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金蘭の友にもう一度  作者: 文 透色
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二話 一度目の最期

 日が沈み、暗黒の空に輝く星々が雨玄には皮肉のように感じ得た。


 満月が大きく夜空に浮かんでいる。その月光が雨玄と彼の知己の墓を照らし出していた。



『ユリウス・ローデンハルト ここに眠る』



 うろ覚えのオルダシア語で綴った友の名を雨玄は指でなぞる。


 思い出すのは先の戦闘ではなく過去の幸せな瞬間だった。言葉が通じずとも剣で語り合った。共に机を並べ勉学を習った。試験の結果を意味も無く競い合った。意味の無いこともユリウスと一緒なら全て楽しい思い出になっていた。


 そんな少年時代に終止符を打ったのはオルダシア国と陽露国の間に起きた戦争だった。


 事の発端は陽露国の皇太子夫婦をオルダシア国の人間が殺したことであった。


 遠方で起こった事件に理解する間もなくユリウスと雨玄は引き離され、雨玄は十六、ユリウスは十八でこの戦争に参加した。二人とも将軍家の家の生まれで、拒否権は彼らには存在しなかった。


 将軍家に産まれなければ、殺し合うことなど無かった。けど出逢う事もなかっただろう。


 戦場に身を置き、はや十年以上。味方が死ぬ事にすら慣れた雨玄でも、無二の友人であったユリウスが死んだのは、殺したのは、同じように割り切れなかった。喪失感が心を埋め尽くし、辛うじて反応した感情すら追い出してしまった。


 風は止み血の匂いが漂う。


 剣のかち合う金属音、弓弦の音、投石器の原始的な音、その全てが止み静けさだけが残った戦場に雨玄は身を投げ出した。


 愛馬は敵の矢を受けた為乗り捨てた。配下の兵も、もう生きてはいるまい。この場にいるのは本当に雨玄一人だった。


(何も……無いな。)


 彼の黒曜石の如き瞳に映っていたのは美しい満天の星であるが、それに感動する心を彼はとうの昔に捨て去っていた。彼の心に影響を与えていた最後の者は、数刻前にこの世の人ではなくなった。


 母も、友も、部下もみんな死んだ。皆もはや何のために戦っているのかも解らず、志無い剣を振るい、目的の無い弓弦を絞る。何故死ぬのかも解らずその命を刈り取られ、蹂躙された。そして自分達も敵にそうしてきた。


 どちらの国も大国であったのに大国など名乗れるほどに成り下がった。豊かな土地も戦火に焼かれ、若い男は駆り出され命を戦場で散らし、体の一部すら帰ること叶わない。過去の栄光を取り戻そうとしてまた自らをすり減らす。


 慈愛の神すらきっと、人間を見放す。そんなくだらない争いを続けるのはもう…


(……疲れた。)


 雨玄はそっと目を閉じた。


 意味も無く、自身の存在意義も解らなくて。何かを埋めるために剣を振るって。親友と同じ色彩の人間を屠ってきた。そして失った、命以外の何もかも。その命すらもう要らない。


 星の煌きすら吸い込みそうな漆黒の彼の剣、『黒戰』は乱雑に捨てられていた。


 手を伸ばせば届く距離だ。けれどその気力も無い。


(今まで殺してきた者の幽鬼が自分を刺し殺してくれたらいいのに。それか、蠍とやらがその尻尾で刺してくれたら、楽に…いなく…なれる。)


 緊張も警戒もこの世の未練すらも何もかもが切れた雨玄は、静かに眠った。


 


   ♦︎♦︎♦︎




 空が白み始め、あれ程煌めいていた星が空に溶けていく。


 幽鬼に殺されるでもなく、有毒生物に殺される事もなく目覚めた雨玄の視界を占めたのはそんな空だった。


 体力は回復しているが気力は昨日より減っている。


 雨玄はもう一度無意識の世界に飛ぼうとした。しかしそれは阻止される。


 静かな戦場にそれはよく響いた。


 高い嘶きが聞こえる。呼応するようにもう一度違う嘶きが聞こえた。


 嘶きが聞こえた方を見れば砂塵が上がり二頭の馬がこちらを目指して疾走しているのが見える。蹄の地響きのような音が来る。


 真反対な色彩。漆黒の馬と純白の馬。鞍の装飾も赤と青で全く違う。


 その二頭の馬を雨玄は先日見たばかりだった。


「……アラン。」


 白馬の名をぽそりと呟く。ユリウスの馬だ。瞳が死んだ弟に似ていたからという理由で付けられたユリウスの弟と同じ名の馬。


 青毛の馬は雨玄の愛馬だ。「どうせすぐにどちらかいなくなる。」と雨玄は考えていたから名前はいまだに無い。矢を突き刺したまま馬は走ってくる。その速度は雨玄の知る速度より数段も遅い。


