寡黙な金曜日はいかがですか?
楓はこぼれている紅茶を拭いていた。
今日は由季と碧ちゃんがお店に来てくれているのだが、対応していた長月さんが紅茶の入ったティーカップを落としてしまったのだ。
楓は紅茶を拭き終わり、割れたカップを片付けようと立ち上がった。
椅子に座っている由季がほっとしたように話しかける。
「楓ー、ありがとう!」
「こちらこそびっくりさせてごめんね、今までこんなことなかったんだけど・・・」
「いやいや全然だよ。」
「ちょっとちりとり持って来るね。片付けたら紅茶もすぐ用意します。」
楓はペコリと会釈する。
「敬語(笑)なんか新鮮だなぁ。じゃあまってまーす!」
由季はひらひらと手を振る。碧ちゃんもニコニコして見守っていた。
「楓ちゃん、すごい店員さんっぽい。」
「いや、店員さんだよ!てかもうほぼ店長だよね〜」
「というか、あの、さっきから私少し思ってたんだけど、」
「ん?どしたー?」
2人は少し前のめりになって小声で話す。
「あの、私たち、あの男の店員さんに歓迎されてなかったりする、のかなって・・・」
不安そうに語る碧の言葉を聞いて、由季も少し深妙な顔になる。
「んー、まぁ、あんまり感じはよくないけど、考えすぎてもね!よくないし!楓を待ってようよ」
「そ、そうだね。」
由季は碧のことを心配した。碧はたまに大胆なことをするけれど、人の気持ちをよく考えている子だから、今日、来ない方が良かったかな、なんて考えていはしないだろうか。
人に好き嫌いはあるだろうし、こういうのは仕方ないよなぁ。
あの店員さん、うちらなんかしちゃったかな・・・
2人は今日、ここへ来ることをとても楽しみにしていたが。、少し湿っぽい雰囲気である。
その雰囲気にハッとし、由季は何か碧の元気が出ることを考えていると、後ろの席の人から声がかかった。
「ねぇ。あなたたち楓ちゃんの友達?よね?」
「っは、はい!」
急に後ろから話しかけられて驚いたために、由季は張り切った返事をしてしまった。
碧も少しギョッとした顔をしてこちらを見ている。
「あのね、私金曜日によく来るものなんだけど、あの店員さんには事情があって・・・。だから何も心配することはないわよ。」
「え、事情??」
不思議そうにする由季に、お姉さんは優しく笑いかけた。
気がつくと、店内のお客さんのほとんどが同じような優しい微笑みで、うなずくような仕草をしている。
・・・??なんだろう?優しい雰囲気・・・これはこれで怖いけど、事情って?
「その事情っていうのは・・?」
「楓ちゃんは気がついているのかわからないけれど、あの店員さんね、ーーーーーーーーーーーー。」
女の人は由季にしか聞こえない音量で話してくれた。
「え!そうなんですか。あーーー、なるほど。そういう。」
「えっ。何?どうしたの?」
こちらの様子を向かい側から見ていた碧が興味をそそられて身を乗り出す。
そんな2人に女の人は、今度は普通の声の大きさで、
「うん。そういうわけだから。ここの常連みんなで見守っているのよ。」
女の人はにこりと笑った。
もう一度辺りを見てみると、とても穏やかな、というか生暖かい雰囲気が流れていた。
「へ、へぇー、そうだったんですね。すみません、教えていただきありがとうございました。私たちが気を悪くさせたのではと心配だったもので。」
「いいえ。大丈夫よ。」
そう言って女の人は体の向きをテーブルの方へ戻した。
由季は全て理解してすっきりしたものの、少し複雑な心境になる。
「ねぇ、なんて言ってたの?」
碧がもう聞くのを待ちきれないと言った様子で、こちらに聞いて来るので、由季も碧にしか聞こえない音量でさっき聞いたことを話した。
「っわ!」
厨房に戻ると、布巾を手に持った長月さんとぶつかりそうになった。
長月さんが大袈裟に後退りする。
・・・え、そんな後ろに下がる?
