どうしようもないことはありますか?
今日はずっと頭痛がしている。
気温が上がり、空気が湿り出したこの頃、低気圧で頭も重い。頭痛のせいで、イライラもしている。
これから来る蝉がうるさい季節の前、この静かな期間。静かだからこそ、色々なことを考えてしまう。
些細なことも、自分のこれからのことも、考えたくないことも·····。
しかし、火曜日の今日、このカフェ『blissful tea time』は忙しない。
「あー、歩夢さんそれそっちじゃないです! ひだりのテーブルで·····!」
「·····そうだっけ。」
「奏音さんは話してないでオーダーとってください〜」
「ごめんね〜!オーダーはとったんだけど、ちょっとお喋りしてた〜」
「もー、しっかりしてくださいよー··········。3人いるのになんでこんなに忙しいんですか·····、」
太絆は腰エプロンのポケットに、オーダーの紙を突っ込んだ。
「お客さんが··········多いから。」
「それはそうですけど! そうじゃなくてですね!」
外は今日も忙しいみたいだ。
火曜日はいつもこうやって、太絆くんが2人を注意しながら働いている気がする。
太絆くん、大変そうだなぁ··········。
というか·····、歩夢さんと奏音さん、絶対楽しんでるよ··········。
太絆くんがいない時普通に働いてるし。
「もーー。」
キッチンのドアが開いて、太絆くんが戻ってきた。
「お疲れ様です。太絆くん。」
「おつかれ、楓ちゃん。·····はぁー疲れたーー。」
「大丈夫ですか? 私ヘルプ行きます?」
「ん、いーよいーよ。美味しい紅茶入れてくれてるし。ケーキも美味しいし。」
「そうですか。·····って、今日ケーキの賄い出してないですよ? 食べたんですか?」
「··········っわ! ごめんなさい! ··········さっき奏音さんと話してた客に、口突っ込まれたんだよ。··········美味しかったです。」
「いいですよ。別に、美味しければ。お客さんは大丈夫そうですか?」
「うん。あ、でもそのお客さん、学校の奴らだから。今日のホールのことは任せてよ。」
太絆くんはエプロンからくしゃくしゃになったオーダの紙を取りだし、綺麗に伸ばしていた。
「学校の人ですか·····。お願いします。」
「了解!」
オーダーの紙を机の上に置き、トレンチの上に色々乗せてからホールに戻って行った。
学校の人達が来ているのは楓も何となくわかっていた。
先程から楓がホールに出ようとすると、3人がそれとなく仕事を代わってくれる。
それに、女子高生の声は高いし響くので、キッチンに結構聞こえてくるのだ。
同じ学校の人がいる時でも、昔は普通にホールへ出ていたのだが、今は滅多にしなくなった。
去年のちょうどこの頃、学校の子達がこのカフェに来るようになった。
学校の子達とは言っても、一部の子で、しかも同じクラスの子が、このカフェの噂を聞き付けてやってきたのだった。
「お兄さんイケメン! 名前なんて言うんですか?」
「ネームプレートに書いてありますが。」
「··········ひ、ひね、·····なんて読むんですかぁ?」
「お客様、オーダは。」
·····あぁ、緋音さんの苦手なタイプかな。
ちょっと気をつけてみていよう。
「えぇー、教えてくれないんですかー? みきは読める?」
「みきも読めなぁーい!」
「あははっ! ちょーうける!」
「·····チッ。」
「·····え、いま舌打ち、」
や、やばっ··········!
楓は咄嗟にお客様の元へ向かった。
「お客様! オーダーはいかが致しましょうか?」
「あれっ? 甘味さんじゃん?」
「おー、ほんとだー。よっすー。」
「あ、えっと、早川さんと後藤さん。」
同じ学校の生徒だなと思っていただけで気づかなかったが、近くに来たら同じクラスの人だった。
「やだなぁ、みきとあいりでいいよ?」
「楓ここバイト?」
「あ、ここ、親がやってるお店で·····」
緋音さんはしれっとその場を離れて別の仕事をしに行った。
「へぇー! ·····あ、もしかして、割引してくれたりする?」
「う、うーん、·····お茶1杯半額くらいならいいよ。」
「まじ!? やった〜助かるー!」
それから、早川さんと後藤さんはほぼ毎日のようにここへ来るようになった。
特に火曜日がお気に入りなようで、火曜日には絶対来ていたような気がする。
太絆くんは学年でもまぁまぁ有名なタイプの人で、早川さんが太絆くんのことを好きだとかいう噂も、聞いた事があるが、本当かどうかは知らなかった。
その頃から、早川さんと後藤さんは教室でもたまに楓に話しかけてきて、由季が不思議がっていたのを覚えている。
しばらくした頃、レジをしている時に早川さんからこんなお願いをされた。
「全部で1200円で·····」
「楓ちゃんあのさ!」
「え?」
「私、ここで働けたりしないかな!?」
「バイト?」
「うん!」
嬉々とした表情で頼んできたのは今でも忘れていない。
