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prologueーside柳生こはる

 好きな人は■■■■■くん。

 私くらいの年齢の子達なら誰もが話すであろう恋話で、私が挙げるのが彼だ。

 家が隣で、互いの両親に付き合いがあって、幼馴染で、小さい頃からずっと一緒にいた男の子。

 人を好きになるのに理由なんかないと言うけれど、強いて理由をあげるなら彼の笑顔に、優しくて穏やかな笑顔を私は好きになったのだ。

 天下一の剣と謳われた新陰流の宗家に生まれた一人娘。父と祖父が課す鍛錬は少女の身には荷が重く、手は豆が潰れた血で濡れ、打ち込まれた木刀による痣と内出血が肌を覆っていた。

 正直逃げ出してしまいたかったけれど、それでも私が耐えれたのは彼のお陰。

 門下生として私と同じく父と祖父から指導を受けていた幼馴染の男の子。私の家よりも旧く、刀匠の家に生まれた彼がどうして剣術を? と思ったけれど鍛冶師としての腕を磨く前に剣術を修めるというのが慣わしらしい。

 父と祖父の厳しい鍛錬に加えて剣の才能を持って生まれた私に比べて、彼はあまりにも凡庸だった。剣の才能なんて持っていなかったし、彼がどれだけ努力しても私との差は埋まらずに広がるばかり。私でも気付けたのだから指南役であった父と祖父は当然気付いていて、彼には何の期待もしていなかった。

 だというのに彼が努力をやめることはなく、私はある時彼に聞いてみた。

 ──お父さんもおじいちゃんも■■くんには才能がないって言ってるのに、どうしてそ        

   んなに頑張るの?

 今思い返しても我ながら酷い言い方だったけれど、彼は気を悪くした様子も見せずに振り返ると、笑顔を浮かべながら私の質問に答えた。

 ──綺麗だったから。

 自分の耳に届いた言葉の意味を理解出来ずに呆けている私に彼は言葉を続ける。

 ──こはるちゃんが剣を振るう姿が綺麗だったから、僕がその隣に並んでもこはるちゃ

   んが恥ずかしくないくらいになりたいと思ったんだ。

   僕に才能がないってことはわかってるし、ずっとこはるちゃんと一緒に剣の鍛錬を 

   続けれる訳じゃないけど、それまでは頑張ろうって。

 照れくさそうに笑いながら彼が語った言葉。誰からも褒められたこともなく、ただ辛いだけだと思っていた剣を綺麗だと言ってくれた。

 それだけの言葉で私は十分過ぎるくらい救われた。

 嫌いだった剣の鍛錬も彼が綺麗だと言ってくれたことを思い出せばむしろ楽しかったし、彼にもっと好かれたいと努力した。

 そして、彼が鍛冶師として本格的に腕を磨き始める頃には私はすっかり彼のことを好きになっていた。

 そして、あの約束をした。取り返しのつかない約束をしてしまったのだ……。

 ──私、これからも■■くんに私の剣が綺麗だって言ってもらえるように頑張るから、 

   ■■くんの打った刀を持っても恥ずかしくないくらいに頑張るから、二人でずっと

   一緒に頑張ろうね!

 ずっと一緒に……当時の幼い私にとっては、何気なく軽い気持ちで言った一言。いつか別れが来るなんてことは一欠片も考えていなかったし、いつか彼と再び再会出来ると考えていた。

 好きだった彼と同じ時間を過ごせると思っていた故に口にしてしまった『ずっと一緒に』という言葉が、彼を縛り付けてしまうことになるなんて考えもしなかった。彼にとっては呪いにも似た言葉になってしまうなんて思いもしなかったのだ。