 アランは雨玄が近くの岩で作ったユリウスの墓の前で止まった。ゆっくりと岩の周りを寂しそうに周回している。


 雨玄の馬は主人の元に戻った。いまだ座ったままの主人に鼻を押し付ける。力なくその鼻を撫でるとどこか満足そうである。


「よくわかったな、主人がここだと。────しかもアランまで連れて。」


 雨玄が馬を失いながらも剣を振るっている所にユリウスはかち合った。そしてアランから降りたのである。


 戦場の真ん中、乗り捨てられた二頭の忠誠心熱い馬は一晩もかけて自分の主人の元へ戻ったのだ。


 アランが墓を守るように立ち、雨玄を見つめている。


 わかっているのだろうか?自分の主人を殺したのが目の前の男であるということを。


 白馬と見つめ合い、あの変なところで対等であろうとした友を思い出す。


 白金の鎧と青の衣服が彼の金髪によく映えていた。


(この戦争に参戦した時は考えもしなかったなぁ、ユリウスを殺さねばならないなんて。あの時の自分は笑えるほどに愚かだった。…本当に愚かだ…。)


 乾いた笑い声が出る。


 震える足を抑え立ち上がり、ボロボロになった愛馬の手綱を持ちアランに歩み寄った。


「蹴り殺すなら、蹴り殺してくれ。」


 ついて出た言葉はそれだった。


 理解したのかは不明だが、アランは頭を振り、そっぽを向いた。


 その行動に諦めた溜め息が出る。


「誰も、何も、私を殺してはくれぬのだな。」


 雨玄は鎧を乱雑に脱ぎ始めた。


 黒鉄の鎧が重たげな音を鳴らし落ちる。楽家の象徴の緋。炎を模した装束だけを着て防具は何一つ付けず、剣を佩く。長い髪を軽く結い直して、愛馬の鞍と装飾も外して手綱を引く。


「アランは、来るか?私は紫炎城に行くが。」


 アランの耳がピクッと反応した。


 紫炎城。元々は楊露国の城だが、オルダシア軍の侵攻により奪われた城である。紫炎城は、ここより東に一里(約四キロメートル)程の場所に位置する。


(ユリウスの死をオルダシアの方に伝えなければ。この戦争に終わりを迎えさせなければ。)


 知己のことを考えるとほんの昨日まで生きていた姿が脳裏に浮かぶ。


『俺らが、一騎当千の大将軍が生きていたら戦争なんて終わらない。どちらかが死ななければならない。俺らはそういう運命なんだ。この運命を選んできてしまったんだ。』


 非情にも友が自分に剣を突きつけて放った言葉だ。敵前で馬を降りた、こんなところで対等であろうとした者の言葉だ。


(片方死ねば、もう片方は生きる。片方が死ねば戦争は終わる。生き残った方の国が死んだ方の国を支配する。果たしてそれは君の望んだ平和なのか?片方がもう片方を食い潰すのが平和なのか?)


 自分達の未来が輝かしいと疑わなかった少年時代が思い出される。


 学舎の皆で肩を組み誓った日が憎たらしいほどに眩しい。あの時は瞳の色なんて、髪の色なんて気にしなかった。言語なんて超えた何かがあった。はずだった。


(僕はそうは思わない。両国が対等でなければ僕らの望んだ平和ではない。)


 二つの国の力量の天秤は傾いた。それをまた釣り合う様にしなければ。そうすれば上も考えを変えるかもしれない。矛と盾も失えば戦い続けようなんて思わないだろう。


(僕と君の命の重さが同じなら、私も死ねば良いんだ。それで釣り合う。)


 楊露軍も、オルダシア軍も、もうまともに兵を率いれる将軍が存在しない。まだ年若い雨玄やユリウスが総大将を務めているのがいい証拠である。二匹の蛇がお互いの尾を飲み込み合うように、両国は力を弱めていった。自国を棚に上げて勝てると信じて突き進んできてしまった。


