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はこぼれ

いつの間にか変わっていくことってありますよね。

 「私たちもう無理だね」

 愕然とした。

研いで研いで研いで研いで。

大切に大切にしてきたものが、ほんの薄皮一枚も突き通すことができなかったのだ。

両手が鬱血するほど強くこぶしを握り締めても。

無慈悲に大地に打つけても。

その痛みを上書くことなどできなかった。

心などという曖昧模糊とした概念の存在をこんなにも感じるとは。

俺にも心はあるんだなとつぶやいても。

苦笑いすら。

笑えなかった。


 「私じゃだめですか」

そんな一言に、心動かされたのは浮ついたものがなかったとは言い切れない。

ひょんなことから付き合うことになった。というのもややこしいい。

こういうものは深く意味があるわけでもなく、誰かを納得させうる理由があるものでもない。

結果、付き合ったのだから。説明できなくとも、誰に文句を言われる筋合いもないのだ。


 「ね」

 そっと重なられた手に、これまでの影を数えてみたりした。

ふいに戸惑う表情に、純粋さを確信したりもした。

別に、子どもの恋じゃあるまいし。

今更、初めての恋じゃあるまいし。

それでも、生存本能に直結した下卑たものではなく、文学的詩的雰囲気に包まれたいという。

余りにも幼い願望を持ち合わせていた。


「いつもそんな風に笑ったらいいのに」

 一つ一つの言葉におびえていたようにも思う。

思うままに生きよ。そんな言葉がどれだけ強者の為に作られたものか。

いや、自分がどれほど臆病なのかをまざまざと見せつけられた。

無感情に努める。無反応に努める。

そんなことで微動だにしない強い自分を。

些細な事で気圧されない聡明な自分を。

偽りの自分を。


「いつもけんかになっちゃうね」

 行き違い。掛け違い。望むことのすべて。

望まれることのすべて。自由という名の暴力。

好きにするということのわがまま。

縛られるという責任逃れ。

唐突な軋轢は一瞬の花束に。

刹那の絶頂は永遠の不安につながる。

遠く。遠く。誰もいない世界に逃れたいという感情にさいなまされる。


 「ありがとう」

 容赦なく打ち付けられる言葉と容赦のない優しさに開放を望んだ。

理屈と感情は決して交わることのない平行線で。

それでもかつて接近していた接点を全力で洗いなおしてみる自分もいた。

誰かに頼まれたわけでも無く。離れたい自分と。離れたくない自分が。

戦争を始めてしまった。


 「だって。そうしないと不機嫌になるよね」 

 無駄な駆け引きと。本音を隠すための本音に奔走した。

眠れない日々の鼓動は、快感を伴う苦痛から、絶望に使い苦痛となった。

どこまで行けるのか。どこまで行きたいのか。

おそらくきっとたぶん。崩壊は止まらない。緩やかな終焉の影に立ちすくんだ。


 「ホテルにいこうよ」

 正当化と嫌悪感の相乗効果は全身を駆け巡る。

相対評価と絶対評価を同時にスタートして混乱した思考。

どうすればいいのだろうか。

肥大化した自我を捨てたい欲望と、絶対に固持したい誇り。

自意識の大きさと器の大きさは反比例する数式が回答欄に記入されていく。


 「ちょっといそがしいから」

 さようなら。さようなら。もう戻らない世界。

さようならさようなら。不思議に維持された世界。

さようならさようならさようなら。

それでも、まだ、100回のサヨナラを飲み込んで、夜を越える。


 「私たちきっともう無理ですね」

丁寧に選ばれた言葉。慎重に選んだ言葉。

何に戸惑うのか。何十回、何百回と想定し、想像していた。

おそらく最適解。ベストな結末。あと一歩で不意に立ち止まってしまった。

だらだらとあふれ出した本音と。

だらだらとした未練と。格好悪い本心が。

偽りのない己の姿だった。


「私たちもう無理だね」

愕然とした。

(分かっていたのだけれど)

研いで研いで研いで研いで。

(ずっと隠してきたのだけれど)

大切に大切にしてきたものが、ほんの薄皮一枚も突き通すことができなかったのだ。

(自分の想いなど何の価値もない事を再認識するのが怖かった)

両手が鬱血するほど強くこぶしを握り締めても。

無慈悲に大地に打つけても。

その痛みを上書くことなどできなかった。

心などという曖昧模糊とした概念の存在をこんなにも感じるとは。

俺にも心はあるんだなとつぶやいても。

苦笑いすら。

笑えなかった。


それからの人生も決して悪くはない。

それまでの人生も決して悪くはない。


地位・名誉・容姿

そんなものに一喜一憂する塊を、ゴミと断罪する冷めた視線。

真実・誠実・感情

そんなエゴの塊を、ゴミと断罪する冷えた世界。


選ぶ言葉に残る未練が。


捨てられないはこぼれのナイフ。





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