今宵はお酒と一緒のサティスと一緒に
夕方、ナーシアとともに屋敷へと戻る最中、ずっとあのデアドラが校舎の窓から"あの目"でセトを見送っていた。
────ガリ、ガリガリガリ、メリメリメリ……。
「セト……アナタの運命は私のものよ……」
────ガリガリガリガリガリッ!! バキッ!! メキメキメキッ!! ガリッ、ギチッ!
指を噛み千切りそうな勢いであるにも関わらず、それでも全然痛みを感じていないかのようにセトの背中を凝視していた。
当然セトはその怪しい視線を感じ取っていたわけだが、そのことに関して終始無言を貫いたのは言うまでもない。
悪い人間ではないのだと思うのだが、あの狂気には近付きたくなかった。
石畳の道に茜色を帯びた風がゆっくりと木々を揺らしながら、ナーシアとセトの間を吹き抜ける。
陽が沈むにつれ影が伸び、前を歩くナーシアの影に彼の足がすっぽりと入り込んだ。
夜を運ぶ風が街に帳を彼方よりゆっくり時間をかけて落としていく中、ふたりは屋敷への帰路を行く。
「ねぇセト君」
「ん?」
「副会長となにかあったの? あれからふたりで戻ってくるし、生徒会室でも副会長ちらちらセト君のほう見てたから」
「……いや、別に」
「ほんと? もしかして、副会長になにか言われたりとか」
ナーシアが心配する中、セトはあのやり取りを想起した。
夕焼けの色に混じって記憶の中のデアドラが不気味に感じる。
それを振り払うように首を横に降り、余計な心配はさせないようにした。
「本当に大丈夫だ。別に変わったことは話してない」
「ん~そう? ならいいけど。……ごめんね、なんだか嫌な思いさせちゃったかなって」
「今の俺はアンタの護衛だ。なにがあろうとそこまで気にしなくていい」
クライファノ家にもてなしを受けているとはいえ、こうして働いている以上役割をこなすのがセトの考えだ。
生徒会室でもデアドラに指摘されていたが、ナーシアは名家の者としての覚悟や気品などをまだ持ち得ていなかった。
いわゆるまだまだ未熟の身。
実力はあれど、内面的な部分にまだ幼さを残す。
ゆえに同い年で身分違いのセトにも非情にはなれない。
まるで我がことのように考えてしまう。
セト個人としては優しくしてくれる分やりやすいのはあるが、彼でもわかるくらいナーシアは優しすぎた。
「早く屋敷へ戻ろう。アダムズ様がアンタを待ってる」
「……うん、そうだね」
茜色に照らされる頬を生温い風が撫でた。
雨が降るかもしれないとふと考えながら、ふたりは屋敷へと戻っていく。
アダムズ自ら玄関ホールで出迎えをして、ナーシアの帰宅を喜んだ。
ナーシアも嬉しそうに微笑みながら帰宅の挨拶をしながら一礼する。
「セト、我が孫娘ナーシアの護衛大義であった。今日はゆるりと休め」
そう命令されセトは自室へ戻る前に食堂へ立ち寄り、食事を済ますことにした。
ひと仕事終えたあとの食事は格別に美味い、美味いものではあるが……。
(もしかしてサティスはまだ研究とかやってんのかな)
本来であればサティスと一緒に笑い合いながら食事をして、そのあとは自室にてともにゆったりとした時間を過ごすというような流れだったろうが、仕事が忙しくなってはそういった時間もとれない。
そんな日々がもう何年も続いているような、そんな錯覚を覚えてしまう中、自室へと入る。
「あらセト、お帰りなさい」
「サティス!」
珍しくサティスが早く帰っていた。
嬉しくなって思わず胸が高鳴る。
酒瓶を見るまでは……。
「お酒飲んでるのか、しかも4本も空けてる」
「だってぇ、飲みたい気分だったんですもの」
「意外だな、ひとりでこんなにも飲むなんて」
サティスはソファーに座って、氷の入ったグラスを片手に酔いしれていた。
彼女がお酒を飲むことは、ホピ・メサで知っている。
だがここまで大きなビンに入った酒を飲むことは知らなかった。
顔は火照ったように紅潮して、しっとりと汗が肌に張り付いている。
ぽーっとした表情でセトに微笑みながら、隣に座るよう手招きした。
これまでサティスの色っぽさは間近でずっと感じていたが、今日のはまた違う艶やかさにセトは狼狽える。
妙な湿度の中心で、艶美な花のように人を誘う様はまさに傾国のそれ。
セトは生唾を飲みながら彼女の隣に座った。
「あ、セトったら緊張してますねー? ふふふ、最初のころ思い出しちゃいます」
「そ、そう、だな。……ところでサティス。どうしてお酒飲んでるんだ? なにか良いことでもあったのか?」
「んふふ~そう見えます~? 良いことがあったと言えばありましたが、でもそれ以前は全然だったんですよ」
なにかあるのかと思って聞いてみたら、理由は至ってシンプルだった。
セトと過ごせる時間が減ってストレスが溜まっていた、とのことだ。
