第30話 “風が…強く、なんだろう吹いてきてる、確実に”
——ノリオの号令と共に、一歩を踏み出す。
と思ったかね?
そしたら御崎さんと息が合わずにつんのめって、くんずほぐれつなラッキースケベ的な展開になると思ったかね? 手をつこうとした先が女性の持つ豊かな二つの丘の内の一つで、一通り揉み終わってから、『おいおいなんだこの感触はァ?』とかすっとぼけるかと思ったかね?
ふ、あめーよ。俺がそんな凡百のラブコメ主人公と同じ過ちを繰り返すと思ったら大間違いだ。
機先を制するべく、
「御崎さん。俺の、1,2,1,2,って声に合わせて足を動かそう。まずはバンドついてる方の足から」
「D’accord !」
日本語でおk。ダコールってなに? 下着会社? まぁ文脈的にとりあえず了解的なニュアンスだろ。前世で伊達に外人キッズたちのボイチャから罵詈雑言をニュアンスのみで汲み取っていない。ファッキンジャップくらいわかるよこの野郎。
「いーちっ」
はい、成功。残念だったな俺。べ、別にスケベなんか期待してなかったんだからね!
「にっ」
はい、成功。
よし、あとはこのままテンポを上げていくべや、と思った矢先にどよめきが。つられるように目を向ければ、
——あーっ!! 土屋と尾原が!!
——キャーッ、大胆!
詳細は描写しかねるが、土屋が転んだ拍子に尾原さんの上に乗っていた。手の置き場が胸のあたりだったような気がするが俺は現実を認めないぞ。現実だけは絶対に許さない、断じてな。
土屋、俺が風か木の大魔術の使い手だったら今頃貴様は切り刻まれているか木の渦に飲み込まれているだろう。滅びよ……。
「うわ、スズネ……」
御崎さんもそちらを見やり、御覧の有様だよを確認したらしい。滅びよ……。スズネというのはおそらく尾原さんの下の名なのだろう。為念
まとわりつく邪念を振り払い、御崎さんに気を取り直してGoしようと伝える。ええい、うらやましくない! うらやましくなんかないもん!
息を合わせ、かけ声と共に右足、左足とリズム良く進め、かけたとき、
「邪魔だ邪魔だ、どけどけ——」
「こりゃまた失礼しました——」
そんな棒読み声が耳朶を打つと同時に、肩口から衝撃が。完全に虚を衝かれバランスを崩した俺に容赦なく細長い足が伸びてきて体重を支えようと踏ん張ろうとした軸足を払われる。小足見てから無理余裕でした。ちょっ、ヤバい倒れる倒れる、
「……えっ、あっ、キャッ」
かわいらしい声が聞こえるがそれどころじゃない、今朝の一騒動が脳裏をよぎる。あれよろしくこのまま倒れたらスケベどころか普通に全体重かけたエルボーを御崎さんに叩き込みかねない。一瞬でそう判断できた自分を褒めてやりたい。肩を組んでいた上体をとっさに放し、御崎さんの両肩を掴み、支えつつ下敷きになるように背中から倒れ込む。
受け身をうまく取れず、おまけに御崎さんの下敷きになったせいで息が止まる。
「あたた……」
ついおっさんくさい言葉が出てしまうが許してほしい。痛かったんだもん!
うめきつつ、まぶたを開けると、——感覚で遅刻を確信したときに近い何かを感じた。マズい気がする。
「…………」
有り体に括弧で表現するならば上記のようになるが、この無言の表記のなかにお互いの吐息や痛いくらいの鼓動音とか含まれていることを前置きとさせていただきたい。
これはアレか。映画でよく見る。朝チュン後の男のたくましい胸板を枕に……の構図。すなわち、俺が仰向けになり、その胸と顔の間のあたりに御崎さんの顔があり、お互いの身体が密着する構図で向かい合っていた。
アア、オワッタ……。ときめきとか興奮とかそんなもんより先に、やらかしてしまったことに対して人生終了のお知らせがよぎる。しかも固唾を飲んで見守っているような周囲の沈黙によからぬ思考が展開する。
違うんです。これは事故です。お、オデは、何者かに押されてしまってこんなことに……とか言ってる場合じゃねぇ! お縄を頂戴する前に先手を打って話題をそらすんだよ。あくしろ俺。
「ごめん! 大丈夫か、怪我してない?」
その拍子に顔をのぞき込んだら、思ったよりも綺麗で言葉を失いかけた。やっぱりなんか造形的な越えられない壁を感じる。
「……うん。あ、ありがと……」
不意に頬を桜色に染めて、御崎さんが言うものだから脳裏にはてなが浮かぶ。がすぐに解消する。普通にこの体勢、セクハラ不可避です。そりゃ顔も染まります。俺も真っ赤になってる自覚ありまぁす!
泣けるのなら泣いてしまいたいこの状況の中で目をつぶれば、聞こえてくるのは、えっさほいさ、えっさほいさ……は?
