執事さんは小娘のことも好きですか?
少し気温が暑くなって来た5月の、ある木曜日。
楓は大型食料品店に買い出しに来ていた。
紅茶は知り合いの人からいいものを買い揃えているのだが、他の食事メニューはこういった場所に限る。
楓はガラガラとショピングカートを押していた。
夏に向けてそろそろ新作メニューを考えたいな·····。
見ていると、スーパーの棚もレモン味のものが多くなっている気がする。
「今年も夏が来るのか·····」
「夏が来ますねぇ。」
!?
楓は目をひん剥いて隣をみた。
「やぁ、久しぶりだね。楓さん。」
メガネのスーツの男いつもこうやって飄々と現れる。
「·····うあぁ、はい。須藤さんもお元気そうですね。」
「あっはっはっは。私はいつでも元気ですよ。おかしなことを言いますね!」
·····はぁ? 何一つおかしなことは言っていなかったが、「お元気ですね」がおかしい事なら、あなたの「お元気そうですね」もおかしな事になるのだが。
「ところで、須藤さんはどうしてここにいらっしゃるんですか? 何か用事でも?」
こんな食料品店に、須藤さんのようなスーツの男性はあまりに似合わない。
正直、先程から周りの女性客の注目を浴びてすらいるのだ。
··········まぁ、注目を浴びている理由はスーツだけでなく、そのスーツがあまりに似合う、·····高身長の男性··········? という所もあるだろう。
「用事··········? なんでしょうね。あっはっはっ。」
「はぁ。」
「ため息つかないで下さいよ。なんの用事か当ててみてください。」
非常にめんどくさい質問をされてしまった。
当ててみてなんて、相当お互いに興味がある間柄でないと最悪な言葉な気がする。
ていうか、·····なんか須藤さんメガネ割れてるし。
「食料品店なんで、まぁ買い物ですよね。こちらこそ変なことを聞いてすみませんでした。」
「買い物じゃありませんよ。」
横を見ると、「じゃあ、なんだと思う??」という様なとてもうざったい顔をしているので、楓は棚の商品を取り、別の場所へと歩いた。
須藤さんはそのまま楓の斜め後ろをついてくる。
「お母さん元気にしてますか?」
「はい。元気ですよ。元気すぎるくらいに。ほら、これも千絵さんが割ったんですよ。」
須藤さんはとても嬉しそうに自分の眼鏡を指さした。
·····絵を描いていてなんで眼鏡が割れるのか。しかもなんで眼鏡を買い換えないのか·····。
須藤さんはお母さんのいわゆる、マネージャーをしてくれている人だ。
お母さんは絵を描くこと以外は全てこの人に任せている。よく分からないが、お母さんはお金周りのことが全然出来ないので、この人にやって貰っているのだろう。
「楓さんは千絵さんによく似てきましたねぇ。」
「·····どこがですか。私は色々父譲りですよ。お母さんに似てるなんて、1度も言われたこと無かったですし。」
お母さんと親子だというと、いつも「あらぁ、遺伝しなかったのねぇ。」というような微妙な反応をされる。
その反応通り、お母さんの美貌は私には遺伝していないし、性格も全く違うのだ。
「いや、似てきていますよ。私はなんでも知ってますからね。」
·····こわ。
須藤さんが得意顔でこっちを見てきた。
この人になんでも知っていると言われると、本当になんでも知っていそうで悪寒がする。
「大変ですね。お母さん、色んなところ飛び回るから。」
「そんなことは無いですよ。」
その時、須藤さんは本当にそんなことないという顔で嬉しそうに笑った。
須藤さんの顔を盗み見た気がして、嫌な気持ちになった。
「楓さんも一緒にどうですか?」
「いやです。そもそも私、学校もお店もありますから。」
「あっはっは、そうでした。··········、でも、楓さんは千絵さんを遠ざけてらっしゃるようで。」
「···············」
遠ざけているなんて、そんなことない。
そんなことはない。·········むしろ傍に。
「··········須藤さん。あの···············。」
··········いない。
一体どこに行ったんだか。
須藤さんが急に来て急にいなくなるのは、良くあることなので驚きはしない。
けど、人を揺さぶるのが上手いなぁ、なんて·····。
··········あぁ、あそこにいる。
『今から30分!!!あさり詰め放題!!そこの袋1枚500円!どんどん詰めてってねーー!!』
集まる主婦の人だかりの中に。スーツの男が1人、大人気なくがっついている。
あんまり近づきたくないなぁ·····。
と思いつつも、あのまま放置するのも恥ずかしいので。
「··········何やってるんですか。」
「あさりを詰めているんだ。あさりがこんなに食べられるんだよ!楓さんも早く詰めないか。」
そういえば、須藤さん貝好きだっけ。大の大人がこんなキラキラした少年の顔になっている。
楓は少し前に、バイトのみんなが楓の家に来たことを思い出した。
··········ご飯を作ったら、また来てくれるかな。
須藤さんがたくさんの袋にあさりを詰めている。
「何やってるんですかって、そういう意味で聞いてないですよ。あさりを詰めてるのは分かってます。」
楓はそう言って、須藤さんが詰めたあさりを全てひっくりかえした。ざーっと、あさりが戻される。
「何してるんですか!!!あぁ、私のあさり、」
「こっちのセリフですよ!!!こんなスッカスカに詰めてしまって。ほら!袋詰めは先に袋を伸ばしてからですよ!!!」
