紅茶にイケメンはいかがですか?
香染町の丘の上、心地の良い風が通り抜ける路地に小さなカフェがありました。
レトロな風貌をした建物には今日もお客様が集まっています。紅茶とあるものを楽しみにして··········。
一体どんなお店なのでしょうか。
甘味 楓は下校中。思索にふけっていた。
実力テスト、忘れてた·····。
春休みも終わって高校2年生の新学期早々、3日後にテストがあると担任に言われた。
学期の始まりには実力テストが控えていることをすっかり忘れていたのだ。
成績を落とす訳にはいかないので、今回のテストだって本気で挑まなくてはいけない。
去年の夏休み明けも同じことをして痛い目を見たのに、自分の学習能力の無さに落胆していた。
今日、合間にやる勉強を増やしたら何とかなるかなぁ··········。今日は寝れないな·····。
しっかりと足で踏ん張って坂を昇っていく。学校に持っていくカバンは肩が外れるくらいに重たい。
「よし·····。」
楓は気持ちを切り替えて単語帳を出し、勉強を始めた。とはいえ、もうすぐ家に着く。
気持ちの良い風が吹き抜け、今日も空は高かった。
楓の家には入口が2つあり、いつも通り、裏にある茶色のドアから入る。
「ただいまー。」
帰ってくる声はない。誰に言うわけでもないが、帰ってただいまを言うのは楓の習慣になっている。
靴を揃えて、すぐ目の前の階段を昇り自室に戻った。真っ直ぐな制服を脱いでハンガーにかける。そしてアイロンをかけておいた白いシャツとエプロンをつけて·····
「明日の宿題は、これと、、英語の教科書と単語··········、」
楓は教材をもって階段を降り、黒のパンプスを履いた。
階段の隣にはガラスが美しく埋め込まれた扉があり、教材を持って手が空いていないので腰で押し開ける。
「おはようございます。」
「おお、おかえり。かえでちゃん。」
「すみません、川崎さん遅くなりました。かわります!」
「いいのいいの。そこにあるお茶飲みなさい。」
「え。ありがとうございます。」
楓は教科書を端っこにある机に置き、手を念入りに洗う。それからありがたくお茶を頂いた。
「今は何が入ってますか?」
「今はね、本日の紅茶3つと、アールグレイと、それと、。」
「この紙のですか?」
「あぁ、そうそう。そこに書いといたのを作ってくれるかな。」
「わかりました。」
お湯に火をかけて茶葉を用意してから、ケーキセットの準備をする。
川崎さんは向かいに住んでいるおじさまで、楓が学校にいる間はここで働いてくれている。
昔はずっとここで働いていたが、もう63歳で腰が悪いそうなので長時間は働けない。
しかし、学校の間働いてくださっていて本当にありがたいと思う。
「それじゃあ、ごめんね任せていいかな。」
「はい!川崎さんいつもありがとうございます。」
「いつでも呼んでね。じゃあまた明日。」
笑顔で会釈した。
ここはblissful tea time、「至福のティータイム」という名前のカフェで、楓はここの店主の娘。
学校から帰ると毎日厨房で働いている。
楓の父親がこのカフェの店主なのだが、楓が中学2年生の冬に亡くなった。
そこから1年間は母親がカフェを切り盛りしていたが、性にあわなかったようで投げ出してしまい、今は楓が経営している。
父親が残してくれた大好きなこの店は守りたいと思ったのだ。母親も好きにやるよう言ってくれた。
しかしいろいろあって、お父さんが働いていた頃の落ち着いた雰囲気のカフェは、全く別のものに変わってしまっているのだ。
「おい!ちんちくりん!帰ったのか!」
早速赤髪野郎のお出ましだ。
「緋音さん。おはようございます。」
「紅茶3つとアールグレイとケーキセット、早くしろよ。」
「はい、これ出来てるので、お願いします。」
この人は高峯 緋音という人でここのホールをしてくださっている。
普段は役者をしているというだけあって容姿端麗だ。、、しかし、全く声がでかい。
「もー、あかね。外まで聞こえてるよ?それともうちょっと優しく。」
「あーわかったわかった。いーから作人、これ持ってくぞ、」
「うーん·····。楓ちゃんおかえり。」
「おはようございます作人さん。」
「おい、早く来い!作人」
「はーい!」
今ホールに出ていった人は一色 作人さん。
緋音さんと2人でホールを回してくれている。おかげで月曜日は忙しないのだ。
「お待たせ致しました。アールグレイのお客様は、」
「あ、はい。」
「ではこちらに置かせていただきますね。」
作人がお客様の前にアールグレイのカップを置く。
「あの、作人さん。」
「はい?」
「今日、何時に上がりですか?」
女性客が頬を赤らめて作人の方を見ている。
「ええっと、」
こんな質問はたまにあるが、対応に困る、。
