135.対決
勝負の開幕、初手にイオが選んだのは【同調】の行使だった。
遠距離かつ、自分が相手にシンクロするのではなく相手を自分へシンクロさせてフリーズを引き起こさせる。【同調】本来の持ち主であるティチャナはこれを拡充によって唯術にかかっている制約を取り払って成り立たせるが、イオの場合はむしろこの使い方が本領。
よって、対象に触れずに発動させるという点で少なからず通常の使い方よりも魔力の消費が大きくなりはするものの、術的処理や容量における負担にはならない。つまり決まれば必殺レベルでありながら出し得な術となっており、開幕ぶっぱをしない理由がなかった。
(こいつが通るようならその時点でお終い、とは言わずとも、俄然に俺有利だぜ)
決まれば必殺、だがそれは当然、相手がどれくらいフリーズするかにもよる。【同調】は効果対象が優れた魔術師であればあるほど効き目が悪くなる。これはティチャナのシンクロ対象があくまでも無生物をメインとしており、生物に対してはその延長線上の応用として潜れるに過ぎないからだ。とイオは分析している。
生物、とりわけ魔術的抵抗力の強い魔術師に対して【同調】の機能が十全に振るわないのは自然なこと。それはイオが【模倣】で我が物としているコピーの【同調】も同様であり、彼女が独自の理解・発展を経てその短所を補ってあまりある「対生物用」の唯術へと仕立てはしていても結局のところ、【同調】がしっかりと機能してくれるかどうかは相手に依存する。
抵抗の意思がないことが大前提。それを乗り越えて強制的に適用させるには「押し込む」感覚が重要だった。ここの手応え次第で術がどれだけ効くか大まかにわかる。フリーズを起こさせるのはその典型で、強い相手にはまず通ったとて効果時間は数秒。S級並みの超人的な強者であれば一秒にも満たないだろう。それがイオの、これまで【同調】を扱って得た所感だった。
さて、ライネはどうか。試す思いで術の感触を確かめる。通ってしまえば、それがたとえほんのコンマ数秒の停止であろうとデカい。自分とライネの戦闘においてそのラグは致命的なものになる。しかもそれが己の好きなタイミングで意図的に起こせるとなれば、ヌルゲーだ。もはや勝負の結果は見えていると言っていい。
開幕の刹那ではあるが今ここがもう分水嶺なのだ──そうイオが仄暗い悦びと共に放った術は。
通った。間違いなく、ライネに影響を及ぼした。
けれども。
「氷霧」
「!」
止まらない。ライネの動きは停止しない。
効き目が一瞬過ぎて見逃してしまったのか? 周辺に満ちる冷気の霧を見やりながらイオはそう考えたが、しかしすぐに否定する。あり得ない。どんなに効果時間が短くてもライネの動きが完全に止まる瞬間があったなら、自分がそれに気付かないはずがない。
「氷鱗鳥」
契印。両手で翼の印を結んだライネの周囲に二十の鳥が浮かぶ。それらは全て美しく輝く鱗を纏っていた。ばさりと羽ばたき、氷で出来ているとは思えない滑らかな挙動で空を滑るように向かってくる。見事な造形と操作。以前間近に目にしたユイゼンの創造物にもなんら引けを取らない完成度。それを目の当たりとしながらイオは濃い霧の中を駆ける。思考を続けながら。
(通ったんだ。それは間違いない。感触からして【同調】は確実にライネを捉えていた──なのに効いていない。術が通ったのに効かない? そりゃつまり)
術そのものが防がれたのではなく、術が及ぼす影響を防がれた。ということ。どちらも「フリーズさせられなかった」という終着は同じでもこの違いは大きい。少なくとも、何故通用しなかったかを考察する上では重要なことだった。
(『頭ん中の彼女』とやらか、さては。考えてみりゃライネだけの感覚を止めたってもう一人いるんじゃ意味ねえわな。ってことはこいつにゃデフォで強制フリーズへの耐性があるのか。ずるくね?)