楓も早川さんと一緒に働きたいと思った。
バイトをしている人で、早川さん達をよく思っていない人(緋音さんとか·····)はいたけれど、早川さん達はいつもお店に来て、よく知ってくれているし。
何より、楓のバイトのこととか、このお店のことを学校で言いふらしたりなどしてこなかったのだ。
広まったとしても特に構うわけではないのだが、
そういった配慮がその時の楓にはとても暖かく感じていた。
「働いてくれるなら、嬉しいな。 あ、でもバイトに関しては私が決めちゃいけないって言われてるから、お母さんに会って話してもらわなくちゃならないんだけど、」
「まじ!? やった!! いつ会えんの?」
「あ、えっと、どうだろう。·····いつになるのかな。電話もたまにしか繋がらないし。」
「どういう事?」
「あー、えっとね。実はお母さん海外にいるんだけど、どこにいるか分からないし、一応留守電入れて置いても、いつになるかはちょっと·····」
「海外·····、へぇ。」
一気に早川さんの雰囲気が冷めたのが分かった。
「お父さんは?」
「お父さんは1年くらい前に亡くなって·····」
「··········ふーん。··········いいよ。別に。」
「·····え?」
最初はなんだろう、と思ったが。この時ようやく察した。
親が海外にいる人とかこの辺りの地域ではあんまり聞かない。
早川さんはきっとバイトを断るための嘘だと思ったのだ。
「待って違う! 断るための嘘とかそういうものじゃなくて、ほら、あれ見て、そこに飾ってある絵。私のお母さん画家で·····!連絡着くの時間かかっちゃうかもしれないけど、待ってもらえば·····!」
「·····何こいつ、あいりもう行こ?」
「うん·····。甘味さんさぁ、来て欲しくないなら言えばいいじゃん。··········うざ。」
早川さんはこっちを睨んで店を出ていった。
いつもは幸せそうに、「ありがと!」 と言って店を出ていたから、その表情を見た楓は少し泣きそうになった。
「どうした?」
その後、様子を見に太絆くんが傍にきたが、楓はなんでもない。と返した。
その日を境に、2人は店に来なくなった。
緋音さんは機嫌が良くなり、奏音さんには「何かあった?」と、聞かれた。
どうしたら良かったのだろう。
その後も話をしようとしては、無視された。
3週間後、お母さんから「その子と話せる?」と、連絡が来た。
遅いわ。と、勝手に腹立たしく思ったが、別にお母さんが悪い訳でもない。
それを早川さんに伝えようにも聞いてくれないだろう。
それどころか、変な噂が流れ始めた。
「なーなー甘味さん、甘味さんって男と住んでるってホント?」
「え?」
委員会の時に、先輩から変なことを聞かれた。
「え? そうなの?」
同じクラスの男子保健委員が驚く。
「いやいやいや、そんなわけないよ。先輩も誰かと間違えてませんか?」
「ふーん? 俺最近甘味さんのそう言う噂よく聞くんだけど。」
「全部嘘です。私、··········男の人と付き合ったこともありませんし。というか、なんで先輩が私のこと知ってるのかも分かりませんし。」
楓は先輩にそんなことを言われた妙な緊張感で、氏名欄の自分の字を間違えた。
消しゴムで消していく。
確かに、最近廊下を歩いている時に、変な目で見られるような気はしていた。
「ざーんねん。俺も構ってもらおうと思ったのに。」
「や、やめてください。」
「じゃあなに? 噂流されてんの? お前。」
「··········。」
「俺、それ聞いたやつ、本人と同じクラスの奴が言ってたからマジって、」
先輩は居眠りする姿勢をとりながらそう言った。
隣にいる男子保健委員は相変わらず挙動不審だ。
すぐに早川さん達だと気がついた。
「デタラメなので、すみません。井出くんも、根も葉もない噂だから気にしないで。」
「う、うん。」
極めつけはこれだ。
その頃には、もう同じ学年までちらほら噂が立っていて、由季が否定してまわってくれていた。
楓が体育の授業でぶつられ、コケたところを洗いに来ていた時、
バシャ!!!
言葉を失った。前髪からたれた水滴がまぶたの上に落ちる。
バケツを持った早川さん達と目が合うと、2人もしてしまったことに驚いた顔をしていて、走って逃げていった。
濡れすぎて、タオルをもらいに保健室に行った。
途中で偶然、太絆くんに会ったが、その時はショックすぎて、何を話したか覚えていない。確か上着をかけてもらった。
しばらくして、そのような事も噂もおさまった。
なぜなら、楓が体育の授業中にいなくなったことや、早川さん達2人が少しどこかに行っていたこと。
そして何より戻ってきた楓に2人がクスッと笑ったことで、由季が色々気づき、
「色んな嘘流して楓を傷つけたのはお前らか!!!」
と、でっかい声で指さして言ったからである。
そしてどういう訳か、お母さんの書いた絵がそのタイミングで学校に寄付され、誤解も解けた。
しかし、2人はもうお店に来ない。
楓もあまりホールに出ることは無くなったのだ。