌がるのならやる価値はあるってことだな」
「あー。そうなるか。そうなるわな、お前さんとしては」
イオは頭を乱雑に掻く──術的容量の計算がよくわからなくなった。鱗を纏わないことで鳥の捻出にかかる手間や負担を軽減させているのは窺えるが、それにしたって数が増え過ぎている気がする。ついでに蝶の方もだ。これはひょっとすると、ライネはちっとも容量限界に届かないような水準でしか術を使っていないのではないか……しかしそうやって出し惜しむ意図がどこにあるのかと考えてみても、いまいち腑に落ちる答えは出なかった。
氷霧を利用した龍の遠点での奇襲。あれのように自身の力を読み誤らせることで何かしらの策を練っているとするのが自然なのだろうが、「数を誤魔化して」成り立つ策というものがイオには思い浮かばない。精々がここぞという場面で真の物量を見せるくらい。だが、物量に頼る攻め自体がここぞという場面を作り出すのに最適な手段なのだからどうにもしっくりと来ないのだ。
──イオは知る由もないが、氷鱗鳥はあくまでも氷鳥に氷鱗を装備させただけの別個の術の組み合わせでしかない。イオが斥のバリアを体に張ったまま動き回ることで術的容量の負荷となるように、ライネもまた氷鳥に纏わせた氷鱗を維持するにはそれなりの負荷がかかる。単に氷鳥に細工、例えば造形を基本から弄って速度特化にしたり耐久特化にしたりといったチューンを加えるのとはまったく異なり、その負担を放棄したからには氷鳥の最大展開数と氷蝶のそれまで大幅に増加するのはなんらおかしなことではない。
ライネは出し惜しみなどしていなかった。手を変え品を変えてバランス調整を行なってはいるものの氷生物の創造並びに操作に関してのキャパシティは常に最大限に活用されている。ここでもしもライネが操作の面まで放棄して全個体を自動操縦に切り替えていたなら、簡素な動きしか取れなくなる代わりに鳥も蝶も更なる数を呼び出すことができていた。
仮にイオが思う通り、物量攻めによる我慢比べを仕掛けるのが狙いであったならそうするべきだったろう……が、ライネは逐次に命令を上書きできる手動操作に拘った。それでハッキリさせないといけないことが彼にはあったのだ。
異常性は、既によくわかった。あとはそれの程度を暴く。
「さあ、どうする? どれだけ斥や引の使い方を工夫したってさすがにこの数は骨が折れるんじゃないか」
「混ぜっ返してくれるじゃねえの。だがそうだな、今のやり方じゃそいつらをお掃除すんのは面倒だ。それも片したところで後から後から追加されるとあっちゃ骨を折るだけ損しかねえ。ってなわけで──」
空気が変わった。イオの放つ雰囲気がより真剣みを帯びたから、だけでなく。確かにこの場に渦巻く何かが変わったことをライネは肌で感じ取った。だが、具体的にイオが何をしたのかは見えてこない。ただひとつ言えるのは、彼女が様子見を終えようとしていること。
この戦いの本番が始まろうとしている、それだけが明確な事実だった。
「ここからは常に『これ』で行かせてもらうぜ」
一歩、イオが踏み出した。それを契機にライネは氷生物たちに指示を下す。創造者と被創造物間にあるリンクを通してその命令を受け取った氷鳥がひとまとめに動き出し、その後を追って氷蝶も前へ。片や風を切る矢のように、片や風に舞う葉のように。
それら全てを向こうにしてもイオの歩みは悠々たるもので。
「残念。もう通じねえよ、その物量は」




