12.完了
《あなたってつくづくラッキーですねぇ。まさかこんなにすぐ見つけられるなんて》
修行最終日。朝から張り切って探すぞと意気込んだ荒霊を、あっさりと発見できた。前回の出会うまでの期間を考えれば一日がかりでも見つからない可能性の方が高く、その場合は山犬でお茶を濁そうという話だったのに、一発目でお目当てに行き当たるとはまさにラッキー。これでちゃんと唯術を試せる。
《とっくに苦戦しなくなった山犬よりも荒霊は実験台としてうってつけですからね。前のような博打めいた勝ち方をせずに済んだなら、それだけあなたは強くなったということです。張り切って参りましょう》
うん。内心でそう頷きを返して、あの日のように草むらに潜めていた身を乗り出す。僕の存在に気が付き、すぐに臨戦態勢に入る荒霊。焼き直しのような光景。時間が戻ったような感覚。だがそうではない。僕は確かに、あのときの僕にはなかったモノを持っている。
「氷礫」
僕が歩を進めきる前に動き出そうとする荒霊。その予想通りの行動に先んじて一手放つ。僕の顔、額の前に形成された拳大の氷塊。が、荒霊に目掛けて飛んでいく。命中。狙った目ではなくそれを庇った腕にだが、確かに当たった。そしてそこに確かな傷を付けている。
よしよし、上出来だ。初動を潰しつつ僅かとはいえダメージも与えた。荒霊の肉体の強さを知るだけにこのことは僕にとって大きな事実だった。これなら充分に戦闘の役に立つ。少なくとも下級魔物を相手取るには実用的なレベルに達していると言っていいだろう。
肩に埋もれた口元。その隙間から苛立ち混じりであろうくぐもった声を上げる荒霊に向かって駆け出す。懐に潜り込むためだ。唯術で行える戦法として思い付いた三つの内、その②は案から捨てている。下手に足場を凍らせてしまうと自分まで転びかねないと気付いたからだ。氷礫を除けばリーチは荒霊が上なのだ。そんな相手と戦うには立ち回りが重要になるというのに、わざわざ自分から動ける範囲を減らすわけにはいかない。それにほんの表面しか凍らせられない都合上、荒霊の体重次第では普通に踏み砕かれて意味をなさないおそれもある。
なので採用した戦法は残るふたつ。①の氷礫で機先を制して接近、そして③──相手を直接凍らせる。これが唯術を活かした現時点における最も安全な戦い方だと結論付けた。
さすがに礫一発くらいじゃ荒霊もいつまでも気を取られたりしない。接近しきる前に迎撃が来たが、やはり大振りで直線的。それも前回とは違い今度は全身にしっかりと防御用に魔力を展開しているので万が一の怖さもない。放出を繰り返したことで上がった出力はそのまま魔力防御の堅牢さになっている。僕が得たのは唯術だけではない。きっと今なら唯術なしでもあの日よりずっと楽に勝てるだろうという確信がある。
続け様に迫る腕を躱し、無事に懐へ入る。そこで準備していたそれを解放。
「凍れ」
凍結。僕が触れている荒霊の部位、腹と右の二の腕がみるみると凍り付いていく。この事態に荒霊は明らかに苛立ちとは違う感情を乗せた鳴き声を上げて、両腕を振り回した。それは攻撃と呼べるようなものではなく、とにかく必死に僕を、そして自身に張り付く氷を引き剥がそうとしての行動だ。
お望み通りに離れてやる。だが藻掻いたって凍り付いた腕と腹は元に戻ったりしない。地面と同じく凍らせられたのは皮のほんの表面でしかないが、踏み砕いて無効化なんて真似は我が身である以上できやしない。解凍にはそれなりの手間と時間がかかる。無論僕は奴にそんな時間を与えたりしない。
再び接近するために踏み出す。それに気付いた荒霊は凍結部位に構うのをやめて僕への対応に勤しんだ。優先順位としては間違っていない、が、この状況こそ僕の望んだもの。凍結は攻撃ではなく拘束である。相手の動きを鈍らせるための技。右腕と腹部の可動に支障が出ている荒霊の連撃を、僕は先以上の余裕をもって躱すことができた。
速度だけでなく威力も大幅に堕ちているのがよくわかる。きっと冷気も荒霊を蝕んでいるのだろう。魔力で構成された特殊な生物とは言っても、生物は生物。零下の温度が苦しくないわけではないのだ。これもまた、僕の今後を助けてくれる重要な事実であった。
回避の最中に荒霊の体に触れ、凍結部位を増やしていく。接触すればするほど荒霊の動きは遅くなっていった。何も難しくはない。僕は既に勝負に勝っている。だが、氷礫に比べて凍結は魔力の消費が激しい。氷礫の方が練習を長くしたからというのもあるだろうけど、それ以上に技としての難度の違いが大きい。あまり調子に乗ってやり過ぎてガス欠にでもなったら目も当てられないので、ここらで終わりにしよう。実戦での感覚もそれなりに掴めたことだし。
