白銀都市の怪奇たち
「ちょ……どういう、ことよ」
「なんだ……当たったの、か?」
異様な雰囲気とじっとりとした緊張が漂う中、気配の存在が動きを見せることはなかった。
正体を掴もうとふたりが一歩近づいたとき。
────コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ……。
足音がドアから離れるように奥へと消えていった。
まるでなにごともなかったかのように、奥にいた何者かは離れていったのだ。
「あ、待ちやがれ!」
「グラビス! 待て危険だ!」
グラビスが勢いよくドアを開けてボウガンを構える。
だがその殺気に滲んだ表情はすぐに驚愕へと変わった。
「グラビス……どうした?」
「……────ここ、行き止まり。いや、部屋?」
「え、じゃあ、あの気配の主はどこに?」
気になる部分は多くあったが、グラビスたちは本格的な探索を始めた。
ふたりの息遣いと靴音が部屋の中で不気味なほどに反響する。
気付けばもうひとつの靴音がまた聞こえるのではないかと妄想を過らせながらも、タンスや机の棚などを物色し始めた。
大抵は空っぽで、金庫も見つけたがなかにはなにもなかった。
拍子抜けするほどになにもないこの部屋で、グラビスとヒュドラは一旦休憩を挟んだ。
イスに座って心を落ち着かせる。
これ以上むやみやたらと動き回るのは得策ではない。
「なぁんだったのかしらねぇあの足音は」
「まさか幽霊?」
「いや、幽霊とかそういうゴースト系のものじゃない。だけどなんか変だったわ。あ~、セトたちとは逸れちゃうし、ここには酒以外なんもないし、踏んだり蹴ったりよ」
「……セトもサティスも無事だろうか。私たちみたいに一緒に行動していればいいんだが」
「大丈夫なんじゃない? なぁんか雰囲気的に修羅場慣れしてそうな感じだし」
「そうかなぁ」
「それよりも……あ~、疲れた! 一旦ごろ寝する」
「ごろ寝って……その埃塗れのベッドでか!?」
「このくらいの埃ならへーきへーき。旅とかしてるとボロ過ぎるベッドとかよくあったから。そりゃあああ!」
グラビスは立ち上がり、部屋の隅にあったベッドへ軽い身のこなしで飛び込む。
次の瞬間────。
ドッコォオオオン!
「うっぶっ!」
「うわぁ……」
ベッドに全体重が掛かったと同時にベッドが壊れてしまった。
よほど強い威力で飛び込んでしまったのか、壊れた破片と布、マットに挟まれるような形でグラビスが唸っている。
「ケホ、ケホ……大丈夫かグラビス? ……あれ、これは」
「なぁによぅ。早く起こしてお願いします」
ヒュドラはグラビスを起こして枕付近から転げ落ちた『それ』を拾い上げる。
若干分厚い本のようなもので、表紙は元の色が剥げ落ちてくすんでいるようだった。
「なにか書いてある。これは、日記かな?」
「日記ってなにが書いてあるの?」
「わからない」
「へぇ~、わからない……は? わからないって?」
「そのまんまだ。日記のように日時らしき記号がある。だが文字そのものは解読できない」
少なくとも今この世界で使用されている言語ではない。
今より古い言葉になってしまえばそれは範疇外の分野だ。
「えーわからないってなによー。なんとか解読できないの? ホラ、大陸武術特有の気とかでさぁ……こう、ブワァ~っと読み取るみたいな」
「無理だから。大陸武術にそういうのはないから。そもそも古今東西そんなことができる武術はない」
「なぁんだ。それにしても、古代人がなにやってたかは知らないけど、こういうの書く奴いるんだ」
「そう、だな。でももしかしたらなにか重要なことが書いてあるかも。サティスなら読めるかもしれない」
「もしかしてお宝の手掛かりとか!? こうしちゃいられないわ。さっさとここ脱け出してサティスと合流するわよ」
「セトを忘れるな!」
「わかってるわよあのガキンチョも一緒」
ふたりは日記を持ち出して酒場を出る。
外へ出たあと、ヒュドラは精神を集中させてセトとサティスの気配を探ってみた。
ヒュドラの練り上げられた能力を以てしても読み取りは靄が掛かったようで難しかったが、別の方角にふたりの気配を感じる。
「見つけた。ここから2時の方角だ。ふたり一緒に歩いている」
「よし、そうと決まればさっさと行きましょ。アイツらもなんか手掛かりを掴んでいるかも」
「そう、だな」
ふたりはセトたちのいる場所まで駆けていく。
その途中で妙な視線や気配は感じたが、襲い掛かってくるようなことはなかったので、それが逆に不気味だった。
「ほんっとなんなのよこの都市は……。うわ、後ろからついてきてるんじゃない? 気持ち悪……」
「振り向くな。もしかしたらあの酒場の何者かかも」
