魔術学園の魔剣使い『デアドラ・フラーテル』
学園の校庭────。
草のひとつも擦れ合わない無風の静けさが、ただでさえ広いこの場所をより広大に錯覚させた。
そんな中でセトとナーシアの足音と息遣いだけが耳に残っていく。
ナーシアは暑そうに腕で額を拭いながら、グラウンドの奥にある大木へと足を進めた。
「その、デアドラって人はあの木にいるのか?」
「うん、多分ね」
「どうしてわかる?」
「生徒会室とか教室にいないときは、いつも訓練所かあの木の傍にいることが多いの。……あ、ビンゴ! ホラ、人陰が見えるでしょ?」
指差したところに、木に寄り掛かっている長身の女子生徒の姿が見える。
木漏れ日との陰影により、まばらな輝きが腰まで伸びた髪や制服を照らし、上位者としての気品をより一層高めさせた。
「副会長ー!」
ナーシアの呼びかけにそっと振り向くデアドラ。
彼女こそ生徒会副会長の『デアドラ・フラーテル』であり、シィフェイスの言っていた特別な存在。
セトはナーシアの後ろで陽光に目を細めながら、彼女を観察する。
薄紫と水色のグラデーションが特徴の髪色に、もみあげ部分を小さく縦ロールで整えた気品な髪型。
彫刻のように白い肌と整った輪郭は幽艶さを兼ね備えながらも、魔術師としての風格を崩さない一種の凛々しさがある。
しかしその目付きは抜き身の刀身のように鋭く、碧い瞳の奥から覗く輝きの中には棘があった。
初見からすれば機嫌が悪いのか疑ってしまうほどだ。
そんなデアドラに対しナーシアは笑顔で近付いていく。
「副会長、そろそろ執務の時間ですよ」
「わかったわ。すぐに行きます。ご苦労さ────……」
ここでデアドラはナーシアの背後のセトと目と目が合うことに。
ただでさえ鋭い視線がさらに鋭くなる。
まるでメンチを切られているような感覚だが、セトはその視線の強さの理由が理解できた。
(そういう、ことか。────この人も魔剣使いなんだ)
シィフェイスの注目人物の正体は学園生の魔剣使い。
セトと同じく若くして魔剣適正が確認された存在。
実際、魔剣適正が確認される時期は人によって違う。
ある日突然、感覚としてそれが理解でき、その後に誰かから魔剣を渡されたり、グラビスのように自分で探しに行かなくてはならなかったりするのだ。
そう、まるで運命に導かれるように、魔剣はその人と出会う。
適正は早い人間で15歳頃から現れる。
それだけでもかなり稀なのだが、セトのように十代にも満たない歳で魔剣適正が現れることは特例と言ってもいい。
これらのことを踏まえると、シィフェイスは魔剣使いの魔剣適正になにかしろの強い思いがあるらしいのがわかる。
しかし今は彼のことより、デアドラのことだ。
彼女はセトのほうをじっと見ていたが、すぐに視線をナーシアに向ける。
「あの、副会長?」
「……すぐに行きますので、先に行っていてください」
「わかりました。行こ、セト君」
「……あぁ」
ふたりは踵を返し、生徒会室まで戻っていく。
その間ずっとデアドラはその背中を見ていた。
特にずっとセトを見ており、セトもそれを感じ取っている。
特段敵意などは感じないが、これまで出会ってきた中で、一番ジットリとした視線だった。
まるで真っ暗な沼の底から、なにかがこちらの様子を伺っているような感じだ。
振り向きたくても振り向けない。
こんなことは初めてだった。
(俺が魔剣使いだからジッと見てるのか? でもなんのアクションもないなんておかしな話だ。まぁ、変に騒がれるよりずっと良いけど)
セトは小走りで先を行くナーシアの後ろを駆けていく。
校舎に入る直前にふとあの木のほうを見てみると、そこにはもうデアドラの姿はなかった。
不思議な話で、生徒会室へ行ってみるとすでに執務机の前に座っていたのだ。
副会長の札が立てられた机には書類が積み重なり、ずっとそこにでもいたかのようにテキパキと決済していく。
「ふ、副会長。相変わらず速いですねぇ……」
「別に」
「ハッハッハッ、俺もデアドラみたく速ければなぁ」
(いや、速いなんてどころじゃないだろ……瞬間移動かなにかか?)
