俺とサティスは、今を踊る。────今は踊るだけでいいのかもしれない。
王都での時間の流れは、これまで以上にゆっくりに感じた。
ここにいる誰もが心に高揚を持っている。
出店に並ぶ食べ物や道具、武器を眺める客たちは、その高揚を目に宿らせ買うか買わないかを決めていた。
中には冷静に物を見る者もいるが、金に余裕があって心が緩んでいる者はその心の赴くままに商品を買い漁る。
そんな様子を見ながら、セトとサティスは通りを歩いていた。
普段と違う彼女にセトは心は落ち着かないようで、子供ながらに高揚感で支配されそうになっている。
常に精神的なコントロールを利かせてはいたが、サティスを前にはまるで無力なのかもしれないと、セト自身悟り始めていた。
ホピ・メサの街にいたときも、ずっとサティスを案じていたのだから。
ふと思うと、こうして一緒に街を回るのはもしかして久しぶりなのではないかという考えがよぎる。
同時に、自分の勝手都合に振り回してきたのではないかという考えもまたセトの中をよぎった。
サティスは実は心苦しい思いをしているのではないか、ベンジャミン村のときのような落ち着きのある生活がしたいのではないかと。
「セト?」
「え、あ、なに?」
ぼんやりと考えていたセトを呼び掛けるサティス。
繋いでいた手から、セトの感情の変化を悟った。
女の勘ともいうべきものだろうか。
今、セトがひとり精神的にひとりぼっちになったかのような感じがした。
「あれだけはしゃいでいたのに随分静かになっちゃったから、どうしたのかなーって」
「別に、なんでもないよ。人の行き来が激しいから少し戸惑ってただけだ」
「そうですか?」
サティスはこれ以上は問わなかった。
ただ、またひとりでなにかを抱えこもうとしているなという確信めいたものは感じている。
「セト、私、今とても幸せですよ」
「……え?」
「元は権謀術策が得意の残虐非道な魔王軍幹部だった私が、こうして色んなところを見て回って、色んな思い出も作って……。ほんのひとときとはいえ、村で穏やかな生活ができたりとか。……すべては、アナタが叶えてくれた幸せなんです」
「……俺はなにもしちゃいない。俺にそんな力なんてないよ」
「そんなことないですよ」
「本当だ。俺はどっちかっていうと……ホラ、戦ったりとか飯食ったりとか、そういうのしかしてない。サティスみたいになんでもはできない」
自嘲気味に笑うセトだが、表情は穏やかで嬉しそうだった。
サティスが横にいることが当たり前になってしまっている今、セトは自分の立ち位置に疑問を抱いていたのだ。
そう思うと、疎外感が生まれてくる。
満たされているからこその不安だった。
だが、サティスはすぐにそれすらも見抜いた。
自分はわかりやすいのかとセトは乾いた笑みが漏れる。
「今ならはっきりと言えます。私はセトが好きでいる私自身が好きです。セトと一緒に旅をして楽しいことも辛いことも共有できる関係である私自身が」
「サティス……」
「アナタはどうです? まだ自分自身のこと、好きにはなれませんか?」
それはウレイン・ドナーグの街にいたときにあった問いかけだった。
強敵セベクとの激戦の最中、彼に問われたこと。
────他人のことは好きになれても、肝心の自分自身のことは好きじゃないでしょ?
最早朧気にもなっていたあの言葉。
よく考えれば一番大事なことではなかったかと気付く。
セトは視線を少し落として考えるが、答えは出ない。
ここまでサティスと時間をともに過ごしていながら、サティスのように堂々と胸を張って自分が好きとは言えそうになかった。
そのことに後ろめたさを隠し切れない様子のセトを見て、サティスは優しく微笑む。
「すぐに答えは出ませんよ。焦らないで、私はアナタを置いて行ったりなんかしない。それに、前に言いましたよね? 私と一緒に色んな場所や色んな人に出会うほうがずっと良いって。そんな自分を大切にできればいいって」
「そう、だな。うん、その通りだ」
セトは軽く頷く。
膜が張っていたいたような心の靄が今は晴れて、人々の賑わいが再び心に響いてきた。
「セト、私はこうしてアナタといるだけで嬉しいのですから、アナタが妙な罪悪感に囚われる必要はありませんよ。そんなのアナタらしくない」
「へへへ、ありがとうサティス。少しだけ怖かった。一瞬、俺がいることでサティスが……────」
そう言いかけたとき、サティスは立ち止まって人差し指で彼の口を止める。
「そういうネガティブ発言は、めっ! ですよ」
「ぅ、ぉ、おお」
「ホラ、お店はもうすぐですからご飯食べに行きましょう。ビーフシチュー食べるんでしょ?」
そう言ってサティスは艶めかしくその指を自身の下唇に当てた。
ある意味間接キスだ。
