俺はある場所で、彼女と出会った。
甘いダンスのあとの時間は、ふたりでゆっくりと歩く。
人混みの騒がしさの中で、手を繋ぐセトとサティスの靴音が心地よく響いていた。
世界一の大都会というだけあって、恐らく1日では回り切れない。
道行く人々の数名かの視線がすれ違いざまで、ふたりに向けられる。
特にサティスへの視線へすさまじい。
「なぁ、前から気になってたんだが、サティスって人にジロジロ見られても平気なのか?」
「慣れてますからね。特に人間相手ですと」
「ふ、ふ~ん……」
「あら、もしかして妬いてます?」
「そ、そうじゃねぇけど」
心なしかセトの握る手が強くなるのを感じたサティスは、おかしそうに笑いながらもフォローをいれる。
「昔の話ですよ。あんなおふざけは二度としません」
「わかった。信じる」
「フフフ、セトに嫉妬されちゃったー」
「だ、だから嫉妬じゃない!」
歩くうちに広間に辿り着いた。
中央には巨大な噴水があり、水飛沫が陽光と風に揺られて涼し気な光を帯びている。
セトとサティスはベンチに腰掛け、しばらくその広間の心地良さを味わっていた。
サティスはリラックスしたように足を組んで、背もたれに寄りかかりながら背伸びをする。
そのとき、セトは広間の先にある大きな建物を見つけた。
手前側の建物群に少し隠れてしまっているが、それでもその存在感を与えるそれに、セトは興味を持つ。
「サティス、あれは?」
「あれは……あぁ、王立劇場ですね」
王都に設けられた巨大な劇場で、数多くの名優たちが舞台をひとつの世界として演じ切るのだ。
しかしセトにとって、舞台だとか演劇というのがいまいちピンとこなかった。
「すまんサティス。俺はずっと戦場くらいしか見てこなかったからアレなんだが……演劇ってのは、見ていて楽しいものなのか?」
「楽しいのもあります。特に喜劇なんかはそうですね。まぁ今は悲劇系が主流というか流行ですからセトには合わないかも」
「ふ~ん、でも見てみたいな。どんなのをするんだろう……」
「ん~、あぁいうのは貴族とかが見るものなので、今の私たちが行ってもねぇ」
「貴族の娯楽ってやつか」
「まぁそんな感じですね。……折角ですし、近くまで行って見てみませんか?」
「あぁ、それはいいな! あんだけでっかいんだったら近くで見たらきっと凄いんだろうな!」
「フフフ、じゃあ行きましょうか」
こうしてふたりは王立劇場まで歩きだす。
道中に見る張り紙には演劇の代替的な宣伝が描かれていた。
小難しいことが書いてあり、「なんのこっちゃ」と言わんばかりの顔になるセトだったが、劇場に着いた直後に圧倒的な迫力に思わず目を見開く。
「わぁ~、私以前は遠目でしか見たことなかったんですが……やっぱり近くで見るともう迫力が違いますね」
「あぁ、それに、彫刻とか、飾りとかがすっごく綺麗だ」
ふたりはしばらく劇場を見て回りながら、世界の大きさを知っていく。
劇場の間近くまではいけなかったが、それでも壮麗な光景にセトは胸を躍らせた。
サティスはセトと歩幅を合わせながら、劇場の周りにいたスタッフやその他関係者を見る。
中には舞台俳優だろう人間もおり、裏口のほうへと回って入っていくのが見えた。
(舞台俳優、かぁ。私も、ちょっとやってみたり……なぁんて。さすがにそれは妄想が過ぎますね)
ふとサティスは思い描く。
もしもセトとこういう場所へ来ることができたなら、どんな演目を見ようかと。
胸を打たれる悲劇か、腹を抱えるような喜劇か。
どちらにしてもセトは途中で寝てしまいそうなイメージを持ってしまった。
そう考えると自然と笑みが零れるサティス。
セトに上品な暮らしはきっと似合わないし、彼本人もきっと堅苦しくてストレスになるだろう。
(でも、こういうの一度でも見せて上げられたらなぁ~。きっと彼にとっていい経験にもなるだろうし)
「ん? サティス、どうした? なに笑ってるんだよ」
「いいえ、なんでも。さ、次に行きましょ。次に」
「お、おう」
次に向かったのは王都名物の闘技場であった。
先ほどの巨大劇場に勝る迫力を持ち、壁にはいくつもの戦士たちの巨像が彫刻されている。」
「ここは長い王都の歴史の中でもかなり古い部類に入る建造物です。腕に覚えのある戦士がここへ集い、優勝を目指して覇を競うのですが……未だに誰もチャンピオンを倒せていないそうです」
「ほ~ん。そんな強いのか……。もうすぐ開催らしいな。どうする、観ていくか?」
「あら、自分も参加するーって言わないんですね」
「知ってて聞いてるだろ……。俺は別に誰彼構わず戦いたいなんて思ってない。どうだ? サティスが嫌なら俺も合わすよ」
「いえ、別に構いませんよ。今日1日だけの滞在ではないでしょうし、こういうの見ておくのも悪くはありません」
こうしてセトとサティスは闘技場の中へと入っていく。
だが彼らは気付かなかった。
「あれは……あのふたりは……」
そのふたりの背中を見ながら佇むひとりの女の姿を。
そして間もなく始まる頃合いになった直後、セトは飲み物を買ってくると席を立つ。
サティスからお金を受け取り、ふたりぶんのドリンクを買いに廊下を歩いていた。
