魔術学園のシィフェイス先生
木材と大理石、その他魔導的材料を駆使して建築されたこの学園は、1000年以上の歴史を誇る。
その圧巻のスケールにセトは目を丸くしながら、ナーシアの後ろを歩いていた。
オシリスの軍事施設とはまるで違う規模と雰囲気に、セトは思わず息を吞む。
魔術学園の学生たちの一部は有事の際には戦場に出るという話もあるので、そう言う面ではかつての少年兵のようなイメージを持っていた。
ときに学生、ときに魔術を使う国の護り手。
貴族とはいえ、否、貴族だからこそ過酷な訓練の中で己の肉体と精神を鍛え、有事に備える。
なので割ともっと泥臭いかなと思っていたのだが、完全に外れた。
どこもかしこも清潔感に溢れ、チラホラと見える生徒たちの表情に柔らかな笑顔が見て取れる。
今は"夏休み"と言われる時期らしく、ナーシアたち同様、護衛を引き連れて校内を歩く生徒の姿もあるが、まばらでガランとした空気がふたりの靴音を廊下に響かせていた。
「どうセト君。すっごいでしょ」
「あぁ、まるでお屋敷みたいだ。……普段はもっといるんだろう? そうなったらすっごく賑やかだろうな」
「ん~、そうだね。購買部に食堂に図書館に、夏休みが終わったらきっといっぱいになっちゃう。私一応2年生なんだけどね、ホラ、早くに入ったから周りは年上ばっかり。こないだの合宿だってもう気を遣うことばっかりで……。フフフ、気苦労が絶えないっていうのかな」
大体の生徒が15、16で入ってくるのに対し、彼女は昨年史上最年少である13歳で入学したという異例の早さであるゆえ注目度は高い。
それゆえになにかと気に掛けることがあるようだ。
(周りが年上ばかり……俺と同じか)
ナーシアとセトの歳はふたつ違い。
セトは幼い頃から少年兵として戦場を駆け巡り、ナーシアは貴族の恵まれた環境下で幼い頃から魔術に励んでいた。
このふたりはある意味天才同士なのかもしれない。
世界最高峰とも言える魔術学園に飛び級で入学した神童に、数多の激戦を駆け抜けてきた伝説の少年兵。
境遇は違えど、こうして一緒に歩いていることになにかしらの縁を感じずにはいられなかった。
できうるのならば、このまま彼女が戦場に出ることがないようを祈るばかりだったが、そこまではどうしようもない。
「ん……あれは。……あっ! セト君! 右端に避けて!」
「え、な、なんだぁ?」
言われるがまま右端へと移り、彼女と一緒に制止する。
ナーシアの憧憬ともとれる輝く瞳の先には、なんとも奇怪な人物が、今まさに廊下を渡ろうとしていた。
車イスと一体化しているような魔装具で、恐らくはオシリスと同じような特注の防具なのだろう。
だがそのデザインの異質さはまさに動く鎧であり、自分で操作しているのか誰にも押されずともゆっくりと廊下を移動していた。
フルフェイスで顔を見ることはできず、男か女かもわからない。
だが、ひとつわかることはこうして近づいてくるだけで、ビリビリと肌を刺激するような圧を感じることだ。
敵意の類ではないが、タダ者ではないというのは外見でもこの重厚な気配でもわかる。
なによりナーシアが警戒心はおろか、安心感のようなものまで出しているので問題はないと把握した。
「こんにちはナーシア。合宿が終わってすぐに生徒会ですか」
「はい、『シィフェイス』先生!」
フルフェイスの奥から聞こえてきたのは男の声だ。
曰く、このシィフェイスと言われる人物は最強の魔術師として名高く、『皆空の君』『魔術の父』『鋼入りの魔術師』などの異名を持つほどだそう。
彼の能力と功績はそれほどまでに人々に大きな影響を及ぼしてきた。
その恩恵はこの国に留まらず、他国の魔導技術にも多大なる成果をもたらしているらしい。
それを象徴するのが、魔装具と言われる代物だ。