セトは嬉しそうに頬を紅潮させながら、サティスとともに目当ての店へと入る。
広々としたホールには、ダンスをするための間があり、そこでは何人かの男女が一緒に音楽に合わせて緩やかなダンスを踊っていた。
昼からこういった趣向を凝らしている店は珍しかったが、セトとサティスはその店の雰囲気を大変気に入り、空いている席に座ってオーダーを出す。
料理が来る間、お互い手を繋いで腰に手を当てながら揺れるようにして踊る男女たちを見ながら待っていた。
「見たことないダンスだな」
「ダンスにはああいうのもあるんですよ。……あ、そうだ。セトもどうです一緒に?」
「え゛!? お、俺はいいよ! ダンスなんてやったことないし……」
「最初は誰だってそうですよ。私はアナタと踊りたいのですが、ダメですか?」
「うぅ……まぁ、あぁいうのならできそう、かなぁ?」
「フフフ、ヘタクソでもいいじゃありませんか。ヘタクソだからこそ踊れるダンスだってありますよ」
「言ってくれるな……」
「アナタと踊るのなら、きっとどんな音楽でも楽しく踊れそう。そう感じるんですよ」
丁度そのとき料理がふたりのもとに届く。
ホカホカのジャガイモに、パン、そして芳醇な薫りを漂わすビーフシチュー。
見ているだけで口の中が唾液でとろけてしまいそうだ。
サティスは料理のほかに白ワインも頼んでいる。
「じゃあ、いただきましょうか」
「うん」
一口食べてわかることは、まさに見た目通りのトロミとコクが口の中で広がるということだ。
鼻から空気を通すと、さらに風味が変わったように感じる。
今度はパンをひとつまみして、ビーフシチューにつけて食べてみた。
パンのパサつきの中に染み込んで、独特の味わいが出てくる。
正直、パンがここまで美味く感じるとは思わなかった。
こうしてセトが美味しそうに食べるたびに、サティスのセトを見る目は優しいものへと変化していく。
本当に幸せを感じているという表情だった。
サティスもワインが進む。
食事を終えたときには、あれだけ乗り気ではなかったセトが、ダンスをしたそうにソワソワとしだしていた。
「フフフ、そんなに焦らなくて大丈夫ですよ。少し休んだら、一緒に行きましょう」
「あ、あぁ。わかってるよ。俺はいつでもいいから! サティスに合わせるからな」
「あらあら、フフフ」
少し時間が経ってから、セトとサティスはダンスに参加する。
セトからしてみれば、ダンスなど初めての経験である。
戦いでの足運びは慣れているが、こうも上手くいかないものかとセト自身驚くばかり。
それに比べてサティスは随分と慣れているようだった。
曰く、以前人間と関わったりしているときに覚えたのだとか。
しかしそれは他者を欺き貶めるための道具としてのダンスだ。
今は違う。
大切な人と大切な時間をお互いが見つめるための技法のひとつなのだ。
サティスの指導のもと、セトはステップを刻んでいく。
ぎこちないながらも、セトはサティスと足並みを合わせ、音楽とともに踊った。
サティスはある言葉を思い出す。
どこの誰だったかは忘れたが、"人生はダンスと一緒で、誰とどのように踊るかだ"と。
(くだらない戯言と思った。でも、今ならわかるかもしれない)
サティスはそんなことを思いながらセトと見つめ合う中、微笑みを見せる。
セトはその微笑みを見て、照れながらも微笑み返した。
お互いがいつも以上に輝いて見える。
こうして踊っているだけなのに不思議な感覚だった。
それだけでなく、周りにいる踊っている人々や演奏者、それを見て料理や酒を嗜む人々も同じくらい、セトには輝いて映る。
そこには日々のやりきれない思いを抱えながらも笑う人や、今の生活に満足し満面の笑みを浮かべる人もいたが、すべては同じ輝きだった。
「なぁ、サティス」
「ん?」
「もうちょっと、踊っていようか」
「えぇ」
本当は食後すぐにでもサティスと色々と見て回ろうかと考えていたが、セトは安らぎの表情でサティスと踊った。
サティスはそんなセトに身を委ねるようにして、ステップを踏み続ける。
ほんの一瞬だが、お互いの目線の高さが釣り合ったように感じた。
一体感が生んだ刹那の錯覚だろうが、セトやサティスにとってはどうでもいい。
人間でも魔人でもない。
少年兵でも魔王軍幹部でもない。
"ただのセト"と"ただのサティス"がそこにいるだけ。
ただの時間が、当たり前のように共有できている。
それだけで、ふたりは満足だった。
このとき、自分自身を受け入れるというのがセトには少しわかった気がする。
明確な言語化は難しいが、口に出すより、こうしてサティスと感じているほうがいい。
セトはそう思いながら、サティスとこの緩やかな時間の中でのダンスを楽しんだ。