すぐさま見開き、謎のかけ声の発せられる方向へ顔を向けると、こちらをガン無視で進んでいる生形&麻倉さんコンビだった。
突き飛ばしてきたのはアイツらか。
おのれ……許せん。こういうことは衆人環境でないときにやれと説いてやらねばならぬ。俺氏は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の云々。
「立てる? さすがにムカついた」
「うん、いきなりやってくれるわね、アオイたち」
やはり御崎さんもおこな模様である。無理からぬことだ。だが、今ここに心は一つになったといえよう。
極力タッチしないよう細心の注意を払いつつ、御崎さんと立ち上がり二人三脚フォームを組み直す。それだけのタイムロスで神林らはおろか、土屋たちにさえ抜かされていた。ちなみに土屋の頬には手の平の後がくっきり残っていたことで俺は彼を許そうと思いました。もう一度俺たちやり直せるかな、なぁ土屋。
再び歩み始め、開いた前方走者コンビたちとの距離を埋め始める。さっきよりペースを速めないといけないから、気持ちかけ声のテンポを早めていく。
しかし、はたして追いつけるのか。我々の怒りの矛先は彼奴等の胸に突き立てることができるのか(比喩表現)。
若干の懸念を払拭するように、ちょうど例の封筒のエリアで渋滞が発生していた。みな一様になんだこれと言わんばかりの顔で封筒から取り出した紙片に目を落としている。
しゃおら、チャーンス、今を逃す手はない。この真条基は敵にかける情けなど持たんのだ。
御崎さんとグラウンドに散乱している封筒のうち、一つを拾い上げて中身の紙を振って出すと、飛び込んで来た文言がある。
『問題:発表当時にしては珍しく決して容姿に恵まれていた訳ではない主人公が逆境を乗り越え幸せを掴むまでを描く文学作品「ジェーン・エア」。作中で主人公が最後盲目となった元恋人ロチェスターに告白した台詞はなにか? 答えがわかったら”全力で”叫ぶこと』
一読し、御崎さんと顔を見合わせる。なんぞこれとしか形容できない。もしやこのたぐいの謎ばっかなのか? それで皆一様に戸惑っていると。てか難易度高すぎませんか。『お父さんだけが嫌いな食べ物は? パパイヤ-!』ぐらいのレベルじゃないのかよ。
クイズとひとくくりにしたところで、単純に知識量を求めるものもあれば、とんちや頭の柔らかさや回転力を求めるものもある。この問題でいうならば前者だろう。後者なら相談し合うことで解答への糸口がつかめるかもしれないが、知らんもんは知らんで終わりだ。
そして言うまでもなく、この問題だと俺は知らん。知性を問われすぎている。品性には自信があるものの、知性では劣ると認めざるを得ないハジメシンジョーである。ともあれ、おそらくは同様だろうと横目で御崎さんをうかがえば、
「わかったわ、ハジメ、行くわよ!」
「ちょちょ」
ガッシと肩を組まれると、かけ声の主導権まで奪われてしまう。こ、これが反転攻勢モノの気分……!
封筒エリアより少し前方にいた茶屋先生が問題を渡すよう促してきたので俺からひったくるように紙を奪い、渡す、御崎さん。やだ何この人、ガチじゃん。
茶屋先生が目を通すとほぼ同時に御崎さんは、
「――あなたさえ許してくれるのなら、」
ここが校庭であることを忘れさせるかのように朗々と唱え始める。いや答え知ってるんかいというツッコミを入れさせる間もなく、
「私はあなたの隣人にも看護師にも、家政婦にもなります。寂しいときは話し相手に、退屈なときは本を読んだり、散歩を一緒にしたり、」
演技の才能でもあるんだろうか。さながら固有の結界がごとく、御崎さんの周囲だけが塗り替わっていくような錯覚すら感じる。自覚があるのかないのか、つい演技に感情が入ったのか。俺の顔を見ながら、なんなら目をうるませすらして、
「あなたの目となり手となります。だからそんな悲しい顔をしないで。命ある限り、私はあなたを一人にはしません……!」
高らかに言い放った。
……おお、原作はよく知らんけど、やっぱりブンガク的かつロマンティックな感じで大胆だな。こんなセリフ俺が言おうものなら、生涯布団の上でフラッシュバックした際にジタバタすること受けあいだ。
というかこんな言葉をもらって、好きぇ~ってならない男いるんだろうか。めちゃくちゃドキドキしたんですけど。ドラマだったら主題歌流れてるレベル。
そしてそれは周囲も同様なのか、息を呑んで静まり返る校庭。一足先に我に返った他の誰でもなく、
「……え、あ、いやこれは違くて! す、好きだから!!」
御崎さん御本人だった。あたふためっちゃしているがいいんだよ。うんうん、大好きな作品を語るときは熱くなってしまうよな。好きなセリフやシーン暗唱できるくらいめっちゃ見直すよな。こんな尊い作品を作り上げた神スタッフの名前覚えるよな。ヲタ因子を持つものなら、
「大丈夫、俺はわかってる」
うん、わかるはずだ。ただ後で一人反省会を開催することを許可します。
一拍おいて、
「正解……!」
茶屋先生が正答であると判断を下した。え、マジで正解だったんだ。ゴイスーサンミサキ!
どこからともなくその声に合わせるように、五組も一組も関係なく観客一同が拍手しだす。おいエヴァの最終回みたいになってるけどほんとに大丈夫かこれ。おめでとう。
いや茶屋先生まで拍手しとるがな。
うーんこれは御崎さんからしたら致死量の羞恥なのではないでしょうか。実際、お顔真っ赤でプルプルしてるし。
「~~~~~もう! い、行くわよハジメ!」
めちゃめちゃイジりたいが出会ってそんなに時間が経過していないため、さすがに死体に鞭打つことはためらわれ、俺は黙したまま再びレースを再開する。
結局、その謎解きの正解への速度が勝負を決することになり、我々は一位でゴールするのだった。御崎さんの尊い犠牲はせめて俺だけは忘れないようにしたい。南無。