窒息病院
先週末に娘が死んだ、病院で。
自殺だった。
■
半年ほど前、某食品会社に勤めている俺は仕事の関係でこの町に越してきた。
これまでは東京の本社にいたこともあって、地方工場への異動は、昇進を言い訳にした左遷じゃないかと疑っていた。
だから前情報として上司には、いい町だ、とは聞かされていたが信じていなかった。
どうせろくでもないだろうな、という悪い想像ばかりが膨らんで、俺はすでに憂鬱だった。
そんな気持ちを抱えつつ、俺は家族に転勤のことを伝えなければいけず、もはや仕事を辞めてしまおうかと思うほど悩んだ。
実際、転勤の事実を伝えると、朗らかで温厚な妻の笑顔も作り物っぽく曇っていた。
だから俺は、単身で行くことも念頭にあると伝えたが、妻は絶対にそんなことはさせない、と腹をくくってくれた。
そこに輪をかけて俺たち夫婦を喜ばせてくれたのが、娘だ。
さすが若いこともあって、娘は俺が伝えた勤務地を早速調べ、その町が悪くないと言った上司の話が大袈裟でないことを証明してくれた。
寂れたなんて言葉ははっきりいって不似合いの、美しく整備された町の映像が、ストリートビューには映し出されていた。
地図で調べてみると、町の中心には商店街があり、そばには総合病院もある。
特に商店街なんかは画像の中だと活気づいており、東京の下町にも似た雰囲気が印象に悪くなかった。
小中、加えて高校は商業高校と普通科の高校と揃っていて、来年受験の娘が受けるかもしれない普通科の高校の偏差値も低くなく。
調べてみれば、国立大学への進学者の割合も三割と悪くない。
主要都市まで電車で三十分と遠くもなく、ないない尽くし、という言葉がこれほどポジティブに捉えられるのも珍しいくらい、いい町だと思った。
正直に言うと、俺はこの時町へ越すのが楽しみだったくらいだ。
素敵な素晴らしい想像ばかりが膨らんでいて、それは妻も娘もそうのようだった。
それがなにより、俺は嬉しかった。
俺たちは、娘が春休みに入るのと同時に町へ越した。
会社からは、町に古くからある一軒家を貸し与えられた。
実際に町へ越してみると、そこは画像で見たよりもずっと綺麗で、住み心地まで良いところだった。
言ってみれば、町そのものの力で成り立っている今どきでは珍しいタイプで、コンビニはあるが飲食店なんかにもチェーン店がとても少ない。
都心から離れた町には珍しく、高級スーパーなんてものもあったりして、そこに出入りする客は小洒落た都会のセレブみたいな人々ではなく、あくまで一般的なごく普通の主婦やらが買い物をしていて、住民の羽振りも良いようだった。
それもそのはず、この町の外れには日本を支える一流食品会社の工場が五つ、さらには日本の心臓と言っても過言ではない某メーカーの車両工場まである。
この町の長は相当な腕利きなのだろうと思った。
そうして春休みが明け、学校へ通いだした娘には、早速友達ができたようだった。
それは先に工場で従業員と触れ合っていたことでわかっていたことだ。
この町は人も悪くない。いや、いい人ばかりといってもいい。
それもこれも、町が潤っているおかげなのだろうというのが、自身の懐事情を鑑みても実感だった。
よくできた従業員と元気な町の人々、環境と何拍子もが揃って充実した毎日を送っていたある日、妻が自転車で転んで骨折した。
本人いわく、町の旧家の庭で咲いていた椿が綺麗だったので見惚れたのだそうだ。
もともと花を見る趣味なんてなかったくせに、人柄まで変わってしまったのも町のせいだったのだろう。
妻はそばを通りかかった人に救われ、救急車で町の中心にある総合病院に連れて行かれた。
この総合病院は、商店街と同時期の頃にできたものらしく、二度の世界大戦を越えて残っているものだそうだ。
由緒あるといえばそうだが、町全体としての風景とは違う、この病院にはまた別の印象を受けていた。