体の内側から囁くことしかできない餞別。そんなものが自分に与えられた三人の部下と同格だとはとても思えなかったイオだが、ここで少々その考えを改めた。こうやって【同調】の術理から逃れることができるあたり、二人でひとつの存在というのはなかなかどうして便利な面も色々とありそうだ。三部下のように主人の手足となって自律的に活動したりはできないが、しかし三部下にはできない方法で主人の助けになることができる。
片時も離れないサポート役。生殺一体、一蓮托生の存在。なるほどそれは、あの主人想いの激しい三部下以上に献身的な補助を可能とする餞別なのかもしれない。
それはそれとして、だ。
「ちっ」
何せ数が多い。ライネも含めて二十一の敵に囲まれないようにと移動したつもりだったが、いつの間にか包囲されていた。どう逃げるかまるで見抜かれでもしていたかのように……いや、「ように」ではなくライネは見抜いていたのだろう。そうでなければこれだけの数をここまで無駄なく動かせるわけもない。どうやら逃走方向を誘導されていたらしい、と判明したと同時に四方八方から氷の鳥たちが今までで一番の速度で突っ込んでくる。
「へっ──引」
ニヤリと笑ったイオはまず自分自身を対象に引を使う。頭上に設定したそれでノーモーションのまま高度を上げた彼女は、次いで術を発動。
「重引」
引×引。今し方まで自分がいたポイントに置いておいたそれによって、鳥たちは標的の位置変更に反応する間もなくそのままそこへと吸い込まれていった。極点にかかる重度の圧力。ひとまとめにされた氷鳥の群れは塊となって尚もその中心へと引き込まれ続け、やがては圧に耐えかねて身に纏う鱗に、鱗を越えて鳥本体に亀裂が走り──瓦解。脆いガラス細工のように砕け散った。
「残念。いくらクオリティを高めても所詮は氷なのがお前さんの術のネックだな──ッが!?」
ライネが生み出す氷生物を潰すのはそう難しいことではない。そう確かめて浮かべた笑みが途端に苦痛の形へと歪む。龍に、噛み付かれている。その大きな上顎と下顎に生え揃った氷の牙に挟み込まれたイオが自身の身に何が起きているかを理解しきるよりも早く龍は推進。己が身ごと墜落する勢いでイオを地面へと叩きつけた。
「氷龍」
術を全て一段階強化する氷霧。その内部でのみ活動を許されるライネ最大の造形生物は、それだけに破壊力も氷鳥の比ではない。
氷霧下で生まれ、その上で氷鱗まで装備した氷鳥が敵にとって脅威であることは間違いないが、しかし龍は造形時点で氷鱗を標準装備としており、何より、鳥としては巨体の部類に入ると言っても所詮は自然上の生き物である鳥類の常識から逸脱してはいない氷鳥に対し、氷龍は龍という空想上の生き物であるが故に、自在に空を飛び回るには明らかに「巨大過ぎる」難点を当然のように克服している──つまりはサイズ感がまったく違うからして、一体が発揮するパワーでは歴然たる差が生じるのは当たり前のことだった。
大きい、は、強い。このふたつは必ずしもまったくの等号で結ばれはしないものの大概の場合においてこれは真である。イオが特異個体の魔人を作り出すにあたって何を置いてもまずはサイズの設定から始めたように、ライネもまた「大きいこと」が如何に武器となるかは理解しており、そしてその実証も組手で特A級テイカーのエミウアを相手に済んでいる。氷龍は強い術だ。氷霧ありきの前提を踏まえてもそう言い切れる、シスがくれた頼りになる一枚のカード。
それをイオはまともに食らった。少なくとも防御の暇もなく食らい付かれて地に衝突したのは確かだ。──ダメージはどれほどあるのか。推し量るべく送られるライネの視線の先で。
「ふんっ!」
氷龍が吹っ飛んだ。口の内でイオが斥を発動させたのだろう。その一撃で龍が屠られた。可能な限りの最高質量、最高密度で作られた龍が、だ。
立ち上がるイオにダメージは見受けられなかった。
「今のはたまげたぜ。あんな巨体の接近をどうやって見落としたのかと思えば、俺の真横で生まれてやがったんだな。察するにこの霧の内側であればどこにでもお前さんは氷生物が生み出せると。鳥を自分の傍で作ったのは龍で意表を突くため。つまりただの囮だったってことだろ。やるじゃねえか、まんまと餌食だ」
