70.セシルの師匠
日中のアクアガーデンにて、広場を陣取るシャリア商会一行です。
そのシャリア達一行に声を掛けて来た中年男性は、セシルによって「師匠」と呼ばれました。
それが意味する所はセシルに対して何かしらの師事を施した人物で在り、師で有るなら味方であると思われるのですが………セシル本人は実に険呑な雰囲気に包まれています。今にも飛び掛かりそうです。
そんな弟子の様子に師匠はと言うと、頭をボリボリ掻きながらとても面倒臭そうに一行を眺めてました。
「師匠…いえ、主任…何故こちらにいらっしゃったのですか?」
セシルがとてもとても緊張した様に声を、肩を震わせて言いました。………そして何より普段と打って変わって真面目な口調です。主任?師匠では無かったのでしょうか?
それともセシルの若さで会社か何かに属していて、師匠は何やら組織的な上司で、専任の部下とかでしょうか?それで師匠と弟子の間柄という事でしょうか?
何にしてもセシルの属性が山盛りになって行くのを感じます。
「おう、御苦労さん。なんだ?弟子の顔を見に来ちゃ悪ぃのか?」
今にも星骸殻となって飛び掛かりそうなセシルの頭をボスボスと何の事も無さげに撫でる師匠は敵意も害意も感じさせません。
シャリア商会一行は既に置いてけぼり感を食らってますが、シャリアとマックスだけは全く油断も隙も見せません。アスクレピオス医師はそもそも興味が無さげですが。
「マックス、今の見えた?」
シャリアが冷や汗をドバッと溢れ出しながら護衛の男性に問い掛けますが。
「いや全然っす。…あちらの御仁、かなりヤバいっすね。」
若干青ざめて見えるマックスの表情は、何やら自分達が異空間にでも捕らわれたかの様に恐慌して見えました。
アリシアには何の事かさっぱり分からず、二人に問い掛けようとした所でふと訪れた疑問をこの場に投じました。
「ねぇシャリアさん…何で周りに誰も居ないの?」
アリシアの質問にシャリアとマックスは深く息を吐き、師匠から視線を外さないままシャリアが言いました。
「あらぁ?アリシアちゃんも気付いた?」
マックスは二人の間に立ち、続けて言いました。
「あちらの御仁が現れた瞬間からっす。どんな手品か魔法を使ったかは知らないっすけど、どうやら人避けがされてるみたいっすね。………何せ、俺等がこんな険呑な雰囲気だってのに、誰も見てない処か、衛兵や警備隊すら来ないんすから…」
アリシアはそこで漸く師匠と呼ばれる男性が異質な存在で在る事を自覚しました。………そして重大な事に気が付きました。
ーーーーエルキュールが狙われている事にーーーー
「シャリアさん…あのおじさん、エルキュールを「しっ」
ムギュッ!!………シャリアさんに無理矢理口を防がれました。
「エルキュールねぇ?………っかしいな、確か定時連絡では嬢ちゃんって聞いてたんだが、男だったか?」
いつの間にかアリシアの背後でタバコを蒸すその男性は、頭をボリボリ掻きながら一行を眺めて周りましたが、アリシアは自分の愚かさを再び呪いました。
アリシアはこの三週間の間にとんだ腑抜けになってしまったのです。時間だけを無駄に使い、起きないエルキュールに付き添い、害意や敵意に対して鈍感になり。
例えセシルの知り合いだとしても…。寧ろ、星骸殻の知り合いだからこそ警戒するべきだと言うのにです。
アリシアはヤケになりました。破れかぶれに勇者モードを解き放とうとした所で、セシルによって遮られました。
「主任…目的を教えて下さい。貴方は自由にこちらに来る権限が無い筈です。………まさか、彼女の討滅指令が出たのですか?」
真面目な表情で、真面目な声のトーンで、真面目に肩を震わせながら話すセシルの言葉に、主任と呼ばれた男性はやはり面倒臭そうに、そして気怠げに答えを返してくれました。
「やっぱ嬢ちゃんか?………ったく、名前くらい調べてくりゃ良かった。………あぁ、討滅指令?指令ねぇ」
セシルが、シャリアが、マックスが、シャルロットが、シェリーが…そしてアリシアが、ゴクリと固唾を飲んで返事を待つと…
「………んな訳ねぇだろ?さっきも言ったが、俺ぁお前やお前がご執心の嬢ちゃん達の顔を見に来ただけだっつーの。…まぁなんだ?ちょっとばかしバカンス気分でな?」
サラッと言って退けた師匠の言葉に全員は意表を突かれた気分でした。………あぁ、興味を示してないアスクレピオス医師と、全く話に入り込めない山賊のライネルを除いて。
