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101.格下

「むぅ」


 トリータの唯術【吉兆】は文字通りに自分にとっての「吉」、つまりは幸運と不運の境目を理解できる、というもの。


 理解、と言っても未来が見えているわけでもなければどう行動すればいいのか一から十の仔細まで把握できるわけでもなく、言うなれば彼が察知できるのは誰しもが経験したことのあるあの感覚──「嫌な予感」がより精密かつ極端になったものだ。


 不運を被る前に避けることで幸運とする。これはトリータの慎重な性格から来ているのだろう、【模倣】により同じく【吉兆】を使用していたイオなどはむしろ自分にとって「都合のいいタイミング」というものを把握できる術として重宝していた。どちらの形式が良い・悪いなどとは一概に言えるものではないが、強いて言うのなら唯術の捉え方としてはイオの方が前のめりであり、トリータの方が地に足ついていると称せるだろう。


 イオはそれ・・でいいし、自分はこう・・でいい。トリータはそう思う。


「これは驚かされましたね。全ての攻撃に対して【吉兆】が警報を鳴らすとは」

「【切断】」


 突然降ってきたかと思えば一も二もなく切りかかってきた少女。会話に応じる気などさらさらない様子でとにかく両の手の短剣を振るう彼女の術は、その名称。そしてそれを食らうことが相当な不運になるという「事実」を思えば、どういった能力であるかは推察するまでもなく瞭然だった。


(なんでも斬れる、といったところでしょうか。そうでなくとも刃に触れたら終わり。そのくらいには考えておくべきですかね)


 ミーディアから敵の一人を引き離し、そして遮二無二剣を突き出し続けるアイナはあたかも仲間を助ける目的以上にとにかく誰かを斬りたくて仕方ないだけのようにも思えるものだが、その血気の盛んさ。そしてそれでいながら一切表情に色味がない点も踏まえて、トリータは目の前の少女を戦士であると認める。


(再生能力持ちの少女が見せたアレに比べてしまえば動きにいくらか粗やむらも見えますが。それを加味しても十二分にこの子の動きも素晴らしい)


 何せ予感が、警報が鳴りっぱなしなのだ。断続的に何度も鳴っている、のではなく、常に鳴り続けている。片時も鳴りやむことがない。それ即ち、それだけ自分が【切断】の脅威に晒されているということ。アイナが刹那の猶予すらも与えず果敢に攻め続けているということである。


 ダルムやティチャナがそうであったように、トリータもまた人間とは隔絶した肉体強度を持つ。下手をすればのままでも魔力で身体強化を施した人のそれを超えるのだからその外れぶりは凄まじい。そんな彼らが更に魔力で、それもそこらの魔術師では及びもつかないような濃密さで身を固めてしまえば得られる強靭さはまさに反則級。


 人と魔物の混種、でありながらそのどちらをも大きく超越した存在──そう彼らが自負するのも当然と言えた。


 しかしながら物事には何事も例外がある。強靭無比な肉体は魔術戦においていついかなる時でも彼らの優位を約束してくれるものだが、相手次第では必ずしも優位が絶対的に働くとは限らない。


 アイナはその典型的な例だろう。それこそ【強靭】という名の唯術を持ち、ミーディアの剣すら肌に通さぬだけの堅牢さを有していたギドウスを、しかしアイナはそんな堅さなど知らぬとばかりに当然に斬ることができた。それと同じく、魔人が持つ種族的な堅牢さもまた彼女の前には無意味。


 斬る。そのイメージさえ明確に持っていればアイナに斬れないものは何もない。


「当たれば、ですがね」

「……!」


 双剣使い特有の流れるような連続斬り。敵に攻めの手番を渡さずに一気呵成に決着へと持っていく、それがアイナのスタイル。任務上がりであろうと彼女のパフォーマンスは落ちておらず、むしろ「人でも魔物でもない何か」を斬れるという期待から身体駆動のキレと身に纏う魔力の量は僅かながらにギドウス戦よりも向上しているくらいだ──が、通じない。当たらないのだ、これだけ振るいに振るっている刃が一度たりとも。


 斬りかかられている当人であるところのトリータが敵ながらに褒めそやす程度には熟練を感じさせるアイナの剣技。それがまったく通らない理由は、勿論そのトリータにこそあった。


