ページ3―■■■『異世界の魔術の物語─Ⅱ』
「おにちゃーまー……おに…ちゃ、まぁ…」
ケプナスはハプに抱きついたままで涙を流し、鼻水を啜った。
上手く息を使えない声で泣き叫び、誰にも涙が見えないように俯いた。
状況を理解したルーはケプナスの方へは誰も行かせないようにして、3本の弦を562番に絡め、そのまま縛る。
自分たちとケプナス達の間に地面から大量の木を生やして壁を作り、壁の向こう側で一人で使徒を相手にした。
「どーして、どーして……」
そのルーの努力もわかっていながら、感謝をする余裕もなく。
倒れて動かない兄を眺めて訴える妹。
「なんで、こうなるのです……! 」
◇◆◇◆◇
────────白。
「────」
──────────────────────白。
「────」
────────────────────────────────────────────────無。
「────」
何も無い。
何も無い。
何もかもがない。
「────」
白。そう仮定しても、白なのかどうかも分からない。
「────」
白という色さえ、ここにはない。
「────」
物に触れようとする。
空気に触れようとする。
地面に触れようとする。
でも、ない。それがないから、触れられない。
「────」
音に触れようとする。
声に触れようとする。
風に触れようとする。
香りに触れようとする。
でも、ない。それがないから、触れられない。
それに触れるための機能がないから、触れられない。
「────! ────! 」
声を枯らして叫ぼうにも、息さえも漏れない。
「…………」
ここは、どこなのだろうか? 1度動こうとするのをやめて、考えた。地面も、空気も、音も、色も、形も、匂いもない空間。感覚すらも、自分という存在さえも、空間という概念さえもない場所だった。
白くも見える。一見、エイの閉じ込められていた箱檻のようにも思えた。
だが箱檻にはあったはずの感覚すらもないのだから、そんなはずがない。最も、何も見えていないのだからどんな場所なのかも分からない。もしかするとここは、色とりどりの空間なのかもしれない。
――魔力核を外部の魔力により攻撃されたハプは、死と生の世界の間に滞在していた。
それを理解できないハプは、その場所で何かを起こそうと足掻く。だが、足掻くための肉体もないのだから、無駄なのだが。
そんな風に時を過ごした。何時間も経ったようにも感じたが、外ではほんの数分だ。ハプは不安になり、泣きたくなる。でも泣くともできなかった。
ケプナス達はどこにいるのだろうか。無事なのだろうか。
そして、自分は今、どうなってしまったのだろうか。
そう言って自分の流してもいない涙を拭き取る仕草をしようとすると……自らの手が、自らの顔に触れた。
「────!? 」
触れられた。今まではどこにもなかった自身の肉体で、触れることが出来た。
「────ッ! ────! 」
それに喜び歓喜の声をあげようとするが、これは出なかった。だが、歩こうとすれば歩くことが出来る。地面に触れようとすれば触れられる。それだけでも、そんな当たり前のことだけでも、ハプにはひとつの大きな試練を乗り越えた後のような達成感があった。
しかし、壁はなかった。どれだけ歩いても、壁には触れられない。それに、何も見えなかった。この場所がどんな色でどんなものがあって、どんな形をしているのか。それはわかることは無かった。
そう、試行錯誤しながら手探りでその場所をさまよっていると、突如声が聞こえた。
自分の周り360度、どの角度からも響いてくるような声が。
『__ハプ・スルーリー』
「────!? 」
自分の名前が呼ばれたことに驚いて、驚きの声を出そうとするハプ。
『__やぁ、ハプ・スルーリー』
猫撫で声の、男の声だった。
「……誰」
男が二言目を呟いた後、ハプは言葉を発することが出来た。
「……!? 声が…出た……! 」
驚いて、まず何を話せばいいのかを考える前に、なんでもいいから声を出していた。
ケプナスの名前を叫んだり、ここはどこ、とたずねたり。
まだ、その場所は見えないままだ。
『__少し、静かに』
ゆっくりと男の声がそう訴えかけた瞬間、ハプは背筋をゾッとさせて、瞬時に黙った。
人の言うことは聞かないといけない。それはハプにもわかっている。
だが、相手は顔も見えないような得体の知れない人物だ。だと言うのに、ハプは本能的に、喋ることを中断させられた。
『__そこまで静かにならなくてもいい』
そう言われた瞬間、息が詰まりそうだった緊張感が溶けて、ハプは肩の力を抜いた。
『__やはり、君は特別な存在だよ』
「……あなたは、誰、ですか? 」
ハプは恐る恐る、警戒しながら尋ねるが、男の声は続く。
『__不思議な子だ。私の声が聞こえるとはね。__ハプ・スルーリー』
変わらず、ゆっくりと。安心させるような、誘導するような。
不思議な声が、ハプの名を何度も呼ぶ。
「はい…。穂羽に…、何か用ですか」
『__嫌…。__笹野 穂羽と、そう呼んだ方が通じるのかい? 』
寒気がした。怖気がした。背筋が、何かに優しく撫でられたようだった。 声が出なくなり、息が詰まるような時間がまた続いた。
『__君に何かをするつもりは無いよ。__君に一つだけ、聞きたいことがあったからね』
得体の知れない声は、ハプの返答を待つ。しかしハプが聞き返すことは無かったため、話を続けた。
『__エイは、元気にしているかな? 』
突如、飛び出してきたエイの名前。何故かハプを認識することの出来ない、不思議に囲まれた幼子。
得体の知れない相手に、ペラペラと何もかもを語るほど、ハプは軽薄は人間ではない。
「…あなたは、誰ですか」
『__質問に、答えてくれないのかい? 』
男はその質問には答える気がなく、そのまま続けた。
「…こっちの質問にも答えて欲しいから」
『__そうか』
男は少し残念そうにそう言って、言葉を続けた。
『__答えて。__エイは、元気かな? 』
「…元気に…してる…」
男がハプに言った瞬間、頭の中に電流が流れたように、一瞬にして思考停止した。
そして気がついた瞬間には、ハプは答えていた。
「……! 」
気がついて目を開くと、その空間が目に映った。1冊の開かれた大きな本の上に、ハプは立っていた。
「ここは…」
そう言って振り返ると、一瞬だけ。そう、一瞬だけ、ハプの目にはしっかりと映った。
長い銀髪のストレートな髪を腰の下辺りで纏めた、長身な男を。
『__まだ君は死なないよ』
「……」
『__君が死んでしまったら、この物語は終わりへ向かう』
「……」
『__まだ楽しんでくれるといいな』
「……あなたは」
『__異世界の、魔術物語を』
「……誰」
『__笹野 穂羽』
「……あなたは誰ですか! 」
『__その答えは、君自身が知っている』
叫びと同時に、男は消えた。
そしてハプは再び、何も無い空間に囚われる。
────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────続。