ドンッ!脇から躊躇なくケーキセットが置かれた。
「失礼致します。こちら、ケーキセットでございます。右からフォンダンショコラ、無花果とナッツのタルト、抹茶のムース、甘夏のウィークエンドでございます。どうぞごゆっくり。」
後ろから来たのは緋音だった。お客様に高圧的な態度でそう言って、そのまま去っていった。
「すみません、ごゆっくりどうぞ。」
作人は一礼し、緋音の後を追う。数秒の静けさが店内に漂った。しかし、2人がそこを離れるといつも通り、女性客が騒ぎだす。
「きゃーー、かっこいい〜。」
「あーあ、作人さんやっぱりダメっだった、、」
「元気だして·····。でも緋音さん、かっこよかったなぁ。」
「え!あんた緋音さん派だったの?」
「そんなことより、ねぇ」
「うん、やっぱりあの庇いあってる感じが!」
『たまんないよねーー!! 』
···············。
と、いうわけである。
たまにレジをしているとこのような光景を目にする。押しの強いキャラの緋音さんと優しい兄さんタイプの作人さんを目当てにお客さんが集まり、女性客で大盛況だ。
そんなこんなで、前のカフェとは随分雰囲気が変わってしまったのだ。
「1560円になります。ポイントカードお付けしますか?」
ここの従業員はみんなお母さんが連れてきたのだが、一体どこから引っ張ってきたのやら。
しかも働き手を連れてきた当の本人は元々有名な画家で、世界のどこかに飛んで行ったっきりである。
オーダーもひと段落着いたので楓は椅子を用意して座り、勉強を始めた。お店も大切だが、勉強しなくては実力テストを落としてしまう。
「おーい、楓、これ洗い物··········。お前また勉強してんのか!全くそんなのよくやるなぁ·····」
楓はブツブツ言いながら教科書にかじりついている。
「おい!聞いてんのか?」
「·····exchange、、the、えーっと、」
「··········おい!!」
「うわぁ!!」
楓は持っている教科書を思い切り足の上に落とした。
「いったぁーーー!」
「だいじょ·····。いや、まったく、お前人が話しかけてんのに無視するからそういうことになるんだぞ!」
「だからって声が大きすぎますよ、。聞こえてなかっただけです、すみません。」
不幸にも足の小指に教科書の角が落ちてしまったので、足を抑えながら謝る。
「オーダーですか?」
「いや、これ。洗い物。」
緋音が持っていたのはカップ3つとプレート2枚。
「え、それだけですか?もー·····。溜まってた洗い物は全部終わってるので、それは後で洗いますね。」
「もー、とはなんだ!持ってきてやったってのに。早く洗った方がいいだろ。やる気のない店主だな。」
そう言いながら食器を水につけて洗い始めてくれる。
「やる気無くはないです!ただ今日はちょっと·····」
「··········なんだ?」
喋りながら楓はまた集中モードに入った。後ろで緋音さんが何か言っている気がするが聴力がシャットアウトされている。
しばらくして作人さんも裏に戻ってきた。
「あれ?楓ちゃんまた勉強してる。偉いね。」
「あぁ、作人さん。お疲れ様です。」
「宿題?」
「いえ、今日は、」
「なんでお前作人には反応すんだよ。俺さっきからはなしかけてだだろ、」
「えぇ、すみません、ドアが開く音聞こえたんで、今意識戻りました。」
「はぁ、?ほんっと勉強馬鹿だよな。」
「勉強馬鹿って、何だかそれ意味おかしいよね··········。ごめんね、邪魔しちゃったかな。」
「いえ!とんでもない!」
、、もしかしたらまたお客さんに何か言われたのか、今日はなんだか作人さんが少し疲れた様子だ。
「さっきからお前、それ宿題じゃねぇよな。なにやってんの?」
「いや、いつも宿題じゃなくてもやりますけど。まぁ、、テストがありまして、」
「そうなんだ。新学期なのに早いね。いつから始まるの?」
「·····。3日後です。」
「3日後か·····。もうすぐだね。」
「お前、新学期だからってどうせ忘れてたんだろ。」
ぐっ·····。図星なので何も言い返せない。
「が、頑張るしかないです。」
楓はぎゅっと英語の教科書を持ち直した。
「うん、でも、楓ちゃん頭いいしきっと大丈夫だよ。」
楓はビクッとした。頭がいい。そう言われるのはあまり好きではないのだ。
作人さんは優しさで言ってくれたのに、心がもやっとしてしまう自分はなんて小さい人間なのだろうと思う。
緋音さんが作人さんの言葉を聞いて笑った。
「作人そんなわけないだろ?·····だってこいつ、千絵さんの娘だぜ?頭いいわけが無いな!」
「う。うん、まぁね、。でもこれだけ努力してるんだし、きっと大丈夫だよ。」
努力··········。そう!努力!!!