「わたくしの【吉兆】。オン・オフの概念なく常にわたくしや仲間にとっての災いを知らせてくれる頼もしい能力ですが……実のところこれが最も強く使える場面というのは、まさに今この時のような。一対一での戦闘中だったりするのですよ」


 一対一。つまりは自分の身へ降りかかる災いのみを探知し、災いの発生源もまた敵一人のみに絞る。ある種の矮小化、あるいは局所化によって得られるリターンは【吉兆】の敏感化と先鋭化。この特性を活用しているトリータは今やアイナの攻め手の全て。その速度から角度から全てが「事前に知れている」も同然の状態となっており、それこそがアイナ怒涛の連撃が空ばかりを切っている理由だった。


「──、」


 トリータの優越に浸るための説明を聞いても──そもそも言葉が耳に入っているのか定かではない──アイナには何がどうなっているのかさっぱりだったが、とにかく自分の動き、というより刃を差し向ける角度とタイミングが完全に読まれているらしい。とは理解できた。そうと悟ったところでアイナはそれまで一瞬たりとも欠かさなかった攻撃の手を止めて。


 なんと、敵に対して背中を向けた。


「!?」


 これに驚いたのはトリータだ。敵を己が真後ろという最大の死角へ置くなど正常な判断とはとても言えない。戦士であれば、否、たとえ戦士でなくともこの行為がいかに自殺志願のそれかは容易に想像がつくであろう。しかも踵を返して逃走を図るというのならまだしも、この少女は背中を向けたままにこちらへと()()()()()()訳のわからなさだ……いや、待てよ。


(そうですか、なるほど。【吉兆】の警報なしでも読めましたよ、あなたの狙い)


 ここに来てトリータも自らの説明は何ひとつとして彼女へ届いていなかったのだ、と察した。


 つまるところこれは、次の攻撃の出どころだとか種類だとかを可能な限りに読みにくくした、彼女なりの奇策なのだ。


 背中を向けたまま接近するという無防備の極みのようなことをしてまで、その間に受ける痛手のリスクを許容してまでやることか? とは思うものの、それは【吉兆】の正確さをよく知るトリータだからこそそう思うのだ。アイナの視点に立つならば如何に攻め込んでも暖簾に腕押し、となれば確かにこういった思い切った行動に打って出るのもわからないではない。


(その意気や良し、とでも褒めて差し上げるべきか。しかし残念ながらこの程度でわたくしの唯術は揺らがない……思い付きの策などで戦局が傾くことはないのだとお教えしましょう!)


 急に身を翻そうが、あるいは振り向かぬままに──例えば頭の上や脇の下、はたまた股の間などの──体のどこからいきなり剣を向けてこようが、いざ攻撃となれば【吉兆】はそれを知らせてくれる。アイナの刃は全てが命に届く刃、取りこぼしはあり得ない。仮に【吉兆】が鳴らないとすればそれはトリータを害せるレベルにないということであり、また問題なし。


 どのような仕掛け方を講じようとも無意味。そう知ればこの戦闘マシーンのような少女も少しは大人しくなるだろう。故にトリータは待つ。元より「後の先」を取ることが戦闘スタイルである彼は、先手必勝こそを至上とする魔術戦のセオリーに反し、敵に先手を取らせることで強く出られるタイプの珍しい術師だ。


 だからこうして、奇策を打ってきた少女にも悠然と相対し「そのとき」を待つ姿勢に入って──。


 しかし来ない。どんなに近づいても、こんなにも近づいてもまだ攻撃が来ない。一向に仕掛けてこない。


 待つと決めたトリータだったが、ともすれば。待っているのは少女の側も同じなのでは? つまり後の先。少女もそれを欲して、トリータの側から攻めてきたところをカウンターで迎撃する作戦なのではないか。背中を晒したのは攻撃の気配を隠すためではなく、敵の攻撃を誘うための特大の挑発行為・・・・のつもりだったのではないか……そう考えが改めかけられたところで。


 ついに少女の背がトリータの腹に触れ、二人の身体が完全に重なった。


 その瞬間に鳴り響く警報。


「!?」


 イオの驚愕は【吉兆】が鳴った、それ自体に対してのものではなかった。当初の予想が当たっていたのか、それともいつまでも攻めてこない自分に焦れて結局は待ち切れずに攻撃へ入ったのか、それももはやどうでもいい。


 今トリータの認識を強く引き付けてやまないのはたった一点。一対一向けに先鋭化された【吉兆】が教える攻撃が訪れる『場所』だった。それは。


(彼女の背面! それ自体から攻撃が来る……! 『自分諸共』!?)