「すみません、ぶつかりそうになってしまって。」
「いえ、こちらこそ。」
「そうだ、さっき、たまたま拭くものを持っていて、紅茶は拭き終わってしまったので、ちりとりを取りに来たんです。」
「そうなのですか。すみません、私がちりとり持っていきます。」
長月さんがすごく暗い表情になる。
そしていつもと比べたら、尋常じゃなく汗もかいている。
「あの、長月さん。今日体調悪そうですし、少し休んでいてください。幸い、今は注文も来客も落ち着いてますし。私片付けしてきますので。」
「いえ、私がしてしまったことなので、片付けは私が、!」
そう言って長月さんはちりとりを取ろうとしたが、その前に楓は素早くちりとりを奪った。
そして長月さんの方を振り返る。
「大丈夫です!ささっと綺麗にしてきちゃいますから!それよりも、私は長月さんが心配です・・・。後でお茶も入れてあげますね。」
「・・・は、はい。」
腑に落ちないような、複雑な顔をしている長月さんのそばに椅子を置いてから、楓はホールに出た。
ちりとりを持って、「大変お待たせいたしました。」と、由季相手にわざとかしこまって見せると、「いいってことよ!」と、由季はふんぞり帰り、碧ちゃんは「お店の人みたい!」とキラキラした目でこちらを見てきた。
ガチャガチャ、と大きい破片はほうきとちりとりで拾ってしまって、細かいものはワイパーを使った。
よし。とりあえずはこれで、営業が終わったら念入りに掃除機をかけよう。
すると、由季が小声で声をかけてきた。
「ねぇ。楓、あのさ。長月さんの、その。」
「ん?何?長月さん?」
「そう。・・・・・その、楓は、ちゃんと知ってるのかなって。」
・・・・なんだろう?なんの話かさっぱりわからない。
楓のきょとんとした顔を見て、由季は続けた。
「あっ、いや!なんでもない!えーとえーと、あの店員さんすごくクールな人だなぁって!ねぇ、碧!」
「あ、うぅん!そうだね!」
少し声が上ずっている由季に、こくこくと碧ちゃんがうなずく。
なんだかよそよそしい。後で詳しく聞こう。
とりあえず片付けは終わったし、今は仕事に専念することにした。
そこからは、長月さんも少しだけいつも通りに戻ってお仕事をしていたけれど、できる長月さんのサポートがないとなると、かなり忙しくなる。
結局来てくれた2人とは合間を縫って話をする時間が作れなかった。
・・・でも、2人とも本当に美味しそうにお茶とケーキ食べてくれてたな。
それを思い出すだけで、とても幸せな気持ちになった。
「ふぅ、お疲れ様でした!!長月さん、休んでくださいとか言って結局バリバリ働かせてすみません。」
「いえ、働きに来ているんですから。お疲れ様です。・・こちらこそ今日は粗相をしてしまい、申し訳ありませんでした。」
「とんでもないです!いつも全て完璧にこなしてくださるので、逆にちょっと安心してしまったくらいでした。・・・こんな考えはいけませんね。」
2人はもう後片付けと掃除も終えてしまっていて、楓はお茶を入れていた。
もちろん自分で飲む用でもあるが、今日は、いつもすぐに帰ってしまう長月さんに勧めてみようと思ったのだ。
しかし振り返って声をかけようとしたところ、逆に長月さんから声をかけられた。
「あの、お話があるのですが・・・」
長月さんは何か言いににくいことを無理して言うような、真剣な顔をしている、
手を辛く握りしめている様子とか・・・
も・・、もしや、辞めたいです。とか・・・?
え、どうしよう。本当にどうしよう。それは困る。
ええっと、何か言わなきゃ。えーーーと。
「あ、あれですか。もしかして・・・・バイトをやめ、辞めたい、とか」
あーー!違う!間違えて自分から話題を振ってしまった・・・
楓がやってしまった、という顔をしていると、
すぐに長月さんが、
「え、それはありません。」
「あ、はい。」
良かったーーー!!!!しかも即答!!
正直、長月さんに辞められたら、すごくすごく困る・・・・
・・・・話ってなんだろう?
「じゃあ、話っていうのは・・・?」
「それは、ずっと言わなくてはいけないと思っていたのですが、」
ごくり。
長月さんは非常に思い詰めている様子であるが、
見ているとこちらも非常に緊張してきてしまった。
・・・そうだ。
楓は、もう一度背を向け、ポットに手を掛ける。
とぽとぽとカップに注ぎ、長月さんの前に置いた。
「たまにはどうですか??おいしいお茶の入れ方には自信があるんですよ。」
「はい。知っています。」
そう言って長月さんは、落ち着いた笑顔で笑った。
普段見せないような笑顔に一瞬目を奪われる。
「ありがとうございます。いただきます。」
そう言って長月さんは紅茶を飲んだ。
それを見て楓も自分のお茶を用意し、椅子に座って飲んだ。
長月さんが向き直る。
「今日はすみませんでした。」
「とんでもないです!」
「今までは森野さんがいて、なんとかなっていたのですが。最近はそうも行かなくなってしまっていて。」
「あ、はい。・・・やはり仕事量のことでしょうか?」
「いえ、そうではなく・・・、実は・・・」
「僕、女性が苦手でして・・・」
「・・・・?、え。」
長月さんが深く息を吐く。
楓は、長月さんの言葉がすっと入って来なかった。
・・・・・ん?