◇◇◇
死亡を機に肉体を塵に変え、荒霊は魔石だけを残して消滅した。転がったそれをきちんと回収したところでシスが言う。
《これにてオールクリア。修行完了ですね》
思いの外に早く荒霊と出会えたために今日という日が終わるまでにはまだまだ時間があるが、シスはこれ以上の修行を行なうつもりはないらしい。期日である明日に向けてあとはゆっくり休んでもいいと考えているようだ。
「なんだったらギリギリまで追い込んでもいいけど……」
《ダメですよ。いくら飲まず食わずで動けると言っても疲労が皆無ってわけじゃあないんですから》
僕はこの三十日ばかし、湖の水くらいしか口にしていない。それでも特に不調なく動けているあたり本当に人間をやめているのだなと実感させられるが、強くなることを目指すならこれほど都合のいい体もない。訓練に時間を使い放題だ。けれど魔物と同様に僕だって「生きている」からには限界もある。
《意外なのかどうなのか。訓練でも実戦でもとにかく手応えさえ感じられたならあなたはハイになる性質のようですから、疲労が薄いのはそれも手伝ってのことでしょう。そうでもなければ特別性だからといってこんな無茶な修行は続けられませんよ》
無茶なことをさせているつもりはあったんだ……僕から言わせればシスにそういう常識的な目線があったことこそが意外なんだけど、でもそうか。無茶を無茶と理解できていなければ加減の見極めなんてできっこないものな。シスが僕以上に僕の諸々を把握してくれているのは重々承知できている。つまり、彼女が休めと言うのなら大人しく休んでおくべきなのだろう。
《唯術の精度も目に見えて上がっていて、荒霊レベルの敵にも通用することが証明できた。たった三十日の成果としては上出来どころではないですよ。満足しておかないと天罰がくだりますよ、天罰が》
神のような何かに使わされているシスが口にすると洒落にならないセリフだ。や、彼女に言わせれば使いなのはどちらかというと僕の方らしいけれども。
ただ、満足か。実を言うとそれは結構している。なんと言っても三十日前の僕とは雲泥である自覚があるし、荒霊もシスのアドバイスなしに倒せるようになったのだ。これで達成感を得るなという方が無理がある。
《早めにテイカー支部へ向かってシャワーでも使わせてもらいません? 水浴びだけじゃ気持ち悪いでしょう》
「そうだね。ついでに服も洗いたい……って、そんなこと支部でできるの?」
テイカーの一員ならともかく外様の僕に、しかも無一文であるからにはそういったサービスを受けられるとはとても思えない。
《無一文だからいいんですよ、ごねたらなんとかなるでしょう。外様と言ってもミーディアからの紹介もありますし、受付女性のエマだってあなたが受験希望者だと知っているんですから》
そ、そうかな……こればっかりはシスの言うことでもどうなんだろうという感じだけど、世の中得てして図々しいくらいの方が丁度いいものでもある。やってみるだけやってみるかな。熱いお湯でさっぱりしたいのは本音だし。
「じゃあ、街へ帰ろうか」
《ええ》
こうして僕の長くも短い修行の日々は終わりを迎えた。いよいよテイカー試験に挑むときだ。
◇◇◇
「大物だね、君は」
翌日。テイカー支部のロビーにて、腰に手を当てながらミーディアがそう言った。約束の日より一日早く訪れて支部内に寝泊まりさせてもらった挙句、しっかりと食事まで頂いた僕の行動に呆れ半分感心半分といった様子である。逆の立場なら僕も似たようなリアクションになるだろう。
「ツケね。私が連れてきた手前、もしも払えないようなら利用料金は賄ってあげる……でも、できればちゃんと受かって自分で払ってね。これでもライネには期待してるんだから」
「はい」
おそらくだが、ガッカリはさせずに済むと思う。だって僕はもうミーディアが知っている僕ではないのだ。ライバルである受験者の多く、というかほぼ全員が魔術師ではないとも知っている。試験の内容次第ではあまり大きなことも言えないが、他の受験者の持ち得ない下駄を履いていることは確かである。からには、合格だってきっとそう遠くないはずだ。
僕の返事から自信を感じたのか、ミーディアはにやりと笑ってから今日も受付にいるエマへ目で合図を送った。それを受けてエマは頷きひとつ、さっと奥へはけてから別の誰かを引き連れて戻ってきた。
「じゃ、紹介するね。ガントレットさんだよ」
「よう。お前さんか? ミーディアから推薦を受けてるっつーテイカー志望は」
でっっっ……かい!
