第34話 “2番入ります”
パンケーキと迷ったが、プリンアラモードにした。
琥珀色に輝くカラメル部分をごっそりスプーンで削り、口へと運ぶ。自然と言葉が漏れた。
「ん〜〜〜〜、これは美味しい!」
「ほんと!? それはよかった!」
行儀は悪いが、まだ至福の甘みが残っているような気がして、スプーンを口に含んだまま葵は机のかたわらでニコニコ立っている茜へ顔を向ける。
「……えーと?」
プリンアラモードとホットティーのセットで注文は全部だ。これ以上はさすがにカロリーという四文字がよぎるため避けたいが、場合によっては抗えないかもしれない。
「少し、お話しいいですか?」
「……いいですけど、」
言いかけて、先ほどから視界の端でせわしなく動き回る誰かさんへ目をやる。
「真条くぅ〜ん! 注文お願いしまぁす」
「ちょっと! こっちもよお願いね〜!」
「あ、その次は私たちで!」
「ワシも!」
「少々お待ちください! 順番にうかがいます〜!」
ロッカーから戻ってきたと思ったら、制服から和装にメタモルフォーゼしていた基だった。
あの老若問わない女性陣からひっきりなしに呼ばれているのを見る限り、店主である名護万里子が発していた『基目当てのお客さん』とやらは嘘じゃないらしい。
「お忙しそうですけど、いいんですか?」
「ああ、いいのいいの。基ちゃん目的のお客さんたちだからね、逆にわたしが応対したらがっかりさせちゃうから。それにずっと立ってたから、ちょっと休憩〜」
まぁ実際そうなのかもしれないなと蒸らしの終わった紅茶をポットからカップへ注ぐ。舌を火傷せぬようにふーふーしてから、すする。
うん、美味しい。と一口を堪能してから、
「いつもあんな感じですか?」
「うん、基ちゃんが出勤するときはいつもあんな感じ。さすがだよね。まぁわたしも基ちゃんじゃなければ、気持ちはわからなくもないかな」
でしょ? と同意を求められたので首肯しておく。それについては異論はない。たしかにあの格好とツラならそこら辺にただ置いとくだけで勝手に女の子が寄ってきそうだ。
偉そうにならないトーンで向かいの席をどうぞと手と声で示す。エプロンを脱ぐと丁寧に畳んで、座った膝の上にそれを乗せると大きく伸びをする。
「ありがとう~ふい~。葵ちゃんは基ちゃんのクラスメイトとか?」
「そう、ですね……」
「新しい学校かぁ、何があったのかはわからないけど、話してくれればよかったのに基ちゃんも」
少し悲しげな色がにじんでいたのでフォローしておく。原因の一翼は担っているという自覚もある。
「……きっと、言いたくても言えない理由があるんじゃないかと、思います」
「そっか、そうだよね……」
真条基の身辺情報を調査したときにたしか、名護茜のデータもあったはずだ。
たしか年齢は25前後だったはず。幼なじみとはいうが基とはわりと離れているなという印象を持ったことを思い出す。
それに付随する諸々に関して記憶の糸をたぐろうとして、やめた。
プリンの周りに添えられているイチゴへフォークを突き刺しながら葵は思う。
どこまでいっても紙の二次情報は生の一次情報には勝てない。今本人がせっかくこうして目の前にいるのなら少し探りを入れておくか、と。引っ込み思案メガネっ娘を憑依させながら、
「いつから……の付き合いなんですか……えっと、名護さん、は」
「茜でいいよ、葵ちゃん」
すぐさま名前呼びを要求するあたり、かなりのコミュ強か。
「そうだなぁ、それこそ私が小学生ぐらいで基ちゃんが赤ちゃんの頃から知ってるよ」
あの男の赤ん坊の頃か。さぞかし見た目はかわいかったのだろうが想像力が及ぶのはせいぜいそこまでで、無邪気に半袖短パンで駆け回ってる姿は不思議とイメージできなかった。
馬車馬のように働いている基へ優しげな眼差しを向ける茜はもはや母性すら感じさせた。なるほどと一つ頷き、葵は直球勝負でいってみるかと、
「茜さんにとって、真条くんはどんな存在ですか?」
きょとんとした顔を返される。
無理もない。プロフェッショナル職業を取り上げる人気番組の最後みたく、あなたにとって○○とはなんですか? という質問を初対面で言われればそりゃそうだと葵は思う。だがそれは、答えを持っていない人にとっての話だ。自分の中でそれまで言語化したことはなくても日頃から思っていたことがあるのなら、
「んー、そうだなぁ……、あ、葵ちゃん。この世には、あぁ、この人は幸せになって当然だなって人がいると思わない?」
言葉は生まれるはず。
とはいえ、予期せず質問返しをされ、それがあまりにもピンとこないものだったけど、言葉を選びつつ葵はひとまず同意する。
「はぁ……まぁいなくもない、ですかね」
「わたし、実はお父さんの姿を知らなくてね。これまでずっとお母さんの女手一つで育ててもらってきたんだけど」
頷き、紡がれる言葉を待つ。お父さんの姿、で少しざわつくものはあったが葵はお得意の表情管理でおくびにも出さない。
