第38話 ”デート・ア・デート”
「——はい、では真条さん、ここでクイズです。女の子を口説くうえで最も大切なことはなんでしょう」
麻倉さんがいきなり問うてきたのは、若干、手持ち無沙汰になり一人指相撲を始めた矢先だった。
現在我々がいるこの場所はとある陰のある団地の正面に位置するくたびれた小さな公園である。
砂場にはどこぞの子供がダムでも作りたかったのか大人でも膝下ぐらいまで埋まりそうな深さで抉れたクレーターがあり、見ようによっては月の土地に見えないこともない、こともない。
その他にもビニール製のヒーロー人形が無断に下半身で千切れたまま放置されており大変もののあはれだった。
さて、何故我々がそんな土地に立っているかというと、
そう、何を隠そう張り込みをしていた。……いやいやアイエエエエエエエナンデしても許されるだろこれ。あと決して怪しい者じゃないから不審者通報はやめていただきたい。
ことの発端は今朝までさかのぼる。
× × × × × × × ×
電撃移籍で総学に加入した日より、俺が毎朝新聞配達から戻ると制服姿の麻倉さんが茉菜花と朝食を作っている、そんな他所様が見たらうらやむ生活が始まった。
そうして一日が始まり、共に登校する途中でだいたい前髪さんに遭遇する。しかも駅で会うこともあれば、校門の前だったり、なんだったらクラスに着く直前だったりとタイミングがまちまちだった。
さすがに毎日エンカウントすれば魂のパートナーである俺とて気づく。どうやら……その、なんというか、痴漢の一件以来好かれてしまったらしい。なんか妙に距離も近いし気するし、なんか俺の言うこと基本的に肯定してくれるし。
スラッシュを連打して本来なら赤面を表現したい///。
いや茶化したが、正直言う。
好かれてるかも、だが、『かも』だ。シュレディンガーさん家の猫で言うなら、開けてみるまで実際どうだかわからん。これで自意識過剰に過ぎなかった場合は、俺はもう布団の上でジタバタするしかない。
いったいどうしたらいいんだよ。いやそもそもこういうときは深く考えてはいけないんじゃないだろうか。何もしない、あえて触れない、踏み込まない、これは立派な戦略的足踏みだ。
さておきクラスに入れば、クラスメイトから挨拶があり、自席の近くには生形や白峰がおり、前園さん、言うまでもなく麻倉さん、相変わらず文庫本の世界にひたっているお隣のクロロンさんがいる。そして時折こちらをクラスの入り口から顔を出して仲間になりたそうな目で覗いている眼鏡……名前なんだったかな、かん、かんば……缶バッジみたいな名前のやつがいたかもしれない。いや、いなかった気がする。
授業については割愛させていただく。何故ならぶっちゃけついていけなさそうなにほひがというか、ついていけない。前の人生でも高校にはまともに通っていなかったことに加え、白昼夢状態で過ごした前の学校から来ているため基礎が出来上がっていないのだ。というかそれでもなんとなくついていけていた中学と高校で難易度違い過ぎる気がするぞ。設定ミス! 設定ミス!
辛うじて教師に当てられた際には、俺の学力レベルを察した麻倉さんが例の腕時計でもって答えを教えてくれるため、今のところどうにかやり過ごせているが、目前に迫りつつある中間テストに震えが止まらない。なお、この旨は麻倉先生にすでに相談済みだが、「う〜ん、まぁちょっと考えておきます」と無難に返されてしまった。ハジメ、心配。
ようやっと午前を終えれば、仙総に向けてスケジュールがタイトという理由だけで、何故か選抜候補組は二人三脚を昼休み返上で練習させられていた。これは許されざるよ。こういうところからサービス残業根性が芽生え始めるのだ。ダンコたる態度でノリオに立ち向かいたいところだったが、相手は教師でこちらは学生のため、いったんわきまえている。
あれから麻倉さんとも、クロロンさんとも、土屋にセクシャルハラスメントを受けていた尾原さんとも一回ずつ組まされたが、ダントツで組まされることが多いのが御崎さんだ。
肩を組むことには全く慣れないものの、次第に息が合うようになってきているのは生来の相性がいいのかもしれないブヒ。これでもう少し軽妙洒脱なトークでも繰り広げて親密度を上げられたら最高なのだが、いかんせんそううまくはいかない。
放課後になれば、基本はココンに向かい、お給仕deご奉仕する。懸念だったクロロンさんのバイト継続だが、今のところ不満そうな様子もなく出勤してくれている。ただし俺の圧倒的出勤率と比べるとたびたびシフト表に名前がないときもあるため、もう少しバイト戦士としての自覚を持ってもらいたいものだ。
そんな近況をまかないであるオムライスを頬張りつつ、あかねーさんにぶつけているとすげぇニコニコしていた。いやまぁいつもあかねーさんはニコニコしているんだが、特にだ。どうしたのかと問えば「基ちゃんが楽しそうで安心した」だそうだ。まったくかなわないよこの人は、とっとといい人見つけて幸せになってもらいたい。
さて、そうこうしている間に早2週間が経った、それが今朝だ。総学は土曜が第二第四と隔週で休みであり、ちょうど今日はその休日のタイミングにあたるので、いつもに比べるとややまったりとした空気の中で朝食をいただいていた。
「……あの、麻倉さん」
「ふぁい?」
フライパンでカリカリ焼いたトーストにバターを塗りたくった、真条家的には贅を尽くした一品を頬張りながら麻倉さんが反応する。ちなみにそのバターは麻倉さんのご提供でお送りしている。多謝ッ!