 私が帰ってくると、いつか再会出来ると信じていた彼を裏切ってしまったというのに。

 私がいなくなったことを悲しんで欲しいが、いつかは私のことを忘れて自分の幸せを掴んで欲しかった。

 いや、私にそんなことを思う資格なんてないだろう。

 彼が歩む何十年という人生。その中で彼が掴めただろう幸せの全てを奪ってしまったのは他ならぬ私なのだから。

 ずっと一緒になんて、口にしてはいけなかったのだ。いや、そもそも私は彼に関わるべきではなかったのだ。

 私の様な女は彼を好きなってしまってはいけなかったのだ。

 やり直せるなら、やり直してしまいたい。その思いだけが今の私の全てだ。

 その願いが叶うのなら私の全てを差し出してしまっても構わない。帰りたいと願ったあの日常に帰れなくなってしまっても何ら後悔しないほどに。

 そうして私は尽きることのない悔恨の渦から現実へと立ち戻った。




辺りに響き渡るのは異形の祈り。

ヒトを超えた天魔あれ、と。

天より下りて我らが敵に神火の裁きを、と。

威厳を出すために伸ばした髭に加齢による色素の抜け落ちた髪の男が大仰な手振りと共に謳い上げる。

どうしてこの世界に“ソレ”が伝わっているのかは分からないが謳われるソレは紛れもなく元の世界における世界最大の戦闘宗教だった。異端は滅ぼすべき邪悪なものであり、神がその御名の下にお許しになると数多の虐殺を繰り返してきたものに違いなかった。

