110.分岐
「ここは元々人間社会の中心地だったんだ。現在で言うところの大都だな。ただ千年近くも前のことってんで、暮らしの様式も今とは大分違ったんだろうな」
「なるほどな。だから生活基盤を地下に置いていた、というわけか」
「そのとーり。現代みたいに対魔物の施策が出来上がっていなかった弊害として、より大仰に隠れて生活してたってわけだ。まるでモグラかミミズみてーにな。今じゃ考えられないことだぜ、想像してみろよ? あのご立派な大都が丸ごと地下に入っている様を」
「ふん。大層なモグラの帝国だな」
「くっく。ま、この旧大都も広さは大したもんだがな……おかげで俺らも不自由しないってんだから大昔の人間にもちったぁ感謝しなきゃな」
などと言いつつ、感謝の気持ちを微塵も感じさせない我が物顔の歩調でイオは地下施設を行く。
そこは今し方彼女が語った通りの経歴を持つ「人に捨てられた都市」であり、その独特な建築様式は当時使われていた高度なテクノロジーの象徴。おそらく現代の人間では再現不可能な代物だ。廃棄されて千年近くが経過した今でも──寂れた建造物特有の退廃こそあれど──倒壊の気配を感じさせないのだからこれを捨ててしまうとは昔の人間は勿体ないことをしたものだ、とイオは思う。
とはいえそうしたからにはそうしなければならなかっただけの事情があったのだろう。ただ穴蔵として利用しているだけの自分たちとは違ってこの中で大勢の人間を生かすためのインフラの整備・維持やトラブルの対処には相当な苦労を強いられるだろうことは、そういった知識面に明るくないイオにも充分に想像できた。
その限界が来たか、もしくは現代社会に繋がる魔物除けの技術──人香結界の走りやテイカー協会の前身の設立などがあって人の生活圏の拡充に変革が訪れたか。はたまた単純に「淀み」による魔物の群れにでも襲撃されて捨てざるを得なくなっただけか。
そこまではイオも知り得ないことであり、また別に知りたいとも思わない。重要なのは今ここで自分たちが成すべきことだけだ。
「つーわけで。人間がもう使わねえって捨てたもんを俺たちが再利用してやろうってんだ。エコロジーで結構だろうよ」
「私は人間共のおさがりなどご免だがな」
「おっとそうか。そりゃ悪いことをしたな。何せここが絶好すぎる隠れ家なもんだからよー」
「気にするな。全てはお前の意のままに、だ。そこに不満はない」
「嬉しいことを」
やっぱ俺なんかにゃ勿体ない部下だな、と。なんとはなしに口にしただけといったその呟きに、イオが見ていない後ろでティチャナはすこぶる満足そうに頷いていた。
言うまでもなくイオのそれはどこまでいっても「便利な道具」を褒めるもの。彼女が口にする仲間や部下といった言葉に真実そのままの意味はないとティチャナも重々に承知している。そしてそれでいいのだと、彼女と自分たちの在り方を誇りにも思っている。
イオは特別だ。使命を持ち、最初の魔人として生まれ、神の如き存在から見初められた、究極の一個だ。……それと同じ者が人間側にも一人いる、というのがティチャナにはどうにも気持ちが良くない。トリータなどはもっと明け透けに早いところ例の少年を片付けてしまいたい意思を覗かせているが、無論主人たるイオの許しもなしにそんなことはできないし、しない。イオはこの使命と使命の激突を楽しんでいるのだからなおのことに。
それに、トリータと違ってティチャナは先を急ぐ必要を感じていない。いずれ決着は必ずつく。そしてその時は刻一刻と近づいて来ている──大いなる存在より見初められたもう一人を下す、その時が。そうなればイオの特別性は更に絶対のものとなって、あとは彼女の天下だ。
完全なる支配者として君臨する背中を自分はいつまでも眺め、守り続ける。今はそのためのちょっとした準備期間だとティチャナは捉え、イオと同じくそれを楽しもうとしている。
(その傾向が最も強かったのはダルムだったな)
ティチャナから見ても筋金入りの戦闘狂であり、先日の協会襲撃で惜しくも命を落としてしまった友人の顔を思い出す。彼の亡骸はイオの使う【同調】によって彼女の身へと吸収された……いや、イオと三部下の関係性を思えば正しくは還元されたのだと言うべきかもしれないが、とにかく彼はイオの肉体の一部となり、その力となった。