(ユリウス、私達の望みは今も一緒だよね。私は疲れたんだ。でもあと…もう少しだけ、頑張るよ。)


「行こう。」


 一声、自分と馬にかけ、軽くなった足を進ませる。するとアランがそれに追従した。


 ゆったりと歩いていく。雨玄にとっては自分の愛馬を気遣った行動だったが、賢い馬は主人よりも前を歩いた。「気にするな。」とでも言うように。それを見て雨玄は少し微笑むと愛馬の隣に立って歩いた。そうして一人と二頭は紫炎城を目指した。


 


   ♦︎♦︎♦︎




 一晩かけてたどり着いた紫炎城は、雨玄の数年前の記憶と寸分変わりない姿だった。そこにいたのが楊露軍の鎧を着た兵士ではなく、オルダシアの、金髪の兵達だったのが、唯一の違いである。


「何者だ‼︎止まれ‼︎」


 風がなく霧も無かった。城壁にいた兵に雨玄達はよく見えたであろう。


 城壁の兵が弓を引き絞り雨玄に向ける。


 雨玄はなかなか流暢なオルダシア語で答えた。


「私は、楊露軍総大将、楽雨玄。話がアりここに来

た。階級の上の者にあわせよ‼︎」


 疑わしい視線で城壁の兵の隊長とおぼしき兵が雨玄を睨んだが、雨玄は城の中に招かれた。




 雨玄は部屋に足を踏み入れ、固まった。部屋にいた人物を凝視して。


(何故このような場所に?)


「顔を合わせるのは初めてだな。楽将軍。」


 その人物はオルダシア人含む西洋人と同じ金髪に碧眼だった。雨玄のような東洋人では到底届かない二メートル近い体格にこれまた西洋人特有の彫りの深い顔。


 雨玄は素直に将軍が出てくれば上々。最悪下っ端兵でも良かった。しかし部屋で待っていたのは、そのどちらでもなかった。


「お初お目にかかります。オルダシア国王陛下。」

 驚きはした。緊張で手が震えるほどにはこの男の脅威を感じていた。けれどもそこで怖気付く雨玄ではない。


 どこか楽しそうに微笑んでいるオルダシア王は雨玄の挨拶に軽く返すと、本題に入った。


「さて、何故ここに来たか聞いて良いかな。私がいる事を知っていたわけではあるまい。我が国の機密事項であるからな。」


 冷や汗が頬を伝い落ちるのを雨玄は知らぬふりをした。ここ数年全く使うことの無かったオルダシア語を間違えぬように発する。


「機密事項で、あるならば、何故敵将である私とお会いに、なられたのですか?」


「なに、このような戦場で馬鹿げているとしか思えぬ軽装。健常な馬に乗らず、傷付いた馬を引いて歩く。それをやっているのが楊露の名高い将軍である、楽将軍だとわかれば、少しはその真意が気になるものよ。──楽将軍、私も貴殿ほどではないがまだ若いのだよ。」


 豪快な笑い声をオルダシア王は上げる。まだ三十路を過ぎたばかりの若い王の気迫を肌で感じる。


「……私は、ローデンハルト将軍の死を伝えに参りました。」


 笑い声が止まる。


「それは、……そうか、あの死神でも死ぬことがあるのだな。」


 どこか呆けたような、感心したような声だった。


「死神?」


 その呼び名は聞いたことがなかった。捕虜からも味方からも。


「左様。黒髪黒目の悪魔の権化を死へ導き、そして…味方の命すらも刈り取っていく。聖人の毛皮を被る戦場の死神。」


 まるで物語を語るようにオルダシア王は喋る。


「貴殿も似たようなものだろう楽将軍。味方の死に様を横目にその死体を踏み越えて、新たな死体の山を築く。【キジン】だったか。オルダシアも陽露も同じだろう?もはやまともな国家と言えないではないか。」