「え、ちょっと待ってください。今までそんな素振りは少しも。というか私も、一応、性別はその・・・」
「はい、そうなんですけど。接触したりだとか、面識のない女性とか、業務以外の会話だとかが、どうしてもだめで。今までそういったことや新規のお客様は、森野さんが対応してくれることが多かったのですが、今は・・・。」
そ、うだったんだ・・・・。
今まで一緒にいて気づかなかったなんて・・・。
経営者として恥ずかしいと思うべきだと思ったが、楓はそれよりも、考えもしなかった事実に思考が停止してしまっていた。
「あ、だから今日、あの。」
「はい、楓さんのお友達に失礼な接客をしてしまいました。・・・紅茶をお出しする際に、その、手が触れてしまってですね。・・・すみません。」
・・・・そういうことだったのか。
いつも毅然とした振る舞いをしている長月さんが、苦しそうに眉を下げている。
「こちらこそ、そうとは気づかず・・・。辛い事ばかりさせてしまっていたのではないでしょうか。」
「いえ!そんなことは・・・!正直、ここで働いていたのは苦手を克服するためでもありまして、そもそも苦手なだけで、嫌いなわけではないので。なんとかしなくてはと思っていたのですが、まだまだみたいですね。」
そういう理由で、うちで働いてくださっていたのか。
お母さんが連れてきたものの、どうしてここで働いているのか、ずっと前から疑問だったので、今とても理解できた。
・・・でも、あれ?
この今、一対一でプライベートな話をしている状況は大丈夫なのだろうか。
毎週会っていて、慣れているとは言っても。そもそも今まで苦手を感づかせるような行動はあまりなかったような。
「あの、少し疑問なのですが、私は大丈夫なのですか?」
楓の疑問に、長月さんはふと素朴な表情を見せた。
いつも大人の雰囲気を漂わせている人だか、その瞬間だけ、急に幼くなったように感じられた。
「実は、もう一つ言いますと、このカフェで働き始めたきっかけは楓さんなんですよ。」
「え?」
楓はまた知らなかった事実に小さな声が漏れてしまった。
「紹介してくれたのは千絵さんなんですが、その前に一度客としてこのカフェに来たことがありまして。まぁ、随分前のことなのですが、楓さんが接客してくださったんです。」
「え!私がですか?い、いつのことだろう・・・」
「はい。お茶を入れてくださいました。とても美味しかったですし、何より、なぜか楓さんは大丈夫だったんです。さすがに近づいたりすると緊張しますが、なんででしょうね。」
「そ、そうですか。なら、良かった・・?です。」
そんなことがあったなんて。
・・・全く覚えてなくて本当に申し訳ないが、今日は初めて知ることばかりで、なんだか長月さんを知れた気分になって嬉しい。
それまで徐々に朗らかな口調で話し始めていた長月さんは、もう一度真剣な顔つきに切り替えた。
「しかし、先ほどはやめませんと言いましたが、やはり僕は辞めるべきかもしれませんね。」
え・・・・・
「このままでは、迷惑ばかりかけてしまいそうですし・・・」
「だ、だめです!」
楓はとっさに身を乗り出して答えていた。
「迷惑とか全然かかってないです。むしろ、長月さんがやめてしまうとすごくすごく困ります・・・!」
「あ・・・・はい。」
楓は柄にもなく、少しむきになりながら言った。
「こんなにお仕事のできる人、なかなかいないんです!感謝するのは本当にこちらの方です。いつもありがとうございます。」
「え、あ、こちらこそ・・!ありがとうございます。」
2人は向かい合って、頭を下げあっていた。
体を起こすと目が合って、感謝を伝え合ったというこの状況に照れてしまった。
「では、今後ともよろしくお願いします。」
「はい。こちらこそ! 全力でサポートします!」
そこまで張り切らなくて聞いてすよ。と、いつもはクールな長月さんが笑った。