最近の病院にあるような新品の清潔さではなく、煤けて古びた風貌とは裏腹に消毒液の匂いが漂ってくるような、いかにも病院、といった過去を引きずったままのような印象を。
それはつまり、昔にあった一方的な強さを残しているからであり。
もともとに清潔なわけではないから強いアルコールの成分で毒を滅すのだ、という厳格な雰囲気にさらされると、昔懐かしいといえば良く言い過ぎの、近寄りがたいというかあまり近づきたくない気分にさせられた。
あまり良くない印象は外見に限らず、内部の蛍光灯の生々しい白さがかえって陰気で、病の巣、といった酷いイメージさえ浮かんだ。
そこで診察を待つ人々も、道端や店舗で見かける時には感じた町に似合いの活気も陰り、沈黙する姿がマネキンのようであり。
患者を呼ぶ看護師たちの声もどこか淡々とこなしているだけのように事務的に感じ。
俺はこんなにも病院が嫌いだったのだと、そう思ったくらいだ。
妻の入れられた病室は大部屋だったが、他に患者はいなかった。
いても年寄りばかりで、この町の現状を知らなかった俺が想像していた通りの寂れた気配がそこにはあった。
そのことを妻は、形成外科系の患者が入る区域だからだと言っていた。
言われてみると、たしかに廊下を歩く人は皆ギプスを足や腕に巻いていたり、車椅子を押されている人も、体のどこかしらに包帯を巻いていた。
かくいう妻もまた、左足全部を覆うほど長いギプスで足を吊っていた。
それにしてもこんな大部屋に一人で寂しくないかと訊くと、広々とした部屋で悪くはないよ、と妻は明るかった。
そんな妻の笑顔を見ていると安心して、病院独特の陰気さも忘れることができた。
しかし妻の状態は、打ちどころが悪かったせいで脛の骨が折れている重体で、思いの外悪かった。
それでも不幸中の幸いか折れ方は良く、ボルトやらの固定は必要なく、ギプスで固めて安静にし、完治すれば後遺症は残らないだろうと言われたらしい。
医者に言い渡された入院期間は大事を取って二週間ほど。
それからもリハビリやらでしばらくの通院、また完治には数ヶ月とかかることも聞かされたが、満ち足りた幸福感や充実感で俺はなんでもできる気になっていて、家事全般、食事についてもまるで問題なんてない、とあまり深く考えてはいなかった。
やってみれば、独身時代を思い出して懐かしかったし、案外器用な自分を見出すこともできて、俺は妻の入院期間を楽しんですらいた。
そんな楽観的だった俺は、妻の見舞いを娘に任せ家事に従事し、ことさらに生活を楽しんだ。
同じく、妻にも入院仲間ができたらしく、楽しくしていると娘から聞かされていた。
その入院仲間には、たった数回見舞いに行った時に俺も会ったことがある。
新村、という八十過ぎの女性だった。
ハツラツとした元気な感じではなかったものの、おしゃべりでおっとりとした楽しい人だった。
そこで新村さんは、病院についてひとつ愚痴のように漏らしたことがある。
それは、この病院が入院商売をしている、というものだった。
だが、病院だって大学病院みたいなところでなければ運営のために多少の商い根性は必要なことだし、俺はあまり気にするつもりもなかった。
そうして何事もなく時は過ぎ、退院を二日後に控えていた晩。
妻の体調が急変した。
それを医者は、骨折箇所にバイ菌が入ったことで感染症を起こしているのかもしれない、と言った。
抗生物質を投与し、さらに一週間妻の入院は伸びることになった。
本来ならば多少取り乱してもおかしくない状況だったが、なるほどこれが入院商売か、と俺は楽観的で、妻はおそらくただの風邪かなにかで、医者の言う通り抗生物質でも飲めばすぐに良くなるだろうと考えていた。
町の雰囲気とこれまでにない幸福に満ちた生活と、それから新村さんの話が俺にとって良くないように作用していたのだ。
俺はこの時、娘が酷く落ち込んでいるのに対してもあくまで楽観的で、あっけらかんとした馬鹿な感情を押し付けようとしていた。
