104.進化
爆発的な爆発から逃れた先で待ち構えていた氷で作られた熊の顎をイオは振り上げた脚で蹴り砕く。その間にもう二体の氷熊が左右から爪を振るってきたのを、軸足に発生させた斥の反動で無動作で飛び上がって躱す。
そしてすぐさま引を発動、爪が通り過ぎたばかりの空間を映像の逆再生が如くに舞い戻り、再び蹴り脚一閃。一撃で二体の熊を屠った。
イオは少女である。外見上の年嵩は高く見積もっても十四、五歳といったところだろう。背丈や体格はライネとほぼ同じ、つまりは小柄な部類である。言わずもがな肉体を資本とする魔術師としては恵まれた体付きだとはとても言えず、そのせいで、魔力による身体強化の結果を左右する素の身体能力において他の一般的な魔術師から大きく後れを取っている……などと評せるのは彼女がただの人間だったならの話。
ライネに対し高らかにそう自称したように、イオは彼女の配下三名と同じく人間ではない。魔人。人と魔物のハイブリッド。であるが故にその肉体機能はただの人間のそれを遥かに凌駕する。
魔力の助けなしでも魔力で強化された人間と同等かそれ以上。その上で魔力を用いることの反則具合は既にダルムやティチャナ、トリータが一流のテイカーたちを相手にこれでもかと示した通りだ。
だからユイゼン作の傑作戦闘術である氷熊も、軽く一蹴できてしまう。これでも彼女の腕力や脚力は配下の中で最も非力であるトリータと同程度なのだが、しかし魔人としては非力だったとしても人間の基準から言えば剛力無双の怪物であることに変わりはない。
チッ、と舌を打ちながらユイゼンは追加で氷狼と氷熊を作り出す。
これらも鎧袖一触に散らされるのだろうと思うと舌打ちのひとつやふたつは漏れるというものだった。本来なら魔術戦において氷製生物たちの飽和攻撃は、ユイゼンの圧倒的な生成速度と合わさって文字通りの必殺の性能を持つ。一体一体が強力な狼や熊が倒しても倒しても数を増やして向かってくるのだから大抵の者はこれを徹底されるだけでお手上げだ。
けれども、この戦い方が必殺足り得るのは物量が武器として機能するのが前提である。
飽和攻撃の波に飲まれて魔力切れか術の運用破綻か、なんにせよ魔術師としてのキャパシティを超過すること。それを狙うのが自らが前に出ない時のユイゼンの正攻法……なのだが、術どころかただの殴打や蹴撃で、その一発で一体どころか数体をまとめて片付けてしまえるイオにキャパシティの超過など期待するべくもない。何せ彼女は許容限界に迫るような術の行使などしていないのだから。
弾く力と引く力。
体術の助けとして時折にこのふたつを使い分ける程度で、そこに発生する魔力量から言って使い方はごく自然的で無理がない。
つまるところばかすかと多量に魔力を術に食らわせている己と違ってその十分の一、いやさもっと低い割合の使用率でイオはそれに並び立っているということ。
魔力の消耗をいかに抑えて戦うか、これもまた魔術師の実力の一環。コストパフォーマンス。この一点で自分がイオに大きく劣っていることをユイゼンは自覚せずにいられなかった。
──実際のところイオは常時発動型の唯術である【好調】も己が肉体に適用させており、使用している術は【離合】の基本である斥や引のみではないのだが……つまりはユイゼンが想定するよりも術的なキャパシティは埋まっているのだが。しかして【好調】の優れた特徴のひとつとしてその発動と維持にほとんど魔力が消費されないというものがある。得られる性能に比してコストがかからない。それこそ費用対効果の側面で言えば【好調】は最も優秀な術のひとつだと評価することができるだろう。
故にユイゼンの推測、「イオが物量に飲み込まれることはない」というのは正しいのだ──とも、必ずしも言い切れない。彼女のこの見立てはあくまで自分だけを戦力としてイオとの対峙を見据えて得られた結論であり、ここに含まれていない要素というものもあるからだ。
ユイゼンには味方がいる。イオの隙を窺い続ける援護者が二人と、肩を並べて戦える前衛が一人。
「【業炎】──『灼焔飛弾』」
「!」