私は元々全然頭が良くなかった、というか、バカだった。
昔は頑張ってもテストは大体50点以下で、散々のものを持って帰ってはお父さんに叱られていた。
また、学校に何度もランドセルを忘れたり、留まっている蜂を自ら叩きにいっては刺される始末。
でも今は違う!必死になって努力して、そこそこいい成績をキープしている。
そしてドジも少なくなった·····気がする!この調子でどんどんいい成績を取って、いい大学に行って、ゆくゆくは超エリートに··········!!!
チリンチリン。ホールの呼びベルの音が鳴った。
「鳴ったぞ?作人。」
「えー、おれもうちょっと休みたいなぁ·····。」
「はぁ、しょーがねぇな。」
緋音さんは文句を言いながらトレーを持ち、ホールに出ていった。
緋音さんが居なくなると急に厨房は静かになる。
··········そういえば。
「あの、作人さん。もしかしてまた何かお客さんがに言われたりしましたか?」
「え、どうして?」
気に過ぎだったかも、と思いつつ楓は話す。
「なんだか今日は顔色が悪いような気がしたので。」
「え!ごめん、ほんとう?」
「はい、あ、いえ。違ったならなんかすみません。」
作人さんは困ったように笑った。
「ううん。けど、お客さんとは何もないよ、大丈夫。ありがとう。」
やっぱり考えすぎだった、、!特にいつも通りなのに顔色が悪いなんて失礼だよなと、申し訳ない気持ちになった。
「でも、よく見てくれてるんだね。」
「··········?。あ、特に何も無いのに体調悪そうとか失礼でしたよね、すみません。」
「そうじゃないそうじゃない!むしろ心配してくれてありがとう。実は今日ちょっと調子悪かったんだよ。」
作人さんは肩に手を当てて首の筋を伸ばした。
「え!そうなんですか、この椅子座ります?」
「あーいいよいいよ。座ってて。実は昨日締切でさ、睡眠時間がなかっただけだから。」
「小説ですか?」
「そう。でも無事終わったし、煮詰まってたから逆に働かせて欲しいって感じです。気にしないで、店長?」
「店長なんて、やめてくださいよ。今日帰ったらゆっくり休んでくださいね。これ、寝る前にどうぞ。」
棚からカモミールの茶葉を取り出して渡した。寝る前にカモミールティーを飲むとよく眠れるはずだ。
「楓ちゃんは大人だなぁ。ありがとう。」
作人さんは小説家さんらしい。なんの本を書いているのかは知らないが、肩に湿布を貼っている所をたまに見かける。
作人さんがここに来た時は、お母さんが「駆け出しの作家なの!」と言ってたのだが、去年何かの賞を取ったようで最近は仕事に追われているみたいだ。
忙しそうだし、もうここで働くメリットはあるのだろうか··········。
誰か月曜日、代わりに入れる人を探しておこうかな·····。
なんて最近は思ったりしている。しかし、緋音さんと上手くやれる人なんて作人さん以外にいるのか··········?
