白熱する戦い、そして決着。
かつての斬撃が空間で交差しあう。
トラップのように急に出てくるものもあるので、容易に近づくこともできない。
唯一の救いは、デアドラはセトを生かして捕える気であり、致命傷となるものは避けている。
セトはリプレイを回避しながら一旦距離を開けようとするが、すぐに肉薄された。
彼女はリプレイの影響を受けない。
むしろ斬撃がすり抜けてこちらに飛んでくるようでもあった。
(まだ速度が上がっていますわね。それに……ここまで私の魔剣を躱し続けるなんて。まさか、記憶していたとでも!?)
居合斬りを回避したセトの動きに段々と顔をしかめ始めた。
あきらかに次はどの斬撃が飛んでくるか予測、否、記憶を辿っているかのような。
(曖昧だけど、ある程度は思い出せた……。居合からの斬撃しかできないから、パターンが絞れる。……それでもッッッ!!)
セトは叫びたかった。
(神速すぎだッ!!)
セトの驚異的な集中力と記憶力。
しかしてなおこの愛憎めいた斬撃の牢獄にはドン引きを隠せない。
幾合のすえ、セトが背後をとった。
しかし背面納刀による同時防御、からの抜刀一閃。
彼女の肩甲骨周りの筋肉の圧倒的なやわらかさ。
そして長い腕を目一杯用いた斬撃。
「────ダスト・トゥ・ダスト。ダスト・マスト・ダァーイッ!!」
神速納刀から再度放たれる連続居合斬り。
無数の斬閃が飛び交う中、セトはついに切り札を出す。
「────リヴァイアサンッ!」
黄金のガントレットを召喚し、眩い光とともに魔剣の持つ力を底上げし、それらすべてを弾き返した。
デアドラは、とんでもない破壊力に大きく身を反らせながら目を見開く。
先ほどとは段違いのスピードで動き回られ、リプレイが追い付かない。
「なるほど、アイテムでブーストをかけましたか。そちらがその気なら……」
デアドラも負けてはいない。
一瞬にして魔術を行使し、自身の身体能力を高めた。
「さぁ行きますわよ!!」
最早客席の誰もが目で追えなかった。
否、そもそも目に映るような速度ではなくなっている。
爆音と壁や地を蹴る音のみがこの闘技場を支配していた。
「まさか……あのデアドラのスピードと渡り合っているというのか? バカな……」
「せ、セト君って、一体なんなの……? 普通の動きじゃないッ!」
生徒会側が驚愕で絶句する中、ヒュドラは拳を握りしめながらセトの健闘を讃えている。
実際、ヒュドラはただひとり、あのふたりの動きを認識していた。
デアドラの魔剣の能力に翻弄されながらも、攻撃の手を緩めないあの姿勢にヒュドラはさらなる感銘を受けている。
「さすがはセトだ。見ているこっちまで熱くなるな」
そう呟いたとき────。
「いや、実際にこれ……暑いでしょ」
「え?」
「いや、本当に暑くない? いくらこんな季節でもさ。さすがにここまで気温とか上がる? ないでしょ!」
全身から汗を流すグラビス。
ヒュドラは恐る恐る自分の頬に触れてみる。
凄まじい汗だった。
生徒会の人たちも確かめてみると、自分たちがかなりの汗をかいていることに驚く。
オグマでさえこの事実に言われるまで気が付かなかった。
「そう言えば……随分と暑いな。オイ、今日こんな暑くなる気候だったか?」
「いや、そんなはずは……今日はかなり涼しいほうだったハズ……」
妙なことが気になりだす中、戦いのほうでも動きがあった。
デアドラが押し返してきている。
セトの腹部に柄当てが命中。
怯んだ隙に鞘に納めた魔剣を使っての杖術めいた打撃を繰り出す。
そしてそのままセトを斬撃のリプレイの渦へと吹っ飛ばした。
勝利を確信した、────そのとき。
グラァ……。
(────え?)
デアドラの視界が急に揺らぐ。
そればかりか身体がふらつき、片膝をつく羽目に。
すさまじい汗だった。
顔も手も、分厚い衣装の中まで蒸すような暑さが宿っている。
「暑い……暑い……ッ!」
異常事態だ。
そしてあろうことか、集中が途切れてしまい、魔剣解放を一時解除してしまう。
セトは斬られずに済み、壁に叩きつけられながらも受け身をとって立ち上がろうとした。
だが、彼自身にもまた膨大な汗が宿っている。
「この、湯気がでるほどの……暑さは……ッ!? せ、セトォオオ! なにを、アナタは一体なにをしましたの!?」
とうとう四つん這いになるように崩れてしまうデアドラに、セトは無言である方向を指差した。
「哀傷しい……戦いとは実に哀傷しい」
小さな砂嵐が巻き起こり、それを掻き消すかのように大きくひるがえる漆黒のマント。
貴族がかぶる三角帽子に、右手には髑髏のようなデザインのカンテラを持っている。
顔は恐ろしいメイクを施したピエロのような仮面で覆っている人物だった。
ゾルゾルと音を立てて這いずるようにその身を不気味に佇ませる。
────凶霊がひとり、『乾きゆく哀傷』だ。
彼に密かに指示を出し、徐々に温度を上げてもらっていたのだ。
手順としては簡潔に言うと、黄金のガントレットの光の裏で白銀のガントレット『テュポン』を取り付け、召喚してすぐにしまうというもの。
眩い光と短い間隔ゆえデアドラはテュポンを視認できなかった。
「まさか、召喚物!? 魔術の素養もないアナタがなぜ!? ……ハッ! ちょっと審判! これは反則ではなくて!? これは1on1のはずですわ!」
しかしその声は虚しく、戦いは続行される。
そもそもルールの禁止事項にそれは設けられていない。
というよりセトがこういったことをするなど誰も思わなかったからだ。
なによりこれは公式試合ではなく、あくまでデアドラの身勝手な理由でのもの。
しかもルールを決めたのはデアドラ本人であること。
これにはオグマも弁護のしようがなかった。
それにセトもまたこの暑さの影響を受けている。
凶霊・哀傷も完全に言うことを聞くわけではなく、スンとした態度で一定の暑さまで闘技場の温度を上昇させていた。
そのための準備。
追い込まれかけながらも、セトはデアドラが自分より消耗が激しくなるよう立ち回っていた。
────気温が上昇して気付かないうちに体力も集中力もなくなっていくように。
(まぁ、そうなるだろうな。でも想定の範囲内だ。使える手は使う……これが戦場の鉄則!)