 身を翻すのでもなければ体の隙間から剣をねじ込んでくるわけでもなく、アイナが選択したのはまるで──いや、まるでも何も自害そのものの様相で自らの腹部へと剣を突き立てること。そうして「己が体内」を隠れ蓑にトリータまで刃を届けることだった。


 いくら刀身の詰められた短剣だとはいえ、少女の薄い体くらいなら貫いてなおその先にある何かを傷付けられる程度の尺はある。流石に致命的な傷とはいかないだろうが、しかしアイナはとにかくほんの少しの掠り傷でもいいからトリータに手傷を負わせ、その事実を以てして勝負の転換点としたかったのだ。


 だが。


「──ええ、存分に驚かされはしましたがね。けれど甘い……甘く見過ぎている。どれだけ身を切った行動であろうとそれ単体で掻い潜れるほど【吉兆】は容易い代物ではない。いえ、あえてこう言わせていただきましょうか。恐れ多くもイオ様の配下であるという自負と共に宣言いたしましょう──この世にわたくしめの【吉兆】を騙せるものなどないのだ、とね」


 最短最速。少女の腹から入って背を突き破った刃は、だがその先の本丸には届かなかった。どんなに奇矯な行ないで意表を突こうがつまるところ攻撃は攻撃、その実行前にしかとトリータは少女の身体から剣が飛び出てくるのを察知していたし、故に適切な対処を取った。


 密着している少女からただ離れるだけ。

 軽くその場から飛び退くだけで、回避は叶った。


 後に残されたのは片方の剣を腹に刺して自傷しただけのアイナが一人。策の失敗を知って、振り返りつつ無造作に腹から剣を引き抜く彼女へトリータは慰めでもかけるように言う。


「勇猛であった、としておきましょう。あなたの戦士としての評価です。少々考えなしのきらいはあるようですが迷いのなさは長所でもある。発想力も決してお粗末ではない」


 実際【吉兆】の察知能力がこれほど優れていなければ今のを避けられていたかというと怪しいところだ。違和感に気付いた時には遅く、共に串刺しになっていた可能性が高い。


 躊躇いなく己が身を傷付けるそれを戦士の一念と呼ぶべきか狂気と称すべきかはトリータにも悩ましいが、ともあれ痛みを伴う奇策を淡々と実行し、失敗に終わった今も表情ひとつ変えずにいる少女が「怖い存在」であることは疑いようもない。並の術師程度なら向かい合った時点で心を折られてもおかしくないくらいには、言いようのないプレッシャーが彼女にはある。


「……斬る」

「やれやれ。相も変わらず会話の通じないことです……おや」


 嘆息したトリータの目に留まったもの。それは少女の傷口の変化だ。


(既に血が流れていない──塞がっている?)


 見間違いではない。少女は腹から背中にかけて剣を貫通させておきながら、ほとんど血を零すこともなく傷口への蓋を済ませている。


 これが確かであるならこの少女にはライオット並の治癒術の心得があるか、もしくはもう一人の再生能力持ちであることになる。だが前者は確率的な意味で──あのイオすら一目置くほどの超の付く実力者がそうそうそこらにありふれているわけがない──否定され、後者は鳴り響いた【吉兆】の警報が否定している。


 まあ、あるいは。魔人の身体にも極めて有効な攻撃方法と再生力を両立させられるような唯術だって絶対にないと言い切れるものではないかもしれないが、そんな極々限りなくゼロに近い細さの方向性へ思考を寄せるよりも、より常識的で普遍的な結論として妥当なのは。


(器用にも内臓の合間を抜いた。針に糸を通すような繊細さで自らの身体に穴を空けた……そして穴の大部分はひとまず無視し、血を失わないために傷口の表面だけを治した。そう考えるのが自然でしょうかね。……自然・・?)


 実質的に止血を施しただけ。傷跡までもが綺麗さっぱりに消えてはいないことを思えば「そのくらい」の治癒術だと見做すのが術理的にも適っている。


 トリータの考察は正しく、誤認と言える箇所はない。

 ただし。


「斬、──るっ!」

「!」


 ただし、聡明で自惚れ屋の彼には読み切れていないものが、ひとつ。



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