既に完全に馴染み切っているだろうからには、元々が彼のものであった唯術の【好調】と合わせて現在のイオは、まさしくダルムのように常よりも逞しく常よりも壮健に調子を上げていることだろう。ひょっとすれば【離合】の調整が進んだのにもそれが寄与しているのかもしれない。
まったく羨ましい奴だ、とティチャナはもういない仲間へ内心で嘆息する。
死んでそれ以上イオのために働けなくなった。というのには同情する。同じようにはなりたくないとも思う。死すべき時がいつか来たるにしてもそれはなるべく遠い未来であってほしいと願う──が、どうせ死ぬのであれば戦いの最中で、満足しながら逝きたい。そうして最期までイオの役に立ちたい、とも願う。
ダルムは時期以外はそれこそ理想的と言っていい死に方をした。イオにも感謝され、その身に取り込まれ、配下としてこれ以上のない完璧な終わりを手に入れた。その点は一切の含意なく羨ましい。……しかしやはり、世界に君臨するイオの姿を見ずして旅立つのはティチャナにとって好ましくない。
こう見えて彼は褒められたいのだ。ダルムはそんなもの求めていなかったし、トリータなどは称賛されてもむしろ──イオにそんな言葉をかけてもらえるほど自分は活躍していない、という意味で──嫌がるくらいだが。ティチャナには考えられないことだった。
彼はイオに対し敬語も使わず、遜った態度を取らず、時には不遜なまでの物言いまでするが。しかしその実、彼女の言うことには絶対忠実。疑問や反論などほぼほぼ口に出すことなく唯々諾々と従う。
イオが間違うことなどない、と信じているのではなく。イオが間違っていたとしても自分がそれを正しくすればいい。誤った指示が最適解となるように力尽くで捻じ曲げてしまえばいいだけだと、そう考えているからだ。そうして一から十までイオの望むがまま、思うがままとして、褒められたい。何度だって「お前は勿体ない部下だ」と言ってほしい。
それだけがティチャナの存在理由にしてその意義。生きる意味であり意志そのものであった。
「えーっと、この先の曲がり角を右、だよな。今度こそ……おっ、やりぃ。正解だ」
万感の想いを噛み締めている彼の心境を知ってか知らずか。広大な地下都市の複雑なルートをあえて案内を受けずに辿るイオは、数回道を間違えた果てにようやく目的地へと到着することができた。
「ほー、これはこれは。随分と張り切ってくれたみたいだなぁ……ただの素材もこれだけ並んでいるとさすがに壮観だぜ」
感心する彼女が眺める広い空間には、その広さの全てを埋め尽くすように人、人、人。数えるのも馬鹿らしくなるくらいの人間が縦にも横にも等間隔に綺麗な列を作って並べられていた。これだけでも充分に光景としては異様なものだが、それに強烈な一味を加えているのが、人々が皆一様にぼんやりとした眼差しに半開きの口。つまりは生気を感じさせない虚ろな表情でおり、なのに同じ姿勢のままで微動だにしていないという点だろう。
普通ではない。一目見てそうとわかる光景を前にイオが喜んでいるのは、当然にこの光景を作るよう言い渡したのが彼女自身であるからだ。そしてその命を見事に、それも短い時間で完遂させたのが、恭しくイオの傍に寄ってきたトリータだった。
「どうでしょうか、イオ様。わたくしなりに美しく陳列したつもりですが、御要望には添えましたでしょうか?」
「おう、そりゃもうバッチリだよ。俺が頼んだ通りに……いや頼んだ以上だぜ、この整頓っぷりは。いらん苦労をかけちまったか?」
「いえいえ! 苦労などと滅相もない。そもそもこうして人間たちが粛々と従っていること自体がイオ様の御力添えあってのものでありますから、わたくしなどは何もしていないも同然です」
などと謙遜しつつトリータは胸に手を当てながら深く頭を下げた。彼の言葉通り、ここにいる「素材」と称された者たちはイオの【同調】と、以前にコピーしていた【活力】という唯術。ふたつの組み合わせによって意識を曖昧化させられた上で飲まず食わずのままこの地下施設に格納されていた──その期間、実に短くても半年以上。
