うさぎと不思議くんは役に立ちますか?
「はぁ、はぁ、はぁーーー。」
「あれ、おかえり楓ちゃん。学校お疲れ様。すごい汗だね、どうしたの?」
「いや、だいぶ遅くなってしまって、本当に申し訳なく。」
「大丈夫だよ。もっと頼ってほしいよ、おじさんは。」
「う、ありがとうございます。」
川崎さんの優しさが身に染みる。
とはいえ、ついつい甘えてしまって、これ以上時間が遅くなるのは良くない。
先生の頼み事も、ちゃんと断らなきゃな。
そういえば、川崎さんはホールの方から戻ってきた。
普段はずっと調理場にいる、というか厨房担当なのだが。まさか··········。
「川崎さん、ちょっとすみません。」
楓は急いでホールの様子を見に行った。
「ええっ、そうなの?··········うんうん。それで?」
「他の女の子とお揃いのもの買ってたりするし、私の話も全然聞かないし、もうなんで付き合ってるのかなって、」
女性客が涙ぐみながらそう話す。
「なにそれぇーー。ひどすぎるね!もっと自分を大切にしてね?」
「奏音くん優しい。··········もう、私奏音くんにする!」
「あはは〜、よしよーし?」
女性客が抱きついてきて、しかもそれを引き剥がすことなく頭を撫でている。
··········なんだっけ、こういう、ジェンダーレス男子だったかな。
楓は頬をぽりぽりとかいた。
そして、その向かいの席にはもう1人の従業員が座っている。
「歩夢くんこれどーそ。あーん。」
「ん。···············ごくり。」
··········なんでお客様のスイーツを食べさせてもらっているんだ。どういう状況なんだ。
「おいしい?」
「ん。(にっこり)」
「やーんかわいいー!もっとたべて?」
······なんでだ?
美味しい時にだけ出るその笑顔は、殺人レベルのキラースマイル。
お客さんの気持ちはわかるが、お客さんの隣でケーキを頬張るのは意味がわからない。
そうか。今日はこのお2人の世話役の、太絆くんがお休みなんだった。
··········太絆くんがいないとこうなるのか。なんというか、残念な感じだなぁ。
「お客様失礼します。·······奏音さん、歩夢さん、ご来店されたお客様の案内とオーダーお願いします。私は空いたテーブル片付けますので。」
「はーい!」「ん、分かった。」
言えば動いてくれるのか。太絆くんはゆっても動かないとヒーヒー言っていたが、とりあえずよかった。
でも、今日は少し大変になるなぁ。
「ちょっと、なんなのこのちっちゃい子。」
·····ちっちゃい子!
え、まぁ、確かに小さいけど、高校2年生なのになぁ。
お客様の気分を害してしまった··········、どうしようか。
「お客様、おくつろぎのところ申し訳、」
「ごめんねぇ、僕今日は沢山話せて満足しちゃった!またいっぱい話に来て?」
「えー?わかった〜。またね、奏音くん。」
謝ろうとした楓を遮り、お客様の機嫌を戻してくれた。
「俺も、お菓子食べたから働く。」
「もう行っちゃうの?」
「うん。動かないとふとるからね。」
うーん、勤務中だからもう少ししっかりして欲しいけど、動いてくれるみたいなのでまぁ良しとした。
奏音さんはお客さんの機嫌をすぐに取り持ってくれて、楓が謝る前に対処してくれた。
楓にはなかなか真似出来ないことなので、いつかは楓もあんな身のこなしを習得しなくては、と思う。
どうやったらあんなコミュニケーションが取れるのか、全く方法は分からないが、とりあえず見て学ぼう。
「楓ちゃーん、片付け、僕がやるよー?」
「えっ、本当ですか。お願いしてもいいですか?」
「うん!そんなに驚かなくても〜」
「いえ、すみません·····。太絆くんがいつも大変と、言っていたもので·····。」
「えーー!太絆のやつー、も〜。僕達のネガキャンしちゃってくれちゃって、」
太絆くんが言っていたほど大変では無さそうだ。私はキッチンの仕事に集中出来そうなので、戻ろう。
「まぁでも、今日は楓ちゃんと3人みたいだし、特別に頑張っちゃうんだけどね!」
「··········、太絆くんがいる時も出来ればお願いしますね。」
楓はキッチンに戻って帰る川崎さんに挨拶をし、溜まっている仕事を片付け始めた。