ライネが龍をどれだけ展開できるかイオにはわからない。さすがに鳥のように二十体も同時に操れるとは思えないが──それができるなら鳥だって術的容量からしてその倍から数倍は生み出せるはずで、囮だとしても先の攻撃で最大数を差し向けない理由がない──しかし最低でも数頭、多ければ十頭くらいなら全然あり得る。
それがいつどこに現れてもおかしくない状況というのは、さすがにしんどい。そう考えたイオは氷龍を脅威足らしめる元凶を排してしまおうと決めた。
──イオの魔力が膨れ上がり、蠕動する。鮮烈なまでの「起こり」。
何か強大な術が発動されんとしている、その気配を受けてライネは咄嗟に距離を取る。──【離合】に優れた遠距離攻撃は、実のところ存在しない。術者が認識できている空間範囲のどこにでも引や斥を設置できる唯術なのだから遠距離への適性自体は優れているが、しかしそれらは基本的に妨害としてしかその機能を発揮しない。
引き寄せる引、引き離す斥がそれ単体で攻撃として成立するのはよほどに術へ魔力を込めてその反応を強烈なものへと仕上げている場合のみ。それにだって、術者は対応するだろう。引も斥も攻撃としては至極単純、仕組みさえわかってしまえば掻い潜るのはそう難しいことではない。
無論これは、エイデン・ギルフォードがライオットとの戦闘で実現させていたように敵対者がS級クラスの実力を持っていることが前提の例だ。【離合】を攻略できる術者とはそれだけ貴重ということであり……そして決してゼロではない、ということ。
言うまでもなくライネはその数少ない内の一人。
彼は知っている。一定以上の力量の相手にはライオットが拳打や蹴撃に斥を乗せて「直に」打ち込んでいたことを。そして離れた相手に致命の一撃を叩き込める唯一の手段として、拡充の奥義である『転』を有していたことを──それもまた精々が二、三十メートルほどの射程しか持たないことも、全部知っている。何せライネはそれらの全てを身に味わった被害者であるからして。
故に下がった。屈折率操作によってイオの目に映らないようにしている氷鱗、脚部に纏っているそれの一部の力も借り、起こりの感知の瞬間に思考を挟むことなく跳躍していた彼はきっちりと三十メートル以上の距離を取っていた。
イオが放とうとしているのは間違いなく大技、だがそれが本当にライネの知る【離合】の術なのか、そうだとしてもライオットのそれと同じ射程なのかは判断のしようがない。確保したこの距離も充分に安全を保証するものではなかった。万が一にも攻撃を食らわない、それだけを優先するならもっと遠間まで退くべきだ。しかし、下がり過ぎるのも良くない。前述の通り【離合】は術者の認識さえ及べば周辺のどこにでも術の発生点を設置できる唯術であり、それはライネの【氷喚】には叶わない芸当だ。
氷霧下であればそれと限りなく似たようなことをできはしても、ひとたび氷霧の外に出てしまえばイオとライネの交戦可能距離の差は浮き彫りとなる。現在ライネが展開している氷霧の範囲は、中心地をライネ本体としつつの半径「五十五メートル」ほど。ライオットとの戦闘で広げた屋上全体を覆ったあの時の氷霧よりも広域のものとなっているが、考えなしに距離を取れるほどの広大さではない。
またその中心であるライネ自身が急激に長距離を動けば再び彼の周辺に霧が満ちるまで若干のタイムラグが発生してしまう。突いてくださいと言わんばかりの隙を自ら作るのも当然、得策とは言えなかった。
しかし裏を返せば直径百メートル強の円の内部はライネのフィールドである。今彼が咄嗟に取ったこの距離は、単にライオットの術を物差しとした安全圏への退避というだけでなく、仮にその物差しが機能せずとも「対処可能な距離」。何が起きようとも問題ないと、氷霧下における自身の優位性を担保として直感した最も適切な位置に他ならなかった。
何が来るのか。受けに回りつつも次なる攻め手のために氷龍の遠点発生を仕込みながら身構える彼の視線の先で、イオが嗤う。
「『発』」
──少女の身から発散する力。指向性なく全方位へと飛び散ったそれが、あっさりと。ライネの優位の源たる氷霧を綺麗さっぱりに消し飛ばしてしまった。