研究に没頭していく反面、セトへの思いが募っていく。
自室に帰ってきても、そのときにはセトは寝ているか、もしくはアダムズと一緒に別の場所に移動しているか。
「仕事だっていうのはわかってますけど……私だって、セトと一緒にいたいんですから……もう」
子供のようにむくれながらグラスに口をつけるサティス。
こうして見ると寂しさを感じていたのはセトだけではないようだ。
むしろセトにとっては意外性すら感じた。
普段のサティスのイメージからすれば、たとえ寂しさを感じていてもここまでになることはないと思っていたのだが、彼女を見る限りセト以上に想い人との時間が中々取れないことに不満を感じていたようだ。
(サティスってもしかして、意外に寂しがりやだったりするのかな)
隣で舌鼓を打つ彼女の微笑ましい様を見ながら、セトは口元を緩めた。
「ん、なぁに笑ってるんですかセトぉ~?」
「いや、笑ってないよ」
「いいえ、笑いました。今アナタは確かに私を見て笑いました。も~許しません。罰を受けてもらいますからね」
なにをするかと思った直後、サティスが急に寝転んでセトの膝に頭を乗せた。
これにはセトも仰天し、緊張で身体が固まってしまう。
「んふふ~、いつも私がしてあげたんですから、たまにはいいでしょ?」
「お、おぉ……別に、その……」
ドギマギするセトの様子を見ながら満足そうに笑うサティス。
当のセトからすればそれどころではない。
サティスの良い薫りが鼻腔をくすぐる。
ピンク色の髪の毛がシルクの布地のように垂れ下がり、仰向けでいることで無防備にその胸元を惜し気もなくセトに向けていた。
久々の感覚。
これまで多岐にわたりその色香に惑わされてきたが、今日まで大分お預け状態が続いたためか、完全に耐性が落ちている。
「んふ、緊張してますねえ。愉快愉快」
「くぅぅ……なんだってこんなにもからかわれるんだ俺は」
「アハハ~、私を寂しがらせた報いです」
「いや、俺のせいじゃないだろ……」
「あ、言い訳するんですね? ……ちょっとだけ、触らせてあげようと思ったのになぁ」
そう言って両腕で胸元を寄せるようにして谷間を強調して見せる。
セトは思わず反応した。
「冗談ですよ?」
「ぐっっっ!!」
またしてもからかわれたことで、セトに精神的ダメージが蓄積していく。
しかしサティスがこうして上機嫌になってくれただけでも良しとして、今はこの時間をともに楽しむことにした。
「……お疲れさま、サティス」
「アナタもね、セト」
今度はセトがサティスの頭を撫でる。
彼女のように優しく器用にはできないが、それでも精一杯の優しさを込めて、髪が崩れないように撫でた。
サティスはそれを受け入れる。
むしろセトに撫でられて、気持ち良さそうに目を細めていた。
たまにはこういうのも悪くないと思ったとき、サティスは眠そうな瞳をしながら話し出す。
「ホントに、最初のころを思い出します。アナタとこんな生活をするだなんて思ってもみませんでしたから」
「サティス……」
「前は自分のことばかり考えて、こんな風にお互い支え合って生きていくなんて、考えてもみませんでした。でも、こうして生活していくと……色んなことが見えてくるんですよ。一緒に食事をしたり、一緒に仕事をしたり、一緒に旅をして色んなところを回って、色んな人と出会ったり……。私、そんな輝きに満ちた世界を、人々を、殺そうとしてたんだなって」
先ほどの雰囲気とは打って変わって、懺悔するような声調でセトに語りかける。
だが、けしてセンチメンタルになったわけではなく、そこには感謝と愛情があった。
「私、この世界で生きていたい。勿論、アナタと一緒に」
「……今さら、だな」
「ふふふ、えぇ、今さらです」
「俺も生きていきたいよ。サティスと一緒にさ」
「……今さら、ですね」
「あぁ、今さらだ」
セトがそう言ったとき、サティスは安心したように眠ってしまった。
酒の匂いは苦手だが、退いてしまって彼女を起こすのは忍びない。
しばらくは膝枕をしていて、機会をみてゆっくりと抜け出した。
サティスに布団を被せると、セトは化粧台のイスを持って窓際まで移動する。
外はいつの間にか雨が降っていた。
しとしとと静かに注ぐそれは窓を濡らして街の煌びやかな灯りを歪ませる。
セトはイスに座ってその光景をずっと見ていた。
今日1日でインパクトの強いメンツに出会い、彼も少し疲れている。
────この夜景をほかの誰かも見ているのだろうか。
ふとそんなことを考えながら、セトは目を細める。
きっと見ているだろう、既知の者も、見知らぬ誰かも。
まさしく今、その夜景の中帰ってくる一団が現れる。
────ヒュドラとグラビス率いる一団だ。