さっき外で話していたのは、深響 奏音さんだ。見た目は女の子みたいにかわいい。
いや、女の子よりも綺麗だと思う。
音楽系の何かをしているらしいがよく知らない。お母さんが連れてきたので、何かしら創作活動をしている人だろう。
太絆くんがいる時でも頑張って欲しいものだ。
今日もまぁまぁな忙しさだったらしく、川崎さんに重労働をさせてしまった。
本日のケーキも少し手間のかかるものだったから、大変だっただろうな··········。
とはいえ、紅茶は安らかな気持ちで入れなくては。
紅茶を入れていると、急に後ろで流しを使う音がした。驚いて後ろをむくと、歩夢さんが大量の食器を洗っている。
··········いつの間に入ってきたんだろう、あんな大量の下げ物、いつ持ってきたのかな。
「·····あの、洗い物、ありがとうございます。」
「うん。」
歩夢さんは黙々と作業している。
「外の様子は大丈夫ですか?」
「うん。奏音いるから、大丈夫。」
本当に大丈夫だろうか·····。まぁ、何かあったら呼びに来てくれるだろう。
それにしても、歩夢さんの仕事は丁寧で早い。
いつもまったりしたイメージだから、そのギャップに驚いてしまう。
歩夢さんは如月 歩夢といって、月曜日に来てくれる緋音さんと同じ、役者さんだ。
緋音さんと同じ大学って聞いてたから、同じ劇団、とかだったりするのかな·····。というか、同じ大学だから、歩夢さんも香優大学!?
··········す、すごいなぁ。私なんて··········。が、頑張らなくちゃな。
「楓?」
「え、あ、はい!」
「それ、まだつけてていいの?」
「··········あ。」
紅茶が蒸らしっぱなしになっていた。
紅茶入れている間に、ケーキの準備をと思っていたが、どうにも気が回っていなかったみたいだ。
「あー、ダメになっちゃいました。作り直しですね·····。提供が遅くなります、すみません。」
「··········大丈夫?」
「すみません、ちゃんとします。」
「そうじゃなくて。」
「·····?」
歩夢さんがこっちに近づいてきた。無言で近づいてくるので、なんだろうと思いながら2、3歩さがるが、もう、距離がなくなってしまった。
怒った·····?とか、何か気に触ることをしたかと考えていると、歩夢さん手は楓のおでこに触れた。
「熱は無いよ?」
「··········え?はい。ないです。」
近いし、よく分からないし、なんだなんだと思っていると、キッチンに奏音さんが入ってきた。
「あー!歩夢が楓ちゃんにセクハラしてる〜」
「え、や、セクハラとかでは、ないですよね?」
歩夢さんは黙って楓に背を向けた。
「奏音、今日はがんばろう。楓、疲れてる。」
「そうだね、楓ちゃん、今日難しい顔してるもんね。頑張ろう!歩夢!」
「え、そんな、大丈夫ですよ!」
「僕も少し変だなぁと思ってたよ?本当に何にもないの?」
「テストが近くて、ただの寝不足なので。なんにもないですよ。」
歩夢さんがまた振り返ってこちらを見る。
「なくないじゃん。」
背の高い歩夢さんに上から見下ろされると、さすがに何も言えない。
「こらこら!近いよ歩夢〜。楓ちゃんから離れて〜。」
「うん。」
「距離感保ってよ〜?」
今日お客さんに抱きつかれていたのに、それは良かったのかと気になってしまう。
「外と、片付けとかは2人でぜーんぶやっちゃうから、楓ちゃんは休み休みいてね!そろそろオーダーも減ってくるし〜。」
「休んで。」
「ありがとうございます。」
2人は外に出ていった。流しを見ると、歩夢さんはいつの間にか、洗い物を全て終えていたみたいだ。
言われていれば疲れているのかもしれない。
昨日の夜も睡眠時間を削って勉強をしていた。2人のおかげで、調理だけに専念し、少し休むことが出来た。本当にありがたい。
··········でも、これって本来は普通のことなのでは?まぁ、いいか。
「終わった〜!」
「··········。」
奏音さんがいつに座りつつ、体を机にベターーっと預ける。
あの後、普段は客足が減る時間にどっとお客さんが来て、予想外の忙しさに見舞われたのだった。
歩夢さんには絶望的な疲労感が漂っている。
