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血潮の華と誠の剣

 ヒュドラがいると聞き、むくれっ面だったサティスだが、その戦いぶりに目を見開く。

 気付けば拳を握りしめ、彼女の健闘を内心讃えていた。


 セトがいたときよりも動きに無駄がなく、サティスと戦ったときよりも技の練度や威力が上がっている。

 決勝までヒュドラは無傷で勝ち上がり、まもなく勝負が始まるところだった。


「あの人、一体どれだけ修羅場を……。基本ワンパンで勝つって有り得ないでしょ」


「あぁ、そしてさっきの試合では高速での蹴りを4発。始まってすぐに叩き込んだ。……当たった音すら聞こえない」


「いけ好かないなぁ……反省して以前より強くなったとか、いじめてやりたいです」


「さ、サティスぅ……」


「半分冗談ですよ。でも、セトにしたことはまだ許せないですし、それに関してまだ謝って貰ってません。……なので話し合いの場を設けようと思います」


「ほ、本当か?」


「勘違いしないで下さい。場を設けるだけです。……さぁ、始まりますよ」


 ヒュドラが入場する。

 その後で壮大な音楽とともに向こう側から現れてくるのは、この闘技場のチャンピオン。


 ヒュドラの倍はありそうな偉丈夫の大男は大斧を軽く振り回してから、地面に突き立てる。

 挑戦者であるヒュドラを鼻で笑いながら、首や拳を鳴らした。


「ここまで無傷で来るとは大したモンじゃねぇかお嬢ちゃん。いいねぇ、強い女をいたぶるのは大好きだ」


「……」


「へ、だんまりか。大陸のキックボクシングを嗜むみてぇだな。言っとくがな、俺は達人だとか抜かしやがる武術家ってのを何人もぶっ殺してきた! 安心しな、お嬢ちゃんは寝たきり程度に手加減してやるぜ」


 チャンピオンは獰猛な獅子の眼光を以てヒュドラを睨みつける。

 吊り上がった口角から、まるで瘴気のように荒い呼吸が漏れ出ていた。


 まさに戦うために生まれてきた男。

 チャンピオンの言葉に同調するように観客たちが大歓声を上げる。


 そんな中、ヒュドラはずっと落ち着き払った様子だった。

 自身を侮辱されるような言葉を何度浴びせられても意にも返さないという、過去の彼女からはありえないものだ。


 そしていよいよ戦いのゴングが鳴る。

 終始黙っていたヒュドラは呼吸を整えるも、構えはおろか、剣を抜こうともしない。


 力みはなく、あくまで自然体のまま。

 肩と腰、肘、膝、手、足、すべての連動性を高めるための意識の流れ。


 背筋が自然と張り、視界はさらに澄んだものとなる。

 ヒュドラの神経は魔王討伐の旅に出る前以上に研ぎ澄まされ、それは彼女を一種の境地に立たせた。

 こんな風に……。


「な、なにぃい……ッ!?」


 チャンピオンの袈裟に振るった大斧の刃が止められる。

 それも2本の指でだ。


 左の人差し指と中指の第一関節で、重く分厚い刃を挟み込むようにして、本人には寸分のブレはなし。

 しかも視線は別の方向を向いている。


「……」

 

 向くは右人差し指に止まっている可憐な蝶。

 どこから紛れ込んだかは不明だが、ヒュドラは穏やかな表情で止まっている蝶を見守っていた。


 チャンピオンはここで怖気が走る。

 自分よりもずっとちっちゃな存在が、血生臭い戦場で蝶を愛でているなど正気ではない。


 しかもたった2本の指で自慢の大武器を止められている。

 引いても押してもびくともしない。


 先ほどの熱気はどこへやらと言わんばかりに、客たちも緊張に満ちた驚愕で静まり返る。

 そんな静寂もものともせず、ヒュドラは蝶を指から飛ばし、ようやく視線をチャンピオンに合わせた。


 その拍子に斧から指を離す。

 このとき、チャンピオンは直感で悟った。


(い、今ここで、この瞬間にこの女を殺さなきゃ……ッ!)


 雄叫びを上げ、大斧を振るう。

 岩など容易に砕くほどの威力を誇るその斬撃は強烈で、喰らえばひとたまりもない。


 それを連撃で舞うように繰り出すのだから、まさに荒れ狂う嵐のようなもの。

 地面を抉り、乱風は熱された空間をかき混ぜる。


 これらの猛攻にヒュドラは顔色ひとつ変えず対応していく。

 右の拳ひとつでタイミングよく大斧を払いのけ、身体が開いたところを一気に詰め、左の拳で骨や肉を抉るように叩き込んだ。


 ヒュドラにはすべて見えていた。

 視覚は勿論、まるで未来を少し覗いているかのような感覚の中で、相手の技を見切る。


(不思議だ。以前の私ならここまでの動きは有り得ない。────流れに身を委ねるこの感覚は、まるで自分が仙人かなにかにでもなったかのような……)