筋骨隆々の偉丈夫。線の細いミーディアやエマに挟まれていることで余計に強調されるその体格に、僕は圧倒されてしまう。ガ、ガントレット? 誰?
「一応はここの支部長をさせてもらってるもんだ」
「お、ついに支部長だって自分から名乗り出したよこの人」
「あんなに柄じゃないって嫌がっていたのにね」
「うるせーな。新米にゃあちゃんと言っとかなきゃいけねえだろうが」
自己紹介の途中に揶揄いめいた言葉が挟まれてもガントレットは鼻を鳴らすだけで怒ったりはしていない。ミーディアたちとの仲の良さが窺える。体付きだけでなく顔付きも厳めしい人だが、割と接しやすい人柄をしているようだ。
「僕はライネ、仰る通りにテイカー志望……です」
明らかに目上の、それもこの支部でおそらく一番偉い人。なるべく丁寧な態度を心掛けながら、ここで支部長ほどの人物が出てきたのは何故なのかと考える。戸惑いを持ちつつ見上げる僕を、じっとライオットは見つめて。
「マジで使える側じゃねーか。また珍しいのを見つけてきたな」
「でしょ? これでけっこー期待してるんだ、私」
そのやり取りに衝撃を受ける。使える。ガントレットが放ったワードの意味がわからないほど僕も馬鹿ではない。けれど、だからこそ驚いた。今の僕は魔力を使用していない。山犬に逃げられないように抑えている時とまったく同じ状態だ。それでどうして魔力を習得していることがバレてしまうんだ?
《使えるだろうという前提で観察されたら流石にテイカーの目は誤魔化せない、ようですね。口振りからしてもたった今露呈したというより事前に知られていた雰囲気ですから、見られたのかもしれませんね》
見られたって、修行を? いつ?
《はい。いつどのタイミングかは不明です。私もまったく気付きませんでしたから……少しテイカーのことを甘く見過ぎていましたかね》
僕よりも僕の体を上手に使って、察知能力も優れているシス。そんな彼女ですらも気付けないほど巧みに気配を消していたか、あるいは察知範囲を越える離れた位置から僕を監視していたか。いずれにしろ、あれだけ魔物や地形の把握が上手かったシスを出し抜くのだから相当なレベルだ。狩りを生業とするテイカー。その凄さの片鱗を僕は味わった。
「んで、坊主……でいいんだよな?」
「え? あ、はい」
「そうか。坊主、お前さんが使える側である以上他の受験者と同じ扱いってわけにはいかねえ。魔力の有無。そこを基準にしちまうと使える奴が混じった試験はそいつしか受からねーのが目に見えてるからな」
つまり、と彼はその見た目に相応しい低い声で言った。
「徹底的にしごくぜ。それが魔術師への相応しい対応だ」
……どうやら思うほど楽勝とはいかないらしい。むしろ普通に受験するよりずっと大変なことになるのではないかと、ガントレットの迫力を前に自分の頬がヒクつくのを感じた。