フロントラインの行う「仲間集め」に便乗して浚い続けてきたアンダーや、その被害によって寄る辺のなくなった社会的弱者。フロントラインのように唯術の性能にまで拘る必要がなく、最低限魔力に目覚める素養さえあれば素材としては充分だったこともありざっくばらんに集めたその総数は五百を下らない。
つまりここにいるのは、約五百体の魔人の兵隊の素なのだ。
「個々を測って調べて順番を決めて……と整列なんぞに拘り過ぎだろうと言ったんだがな。そうでなければもっと短時間で終わっていたんだ。いつもの如くにトリータは私の意見には耳も貸さなかったが」
「それは耳を貸す価値のない意見だからですよ、ティチャナ。効率よく魔人化させるには最初の手間がいるのです。何よりイオ様の前にお出しするものが醜くては我慢がなりませんし、あってはならないことです!」
「おいおい、こんなことで揉めんなって。確かにここまで綺麗にしろと言ったつもりはないがトリータの拘りも否定しないぞ。多少時間が伸びたっていいさ。おかげでじっくりと【離合】に向き合うこともできたからな」
魔人作成の準備を二人へ任せ切りにして、イオ自身は一人離れた場所で唯術の調整に集中していた──その結果として得られたものと浮き彫りになった問題点を改めて噛み締めるように、イオは己が掌を見つめる。
彼女の雰囲気からトリータも何かを察したのだろう、「如何でしたか、進捗の程は」と厳粛な様子で訊ねた。その問いにイオは笑って。
「丁度いいから話しておくか。ぶっちゃけるとこのままじゃ俺は【離合】を使いこなせそうもねえ」
「「!」」
「なんせ時間がかかり過ぎる。【離合】との向き合い方、いやさ屈服のさせ方はわかってきたところだ。さっきティチャナへ見せた程度の芸くらいは難なくできるようにもなった……修正そのものは上手くいっている。順調だ、なんの瑕疵もなくな。だがそれは使える時間が無限にあればの話だ」
いつかは完璧に扱えるようになるだろう。ちゃんと見通しは立っている。ただし、その「いつか」は今日や明日に訪れるものではない。それも確かな見通しだった。何にも邪魔されずに【離合】と対話を行なったことでイオはそう確信するに至った。
「決戦に間に合わねえ。そういう意味じゃちっとも順調とは言えないよな」
「なるほど、な。しかし時間だけが問題だとすれば、【離合】の屈服に決行の時を合わせてはどうだ? どのみち半端はお前も満足しないだろう」
もちろんティチャナとしては、イオが万全でなくともその代わりを自分やトリータが果たせばいいとは思っているが。けれど万全でない状態で打って出ることを他ならぬイオ本人が好まないであろうとわかってもいる──イオは【離合】という最高の武器を最高のままに振るいたいのだ。もう一人の「特別」へとぶつけたいのだ。彼女にしては慎重にタイミングを計ってライオットから【離合】をせしめたのはそもそもそのためなのだから、半端なままに出陣しては意味がない。
というよりも、楽しくない。それが時間以上の問題だった。
イオが楽しくなければティチャナも楽しくない。だから決戦の日を後へズラしてはどうかと提案したわけだが、それに対し彼女は悩まし気に頭を掻いた。
「そうすっと【吉兆】とズレるんだよなぁ。どうやら俺が万全になるのを待つよりもさっさと決行した方がいいらしい。となると【離合】で遊びたいってのは単なる欲目になっちまうわな。俺が我慢すりゃそれで済む話ってことだ」
イオは【吉兆】の効力を疑っていない。それが指し示す通りに行動していれば大半のことは自分たちにとって都合よく流れていく。これはフロントラインとの接触から始まり先日の協会本部の崩壊までで十二分に証明されている。現在はストック内に【吉兆】は入っていないが、決戦にいつ臨むべきかというところまでは事前に把握できている。
──タイムスケジュールの通りにすれば間違いはない。と理解しているが、しかしそうするとせっかくイベントを経て獲得した新装備である【離合】を心行くまで実戦で味わうことができない。それはあたかもゲームで苦労して手に入れたお気に入りの武器を最終まで強化できないままラスボス戦へ挑むような心残りというか、勿体なさだ。イオはそのように感じていた。
さて、自分をどちらを取るべきか。
少女はしばし黙考して──。