オシリスのものにしろ彼がまとっているものにしろ、技術的には本来不可能であったのを、彼はいとも簡単に理論化・実用化させ、その知識と技術を独占せずに広めたのだ。
因みに、今彼がまとっているアーマーは世界で初めて作られたものらしい。
そのほかにも様々な分野でアップデートを施し、彼がいなければあと数百年は技術や知識は遅れていただろうと大袈裟ながらも讃えられるほどに、今世界においてシィフェイスの影響は極めて大きいとのこと。
「フフフ、ワタシは最強などではありませんよ。まだまだ未熟さが残る一介の魔術師に過ぎません」
「なにをおっしゃられるんですか! 今やシィフェイス先生の功績はそれこそ英雄ですよ! 私、先生を尊敬しています!」
「ありがとうございますナーシア。ワタシは君の才能に期待していますから、これからも励むように。……さて、そちらの少年は? 生徒でも魔術師でもなさそうですが」
「あぁ、紹介します。彼はセトって言うんです。お爺様の護衛でしたけど、今日は特別に彼に護衛をしてもらっているんです」
「おや……」
アーマーを巧みに操作してセトの真ん前にくる。
身を乗り出すようにして、ジッとセトの顔を覗き込んだ。
表情がうかがい知れないので、今どんな顔をしているのかがわからない。
フルフェイスに描かれている顔らしき紋様はどこか不気味に見えて、セト自身すぐに顔を背けたいほどだった。
しかしナーシアの手前、そういうことをするわけにはいかない。
耐えるとは思わずに兵士のように待機と思えばさほど苦にはならない。
そうこうしていると、シィフェイスは満足したように姿勢を正す。
重厚な仮面で隠れていても、表情に笑みがこぼれているのは雰囲気でわかった。
「失礼しました。人を観察するのが趣味のようなもので。特に君のような子供はね」
「俺みたいな?」
「えぇ、"才能"のある子は、好きですよ。家柄や身分を問わず、才能とはキチンと評価されて然るべきものだと考えています。アナタは才能の塊というべきでしょう。羨ましい……実に羨ましいです。────いえ、妬ましい」
「え?」
「妬ましいぃぃいいい……口惜しいぃぃいいいい……────。」
ガチガチとアーマーを震わせながら壊れたように呟くシィフェイスの姿にナーシアも驚いて固まってしまう。
「なぜワタシではないのかぁぁぁあああぁぁぁ……なぜ、君や"彼女"なのだぁぁぁぁああ……ワタシだって、ワタシだってぇぇぇええええ……ワタシだってぇぇえええぇぇぇええ……ッ。────おっと、これは失礼。取り乱してしまいました。いやはや、学園の教師というのは実にストレスが溜まりやすい。いけませんね。学園内でこんな風に感情を露わにするなど……フフフ」
「もう大丈夫なのか? あの、妬ましいっていうのは? アンタは俺なんかよりもずっと力があるように見えるんだが」
「あぁいえ、お気になさらず。……話し過ぎましたね。生徒会へ行かれるのでしょう?」
平静を取り戻したシィフェイスの言葉にハッとしたナーシアは、セトを連れて急いで生徒会室へ行こうとしたときだった。
シィフェイスの手が踵を返したセトの手をがっしりと掴んだ。
「……セト君」
「な、なんだ?」
「ぜひ、また会いに来てください。なんならワタシの研究室まで遊びに来ていただいても構いません。いつでも、歓迎しますよ」
「は、はぁ……」
するりと離すシィフェイスの手は名残惜しそうに。
そんなことは知らず、セトはナーシアの後ろをピッタリとついて歩く。
その背中をいつまでもシィフェイスは見送っていた。
時折なにかに憑りつかれたように身体を悶え震わせながら。
「ん゛ん゛ん゛……ッ。ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛……────ッ!!」




