The Fire!!
話を聞きながら乗船して数分後、船は予定通り出港する。
赤砂漠の民というのはセトもサティスも聞いたことがなかった。
グラビスはセトが孤児であったとは知らず、申し訳なさそうにしながらもセトたちに話してくれた。
セトが知りたいと頼んだのだ。
赤砂漠の民は王都から遥か西方の砂漠にある国で暮らしていたが、王国との戦争によって国そのものが滅び、民たちも散り散りになったとのことだ。
戦争なら仕方ない、とは言い切れない思いがセトにはあった。
赤砂漠の民という呼称の中に、自身の起源たる血が流れている。
だが、世界規模で見て、その血はかなり薄まってきているだろう。
船の縁から穏やかな大河と空、そして遠くの山脈に目を細めながら、セトはその民族たちのことをふと思い浮かべた。
今日この日まで、自分はどこから来たのかを考えたことなどなかった。
毎日周りの言うことを聞くのに必死で、剣林弾雨の中で生き残るのに必死だったから。
そう思って自身の容姿をもとに考えてはみたが、どんな衣装をまとい、どんなものを食べ、どんな会話をしたのかまったく見当がつかない。
大自然の光景に視線を向けようにも、河も鳥も山も、答えてはくれない。
流れとともに吹きゆく風が、セトの頬を優しく撫でるだけだった。
「そっか、アンタ、少年兵なんだ。あれ? じゃあサティスって何者?」
「え~っと……なんていうのかな」
「私はこの子の身内みたいなものです」
「ん? 身元引取人ってこと?」
「……まぁ、そんな感じです」
サティスは元魔王軍幹部であったことと、セトと敵対していたことは伏せておいた。
ワケアリということを察してグラビスは肩を竦めながら、おちゃらけた風に話を切り上げる。
「ふぅん、てっきりガキンチョ好きこじらせてさらってきたのかと────」
「ウフフ、河に放り投げますよ?」
「ちょ、目が笑ってないから……怖い、怖いって」
グラビスが表情を引きつらせながらセトに隠れるように移動する。
セトは彼女の手にグイグイと引っ張られながらも、ずっと河を見つめていた。
グラビスはその視線を追いながら、自分も河を見るために縁にもたれる。
サティスもまたセトの隣へと近寄り、彼の頭を優しく撫でながら河を眺めた。
セトは頭を撫でられて気持ちよさそうに少し目を細めながら、一息ついている。
涼やかな風はあれど、暑さを感じる天候であったが、サティスが傍にいてこうして寄り添って温もりを与えてくれるのは、まったく苦ではなかった。
むしろこうしてサティスと触れあっていると、心臓が安らぐような感覚を覚える。
体内を巡る血液が落ち着きのある流れとなっていくような、安心感めいたものだ。
お触り禁止などという言いつけがなければ遠慮なく触っていただろうが、セトはときどきで感じるこの温もりと柔らかさに満足していた。
「え、ちょっと待って。なにこの空気? アンタらふたりってそういう関係?」
「そういう関係だったらなんなんです?」
サティスは余裕を見せるかのような表情で、セトの頭を撫でたり顎を撫でたりする。
器用な手つきにセトの顔は紅潮し、今にも蒸気を発しそうだ。
目を河から逸らし、ソワソワとし始めるセトの姿を見て、ちょっとイラっとしたグラビス。
「待ちなさいよ。え、当てつけ? 当てつけをしとんのか?」
「べっつに~。私はいつも通りセトに接しているだけです」
「い、いつも通り!? ちょっとセト、アンタ本当に……!?」
「ぁぅ、そ、その……」
「あーあー、調教されたみたいな顔しちゃってまぁー」
「ちょっと人聞きの悪いことを言わないでください。あと、調教だなんて汚い言葉を使わないように」
「ふーんだ! 男ってのはね、成長するにつれて汚い言葉も覚えんのよ!」
「覚えませーん! セトはそんなこと言いませーん!」
女同士の言い争いが始まろうとした直後だった。
もう少しで王都につこうとしていたとき、船内が騒がしくなっていくのに気付く。
どうやら船内に魔物が現れ、暴れまわっているらしい。
というのも、密輸目的で眠らせておいた魔物を積み荷として船に積んだら、この段階で目を覚まし、乗客に危害を加えようとしているのだ。
この騒ぎにセトが動こうとした直後だった。
「……────ここで待ってな」
グラビスの目付きが変わる。
まるで殺しの依頼を請け負った殺し屋のような美しくも恐ろしい顔で、現場へと走っていった。
「サティス、俺たちも追いかけよう!」
「えぇ、折角の船の中でゆっくりできないなんて嫌ですからね!」
船内に入ると、小型の魔物が高速で壁や天井、そして床を移動している。
目に映るものすべてに牙を向き、爪を立て、咆哮を上げた。
「だ、誰か! 子供が、ウチの子供がぁああッ!!」
「ママー! ママー!!」
逃げ遅れ、恐怖におののき座り込んで動けなくなってしまった少女がいた。
