4.御庭番、容疑者発見す
同日の晩。
翔は瑠璃の帰宅を確認したのち、暫くの間瑠璃の自宅付近に忍び動向を見守っていた。
母親から持たされたオニギリを口にしながら、徳川宅の周りを注意深く観察する。
ストーカーは内部犯である可能性が高い。
しかし、その内部犯はアクマでも学校関係者と言うだけであって、同級生だけとは限らない。
瑠璃のクラスメイトを注意する事は勿論だが、教師と用務員などの大人も油断ならない。
そのため、翔はこうして周囲を警戒しているのである。
瑠璃が帰宅してから2時間後。
夜も更け、各家庭の明かりが灯され、外灯の明かりも暗闇を照らし出している。
瑠璃の自宅周辺に何の変化も見られない中、翔は引き上げる事を視野に入れ始めて居た。
しかし、考え始めたと同時に、瑠璃の自宅の前にある外灯の陰に、怪しげな人影が見えた。
見覚えのある人影の背後から翔は慎重に近付く。
「…多田?」
「!?」
翔は人影の名前を呼ぶ。
如何にも散歩途中で、たまたまここを通りかかりましたと言わんばかりの態度で。
不意を突かれ、名前を呼ばれた多田は翔の登場に驚きを隠せない様子だ。
「え…だ、誰?」
唐突に名前を呼ばれただけでなく、知らない男が自分の名前を知って居た事に驚いたらしい。
それに対し翔はさらっと答える。
「あれ、覚えてねぇ?2組の服部なんだけど…」
まるで以前に接点を持ったことがある様な態度で答えられた上に名乗られた事で、多田は心当たりはないものの、知っている風を装わないと翔に悪い気がする雰囲気を背負わされた。
「い、いや。覚えてるよ?…な、何してるの?」
「俺?散歩。家、この近くなんだよ。お前は?」
「あ、あぁ、うん…ぼくも散歩……」
明らかに挙動不審の多田は、翔と同じ様に散歩であると答えた。
それに対し、翔は知っている多田の情報から、知り合いを装い続ける。
「へー。多田って散歩とかすんのなー。この時間ならネトゲしてんだと思ってたわ」
「きょ、今日はちょっと気分転換に散歩してたから…」
「ふーん。あ、なぁなぁ。俺もゲームやってんだけどぉ、お前、このゲームのクリア方法分かんねぇ?なんかさぁ、全然進まね…」
「ご、ごめん!ぼ、ぼく帰らないといけないから…っ!」
ズボンのポケットからスマホを取り出した翔の姿を見て、多田は長話になる予感を覚えたのか、慌てた様子でその場から走り去っていった。
多田の背中を見送った翔は取り出しかけて居たスマホを元に戻す。
手紙が届いた当日の晩に現れた多田。一気に怪しさが増す。
もし、瑠璃と多田が付き合っていると公言されれば、多田に反感が集まる事は必須だろう。
加えて、人通りも少なくなる夜更けに、瑠璃の部屋をじっとりとした目で見つめていた事から、翔の中で多田が犯人である可能性が高まった。
念の為、翔は徳川宅の郵便受けの中身を確認する。
何も入って居ない事から、多田は瑠璃の姿を見るためだけに来た事が分かった。
恐らく、今日送ったばかりの手紙に対するアクションが瑠璃から得られなかったため、様子を伺いに来たのだろう。
多田が犯人である線が濃厚になった所で、翔は瑠璃の姿を確認してから引き上げる事にした。
時間帯から瑠璃が入浴している事を思い出し、翔は家の裏に回る。
案の定、浴場から人が入っている気配があった。
漂ってくる仄かな香りから瑠璃が使っているボディソープの匂いである事が分かる。
いつも通り、入浴している瑠璃の気配を感じながら、翔はホッと息を吐き踵を返す。
「にゃおん」
踵を返すと同時に見慣れた猫が足元に擦り寄ってきた。
徳川家で飼われている猫、キンちゃんである。
キンちゃんは愛称で、本来の名前は金緑。宝石の一種の名前だ。
「にゃあん。にゃおーん」
撫でろ。構え。とキンちゃんはしきりに鳴き、翔の足に擦り寄る。
「ちょ、キンちゃん。今は駄目だって…」
このキンちゃんは、度々翔の姿を巧みに見つけては擦り寄ってくるのだが、今回はタイミングが悪かった。
「…キンちゃん?」
ガラリと開け放たれた浴場の窓。音に誘われる様に翔は振り返る。