 身体が覚えている。

 幼い頃より鍛え上げた肉体に刻まれた套路。


 そしてベンジャミン村で教えを乞い、様々な達人たちの哲学に触れたこと。

 すべてがヒュドラの血肉となり、技となり、思うような動きで思うように当たる。


「ぐわあああ! こ、このぉお!!」


 濁声の悲鳴を上げながらも大斧を振るうことをやめないチャンピオン。

 ヒュドラの攻撃は彼の指先や腕の関節にまで至る。


 さらには経絡経穴に一撃を加え、肉体にショックを与えるという技も出した。

 以前のヒュドラのような気炎万丈の猛攻は鳴りを潜め、ひたすら静かな一撃を繰り出す。


 しかしその一撃は以前とは比べものにならないのは言うまでもない。

 一見シンプルな動きでありながら相手に鬼のようなダメージを与える。


 別人かと思えるほどに強くなったヒュドラの姿に、セトもサティスも目を見張った。

 

「この……鬼クソがぁああッ!!」


 チャンピオンの必死たる反撃の一撃が、ヒュドラに当たる。

 羽毛のように宙を舞い、壁に叩きつけられるヒュドラにどよめきが走った。


 チャンピオンは荒い呼吸を繰り返しながら片膝をつく。

 ヒュドラの攻撃は確かに効いているようだが、気合でなんとか持ちこたえているようだった。


 一方、ヒュドラはぶつかった壁から這い出すように立ち上がる。

 ダメージを負ってはいるが、まだまだ動けそうな雰囲気だ。


 服に着いた埃を払い、先ほどより鋭い表情でチャンピオンに向かっていく。

 チャンピオンにとって、その姿が異様だった。

 

「ば、バケモンがぁあああッ!!」


 チャンピオンは立ち上がり恐怖を大声で払いのける。

 大斧を振り回わしながら、ヒュドラに斬りかかってきた。


 ここでようやくヒュドラはかの剣を引き抜く。

 鞘から抜かれた宝剣『天翔ける豹の涙(ティカムセ)』の刀身に艶やかな光が宿った。


 それを逆手に持ち替え、背中に背負うようにして構える。

 右足を大きく広げるようにしてしゃがみ、まるでうずくまるかのような姿勢だ。


 そんなヒュドラにチャンピオンはその凶刃を叩き込まんと大上段からの一撃。

 刹那、ヒュドラはその超低姿勢を維持したままその身を高速回転させた。   


 錐もみ状にチャンピオンを通り抜け、後方へと着地する。

 さっきまでヒュドラがいた場所に刃が突き刺さり、唖然としながら見るチャンピオン。


 次の瞬間。


「ぎゃあああああああッ!!」


 チャンピオンが頭を抱えるように叫びだした。

 彼はほんの一瞬幻覚を見たのだ。


 身体中を一瞬にして斬り刻まれ噴血して死ぬ自分の姿、そのヴィジョンを。

 ふと現実に帰るとそこには刀傷のひとつもない。


 その代わりに自慢の大斧がバラバラになって、地面に転がっていた。

 呆然と立ちすくむチャンピオンに、戦う前の覇気は完全に消え失せている。


 見せられたあのヴィジョンのように、戦意を断たれてしまったのだ。

 

「私の勝ちでいいかな?」


「あ、ぁ」


「これ以上やるのなら、本当に血の華を見る。見たいのなら、別だが」


「うぐ……くそ」


 新たなチャンピオンの誕生である。

 これに対し一斉に歓声が上がった。


 セトも惜しみない拍手を送り、サティスはまだ若干素直になれないながらも小さく拍手をしている。

 歓声に包まれながらも歓喜の表情を見せないヒュドラ、しかし一種の達成感は垣間見れた。


 自身の実力を上げられただけでなく、セトやサティスにもキチンと顔向けできると思い、安心感に包まれている。

 

 かつて過ちを犯した者が、過ちから目覚め、悟りへと歩み始めた。

 これはまだほんの一歩なのだと、ヒュドラ自身感じている。


「さぁて、表彰式だな。……う、う~ん、なんだか恥ずかしいな」


 ふと客席を見ると、セトが手を振っているのが見えた。

 その隣でサティスが軽く腕を組んで複雑そうな表情をしながらも、称賛の親指を静かに立てる。


 こうして闘技場は波乱の展開を経て、終わりを告げた。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 地の底まで堕ちたキャラがまた再び立ち上がるってのはいいですね! 試練の時は相手が悪かったけど凄く強くなってる
[良い点] 堕ちてざまぁ扱いされたキャラが更生して復活するのもまた良いもんなんですね
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