お母さんなら大丈夫、すぐに良くなって家に帰ってくる。
そんな言葉が聞きたかったわけではなかったのだと、気づけなかった。
娘にとって最後となる手紙も、朝に受け取ったままスーツのポケットに仕舞い込んですぐに忘れてしまっていた。
結局、その時には妻の調子が良くなることもなかった。
そして、妻が異常をきたしてから七日目の昼。
娘は遺体となって発見された。
病院のトイレで、俺のネクタイで首を吊っていたそうだ。
■
娘がどうして自殺なんかした。
なぜ娘が死んだ。
学校でのことも、バスケットボール部のこととか、家では楽しそうに話してくれたし、休日に友達と遊びに行くと言って出かけることもあった。
だからイジメは原因でないと思った。
だったらその原因は他にあると考え、そして俺は自分の落ち度に気がついた。
俺は、自分がする家事や仕事なんかにかまけて、妻の入院中見舞いに言ったのは土日だけ、平日の時すべてを娘に任せていた。
娘はよくできた優しい子だった。
俺はそんな娘の優しさに漬け込んで利用するばかりで、あの子が放課後に遊びたいだろうなどと考えもしなかった。
そのことがプレッシャーになっていたのかもしれない、とそう考えていた。
だが同時に、言い方は悪いが、その程度のことで自殺するまでに思い悩むだろうかとも思った。
娘はたしかに優しい子だが、言いたいことを言えずにいるタイプではない。
ふてくされるなり、不満を露わにするはずだった。
俺はそんな顔を見ていない。
普段と変わらず、見舞いに行って妻と話したことを楽しげに教えてくれてもいた。
それなのにどうして。
問題などどこにもなかったはずだと信じて疑わない俺は、そればかり考えていた。
しかし、不意に娘を亡くした悲しみは行き場をなくしたまま彷徨うこともできず。
原因を突き止めようと、俺は娘の部屋を探すことにした。
思い返せば、娘の机を買い与えてから一度も開けてみたことがなかった。
引き出しを開けると、前の中学校での友人との思い出が丁寧に仕舞われていた。
手紙、写真シール。娘のプライベートを隅から隅まで調べてみると、その中の一つに、これだ、と思えるものを見つけた。
俺が手にしたのは、日記だった。
あの子が日記をつけているなんて知らなかったし、俺たち両親にもなんでも話してくれた子だ。
ページを開く時に考えていたのは、懐かしい思い出を回想させられるのだろうな、という涙を堪える覚悟のことだった。
だが、阿保な俺の予想に反し、日記には俺の知らない娘のことがいくつも書かれていた。
楽しかったことは少なく、ほとんどが悩みや辛さを吐き出すような内容だった。
日記を読んで、俺は娘の優しさが我慢強さだったことを知った。
と同時、優しさとは何なのかと憎悪すら覚えた。
娘をこんなふうにしてしまったのは自分たち両親だと痛感したからだ。
娘を死なせたのは俺だ。
わかってはいたが、それでも娘から愛されていたという甘美な優越感を捨てることもできなかった。
だから俺は娘の日記に見つけた、辛い、とか、キツイ、とかそういう言葉に目を惹かれた。
何の問題もなく、青春のいちページとしてあるはずだった部活動に、娘の自殺の原因となる曇りがあるかもしれないと考えたのだ。
ある意味、一縷の望みでもあった。
おかげで目の冴えていた俺は、同窓生であるユキという少女が怪しいと睨んだ。
文脈から察するに、娘とユキはレギュラー争いのライバル関係にあったようだった。
中学三年ということもあり、ここでレギュラーに選ばれるということが意味するところは大きい。
つまり、ぽっと出の娘がレギュラーに選抜されそうになっていることがユキは気に食わなかったのだ。
パスを出さなかったり、失敗を余計に叱責したり、そういう嫌がらせのようなことをしていたらしい。
我慢を優しさにしていた娘にとっては、辛かったことだろう。