楓は袋をギリギリまで伸ばして須藤さんに渡した。
「なるほど!! 楓さん天才ですね!」
「これくらい当たり前です。」
「須藤さん。袋の中見すぎです。」
「いやぁ。こんなに食べられるとは。帰国してきてよかった。」
「砂抜きとか少し時間はかかりますが、うちで食べていきますか?」
「よろしいんですか?」
「はい。荷物も持ってもらっていますし、これくらいはさせてください。それに、帰国しておつかれでしょうし。」
須藤さんがきょとんとした。
須藤さんはいつも飄々としていて、あまり人から心配されることは無いのだろう。
かえって不快だったかなと楓は気になった。
「··········。ては、お言葉に甘えて。」
須藤さんはにっこり笑った。いつもの胡散臭い笑顔とは別に、微笑ましそうに。
「はぁ、楓さんが私に手料理を作ってくださるなんて、なんて素晴らしい、!!!千絵さん!!!聞こえますかーーー!!楓さんが!手料理を!!!」
「黙ってください!!」
須藤さんが大きな声を出し始めるので、必死に止めていると、前から人が歩いてきた。
「楓?」
辺りが暗くて、男の人が2人いることしかわからなかったが、街頭の光がだんだんと上に上がっていき、2人の顔が見えた。
「あ、歩夢さんと·····緋音さん。」
「誰ですか?」
須藤さんがおもむろに聞いてくる。
「あ、お店でバイトしてくださってる、緋音さんと歩夢さんです。··········でも、須藤さん何度か会ってますよね。」
「はて、私は取るに足りない人は覚えていないもので。すみませんね。」
「はぁ。」
本人の目の前で、さすがに失礼では·····。
「あ、心配しないでください!楓さんの事はもうしっかりはっきりと覚えていますよ!!! 千絵さんと同じくらいに愛して」
「誰だその変質者。」
緋音さんが食い気味に須藤さんの言葉を遮った。
「変質者とは、失礼な人ですね。楓さんと私は両想いですよ。」
「はぁ? 」
私も、はぁ? である。他の表現はいっぱいあるのに、何を間違えたらこの人はこんなことが言えるのか。
それに、緋音さんも須藤さんとは会ったことがあるのに。
「·····違う。·····楓は俺と両想い。」
「それも違ぇだろ。」
楓もいろいろ違うと思った。
「そうなんですか!? 楓さん!どういうことですか!?」
「違うに決まってるじゃないですか! 」
過剰反応した須藤さんに楓も勢いよく返すと、歩夢は非常にショックを受けた顔をした。
それを見て、緋音も少々気心地が悪くなる。
須藤さんは含みのある笑みをした。
「あ、あの··········。良ければこれから家へ寄っていきませんか? 不覚にもあさりが大量に手に入りまして。今からご飯を作るのですが。」
「行く·····。」
歩夢さんが即答した。楓は自分の誘いにすぐ来てくれるという返事にほっとして、少し頬が緩む。
「ま、まぁ、料理作ってくれるってんなら。行かないこともねぇけど。」
緋音さんも楓から目を逸らして、どこかを見て首をさすりながらそう答えた。
「私と楓さんの、二人の時間を邪魔する気ですか?」
「須藤さんはどの立場なんすか·····」
「じゃあ、行きましょうか。」
4人で楓の家に向かって歩き出した。
荷物は全部須藤さんに持っていただいているし、こんなくらい時間は誰かと一緒の方が心強いな、と感じる。
「楓、·····今日はお疲れ様。」
「え? はい、お疲れ様です。」
歩夢さんに、急に心配な顔で言われた。
「宇宙人と、一緒。··········大変。」
「··········はい。お疲れ様です。」
楓は料理をし始めた。あさりを使ったメニューをいろいろ考えながらテキパキと動く。
緋音さん、歩夢さん、須藤さんの3人はくつろいでもらっているが、くつろいでいる様子はない。
何やら三者面談のように姿勢よくテーブルに座っている。
··········いや、歩夢さんはいつものように、くてっと椅子に座っている。
雰囲気はいいとは言えないが、気にしないことにした。
歩夢さんがさっき、奏音さんも呼んだと言っていたので、そのうちどうにかなるだろう。
「先程から気になっていたのですが、皆さんはよく楓さんの家に来られているのですか? 店だけではなく。」
「·····うん。何回か。」
「あぁ、そうだな。」
「そうですか········。」
そう言って須藤さんは目を細め、楓の方を見る。
歩夢はくつろいで聞いているが、緋音は内心ひやひやしていた。
··········須藤さんほんと何考えてるかわかんねぇからな。
須藤さんが空気を深刻なものに変えて話し出した。
「楓さん1人の家に、男がよく来る··········。もし、·····もし楓さんに何かあったら、··········。」
「何かあったら··········?」
緋音は緊張した。歩夢は依然としてくつろいでいるが、須藤さんはただならぬ気迫である。
須藤さんが口を開いた。
「何かあったら··········、···············君たちはどうするんですか!? 」
「は?」
急に須藤さんがおちょけだした。
真剣に話をされていると思っていたので、緋音は完全に拍子抜けである。
「俺が··········責任取って、楓を、お嫁さんにします。」
「は?」
「素晴らしい!!!」
「はぁ?」
須藤さんが歩夢に本当に君は素晴らしい! などと言っている。歩夢も歩夢で、得意げになっていて··········、
これはこういう話だったのか?