やはり世界最高峰の魔術学園ともなれば、その能力は桁外れということか。
ましてや魔剣使いともなれば、その質は並外れたものだろう。
そんなことを考えていると、すでに来ていた数人の生徒会役員がセトのほうに寄ってきた。
「あれ? この子誰?」
「もしかして、さっき生徒会長が言ってたナーシアの護衛か?」
「えーすっご~い! ホントに子供なんだぁ! へぇ~、結構カワイイかも」
「え、え、……え?」
集まる視線にたじろぐセト。
特に女子生徒たちが好奇の目で覗き込むので、柔らかな吐息がかかる。
「ちょ、ちょっと皆さん! セト君が困ってるじゃないですかぁ~!!」
「え~いいじゃんちょっとくらい~。……ねぇセト君って歳いくつ~? たぶんアタシの弟と一緒くらいじゃないかなぁって」
「え、いや、俺は……」
「え、ちょっとナーシアさんとどういう関係? 護衛とか言いながらもしかして……」
「そんなんじゃありませーん!!」
赤面するナーシアが叫ぶ。
それを見て生徒会のメンバーがドッと笑った。
ただひとりを除いて。
「随分と楽しそうにしていますね皆さん。もう生徒会の業務は始まっているはずですが?」
ドスの利いた声で一同をひと睨みするデアドラ。
額にも手にも青筋が立っており、今にもペンを握り潰しそうだ。
その声と視線にゾッとした一同はワタワタと作業に取り掛かる。
溜め息混じりにオグマがいさめるが、デアドラは聞く耳を持っていない。
そればかりか、デアドラの苛立ちのほこ先はセトにも向いていた。
「セト、と言いましたね? アタナは生徒ではないことは勿論、来賓の人間でもない。そう、ただの護衛に過ぎない。なぜここにいつまでもいるのです?」
「あ、悪かった。すぐにでも……」
セトがそう言いかけたときだった。
デアドラが机からしなる教鞭を取り出し、執務机の端を勢いよく叩く。
「……"悪かった"? 貴族に対する口の利き方を、理解していないようですね」
ゆっくり立ち上がったデアドラをオグマとナーシアが止める。
「おいなにをする気だデアドラ!」
「ふ、副会長! あの、ごめんなさい! セト君は、その……」
「ナーシア、この子はアナタの護衛でしたわね。指導がなっていないのではなくて? 生徒会の一員という以前に、アナタはあの気高きクライファノ家の人間。目下の者には相応の態度と威厳を持たねばいけないはずです!」
「待てデアドラ。俺が許可した。俺が彼に話しやすいようにしていいと許可したんだ。……というか一体どうしたんだ? なんでそんなに気が立ってる? セトがなにをしたっていうんだ?」
「……ッ! べ、別に。私はこの少年の態度があまりにも礼を欠いたものだったので、少し教育を施さねばと思ったのです。目下の不出来を正すのも、貴族の務めですので」
「だからって、それで叩こうというのか?」
「アナタは甘すぎなんです。昔から貴族の生まれとしての自覚がなさすぎなんですよ」
「今そういうのは関係ないだろ!」
「も、もうやめてください!」
生徒室の空気が悪くなる中、ナーシアが徐々に目を潤ませはじめる。
自身が原因でこうなってしまったと自責の念に身を震わせ、どうすればいいかわからなくなっているようだ。
セトは場をおさめるため、この場を去るべきだと判断した。
これ以上自分がここにいてナーシアに迷惑を描けるわけにはいかない、と。
「そうだな。俺は護衛であって生徒会のメンバーじゃない。これ以上関わるのは野暮ってもんだ」
「セト君……」
「俺は外で待ってるよ。そうしたほうがいい」
「コラまだ話は終わっていません、待ちなさい。……待って!」
セトは足早に生徒会室から立ち去った。
貴族として高いプライドを持つデアドラのあの反応を見て、自分がどれだけ恵まれているかを改めて理解する。
(貴族からすれば、あぁいうのが普通、なのかな……)
生徒会室から少し離れた位置にある中庭に赴き、しばらく陽の光を浴びてリフレッシュをしているときだった。
「おや、おやおやおや、偶然ですねセト君」
「アンタは……シィフェイス、先生?」
「フフフ、君から先生と言われるとは。普通にシィフェイスで構いませんよ?」
「……わかった」
奇怪なアーマーを煌めかせ、ゆっくりとセトの隣に移動する。
無風の空間が一気に重くなったのを感じた。
特段苦手意識は持ってはいなかったが、デアドラ同様視線がやけに気になる人物でもある。
「少し散歩をしようかと外に出てみたら偶然君を見かけたもので。……いや、訂正しましょう。これはもう、偶然はなく『運命』と言えるでしょう」
「運命は大袈裟じゃ……」
「いいえ、運命です。間違いなく運命なのです」
「ぐ、具体的にどのへんが運命なんだ?」
「君と私がこの星で巡りあったことが」
「……そうか」
セトは考えないことにした。
しかし、ここでシィフェイスに出会ったことはある意味、僥倖なのかもしれない。
セトはシィフェイスにデアドラのことを話す。
自身と同じくシィフェイスが注目する人物との会合。
それを聞いて喜ばない彼ではなかった。
「なるほどなるほど……話したのですね。しかし、ふむ、彼女の反応は意外でしたね」
「意外って?」
「────知りたいですか?」
デアドラがセトに対してとったあの高圧的な態度を取っていたのにはやはり理由があるらしい。
それは彼女の過去に起因するのだとか。
(人の過去を無闇に詮索するのは気が引けるけど、……同じ魔剣使いとして少し気になるな)
セトはシィフェイスに連れられ、彼の研究室まで足を運ぶことに。
そこで驚愕の事実を知ることになる。