そしてレギュラー選抜が決まる紅白戦。
娘とユキは紅と白とで別のチームに分かれた。
文章には書かれていなかったが、おそらく拮抗した試合だったのだと察する。
最後、ユキが行ったハッキングをファウルに取られなかったことが原因で得点をしそこない、娘のチームは負けたらしい。
結果は絶望的だと嘆きが綴られていた。
日付は、妻の容態が急変したその日。
娘の落ち込みようが異様だったのは、このことに輪をかけて妻が不調をきたしたからだと思った。
許せない。
俺にはほとんど根拠のない怒りがこみ上げ、すぐさま娘のスマートフォンでユキに電話をかけた。
娘のことで話があると伝えると、ユキは親である俺が出てきたことで異変を察知したのだろう。
家まで来ると言ったが、それでは妻の気に障るので、近くの公園で会うことにした。
ユキとの初見、気の強い子だと感じた。
たった一人、会ったこともないチームメイトの親、それも男親を前にして怯えた表情一つしていなかった。
俺はそれがかえって鼻につき、単刀直入、娘に何をしたかわかっているか、と凄んだ。
ユキは思い当たる節に頷き、娘と話したい、と言った。
だから俺はそれも単刀直入に、自殺した、と伝えた。
あなたのせいだ、と。
一見気の強そうに見えたユキだったが、その一言で怯みに怯み、愕然と表情を崩して一気に絶望したように見えた。
さもない子共だ、と俺はそこに優越感を覚えた。
ここぞとばかりに娘の日記を突きつけ、娘に対する嫌がらせが娘を苦しめた、あの子はそんな辛さを一言も口にはしなかった、強い子だったから嫌がらせにも耐えようとした、と言いたいことを言いたいように言った。
覚えてはいないが、涙を流してもみせたかもしれない。
しかし、ユキは俺の話を嘘だと思いこむことで現実から逃げようとした。
俺はユキを逃さなかった。
家に来いとユキを自宅へ連れていき、娘の遺影と対面させた。
ユキは、一度は回復の色をみせた気丈さを失い、一気に絶望の色を濃くし崩れ落ちた。
ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、絶叫するように謝罪を口にし、ボロボロと泣いた。
俺は少女が純粋に悲しむ姿を見下し、ざまあみろ、と思っていた。
後悔しろと、娘はお前さえいなければ死ななかったと、本気でそう思い込んでいた。
だが。
そんな俺の背後には妻がいた。
退院後、体調が良くなっても娘の死があったことで健康的な顔色も笑顔も失せ、首元を撫でるクセがついた。
決して晴れることのない病に伏せっていたが、騒ぎを聞いて寝室から出てきたのだ。
妻は俺の姿を見て、何をしているの、と叱責でも疑問符を浮かべるでもなく機械のようにそう言い、深く絶望しているのをひしひしと感じた。
瞬間、俺は我に返った。
何をしているのか、答えようと思えば答えられたが、俺は恥ずかしくて口にできなかった。
代わりにたじろぎ、すまない、と誰にでもなく無意味な謝罪を口にして家を飛び出した。
もう戻れない。
二度と、平穏で幸福に満ちたあの生活には戻れない。
自分のしたことが恥ずべき走馬灯となって頭を巡り、俺は今にも叫びだしそうな気持ちだった。
反省など、それも無意味だった。
それでも俺は仮初の反省で身を清めようと醜く抗おうとしていた。
その時俺は死んだのだ。
俺がしたことは、人を巻き込んだ自殺だった。
行く宛もなく心の代わりに彷徨う足は、自ずと俺を高いところへと導いていた。
言ってみれば他人の家、十階建てのマンションがそうだった。
その時俺がしようとしたことを考えると、そこでもまた俺は無関係の人間を汚そうとしていたのだ。
本当に俺は終わってしまっていた。
屋上へ行こうと思ったが、外階段から屋上へ上がるための扉には錠がされていて開かなかった。
気分が削がれた、といえばそれこそ不謹慎だろう。