逆に普通に土曜日授業のため既にまなめぐは登校して、いない。
ので、
タイミングとしては今しかなかった。
ジャージのポケットから取り出したそれは朝バイトの帰りにコンビニで——げっ、少しシワがよってんじゃんか。慌てて手アイロンでシワを伸ばし。
「これ、今月分です」
頭を下げながら両手で封筒を差し出す。
「なんです、コレ? あー……はいはい」
「給料出たんで……まずは少しでも」
正直何回払いでの完済になるのか見通し不明だが、少しでもこれまであの借金取りどもに納めていた分はそのまま麻倉さんに返していきたい。
「律儀ですねぇ……まぁでも確かに、拝受しました。ありがとうございます」
トーストを皿に置いて、両手で受け取ってくれる。
思わず息が漏れた。いやなんか緊張してたんだ、ウン。
そこでじっとこちらを見つめていた麻倉さんが、
「今日って、真条さんオフですよね?」
「あ、はい。今日はココンも休みですし」
先日から水道の調子が悪く、今日は業者が入って修理するため営業していないのだ。これで貴重な一日分の時給が吹っ飛ぶのが痛いが、さすがに休みなく働いていたため久方ぶりの完全オフだった。
悲しいことに予定もないため、朝飯を食べたらどうしたもんかと悩むしかない。大抵そんなことをしていたら勝手に昼を過ぎ、夕方になって結局何もしなかったと悲しい気持ちのまま一日を終えるんだろうな。
なんかブルーな気持ちになってきたのでそれを振り払うように、卓上の牛乳パックも振ってみると少ししか残っていなかった。それを一気にコップにそそぎ、すぐさま飲み干す。
「じゃあ、デートでもしますか」
盛大に吹き出した。
悪役レスラーよろしく微細な霧となった乳脂肪は穴が開きまくって本来の機能を果たしていないカーテンへ襲いかかる、あと変な気管に入ってしまったようで内臓もろとも吐き出す勢いで咳き込む。
やべぇ牛乳だから洗わないと恐るべき化学兵器として毒ガスをまき散らしてしまう。
いやもはや洗って余計穴が広がるくらいならいっそ捨てた方が良いんじゃと肉体の辛さから逃げるように思考も変な方向へと向かう。
「あーあーあー、大丈夫ですか? もーほら」
窓の桟にかけられた洗濯ハンガーからゴワゴワしたタオルを抜き取って、麻倉さんがよこしてくれる。
口元をぬぐい、鼻からも垂れていた牛乳を拭き取り、ついでに鼻もかんでようやく元の状態に戻る。
「ぱ、ぱーどぅん?」
「もー、もう一回、だなんて、好・き・者なんですから。デ・ー・ト・しよ?」
完全におもちゃを見つけたいたずらっ子の表情で、一言一句をかんで含めるように発音する麻倉さん。
最後の「しよ?」で小首を傾げる様なんてもうさいこ……いや最悪だ。
顔中に血が集まっているのがわかる。
「い、いや、そんなこと言ってなかった!」
「えー気のせいですよ」
いや、もっと軽い感じだったし、フレーズごと変わってるしと、どうにか口にするが上ずっている。
で、ででででで、デートって、いわゆる一つの女の子と出かけることだ。伝説上の単語ではなかったというのか。これは『デートっぽい』状況とは全く違うんだぞ。女の子からデートと言われてするんなら、それはもうデートはデートなんだ。
しかもそれは美少女たる麻倉さんな訳で、
「ぷふっ」
こらえきれないように麻倉さんが吹き出し、お腹を抱えて笑う。へ、……え、あ、いや、これ、あれか……うん、からかわれたってやつか。
お、俺のこの心拍数を返せと、
「さてと」
残りのパンを口に放り込むと、麻倉さんは食器を持って立ち上がり、俺を見下ろす形で、
「行きましょっか」
「……は?」
半ば放心状態でそう問えば、
「貴重な休みの日に出かけない選択肢なんてないですよ。だって、
——せっかく二人きりなんだから」
もうわかるだろ、
「あ、……はい」
こんなんそう言うしかないじゃん。