そこには濡れ髪で、泡まみれになった瑠璃が目を見開いて窓から顔を覗かせている。
完全に目があった翔と瑠璃。
お互いに硬直する中、キンちゃんは呑気に翔の足に頭を擦り付けている。
流石の翔も冷や汗をたらりと流して、視線を泳がせたのち口を開いた。
「…スッ、スリーサイズ変わった?」
翔の言葉の意味をどう捉えたかは分からないが、瑠璃は怒りから顔を真っ赤にさせて桶にお湯を組み上げ、翔を目掛けて振り掛けた。
暖かいお湯が翔を襲い、その余波がキンちゃんに降りかかった事で、キンちゃんは慌てて逃げ出していく。
頭からお湯を被った翔は無言で瑠璃を見つめる。
「最低!変態!人でなし!!顔も見たくないっ!!」
そう言って瑠璃は窓をピシャンと閉めた。
容赦のない拒絶の言葉を浴びせかけられる事は、冷えていくお湯よりも翔を苦しめる。
分かっていた事とは言え、護衛対象である瑠璃に拒絶される事はかなり辛い。
翔は意気消沈しながらも、瑠璃の安全を確認できた事を幸いに思いながら帰路を辿る。
つくづく自分が瑠璃と同性であったなら、護衛もしやすかったのにと思う翔であった。
「…ここか」
仕事着に着替えた翔は、目下一番怪しい人物である多田の自宅前に居た。
多田の自宅が一軒家で、庭木がある事に翔はほくそ笑む。
翔はインターホンのボタンを押し、人を呼び出した。
「はい?」
若干怪しむ様な声色の女性が出た。恐らく多田の母親だろう。
「あ、お忙しい所失礼します。わたくし、”庭奉行”と言う会社から参りました、庭仕事を請け負う業者なのですが…庭の事でお困りな事はございませんか?」
「はぁ…」
「現在、草むしりから庭木の剪定まで、お安い価格でご提供出来るキャンペーン中なのですが…如何でしょう?」
断れるだろうなぁと残念そうな一歩引いた声色を出す翔。
その演技は、あちこちの家庭を回っては断られてきてるのだろうと感じさせる。
多田の母親らしき女性は少し間を置いてから、口を開いた。
「…草むしりもしてくれるんですか?幾らです?」
「あ、はい!えぇっと…こちらに値段表があるんですが…見えますかね?」
一筋の光を見たと言わんばかりに喜んだ翔は、ポケットから値段が書かれた小さい紙を取り出し、インターホンのカメラの前にかざす。
しかし、それで値段が見れるわけもなく、多田の母親は見えないのか、うーんと唸った。
そして。
「…少々お待ちください」
「は、はい」
翔に断りを入れ、多田の母親はインターホンを切った。
1分もしない内に玄関の扉が開き、中から女性が出てきた。
見た目から翔の母親と同じくらいの年齢の女性である事が見て取れ、多田の母親である可能性は高まる。
「あ、こんにちは。お忙しい所、恐縮です」
「いえ…あの、値段表、頂けます?」
控えめに値段表を所望する多田の母親に、翔は喜んで値段表を手渡した。
「はい!ありがとうございます!ご依頼される時は、こちらの電話番号までお電話ください。あ、わたくし、堀部と申します。わたくしの名前を出して頂ければ、代金の方をお安くさせて頂きますので、よろしくお願いいたしますー!」
「はい…」
翔はすんなり名前を偽って伝え、一礼して多田の自宅を後にした。
多田の母親は始終、翔を怪しむ様な態度だったが、値段表を受け取っただけでも第一関門を突破したと言って良いだろう。
そして、多田の母親から依頼が必ず来る様、仕向けるために翔は多田宅の周りを歩いて、庭に肥料団子を2、3個投げ入れた。
今夜は雨の予報。肥料団子は水で溶け出すため、今夜中には多田宅の庭の地面に超強力な肥料が染み込む事だろう。
2、3日もすれば効力を発揮し、あらゆる植物が元気よく育つ筈だ。
草むしりもすると聞いて食いついた事から、多田の母親が雑草に悩んでいる事は分かった。
あの様子なら、数日後に茂り始めた庭を見て、依頼してくる事だろう。
何せ、本当に安価が書かれた値段表を渡したのだから。
もし、これで依頼が来ずとも、多田宅に入り込む方法はまだある。
ただ、一番安全に入り込む方法の1つを取っただけなのだ。