俺は娘の真似をして死ぬフリまでしようとしていたのだと、なおさら自分が恥ずかしくなった。
冷えた夜風が頭を冷やしてくれたのかもしれない。
こんな日に限って空が晴れていて、月明かりが眩しいくらいの澄んだ夜だった。
そこに浮かび上がる町は、各建物の窓が明かりを跳ね返して黒光りし、水に沈んだように静かだった。
夜景というほどの綺羅びやかさこそないものの、眠る町には独特の美しさがあると感じた。
その視線の向こう、点々とあるマンションの高さに並んで暗い水面から頭を出している建物に目がいった。
一瞬何か気づかなかったが、それはあの病院だった。
不気味さは夜にこそ引き立てられるものかと思いきや、まさか夜になるとこれほどに施設的なのかと、その無機質さに俺は安心していた。
凸の字型の総合病院。
あれが娘の命を吸ったのかと思うと信じられないくらいだった。
そうしてぼんやり娘が最後と決めた場所を眺めていて、俺は凸の字の向こうにもう一つ背の低いでっぱりがあることに気がついた。
つまり、下から正面を見上げる分には凸の字だったが、横から見れば実は歪な凹の形をしていたのだ。
ふと、あのもう一つの出っ張りには何があるのか気になった。
位置的には、エレベーターの機械室の向かいにそれはある。
かといって病院のエレベーターの正面に屋上まで続くようなものはない。
今から行って中に入ることもできないとわかっていたが、家に帰るわけにもいかず、とりあえずの目的地として俺は病院へ向かった。
そうして近くへ寄って正面とは反対側から見上げてみても、遠くから見た突起は見えなかった。
つまり、あれは思ったよりも小さいものだったのだと理解した。
だからもしあれの正体を調べるのなら昼間しかない。
明日また来てみようと考えつつ正面玄関までぐるりと病院を一周すると、玄関に張り紙がされていることに気がついた。
『医院の経年劣化修復につき、来年1月中旬より全面改装を行います。診察等は通常通り行いますが、入院患者様におきましては病室の変更などご迷惑をおかけすることをご了承ください。』
そんなことが書かれていた。
外見の薄汚さを知っている分、この改装は妥当だと思えた。
その上で、もし改装がもっと早くに終わっていてここが新品だったなら娘は自殺なんかしなかったかもしれない、と突拍子もないことが浮かんだ。
結局俺は家に帰ることもできず、娘の友人を貶めた公園で夜を明かすことにした。
あの後、娘の友人であるユキはどうしたのだろうか。
妻は、あの子にどんな言葉をかけたのだろうか。
俺の自殺行為に巻き込んだ人のことを考えた。
気がつくと眠っていた俺を起こしたのは、娘のスマートフォンのアラームだった。
朝六時半、俺よりも十五分早く娘は起きていたのだ。
しかしもうこのアラームで娘が目を覚ますことはないことを痛感し、いや、俺は辛くなってアラームの記録を消した。
目覚めと共にあらゆる後悔が吹き出し、俺は眠気に関係なく虚無に堕ちていた。
その呆けた中年を正気に戻したのもまた、娘のスマートフォンだった。
アラームは消したはずだと思いつつ画面を見ると、着信だった。
昨晩酷い叱責を与えたユキからだった。
着信と同時に表示されているのは、娘と二人並んで笑顔で肩を組む写真を見つめたまま、俺は着信音が鳴り止むまで電話に出られなかった。
するとスマートフォンは次に短く鳴き、ユキからの『お話があります』という昨晩俺が伝えた言葉と同じようなメッセージを届けた。
そしてまた鳴るスマートフォン。
俺は観念して電話に出た。
俺はまず謝罪をするつもりだったが言葉にならず、しかしそんなことに構うでもなくその開口一番、ユキは『あの子が自殺した原因に思い当たることがあります』と言った。
なぜこの子がそんなことを知っているのか。
彼女の言うことがまるで理解できず、俺は困惑していた。
どもって言葉を失っていると、ユキが続けた言葉。
俺は耳を疑った。