そして今、魔物がその少女のほうへと意識を向ける。
彼女の泣き声が威嚇に映ったのか、魔物の戦意が高くなっていくのが分かった。
「このままじゃ子供が……セト!」
「あぁ、わかって────」
セトがナイフを引き抜こうとした直後、グラビスが制止した。
そしてゆっくりと魔物と少女のほうへと歩き出す。
グラビスの前方には少女がいて、そのさらに奥に魔物がいる。
魔物はグラビスの登場にさらに敵対心を剥き出しにし、威嚇の咆哮を上げた。
「ちょっとグラビスさん、武器も持たずになにをする気ですか!」
「……」
グラビスは答えなかった。
沈黙を以て、自分には最高の武器があると示してみせる。
ジャケットを少しまくるとそこにはボウガンらしき武器が2挺、腰背部に備えてあった。
しかし通常のボウガンと比べるとかなり軽量化されているのか、そのフォルムはかなりシンプルなデザインの短筒だ。
「あれってもしかして……魔道ボウガンか? でも魔道ボウガンって確か滅茶苦茶レアな武器じゃ……」
「確かに魔力を感じます……でも、あれ? また別のも感じるような」
そのときだった。
魔物が高速で動きだす。
相手をかく乱させるためか、さらに上の速度で壁や天井、床を移動する。
まるで高速バウンドを繰り返しているかのような動きに、セトはいつでも対応できるように感覚を研ぎ澄まさせる。
もしかしたらグラビスを横切ってこちらに向かってくる可能性もあるかもしれないと。
そういった予想を立てていたわけだが、────それは、一発の轟音で外れることになる。
それはいつ抜いたかもわからないほどのボウガン捌き。
オシリスとの決闘で見たあの高速引き抜き、────"早撃ち"だ。
魔物は高速で動きながらも最初に選んだ獲物である少女の首を掻っ切って、そのあとにグラビスに襲いかかろうとした。
タイミングを計り、今そのときと飛び掛かった直後、超高速で飛翔する『禍々しくネジくれた棘』に頭を撃ち抜かれたのだ。
まさに刹那の出来事。
グラビスは射撃の余韻を胸に、ボウガンにまた新たな棘を入れて、腰に納める。
中折れ式の小さいボウガンという今まで見たことのない武器にセトは度肝を抜かれていた。
魔道ボウガンでさえ、リョドーの家で少しチラリと見た程度であったから。
しかし一番驚いているのはサティスだった。
(あの『棘』……まさしくあれは【呪弓術】に使われる矢尻そのもの。矢に呪いの術を込めて相手に放つという呪術師が使う技のひとつ。でもその術の継承者はもういないはずなのに……なぜ彼女が?)
セトが魔剣使いにして伝説の少年兵であるのなら、グラビスもまた名うての者なのだろうかと。
血を流して倒れる魔物と、母親に抱かれ一緒に泣いている少女を傍目に踵を返し、セトたちのほうを向くと、また先ほどまでの表情のグラビスがいた。
「アタシのコレと、最強の魔剣が揃えば……向かうとこ敵なしって思うのよ。アタシは、おじさんみたいに強くなりたいの」
彼女の目は真剣だった。
抑えきれないロマンに輝く瞳はどこまでも真っ直ぐふたりを見据えていた。
グラビスにとって、ある意味ではセトは憧れでもある。
きっと彼の経歴を深く知れば、もっとその念は強くなるかもしれない。
そう考えたサティスは溜め息交じり眼鏡を直しつつ、健闘を讃えた。
「ご苦労様です。アナタの実力はよくわかりました。まったく、ここまで自己顕示欲が強いだなんて……」
「ちょ!? 見るとこそこじゃないでしょが! しかも褒めてないでしょソレ!」
「逆に褒めたくなくなるほどの腕前でした」
「コラァアアッ!!」
サティスのおちょくりにわめき散らすグラビス。
セトはグラビスが助けた少女を見ていた。
母親に抱きしめられながら撫でられて、笑顔が戻っている。
心の底からセトは安堵していた。
あんなことで子供と母親が悲しい別れになっていいわけがない。
それはきっとあのグラビスもそう思ったに違いないと、セトは確信めいた感情を覚える。
後ほど助けてもらった母親と少女からお礼を言われたグラビスの表情は、どこか落ち着きのある大人の女性に見えた。
「普段からああいう風な表情すれば彼氏さんだって逃げなかったのでは?」
「う~ん、俺はそこらへんよくわからないから……」
「でも、よかったですよ。幸い怪我人はゼロで、密輸犯もさっき船員が捕まえたそうです」
「そうか、でも魔物って売りに出されるんだな……」
「ほら、クレイ・シャットの街でも、魔物が運ばれてきたでしょう? 魔物の種類によってはあぁいう風に商売の取引に出されたりします。今回は違法ですけれど」
こうして船は落ち着きを取り戻す。
船を降りる場所まではまだ少し時間があるので、3人でゆったりとすることにした。
セトはサティスに膝枕してもらいながら微睡み、グラビスは少し離れた場所で、一仕事あとの美味いパイプを燻らせていた。