「勉強どう?テストいけそう?」
「うーん、英語は何とかなりそうですけど、現代文も読み込めば·····。でも、数学が··········。」
「数学苦手·····?わぁ、この教科書懐かしいなぁ。」
作人さんが後ろから覗き込んできた。
距離が、近い··········。
いつも普通に話せるけど、さすがにこの距離だと大人の男の人だ、ということを実感する。
しかも緋音さんと同様、キラキラ要素を放っているので尚更だ。
「数学はどうにも向いてないみたいで、。作人さんも香染高校だったんですよね。」
「うん、そうだよ。」
「おい!」
2人の後ろから機嫌の悪い声がした。
2人とも「あっ、、」と脳裏で声が出る。
さすがに休みすぎてしまった。振り返ると大量の洗い物を持って戻ってきた緋音さんが立っている。
「あーー·····ごめん緋音·····。それ、洗うね。」
「全く2人仲良くサボりやがって、作人、体調もう大丈夫だよな。」
「え、」
「外片付けてないテーブル沢山あるから。食器類全部下げてきて。」
「·····。わかった。ありがとう。」
直ぐに作人さんは出ていってしまった。
「ちんちくりん!これ洗えよ。あと、終わったらダージリン入れて。」
「あ、はい!」
楓が立ち上がり洗い物を始めると、代わり緋音さんが椅子に座った。
緋音さんも作人さんのこと気にしてたのか·····。
しかし、機嫌の悪い緋音さんと二人きりは気まずい、と思っているとさっき出ていったはずの作人さんがすぐに戻ってきた。
「あれ、もう終わったのか?」
「まだ、ごめん。ちょっといいこと思いついて。楓ちゃん、緋音に数学教えて貰ったら?」
「え、」「は?」
「なんで俺が教えんだよ··········」
「だって緋音、香優大学の数理学部でしょ?」
「え!?香優大学って·····」
驚いて緋音さんの方を見た。
この辺りで1番頭のいい大学で全国的にも名高く、入るには偏差値が70程は必要な超名門校だ。しかも数理学部となるとさらにレベルが上がるはず··········。
チリンチリン。
呼びベルがなった。
「俺行ってくるね。」
作人さんはそのまま戻っていった。
「香優大学··········」
「大学名なんてそんな関係ねぇよ。」
「そんな事ないです、!凄いですよ!」
食い気味でそう言うと、緋音さんは呆れたような顔をした。
「勉強よりも大事なこと、いっぱいあんだろうが·····。」
「··········?」
「はぁ、まぁいいや。教えて欲しいのか?」
「はい。数学1人だと分からなくて全然進まないんです。」
「ふーん。」
楓は食器を洗い終え、ダージリン用のお湯を沸かしてから拭き作業に入った。
「お前、おれの晩飯つくれ。そしたら教えてやるよ。」
「え!いいんですか?晩御飯だけで!?」
「だけって··········1食作るの大変だろーが。」
「?··········。料理苦手なんですか?」
「そ、そうじゃねーよ。まぁ、今日明日は演劇の練習ないし、教えてやれる。だから2食だな!」
数学で一番嫌なのは、間違っているのにどこで解き方が違ってしまっているのかわからず、ものすごい時間をかけてしまうところだ。
教えて貰えたらその時間が無くなるし、切羽詰まったこの状況には本当にありがたい。
いつもはうるさい赤髪の人だけど、こんな優しいところがあるとは。
「じゃあ、今日は何にしますか?ハンバーグですか?」
「それがいい。ってなんで俺の好きなもん知ってんだ?」
「え!緋音、ハンバーグ作ってもらうの?いいなぁ。」
接客から戻ってきた作人さんが両手いっぱいに食器を持って戻ってきた。どうやらお客さんも大体は帰ったみたいだ。
「作人さんも食べますか?」
「いいの?嬉しいなぁ。」
「は?おれは勉強教える代わりに食わしてもらうんだよ!おまえはいらん!」
「えぇー·····。でも、そっか。何もしてないのに頂くのは悪いな、。」
「いやいや、いらしてください!いつもお世話になってますし、いろいろ。」
いろいろにはたくさんのことが含まれている。緋音さんのこととか、緋音さんのこととか·····。
「え、いいのかな、。じゃあ料理の手伝いさしてもらおうかな。」
「おまえ料理作れんのか?」
「まぁそれなりには。一人暮らしだし。」
緋音さんが苦い顔をする。確か緋音さんも一人暮らしなはずだ。
「助かります!今日はみんなで晩御飯ですね。」
「そうだね。」
「うまいもん作れよ。」
「はい、任せてください。」
小さな頃から親がいない時が多かったので、これでも料理には自信があるのだ。
楓は食器を片付け、ダージリンを持ってホールに出た。もう辺りは暗くなってしまっている。
お店を閉める時間になってくると、お客さんは大体まばらになっていた。
途中、レジに出ることはあるが、こうしてホールに出るのは女性客がまばらになってからにしている。
今は、夕暮れ時に紅茶を飲んで帰る常連男性が1人いらっしゃるだけだ。
楓は紅茶を提供してから、空いている机や椅子の拭き掃除を始めた。
今日は2人がうちに来て、ご飯をみんなで食べる。
賑やかになるだろうなぁ··········。
楓は静かな家に帰る前の、いつもの気分と違い、少しだけあたたかい気持ちになっていた。