恵まれた環境下での生活で鈍っているなと感じてはいるが、この暑さならまだギリギリいける。
これまでつちかってきた、戦場という地獄のような経験がセトの背中を押していった。
肉体は悲鳴を上げてはいるが、精神と感覚が覚えている。
急に現場の状況が変わったとき、そしてこういった暑さの中で体力の消耗をこれ以上に抑えるためにどう立ち回ればよいかを。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ! 暑い暑い暑い暑いィィィイイイッ!!」
対するデアドラはかきむしるような動作でその特徴的な分厚い衣装を脱ぎ始める。
如何に奇跡を起こすまでの天才とはいえ、経験のない暑さには敵わなかった。
ベシャリと汗を大量に含んだ衣装が音を立てる。
多少はマシになったという程度で、なんの解決にもならない。
いくら神速かろうが関係はない。
むしろこんな暑い中で高速で動こうものなら、体温はさらに上昇し、余計にダメージを負う。
「おぉぉぉのぉぉぉれぇぇぇえええ……ッ!」
なんとか体勢を整えようとするが立っているのがやっとの状態。
ましてや集中力のいる居合ともなれば、難易度はさらに跳ね上がる。
セトも苦しそうではあるがその眼光は依然変わりなくだ。
右半身の正眼構えで、摺り足気味に徐々に近づいていく。
デアドラはすかさず魔剣解放して、自身を守ろうとするが、立ち上がることに時間がかかってしまったせいで、大半のリプレイは無効になっていた。
(まさか、嘘? 私が、負ける……? この私が、セトに?)
デアドラは思わず後退りをした。
形勢逆転した、というのもあるが、『セトにあって自分にはないもの』の差がここまで明確に出てしまったことに。
そんなふたりをハゲタカのように見守る凶霊・哀傷。
決着のときが来た。
(負けるはずがない……この私が、こんな子供にッ! そうですわ。このフラーテル家の血筋たる私がッ!!)
デアドラが動いた。
掌に魔力を込めて撃ち放つ。
「負けるはずがないんだぁぁぁあああッ!!」
使用したのは水属性の中級魔術。
打ち水の如く、ほんの一瞬の間でも涼しくなるのなら、それで十分。
この暑さではきっとすぐにムワッとした湿度と変わり果てるかもしれないが、この『ほんの一瞬』を手に入れられれば、一刀を入れる余裕と集中力が戻る。
そうすれば勝てる。
魔術で立ち上る水流と砂ぼこり。
その中で怯んだセトを想像し、次の一手で決まる妄想が刹那によぎったときだった。
「絶対に魔術を使うと思っていたよ。いや、使わなきゃおかしいんだこの間合いで」
どこからかセトの声が聞こえた。
予見していたのと全然違う反応に、完全に集中を乱した。
セトはいつの間にか背後まで移動していたのだ。
振り向こうとしたときにはすでに組み伏せられ、両腕を器用に縛り上げられていた。
デアドラが脱ぎ捨てた衣装を縄変わりにした捕縛術。
魔剣を首筋に当て、完全に動けないようにする。
「環境や状況に合わせて、手段はタイミングよく、迅速に。兵法とかはわからないけど、これは俺がずっと守ってきたことだ。……生き残るためにな」
誰がどうみても、デアドラが戦闘を続行できる状態ではないと判断できた。
「そ、そこまで! ────勝者セト!!」
小さな規模であるゆえ迫力はないが、客席から歓声と拍手が巻き起こる。
ヒュドラに至っては我がことのように歓喜した。
窮地の中で知恵を振り絞り、たとえ自らも危険な状況に陥ろうともけして勝利を見失わないセトの姿勢に敬意を評したのだ。
サティスが見ていればきっとガミガミと怒りそうな手段ではあったが、それでもヒュドラは彼の健闘を讃えた。
「やるわねぇアイツ。やっぱタダ者じゃないわあの子」
凶霊・哀傷がなにも言わずに去っていったことでようやく暑さから解放されたグラビスはひと息つきながらも拍手を送る。
ほかの生徒たちが駆け寄り、捕縛を解放してもなおデアドラは地面に横たわったまま両腕で顔を覆い隠し歯を食いしばって震えていた。
セトはなにも言わず、フラフラとした足取りで出口へと歩き出す。
────こうして波乱の勝負は幕を閉じた。