追加された熊と狼を全滅させたタイミングで放たれたそれは、大量の溶岩が圧縮されて砲弾となったような甚大な熱量を有していた。降り注ぐ熱球の合間を縫って移動するイオだったが、直撃こそ避けられたものの周辺で爆ぜる熱気からまでは逃れようもない。うっ、と侵入してきた熱に呼吸器を始め身体内部が焼かれるのを感じながら焦熱地獄と化した一帯から離脱する。
ライオットが戦闘中はほぼ常に展開していた「斥のバリア」さえ身に纏うことができたならこの熱気も近寄らせずに済んだのだろうが……と、それができない訳に頭を悩ませながらもイオは止まらない。
呼吸するだけで痛みが走るようになった喉から肺にかけてを優先的に治癒術で治しつつ──ちなみに魔人の身体構造は人間と変わらないものである──既に増産され、こちらの逃げる先を読み切ったように待ち構えていた氷狼の群れに自ら飛び込んでいく。
動き回る必要があった。ほんのひと時でも足を止めてしまえば援護に徹しているコメリとモニカという両名の唯術による足止めの餌食となってしまうからだ。
イオに拘束は極めて効きにくい。【念力】の力場や【遮断】の魔力盾程度の強度であればそう時間をかけずに振り払うことが可能だが、しかしユイゼンとイリネロ。氷術と炎術のスペシャリスト二名を同時に相手取っている現状は、ほんの僅かにでも動きを止められてしまうのは命取り。さしものイオも勘弁願いたい事態であった。
これも【離合】を万全に使いこなせさえすれば大した問題にもならないのだが──と思考が堂々巡りをしかけたところで、粘性を持った炎で模られた巨大な掌が襲いくる。数頭の氷狼の巻き添えもなんのと突き出されたそれに対し、イオは回避困難と判断。自らも掌打を放つことを選択した。
「ぉおっ!」
炎掌にぶつけたのは掌ではなく、そこに発生させた斥。それも先ほど氷熊から逃れるために用いた極小のそれと違ってしっかりと魔力を込めたものだ。
激突によって破裂した弾く力は粘り気のある炎を散らすと同時、それ以上にイオ本人を強く弾いた。そうすることでイオは勢いを得て後方へ吹き飛び、抜け目なく包囲を完了させようとしていた氷狼と氷熊の陣形からも抜け出すことができた。
そして弾かれる際に置いておいた引を発動。最大出力で稼働した引く力によってイリネロと氷製生物たちはひとつ所へ折り重なって──そして業火が爆ぜた。イオの予想通り、氷の質量に潰されることを嫌ったイリネロが全身に炎を纏うことで狼も熊もまとめて消し去ってくれた。
「ふう」
拘束が通っても問題のない距離であることを確かめたイオは立ち止まり、息を吐く。上手く戦えている。自分でもそうは思うが、けれど一向に【離合】の出力が上がらないこと。まったく体に馴染んでくれないことが彼女から戦闘の楽しさを奪っていた。
これでは慣らし運転にならない。
絶好のチュートリアルだというのにその機会をふいにしているも同然である。
手を開いて閉じて、不調がないことを今一度確認する。やはり妙な感覚はない。肉体的不調は、ない。【好調】が働いている以上は当然なのだが、しかしでは、ここまで多用してもなお【離合】がしっくりと来ないのは何故なのか。
これまでにこんなことはなかった。実験としてコピーしてきたいずれの唯術もその単純さや複雑さにかかわらず数度も使えばコツを掴み、すぐに自己流に発展させることもできていた。なのに【離合】はそうならない。
イオがどうしても欲したくらいに、最強と言ってもいい唯術なのだ。他の術と比べてそれだけ【離合】が特別だと捉えられはするし、習熟が一筋縄ではいかないことにもイオ自身元より納得できてもいる……のだが、どうにもそれだけではない気がするのだ。
単に【離合】が特殊だというだけでなく。慣れるのに時間がかかる唯術だというだけでなく、根本からして自分の理解が及ばない何かがあるような。それが道を塞ぐように横たわっているせいでいつまでも先へ進めないような、そんなもどかしさを彼女は感じていた。
(……まさか、な)
頭をよぎった馬鹿な考えを払って、低く構える。