「やっぱり小さい頃はさぁ、周りのお父さんがちゃんといる家庭の子たちがうらやましくて、わたしだけがなんて不幸なんだろうって思うこともあったんだ」
その気持ちはわかる。悲劇のヒロインを気取るつもりはなくても、他人と比較すれば、その差を自覚してしまう。相手が下なら優越感、相手が上なら劣等感が生まれ、いずれにしても精神安定という点ではよいものではない。
「そんなときに基ちゃんたちの家族とお母さんが仲良くなってね。わたしが紹介されたわけなんだけど、あの時の基ちゃんたら傑作で」
言いかけて、脱線しかけたことに気づいたらしい茜は慌てた様子で、
「ごめんね、えーととにかく基ちゃんたちの家族と知り合うわけなんだけど、その……」
判断に迷う素振りに勘づくものがあり、葵は先手を打つ。
「真条くんがご両親を亡くされてるのは知ってるので大丈夫ですよ」
「そ、そうなんだ。うん、あれは……今でも許せない事故だったけど、清春おじさんが亡くなってから、本当に……基ちゃんたちは、かわいそうな目にあってきてね」
拳が震えていた。
葵でさえ真条基の過去を読んだときに感じた気の毒さと他人の悪意や世知辛さは、本人の近しい位置にいる人間からしたらさぞかし思うところはあるだろう。
「たとえば基ちゃんたちをお家から追い出した親戚の人たちみたいに、世の中には悪い人もいっぱいいて、そんな人達が我が物顔で謳歌してるけど、わたしは……それは間違ってると思う。そんな人達が幸せでいいなら、基ちゃんは100倍、いや1万倍幸せになっていいと思う」
力強く言い切ると、息を吐き出しつつ、
「わたしにとって、基ちゃんはそんな人、かな」
うん。
一度、カップ内の紅茶を飲み干し、
「ご馳走様でした」
「……え? まだ残ってるよ?」
半分以上残っているプリンアラモードを茜に指さされ葵は、
「いやもうなんかそんなに想ってもらっている人が周りにいることにもう少し気づくべきですね、真条くんは」
そうしてようやく、ご馳走様でしたの主語が「オアツイ話を」だったことに気づいた茜は、
「ち、ちがうよ~もおっ!」
顔を赤くして勢いよく立ち上がる。
立ち上がってから、茜は我に返る。大声を出し、店内で期せず一番目立ってしまったことで、全員が会話とドリンクや食事を口に運ぶのをやめて視線を注いでいた。
ぷしゅ~と顔を鎮火させながら、ゆっくり着席する茜の前で、葵はすでにプリンを削る仕事に戻っていた。深呼吸をして、今度は大声にならないように、
「でも、あ、安心してね。取らないから。第一、」
「さて何をでしょうね、何だと思います?」
机の上に影が落ちていた。茜はその影法師の正体へと顔をあげる。いきなりムチャぶりをされて、答えに窮した基は、
「へ? 取る取らないって休憩の話とかじゃなく?」
「そこは聞いとくべきなんだよな~」
小馬鹿にするようにスプーンを車のワイパーのように左右に振り、葵は短く嘆息する。それをいいことに茜は、
「そ、そうそう、休憩の話をしてたんだ~二人で」
「いや、そりゃ休憩は取るべきだと思うんですけど、とはいえあかねーさん、そろそろ休憩は終わりでよくないすか。俺一人だと限界なんですが」
なんてことはない、手が回らなくなってきたためヘルプを求めに来たのであった。夕方に入り、学校帰りの学生やら仕事終わりのOL、数は少ないながら男性客も入り口の待機椅子で席が空くのを待っているあたり本当に人気店のようだ。
極めて他人事っぽく、葵はプリンアラモードの縁に添えられたカット済メロンを頬張りつつ、
「大変ほうですねー」
「見ての通り、絶賛人手不足なうです。具体的には俺がもうあと三人ほしい」
「あはは、基ちゃんは世界で一人だけだよ」
そりゃそうだけど、そうじゃねーんだよなぁという内心がにじみ出た基の顔を見て、葵も笑ってしまう。
「なに笑ってるんですか」「どうしたの葵ちゃん?」
「お二人、さすが幼なじみですね」
憮然とした基と純粋に聞いてくる茜にそう答えて、葵は腰を上げて二人に問う。
「お手洗いはどちらですか?」
『あっちです』
と二人して同じ方向を指差したことに再び苦笑すると、葵はそちらへ向かっていった。
それを見送ってからいたずらっぽい顔で茜は、
「……面白い子だね?」
「まぁ、そうですね……あ、というかこの人手不足。リアルにどうにかなりませんかね、あかねーさん。バイトの募集かけてるんですよね?」
「うん、それはわたしも思ってるよ。実はちょうど今日から一人こないだ基ちゃんがいない日に面接した新しい子が――」
その時、カランカランと入り口のドアの内側につけられていたベルが響く。もはや反射的に口にしていた「いらっしゃいませ!」とともに基もそちらへ目をやり、固まる。
それは向こうも同様だった。
動けたのは茜だけであり、その人物に駆け寄ってくと、
「こんにちは、稚奈ちゃん、待ってたよ~」
そう声をかける。