「あれ、迷ったか? ヤバいな、急がないと始まっちまう」
セトがキョロキョロと周りを見渡していた直後、後ろから声をかけられる。
それは聞き覚えのある女性の声だった。
セトがゆっくりと振り向くとそこには……。
「……」
かつての勇者一行のメンバーにして、ベンジャミン村でセトたちに襲い掛かった存在。
────女武闘家のヒュドラだった。
「ヒュドラ……」
ふたりだけの空間に不気味な静けさが漂う。
戦闘の空気ではないが、お互い動けないでいた。
ヒュドラには敵意や殺意はなく、瞳には憐みと懐かしさを帯びた潤みが見てとれる。
セトにもまた敵意や殺意はなく、その瞳に映る世界をじっと見ていた。
「久しぶりだな。サティスも一緒だったな」
「見てたのか?」
「あぁ、私は出場者、君たちは観客のようだが……」
再び黙り込むふたり。
今度はセトから口を開いた。
「どうしてここに? アンタ、ベンジャミン村にいたんじゃないのか?」
「あぁいたとも。そこで、自分が犯した過ちを悔いていた。そして、ここへ来た」
「ここへ来るように言ったのは、ゲンダーか?」
「そうだ。私は、……君たちに謝りにきた。でもまぁ、中々見つからず、ちょっと自分の力がどれほどのものになったか確かめてみたいというのもあって、ここへエントリーしたんだが。タイミングが良かったのか悪かったのか、ここに君たちが入っていくのが見えたんだ」
「俺に、謝りに?」
そうだ、とヒュドラは頷く。
セトから見て、彼女はまるで別人だった。
旅をしていた頃や、村で襲い掛かってきたときとはまるで雰囲気が違う。
以前のヒュドラには見られない落ち着きのようなものがあった。
「謝っても、償っても、きっと消えない。嫌な思いは残り続ける。でも私は、君たちに謝りたいんだ。このどうしようもない魂で、償いたい。本当にごめんなさい」
「ヒュドラ……、俺は別にアンタに復讐しようとか、許さないなんて言うつもりもない。究極な話、別に謝って欲しいとも思ってない」
「わかってる。君はそういう性格の人間だ。謝りたい償いたいだなんてものは結局のところ、私の我儘だってこともな」
「そんな八方塞がりみたいに考えなくてもいい。ただ……そうだな……」
セトは腕を組んで考え、ヒュドラはそれを首を傾げながら見ていた。
今セトは自分の気持ちを整理して、それを伝えようとしている。
「ヒュドラ」
「なんだ?」
「……俺と"友達"になってくれるか?」
「え?」
「許す許さないの間柄とかじゃなくて、ただ単純に、俺の友達になってくれるか?」
「と、友達って……なんだ急に。私は、その……」
動揺するヒュドラ、しかし無理もない。
最早、仇と言ってもいい存在であるヒュドラに、セトは"友達"になるよう求めたのだから。
しかし、セトは続ける。
「言っただろ。俺は別にアンタに対してなにかしようかとは思っちゃいない。でも、こうして謝りに来てくれたことは正直な話嬉しい。……で、アンタは出場者だ。だったら俺は、アンタを応援したい。"かつての仲間"じゃなくて、"ひとりの友達"として」
廊下に風が吹いた気がした。
謎の心地良さがヒュドラの頬を撫でて、胸の内を軽くしていく。
許された、というような感覚ではない。
解放感ではなく、沸き起こるような感覚。
これから物事に立ち向かおうとする意志、『勇気』だ。
「友達、か。そうか、セト。君は私を友達として見てくれるんだな?」
「あぁ、そうだ」
「わかった。友達としてできることはきっとあんまりないだろうけど……、私は君の応援に応えてみせる!」
「あぁ! 頑張ってくれ!」
ふたりはようやく歩み寄り、握手をする。
ヒュドラはずっと罪悪感を抱える覚悟を決めていた。
たとえ謝っても拭い去ることのできない過去に苦しむだろうという覚悟を。
だが、今あるのは罪悪感を吹き飛ばすほどの友情と勇気。
それを与えてくれたのが、被害者であるセト自身なのだ。
ヒュドラは、ベンジャミン村を出る前の祈祷師ゲンダーの言葉を思い出す。
(ゲンダー殿、道は、確かに開けていました。いいえ、正確には、彼が開けてくれた)
ヒュドラは少し涙ぐみながら、セトと別れて出場者控室へと歩いていく。
セトと晴れて友達にはなれたが、まだサティスに謝罪を行っていない。
(謝ってもサティスは私を許さないかもしれない。だが、彼女のいかなる決断に私はケチをつけるつもりもないし、慈悲を乞うつもりもない。……それが、今私が持てるもうひとつ勇気だ。この勇気を持つことに一片の迷いもない。あの驕り高ぶったかつての私は死んだのだから)
一片の勇気は、尊大な驕りを吹き飛ばす。
ヒュドラは密かに拳を握りしめた。
その後ろ姿を見て笑みを浮かべるセトだったが。
「あ゛、飲み物売り場どこか聞いとけばよかったな……しまった、うっかりしてたぁ」
後頭部を掻きながらまずそうな表情をする。
数分彷徨いながらも飲み物売り場に辿り着き、戻ったときには第一試合が終わっており、サティスに溜め息を漏らされる始末。
「次からは私が行きますね」
「ごめん……。あ、そうだ。サティスに話しておかなきゃいけないことがある」
「うん、なんです?」
「実は────」