到来した炎の矢を更に低く頭を下げることで躱し、そのままイオは獣のような姿勢で地を駆けた。続いて迫ったのは数えるのも難儀なほど膨大な数の氷の弾丸。ユイゼンの頭上に精製された巨大な氷の塊から発射され雨のように降ってくるそれらを、イオは徒手と引と斥を組み合わせて我が身に当たる弾をひとつ残さず弾き壊し逸らしながら真っ直ぐに駆け抜ける。
そして跳躍。氷塊を飛び蹴りで砕き割り、その破片の全てに斥を適用。彼女流の氷弾としてユイゼンへ射出した。
しかしユイゼンもさるもの、斥の反発によって落とされた氷片が着弾するまでの短時間においてその全てを解術、消し去ってみせた。これは自身の術を解く速さもさることながら、敵の手という外的要因によって粉々にされつつもなお氷塊を「自分の術」であると認識し支配下に置き続ける強固な術的強度に依るところが大きい。こういった細かな部分にこそS級のS級たる所以はありありと表れる。
「へえ……!」
この見事な術の管理手腕に感心したのはイオだけでなく、足並みを揃えて──より正しくはユイゼンに合わせて貰っているイリネロも同様だった。
つい先日のこと。本部員と支部員という立場の違いから生じた見解の相違を発端にした、売り言葉に買い言葉の拍子で実施されたテイカー同士での模擬戦。フロントライン掃討作戦に参加できるだけの資格を有しているかどうかを見極めるべく行われたそれで、イリネロは炎弾を四つに切り分けられただけで【業炎】の制御下から取りこぼしてしまった。
しまった、とは言っても強度の基準から言えばそれが普通。彼女自身がまだ実戦経験に浅い、というよりほぼ皆無である経歴を持つことも相まってそれ自体はなんら落ち度と称せるようなものではない。
しかしながらにイリネロはこのことを恥ずべき改善点であると、術師としての明確な落ち度であったと自認しており。そしてもっと恥ずべきことに、未だ改善には至っていないというのが本人の見解であった。
姉より力を受け継いでイリネロの【業炎】は大幅に強化されている──だが彼女が得たのはあくまでも出力。そして反対に失ったのが、向上した出力を過不足なく扱うために取り払われた「精神的な蓋」だ。
姉から戦う許しを得た。罪深きあの日の贖罪が果たされたこと、あるいは渡された力以上にそれこそがイリネロという魔術師の段階を大きく引き上げた原因なのかもしれないが。とにもかくにも火力こそ上がり、かと言って火力一辺倒ではない術の扱い方というものも一足飛び二足飛びに学んだ彼女だったが……だからといってベテランのテイカーたるユイゼンのような制御能力を獲得した、などとは自惚れていない。
試してこそいないがおそらく、自分が同じ規模感で炎塊を繰り出したとしてもイオはユイゼンの氷塊よりも容易くそれを分解し、術として無力化させることだろう。
無いものねだりは、仕様がない。あれもこれもと欲張るのは成長に必要なことかもしれないが、けれど自分はもう十二分に得た側だ。能力を持ち、良き父を持ち、良き姉を持った。これ以上何を足りないと宣うのか。足りないのならこれから自力で求めればいい。そして今この場においては、足りなさを嘆くのではなく他の何かで。既に持ち得ているもので不足を補うべきだろう。
──進化した【業炎】にはそれができる。
「蹴散らされなければいい。ということでしょう?」
膂力も凄まじいがそれ以上に手をこまねくのはイオが操る弾く力。ユイゼンの術すら打ち砕くこれらに邪魔されないよう──負けないよう術を紡ぐ。『灼焔飛弾』に抱いた手応えをより発展させて、より円転させて行き着いたイリネロの必殺技は。
「『炎環』」
浮かび上がる炎の輪。見た目にはただそれだけの、ある程度の距離を越えて届けるだけの熱すらも感じさせない、ここまでに使ったどの技よりもスケールの小さな代物──そうとしか思えないものだったが。
「おいおいおい。とんでもねえな」
一目見てイオは即座にその脅威に気が付いた。一見して猛りのない、この静か過ぎるまでに静かな術がどんなに危険な物かを正確に、精密に彼女の本能は看破した。それは術者としての年季においてこの場の誰よりも勝るユイゼンも同じで。
故に敵と味方という違いこそあれど、その対応において両者に迷いはなかった。
「【氷天】拡充──」
「【離合】拡充──」
三つの魔力が唸りを上げる。