「マジで? ……あぁ~面倒くさい」
(それにしてもあの日記に使われていた文字……以前ゲンダー殿から教わったイェーラー族のものに似ていた部分があったな。ほかにも様々な言語が組み合わさっているような……)
ヒュドラは疑念を持ちながら白い霧の街並みをグラビスと進んでいく。
それと同時に周囲の怪しさに一種の恐ろしさを感じていた。
ここがダンジョンであるというのなら魔物なりなんなりの攻撃があってもいいものだが、今のところそういった行動は一切ない。
ずっと見守られている感じは、あの雪山で感じたウェンディゴのそれとよく似ていたが、もしもなにもしてこないというのであれば、なぜ誰も帰ってこれないのか。
死んでいるというのであれば、死体が残っていてもおかしくはないはず。
様々な疑問を抱えながらも、ここがウェンディゴの住処でないことを祈りつつ、ヒュドラは前方を走るグラビスの後ろを走っていた。
ヒュドラたちが近付く中、セトとサティスは建物の内部へと入って探索を続けている。
セトとサティスはかなりの警戒をしていた。
先ほどセトをガン見していたあの像が、セトたちの後ろを音もなくついてきているのだ。
危害を加えようという気はなさそうだが、一定の距離を保ちつつ背後にそびえている様は不気味以外のなにものでもない。
しかしそんな中でも探索を地道に続けるふたり。
机とイスが規則正しく縦横に並べられた部屋もあれば、彫刻や絵が置いてある部屋もあった。
その間もついてくる像を気味悪く思いながらも、セトたちはある部屋の前まで辿り着く。
「セト、ここ……」
「ここがなにかわかるのか?」
サティスは考えるように黙っていた。
なにか思うところがあるのだろうと急かさずに待っていたところ、セトは瞬時に外から、殺意にも似た気配を感じとる。
それは外の戦闘と比べるとあまりに微弱なものであったが、気を張り詰めていたセトにとってそれは、白の中に突如として現れた黒い点。
気付くには丁度いい濃度であった。
サティスは気付いていなかったようで、その部屋へと入ろうとセトを招いている。
入る前にセトはふと像を見るも、大して差は変わっていない。
(攻撃してこない奴と、そうでない奴がいるのか? サティスが話してくれたあの音もなく這い上がる少年っていうのも……)
いつでも魔剣を引き抜けるよう呼吸を整えながら入ると、そこには無数の本が収められた本棚が規則正しく並んでいた。
この形式の部屋はなんとなくだが理解できる。
「これは……図書館って奴か? それか資料室」
「かもしれませんね。少し探ってみましょう」
敵の気配がすると告げる前に、セトは感じ取る。
すでにこの部屋に入っていると。
セトは気取られぬようあくまで自然に振る舞いながらも姿を本棚へと隠した。
自分も探し物をしていると見せかけるように。
そしてそれはすぐに起こった。
「セト、……あれ? セトどこですか?」
サティスがふと振り向いた直後だった。
「キョオオオオオオオッ!!」
頭上から奇声を上げながら何者かが短刀ふた振りを掲げて襲い掛かってくる。
サティスはバックステップで躱そうとしたが、相手に先手を取られてしまったこともあり、斬撃圏内に入ったままだ。
(しま────ッ!)
魔術を発動させようにもすでに遅し。
腕をクロスさせなんとかダメージを少なくしようとした直後だった。
「ぶばぁああッ!?」
「え……?」
敵が真っ赤な一閃にて真っ二つに斬り裂かれる。
それは敵に備えて動いていたセトだった。
標的が自分でなくサティスのほうに向いたとわかると、セトは忍ぶる相手に忍び寄り、逆に重い一撃をお見舞いしたのだ。
「サティス、無事か?」
「え、えぇ……アナタ、これは一体」
「この部屋に入る前にちょっとした気配を感じた。言おうと思ったんだが行動が早くてな」
「そう、でしたか。ありがとうセト。また救われましたね」
「気にするな。俺の仕事だ……む」
セトは襲い掛かってきた敵を見る。
軽装甲ではあるがその身はまるでミイラのように細い。
死してなお爛々と光る目には恐るべき狂気の名残が見られる。
この者が何者なのかを知る前に、また3人がセトたちの前に現れた。
「……もしかしたら、この白銀都市の兵士なのかも。見てください。まるで……」
「あぁ、動く死人だ。恐らく情報は聞き出せない。話も通じなさそうだしな」
「キョオオオオオオオ!」
「キョオオオオオオオ!」
「シャオオオオオオッ!」
3人が襲い掛かってくる。
だが、セトたちの敵ではなかった。
瞬く間に斬り伏せられ、あっという間に動かなくなる。
サティスの魔術で調べてみると驚くべきことがわかった。
「これって……まさか……」