「これ、どうぞ。ケーキです。今日のはもうないんですけど、明日の仕込み終わったので少しだけ。」
「うわぁ〜、いいのー?ありがとう〜、··········んん、んいしー」
疲れた時には甘いものが1番だ。ケーキはいつも売れてしまうので、楓もちょこっと明日の分をつまむことがある。
ケーキを味わっていると、横から花が舞って来た。
「楓、おいしい。ありがとう。」
歩夢さんのとびきりの笑顔である。いつも無表情なのに、この笑顔はずるいなぁといつも思う。
「よかったです。」
「歩夢、嬉しそうだね〜」
「うん。」
「楓ちゃん、これからまた勉強〜?」
「あ、はい!頑張ります!」
「そっかー、じゃあ僕達は早めに帰ろうかな〜。」
ガチャ。と、表の扉が開く音がして歩夢さんと奏音さんが反応する。
「あれ、もう閉店なのになぁ〜。」
奏音さんが立ち上がって、店の方を確認しに行ってくれた。
あ、そういえば。
「楓。店終わってるよな!」
「うわぁ!」
入ってきたのは赤髪の人だった。緋音さんだ。
そういえば、今日も教えに来てくれるのだった。急に入ってきたので奏音さんが驚いてしまった。
「あ?お前誰だ?」
「えーっと、僕も分からないんだけど〜、」
「あ、えっと、会ったこと無かったですよね。こちらは月曜日働きに来てくれる緋音さんです。で、こちらは火曜日ホールの、奏音さんと、」
「緋音、なんでいるの。」
え·····。
「お前こそ、何ケーキ食ってんだよ。」
「あ、お知り合いですか?」
「·····同じ演劇サークルだ。な?」
「うん。」
あぁ、そうだ。緋音さんと歩夢さんは確か、同じ大学で、やっぱり同じ劇団だったんだ。
ということは、作人さんがもし、万が一、月曜日辞めてしまったら、歩夢さんに頼めば··········!
「てか、お前敬語使えよな。一個下なんだし。」
「緋音に敬語とか使いたくない。」
「あぁ?」
歩夢さんがよく喋っている。楓が感動していると、奏音さんに感動している場合じゃないよ〜、と言われてしまった。
なんだか不穏な空気だ。
「はじめまして!奏音です。緋音さん、何か用事だったんじゃないですか〜?」
「あぁ。用事というか、俺はこのちんちくりんに勉強教えに来てやったんだよ。」
「あ、そうですね。すみません、片付けてすぐ家に行きましょう。」
食器を急いで片付けようとすると、歩夢さんに手を掴まれた。
「勉強、2人?」
「え、」
「楓ちゃん!まさか2人っきりでやるつもりじゃないよね?」
歩夢さんと、奏音さんが食い気味でこちらを見つめてくる。そんなに何かおかしいだろうか。
「え、」
「そーだよ。これから数学教えんだ。邪魔すんなよ。」
さらに空気が悪くなった。なぜかと言うと、歩夢さんが緋音さんを睨みつけているからだ。
いつも穏やかな歩夢さんがこんなに怒るなんて、
「緋音、それはおかしい。」
「いや、俺は頼まれて、」
ピリピリし始めた所を奏音さん割って入ってくれた。
「ねぇ!楓ちゃん!僕達もご一緒させてもらっていい?僕、晩御飯作るよ?」
「え!本当ですか!あ、でも仕事終わりに·····」
「いーのいーの!」
奏音さんがにこやかに承諾してくれる。
「はぁ?うるさくなるだろ。というか、お前の晩御飯が交換条件だったろ?」
「あ、」
緋音さんに晩御飯を作るのを交換条件に、勉強を教えてもらうのだった。
けれど、奏音さんが作って下さったら、勉強もできるし、それに人が作ってくれる料理は久々だし·····
「緋音、俺も勉強教えるから。」
「はぁ?」
「俺、文系だから、英語と国語教えられる。」
「え!あの、英作文だけ私、苦手で·····。」
「うん。教えてあげる。」
歩夢さんがにっこりと、優しい笑顔をした。
英作文教えてくれるなんて、本当にありがたい··········!でも、緋音さんが·····。
「あー·····。仕方ねぇな。楓、晩御飯の埋め合わせ別でしろよ。」
「··········はい!」
今日は3人もうちに来る。楓は心做しか楽しくなった。
緋音さんと歩夢さんは相変わらず険悪だが、仲が悪いというわけではなさそうだ。でも、サークルでずっとこんな感じなのかな·····?
楓は急いでテーブルの上を片付けた。