ただし、謳われるソレは異形の祈りであり、神に求める念の深さは度を外れて凄惨なものであり、もはや怨念の域に達している。

大陸より伝来したソレが極東の地において風土や歴史、価値観によって改変されたものだった。

最後の一小節を謳い終わると同時に男が爆ぜる。

人体が突然破裂するということ自体普通ではなかったが、木っ端と散った男の体は髪の毛一本たりとも残っていない。それが事の異常性を更に高めている。

そして、撒き散らされた血飛沫は血煙となって周囲を包み込む。

肌に付くということはないが、まとわりつく様な粘着感を持つ血煙はそれだけでその場にいる者の正気を削ぎ落とす。

少年の頭が吐き気を催す音と共に脳漿を撒き散らしながら弾けた。

少年の頭を弾き飛ばした青年の顔が力任せに食いちぎられる。

青年の顔を咀嚼する少女がその下半身を残して砕け散る。

自分以外の存在など許さないと誰も彼もが過剰な殺戮行為に走る。

やがて自他の境すら消え失せて、自傷他傷が溢れ出す。

「きひゃはは、ははははははは! ひゃははははは!」

眼下に広がる地獄の釜の底の様な惨状を歓喜の笑いと共に眺めるのは、死者の数が増える度にその存在を確立していくヒトならざる者。

阿鼻叫喚の中で産声をあげるなど悪魔の様なものにしか不可能だろう。

否、正しくこの場に誕生したのは悪魔だった。

死にゆく者たちの魂を生贄に、ある人物の身体と記憶を核として宿す下劣畜生という言葉ですら足りない性を持つヒトならざるもの。

「いい! たまらないよ、我が主! なんて素晴らしい生贄で僕を呼んでくれたんだ。あぁ……たまらないっ!」

法悦とした表情で眼下の地獄を呪い(祝福)しながら、悪魔は自身の主に感謝する。

熱く煮えたぎる地獄で、あらゆる魂をドロドロに溶かし崩し、貶めるのをお望みならば仰せの通りに、と。

「きひひ、なぁ、君も嬉しいだろォ? 恋焦がれた想い人と巡り会えちゃったんだからさァ」

「ーーーーーーーッ!」

その言葉が引き金となり、少女がなんとか保っていた理性は蒸発して消え失せる。

人の声帯から発せられたとは思えない叫びと共に眼前の悪魔へと飛びかかる。

こんな穢れた存在が彼に触れていてるのが許せない。こんな下劣畜生が彼の記憶を持っていることが許せない。

こんな悪魔が彼を語ることなど許せるはずがない。

「返せぇぇぇぇッ! それはお前なんかが触れていいものじゃない!」

流麗だった剣は怒りと殺意に任せるままに振るわれ、ただの暴力と化す。

絶対の殺意を持った刀身が悪魔の体に吸い込まれるようにその身体を切断する。

「う、おぉ……痛い、痛いぞ、きひはははははは!」

少女の放った一刀は確かな手応えと共に悪魔を横一文字に斬り裂いた。

声をあげながらのたうち回り、地に倒れ込み、その体が霧散する。

あまりの呆気なさに疑問を浮かべる少女の視界が突然奪われる。

人の手の様なものに覆われた眼からは、ネチャリとした液体が生理的嫌悪感を催す感覚を伝えてくる。

「後ろの正面誰だァ?」

聞く者の神経を逆撫でするような声は今しがた霧散したはずの相手のもの。

収まりかけた怒りは再び限界まで高まり、背後の悪魔へと斬り掛かる。

視界を奪われた状態からの一刀は悪魔を捉えることなく空を斬るが、眼を覆っていた手を剥がすことには成功する。

目の前の悪魔など一秒たりとも視界に入れたくはなかったが、見えないままでは戦えないと袖で拭う。

戻ってきた視界に映っったのは袖を汚す赤黒い染み。

嫌がらせに血でも擦り付けられたかと、悪魔の方へと血走った目を向ける。

「痛いじゃないかァ。君があんまりにも荒々しいから――」

少女の眼に映るのは無傷の悪魔。

一太刀目に感じた手応えによる傷は見当たらない。

痛いというのは悪魔の弄した戯れ言で本当は傷など与えられていないのか、と少女の心に湧いた疑問に最悪の形で答えが現れる。

「こんなことになっちゃったじないかァ! あはは、ははははは!」

両手を大きく広げた悪魔の腹から人が這いずり出される。

逆さの十字に縛られているのは少女の想い人。

その腹にゆっくりと横線が刻まれていき、やがてゴボッと大量の血と共に内蔵がこぼれ落ちる。

「酷いよねェ、痛いよねェ。好きな相手の腹をかっ捌いちゃうなんてねぇ。さすがの僕でもこんな仕打ちは出来ないよ」

こぼれた内蔵を弄びながら、悪魔は嘲笑の視線を少女に向ける。

「ぁ……」

その光景を見せつけられた少女の瞳から光が消える。

想い人に傷を付けたのは間違いなく少女であり、それはどう見ても致命傷だった。

流れる血は止まる気配すらなく、その足元に血の池を作っていく。

苦悶に歪む顔は悪魔による演出か、血化粧に染まる顔は少女を見据える。

「痛い、苦しい、どうして、僕は君のために。彼の気持ちが手に取る様に分かるんだよ。こんなに素晴らしいものを返すはずがないだろう?」

そのあまりに悪辣なやり口に少女の心は犯され、壊れていく。

本来なら戦いなどとは程遠い場所で、草花を愛で、想い人の隣で笑い、愛を育み、子を成す。

そんな当たり前だからこそ掛け替えのない日常に身を置くはずだった少女なのだ。

それが世界を救うなどという大きすぎる使命を背負わされながらも戦場に立てていたのは、単に想い人にまた会いたいという願いがあったからこそ。

故に、その身を支えていたものを徹底的に壊されては立てない。

「あ……ああァァァァァァァあ!」

胸に灯っていた火は消え、覚悟は打ち壊され、少女の心は音を立てて崩れていく。

残ったのは後悔と自己嫌悪。

何が悪かったのか。どこで間違えたのか。私が悪かった。

私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が──

「あぁ……やっぱり君は最悪の(素晴らしい)女性だよ。僕と彼の目に狂いはなかった。さぁ、君の絶望をもっと見せてくれ!」

ここは地獄の釜の底。

少年少女が夢を馳せる幻想的世界(ファンタジー)などではない。

あるのは絶望と嘆き。

魔王が試練を下し、悪魔が甘言を弄する世界。

英雄的な気質は脆く危うく、そして儚い。

叶えたい望みがあるのならば、自らも闇に堕ちなければならない。

唯一を掴む為に全てを投げ出せば、あるいは──。

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