しかしセシルは警戒を解かずに師匠を見つめ続けました。そんな姿にアリシアは思わず
「セシル…」
…と、彼の腕を掴んでしまいました。
それを見た師匠は目を見開き、聴こえた言葉にクックと笑い声を漏らし始めました。………と同時に、セシルの全身から激しい怒気が溢れ返るでは有りませんか。
人も動物も構わず喰らう獣の前で全身にソーセージを巻き付けて、目の前に鎮座させられて舌舐めずりされてる様な、断頭台に首を据えられて、いつでも殺せるのに一切その素振りを見せてくれないドス黒い悪意の様な。または臓腑という臓腑に内側からじわじわと喰らい尽くす蟲をたっぷり腹一杯詰められたかの様な、いっそ自分から死んだ方がマシな感情を無理矢理強制的に叩き付けられた様でした。
「ーーー喝ッッッ!!!」
この場に居た人間の殆どが、激しい自殺願望に囚われ掛けた所で、師匠と呼ばれた男性の一喝により、思い留まりました。
「そうそうそれそれ、そいつだよ馬鹿弟子が。………俺ぁそいつに頼り切るなって言いに来たんだったわ。」
アリシアが首に近付けた赤い剣を捨て、涙と鼻水でグチャグチャになった顔を上げると、セシルの身体は師匠の足一本で地面に叩き伏せられてました。
「せ…せし…りゅ……」
アリシアが回らない舌で黒い剣士の名を呼ぶと…
「おいおい、………お前、その名前を名乗るのは駄目だろ?………なぁ、シグ坊。」
どうやら踏み付けてる青年に向かって言った様ですが、アリシア自身、どうして良いのか判らず、ただシグ坊と呼ばれたのがセシルである事だけが頭に残りました。
「それによく見りゃ何だ?………そっちの茶髪の嬢ちゃん、…何処と無く似てやがるな?………お前の相棒…リンムレ…つったか?」
セシルが師匠の足を掴むと、右手が銀色に鈍く光るガントレットの様な、機械の腕の様な、元からその形が自然で在ったかと錯覚させる程に、不気味に異質に変化を遂げてました。
「それ…以上は…やめて…ほしい………やめろ……やめろやめろめろ…やめろおおおおお!!!!!」
途端に世界が白光に包まれました。
セシルの右手が街を飲み込む様な、膨大な熱量を持つ灼熱の光球を生み出したかと思うと、その輝きは…………
ー
ーーー
ーーーーー
………アリシアが目覚めた頃、シャリア商会一行は先程まで居た広場の椅子に寝かされて居ました。
マックスとアスクレピオスは先に目覚めていたのでしょうか?近くで何やら話し込んでます。
街は特に壊されても無く、夜の帳は降りてましたが街の中心部は昼間程では無いものの喧騒に包まれ、しかしながらも街全体を包む潮風と冬にも拘らず暖かさを感じる気候は過ごし易く、まるで昼間の出来事が嘘の様でした。
そしてうつらうつらと微睡む意識に明るい声が投げ掛けられました。
「やっほ、アリシアちゃん起きた?昼間はヤバかったわねぇ?」
先に起きて居たシャリアの能天気な声にアリシアは昼間の出来事を思い返します。
「こんばんは、シャリアさん………あのおじさんは?」
「さぁねん?あたしが覚えてるのは真っ白い光に包まれて、身体が焼けて溶けた所までよん?後は当人が教えてくれるんじゃない?」
シャリアがそんな気持ち悪い記憶を楽しい思い出の如く語れる異常さはさて置き、その当の本人に視線を向けます。
黒い剣士は木に凭れ掛かり、とてもとても暗い表情で二人から視線を外します。かの右手は普段通り、普通の人間の手をしています。
見間違え…と記憶から追い出すには死の体験とは余りにも気持ちの悪い出来事でしたので、無視は出来ません。
「セシル…」
アリシアの呼び声に、黒い剣士はビクッと反応し、そして………とても怯えている様子でした。
アリシアは息を飲み、………そして
「いいよ、待ってる。………皆無事みたいだし、セシルが話したくなったら聞いてあげるから。………だから、もう二度と裏切らないで?」
アリシアの逃げと切望の混じり合った言葉に、セシルは視線を落としますが、シャリアの言葉は裏腹に辛辣でした。
「あたしは許さないけどねん?…勝手に情報を流されてたみたいだし、人を焼き殺しておいてなあなあで済む筈無いわよね?………話さなかったら、………分かるわよね?
シ・グ・坊?」
シャリアの右手には謎の筒が握られていました。