··········いや、違うだろ。
「··········須藤さん。」
「はい。君はどうするんですか?」
「いや、そうじゃなくてですね。須藤さん、楓のこと見に来たんじゃないですか?」
「はぁ、まぁそうですが。」
須藤さんがメガネを直す。
「じゃあ、他にもっと心配する事とかないんですか? ··········そもそも、··········千絵さんは、」
「緋音。」
歩夢が緋音の言葉を止めた。
楓の鼻歌と、フライパンで何かを炒める音、レンジを使う音が聞こえる。
こちらの話は別に聞いていないみたいが、楓の様子を見て、緋音は聞きたいことを諦めた。
「そうですね。言いたいことはわかります。まず、皆さんがここに出入りしていることは、きっと大丈夫でしょう。元々千絵さんと関係のある方々ですから。私もそれなりに皆さんを信用していますし。」
2人は真剣に話を聞いていた。
「千絵さんは、··········まだ帰っては来れないでしょうね。」
「なんでだよ。」
「それは··········。千絵さんがいつも同じ場所で絵を描けないのもありますが、おそらく帰らないのでなくて、帰れないのでしょう。」
「··········帰れない。」
「あんまり腑に落ちねぇな。」
須藤さんが伏し目がちになった。久々にこの人の人間らしい顔を見る気がする。
「はい。親子ふたりの問題はあまり立入るものではありませんし·····。今は」
ピンポーン。インターフォンが鳴った。
「あ、奏音さんじゃないですか? すみません! 私手が離せないので、どなたか出てくださいますか?」
「俺、·····見てくる。」
「ありがとうございます!」
楓が嬉しそうに返事をしていた。
「おじゃましま〜す! 誘ってくれてありがとう!歩夢! 楓ちゃんもありがと〜」
「ん。」
「どうぞ、ゆっくりしていってください。そろそろ出来ますので。」
「はーい! あれ、須藤さん? お久しぶりです〜」
「奏音くん! 久しぶりですね!お元気でしたか?」
「はい〜もちろんです〜! 須藤さんはお元気でしたか〜?」
「あっはっは、おかしなことを言いますね!元気ですよ。」
「おかし?」
噛み合っているかどうかはよく分からないが、須藤さんと奏音は仲良さげに話し出した。
「なぁ、歩夢、なんでこいつ、須藤さんとまともに会話出来てんだ?」
「知らない。·····奏音だから?」
「··········。」
須藤さんが奏音に、よく分からないお土産を渡している。
「あ、そういえば須藤さん〜。」
「はい?」
「楓ちゃん。元気にしてますよ。」
奏音は笑顔でそう伝えた。
「··········そうですか。」
須藤さんが、ほっとした表情になる。
「ご飯出来ましたよ、皆さん準備手伝ってもらっていいですか?」
「わーい!! わかった!手伝うね〜!」
「俺も。」
「わかったよ。」
「では、私も手伝いましょうか。」
「須藤さんは座っててください!」
楓にそう言われたので、須藤さんは待っていた。そして、みんなのことを微笑ましく見ていた。
ご飯も食べ終え、後片付けまでしてもらって、みんなが帰る。須藤さんもすぐまたどこかへ行くみたいだ。
「また、いらしてください。」
「またね〜!本当にありがとう!」
「·····またくる。」
「サンキューな。」
見送っていると、須藤さんも電話が終わったみたいで、玄関に来た。
「では、私も失礼します。食事、ありがとうございました。美味しかったです。」
「いえ、須藤さんもまたいらしてください。お母さんをよろしくお願いします。」
「ありがとうございます。もちろんです。それと··········。」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。今度は2人で会いましょうね!」
「もう来なくていいです。··········でも、また。」
そう言う楓に手を振った。
きっとすぐまた来ることになるだろう。
まだ時期じゃない。
楓さんは楓さんで、時間が動き出していることを確認して、須藤は楓の元をあとにした。