『窒息病院。あの病院はそう呼ばれているんです』
娘の死因が首吊りでなければ、くだらないと聞き流しただろう。
だが、様々な後悔、自分の愚かさと情けなさを自覚していた俺は、この少女の言うことには馬鹿げた空想の類ではないと感じられた。
窒息病院。
かの総合病院がそう呼ばれる所以は、入院患者が窒息を死因とした突然死を遂げる事案が後を絶たないからだという。
後を絶たないとはいっても連続するという意味ではなく、ペースは一ヶ月に一度。
つまり、一月に一人は必ず窒息死しているらしかった。
だが、その死因が公にされることはなく、遺族にも虚血性という言葉を使って伝えられているようだった。
にわかには信じ難い話だが、そこに生じる前兆というものを聞いて、俺はこの噂を信じずにはいられなくなった。
その前兆とは、それが快方していようが、いかなる症状の患者であろうとも訪れる急変、不調。
妻がまさしくそうだった。
そうして不調をきたした患者は、一週間の内にだんだんと体調を悪くしていき、そして息が止まって死ぬ。
そんな突如急変する患者らは皆口を揃えて同じようなことを言うのだそうだ。
首が締まる苦しさを感じる、と。
また、その感覚が錯覚でないことを証明するかのように、首には何かで締められたような一本の筋が痣となって残るようになるのだという。
妻はどうだったのか。
不調を知りながらも土日でなければ見舞いにも行かなかった俺には、妻の状態がわからなかった。
だが、娘の死後、落ち込む心情とは裏腹に体調が回復し、退院することとなった妻の首にスカーフが巻かれていたことを覚えている。
普段の服装からしても変わったことでもなかったし、そこに意味があるとは考えもしなかった。
あの首元を撫でるクセは、そういう意味だと思った。
しかしだとして、それと娘の自殺とが繋がらない。
困惑する俺がした質問に、ユキは言った。
『あの子は、ルールに従ったんだと思います』
ルール。
それが、一月に一人の患者が窒息死を遂げる、というもの。
つまり、娘は知っていたのだ。
妻に起きた異変の意味を、これから母親に訪れることを知っていた……。
■
「だからあの子は救ったんだ、お前を……俺も救われた……。優しい子だった。本当に、本当に優しい子だったんだ。それなのに、どうして……」
俺はへたり込んだまま、床から十センチばかり浮いた妻のつま先を見つめていた。
一目その姿を見た瞬間から、俺はもう顔を上げられていない。
俺は、視線を手元の手紙に戻した。
見覚えのある花柄の手紙は、娘が死ぬ前日に俺に渡したものだった。
受け取ったその時には内容を気にしたが、一度ポケットに仕舞ってからは、その存在自体を忘れていた。
それが、ダイニングテーブルの上に中を出されて置かれていた。
脱ぎ捨ててソファにあったはずのスーツのジャケットが椅子に掛けられていた。
妻が、先にそれを読んだのだ。
俺しか読んではいけない、娘の死の真相が書かれた手紙を、あいつが先に読んでいた。
そのたった一枚を守ることさえ出来ていればこんなことにはならなかった。
命を懸けた娘の行いを、俺は無意味にした。
それすらも出来なかった俺は、父親なのか、人間なのか、獣なのか。
どれでもない。
生きているだけで二人の優しい人間を死なせた。
俺は、汚れだ。
美しいものを汚すだけのものだ。
だがせめて、最後に一つだけ、家族を守れなかった俺でも他人のために報いたい。
人間だから。
ただの汚れではいたくないと、それでも潔白さを求めていた。
妻の残した物を使い、娘の遺した物を使って。
在るのならばどうかそこへ俺を引き上げてくれ、と心で懇願しつつ、家族のいったその場所へ、一歩近づいた。
……
『お父さん。
あの病院には屋上に祠があるんだって。
大昔、この地域の豊作を願って神様を呼んだんだって、新村さんが言ってた。
だけどね、神様がまだ帰らないんだって。
だからわたしが——』