 ピリピリとした緊張が肌を走る。青の瞳が心の内を見透かすような静けさと、若さ故の苛烈さを放っている。


「それがわかっていて……何故、」


 オルダシア王が雨玄の言いかけた声を継ぐ。


「何故止めなかったのか?か、そもそも開戦したのは我ではない。愚かなボケ叔父だ。七十を超えてたくせに気分だけは若者気取りで喧嘩を売りやがって。豊かな地盤のしっかりとした国を継げて楽に統治できると思っていたのを覆された。兵は疲弊する、働き手が徴兵され農作物やら工業品の生産が落ちる。しかもさっさと死ねば良かったのに十年も生きながらえやがりおうて。知らなかったのではない、叔父が死ぬのを待ち、父を蹴落とし、今の座に着くのに開戦から十三年もかかった。そしてこの現状だ。今更どうしろと言うのだ?」


 オルダシア王の言葉に熱がこもり早口になる。現地民の早口は外人には聞き取れない。


 雨玄が反応無く黙っているのを見て、オルダシア王は咳払いをし、ゆっくり話し出した。


「我が今から取れる方法は王族を捨てるか、国を殺すかだ。今更この地に着いたとて、死は免れぬ。使者を送り降伏しようとも思うたがどの使者も帰って来なかった。今日最後の将軍も死んだとわかった。国が死ぬのを権力など無い王座で見つめているしかない。」


 ふと知己の色より濃い青の瞳が雨玄を睨みつけた。


「貴殿が生きている限りな。」


 冷たい金属の感触が首に触れているのを雨玄は感じた。


 雨玄とオルダシア王と雨玄の間は約二メートル程。


その距離を一瞬で詰めてきたオルダシア王に雨玄は剣士として高揚感を隠せなかった。


(この方と一度戦ってみたかった。)


「殺さないのですか?」


 避けなかった雨玄を睨みつけているオルダシア王に雨玄は問う。そうして欲しかったのをおくびにも出さずに。


「貴殿が少しでも身じろぎすれば斬り殺しておったわ。」


「それは残念です。そうしておけば良かった。」


「何?」


 首に突きつけられていた剣を素手で雨玄は掴む。握りしめられた手のひらから鮮やかな赤が滴り落ちる。


 その行動に王は動揺する。


 その反応も手の痛みも気にしないように雨玄が口を開く。


「最初に尋ねられたでしょう。何故軽装で来たのか、一人だけで来たのか、と。死にに来たのですよ。貴方がさっき言ったように私が生きている限りオルダシアと楊露に真の平和など平等など訪れない。それは私も望んでいません。なので私は、私の命と引き換えに貴方の未来をつなぐ道を示します。私がいなくなれば貴方ならどうにかできるでしょう。貴方に両国の行末を託します。───どうかこの戦争を終わらせてください。」


 返事はすぐに返ってこなかった。どこか放心したような王の顔を真っ直ぐ雨玄は至極真面目に見つめる。


「わ、我が戦争を終わらせられるか解らぬのに貴殿は死を選ぶのか?」


 お前がやればいいだろうとも取れる言葉に、雨玄は鼻で笑った。


「愚問です。私はどちらの国が勝とうと、もうどうでも良いのです。私は友を殺してまで英雄として生きようとは思わない。守りたかったものひとつも残らなかった世界に未練など無い。後悔などこの世に塵ほども無い。」


 剣から手を離し、血まみれになった手で胸に手を当てる。


「さぁ、殺してください。」


 狂気に近い笑みだった。


 その笑みを直視したまま王は問う。


「……楽将軍、貴殿はもう楊露の将軍であろうとはしないのだな?」


「?えぇ、もちろんです。」


 雨玄は「何を今更。」と言ったように返す。


 その返答に王は青筋を浮き立て、叫ぶ。


「我に殺して欲しくば剣を取れ!戦う気のない者を殺す程、我は冷酷ではない!貴様が勝手に死にたいと思っているのを手伝う程優しくもない!」


雨玄は動かなかった。「なぜそのようなことをせねばならないのか?」と驚きを隠しもせず立ち尽くしたままである。


「剣を取れ!」


 再三王が叫ぶ。


 これには流石に折れてくれぬと雨玄は理解し、鞘から『黒戰』を抜いた。その闇の如き黒の刃を雨玄が冷めた目で見つめる。


 王は雨玄が剣を構えるものと思った。しかし剣先は王を向かず、刃が雨玄の首に食い込む。


「嫌です。」


 王の制止は間に合わなかった。


 鮮血が雨玄の首から吹き出し、その体は崩れ落ちた。


 『黒戰』の落ちた金属音が耳鳴りのように王の耳に響く。



 陽露国総大将、楽雨玄は死んだ。



 知己の後を追うように。


 

 

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