イシスは実質トップに立ち、セベクは戦場で血肉を貪る
魔王軍の侵攻は徐々にではあるが勢いを取り戻しつつある。
各国との戦の中で白星を稼いでいく中、魔王城ではヒエラルキー構造が改変されつつあったのだ。
「たっだいま~! 魔王様~、アナタの愛すべき部下、邪妖精イシスが帰ってきましたよぉっと」
「……」
「あれ? あれあれあれ? 無視ですか無視ですかは~そうですかぁ。魔王様のために一生懸命働いた部下に労いの言葉のひとつもない。へぇ~……そういう態度とるんだ」
「いや、すまない。ぼんやりとしていた……。イシス、任務ご苦労だった」
「いっひっひっひっひ。そうそう、そうやってくれりゃいいんですよぉ。まったくのろまなんだから」
「ぐ……」
目上の者、ましてや自らが仕える君主に対する態度とは思えないイシスに、魔王はなにひとつとしてお咎めを出さなかった。
今やイシス率いる部隊はこの魔王軍において実力ナンバーワンと言ってもいい。
なによりただでさえ扱いが難しいセベクを配下に置いたことで、前にもまして大きな顔をするようになったのだ。
そのせいで古参の魔物と言えどもイシスに逆らうことができない。
これまでにできたほとんどの派閥が、イシス組の傘下になった。
あれだけ威勢を振るった魔王は、今や名称だけのお飾りと化してしまった。
一応魔王として玉座にはいるものの、王としての職務など一切回ってこない。
すべてイシスが好き放題に決めてしまい、魔王はそれに対して「わかった」「お前に任せる」と許可を出すくらいしかやることがなくなっていたのだ。
「いやぁ、今回の戦に勝てたのもすべて魔王様のお陰ってやつだ。感謝してますよぉ魔王様ぁ」
「貴様……どこまで我をおちょくるか」
「おちょくるなんてとんでもない言いがかりだ。あーあ、折角魔王様のために頑張ったのにこんな言われよう。もう働くのやめちゃおっかなぁ」
「なッ!?」
「それか、今いるオイラの傘下全員連れて新しい組織でも作ろうかなぁーどうしようかなー」
「ま、ま、待て! わ、悪かった。我が軽率であった。……お前の働きには、助け、られて、いる……これからも励め」
魔王は拳を握りしめ、歯を食いしばって怒りを堪えた。
やつれたような姿にかつての威容やパワーはなく、逆に力が増した邪妖精にいいようにされる自らの境遇に憎しみと苛立ちを募らせる日々だった。
「ハイハイハ~イ! 魔王軍幹部邪妖精イシス、全身全霊を以て働かせてイタダキマ~ス!」
おどけながら敬礼をするイシスは内心魔王の境遇に愉悦を覚え興奮している。
下剋上、といえばなんらかの信念が感じられるような構図であろうが、これはそんなものではない。
イシスの掌の上で、魔王城は無様で下品なダンスを続ける。
かつての城にはない、おどろおどろしい陽気とも言える狂った気配が組織を動かしていた。
その根源たる存在こそ、邪妖精イシスだ。
サティスがいなくなってから、この日のためにと裏で力を蓄え、こうして権力の転覆が行えるよう虎視眈々(こしたんたん)と機会をうかがっていた。
「これからもよろしくっすよ魔王様ぁ~! あと、もう敬語いいよね? なんかかったるんだわ」
「……わかったッ」
「ありがとうござ~っす! いやぁさすが魔王様太っ腹。……そうやってね、オイラの言うこと聞いてりゃいいんだよ。そうすりゃ、オイラはアンタのために兵を動かしてやるからよぉ」
馴れ馴れしく肩に手を回すイシスの顔はゲスそのものであり、到底魔王の忍耐の効果が及ぶ範囲にはないものだ。
しかし、それでも魔王は我慢した。
「そうそう……怒りを抑えて、ね? 今のアンタ超カッコいいよ? マジでカリスマ性に溢れてるホント。……今までのがクソみたいな采配だったから余計にそう見えるのかな?」
「────ッ!?」
「あ、怒るの? え、オイラのせい? 自分のせいでこうなってるのにオイラを怒るの? ……ハァ、これだからすぐにキレる世代は。もうちょっとさぁ、協調性もたない? そんなんだから皆に愛想尽かされるんだよ? オイラだけだよぉこうやって面と向かって言ってあげてるの。オイラがいなくなったらどうするの? 魔王様ボッチだよ? プッ、かわいそ……。魔王のくせにボッチとか。え、生きてる価値あんのそれ?」
魔王に対し物怖じしないこの態度、そしてそれに対してなにも言えない魔王にとって、今の自分がどれほどみじめな存在かを想像するのは実に容易い。
高笑いしながら去っていくイシスを睨みながら、魔王は歯を食いしばる。
イシスがすべての実権を持ってしまってから、誰ひとりとして彼の味方に立つ者は現れなかった。
こうなってしまうと、余計に過去の栄光にすがりつくのは人間の性と同じだ。
魔王のこの苛立ちを治めるのは、あまりにも自慰的な妄想と回顧しかない。
内容は一発逆転劇。
挫折から栄光へと返り咲く自分の姿、そして自分を見捨てた連中への報復。
「死ね……死ね……死ね……ッ! ────クソ」
過去の己が喜びで満ち溢れ、描いた夢が輝きを増すほどに、今の自分がみじめになっていく。
これではまるで弱者のようだと思いながらも、魔王はやめることができないでいた。
彼以外誰もいない王の間で、嗚咽ともとれない呪詛が小さく響く。
イシスはそんな魔王を嘲笑しながら自室へと戻ると、地下へと通じる階段を降りる。
広々とした空間には若い女たちが囚われており、拷問と凌辱の限りを受けていた。
人間だけではなく、魔物の女と幅広く、かつてサティスにしたように何度も執拗に痛めつけている。
「んっん~、良い光景だ。今日はどの娘にしようかなぁ~」
そう言って舌なめずりをしながら自らの歪んだ性欲を、この薄暗い場所で満たしていった。
嬌声と悲鳴が織り交ざり、イシスの官能的ボルデージはさらに高まっていく。
「楽しみだよサティス姉さん……君をここへ招く日がもうすぐ来ると思うとねぇ?」
一方、これまで兵卒として動いていたセベクはイシス組の中で破格の待遇を受け、今や幹部と同格の扱いを受けていた。
これに関して誰も異を唱える者はおらず、これまで半人半魔と見くびっていた連中でさえも、彼を自らの上司として頭を垂れる。
だがそういった出世に興味を抱かず、ただひたすらに戦場で血の海を作り続ける日々を送るセベク。
魔王を差し置いて、士気は以前のものへと戻りつつあった。
場所はセトたちがいるラーウ・ホルアクティとは離れた国のとある辺境。
勢いづいた魔物たちは街を襲い、砦を陥落させる。
先頭を行くセベクの圧倒的な力により、完全に兵士たちは完全に浮足立った。
魔剣『蛇の毒』は無尽蔵に血を欲するように、ひとつまたひとつと命を刈り取っていく。
驚くべき剣の冴えと技に、砦の中で最も強いとされている騎士でさえ、一騎討開始数秒で首なし胴に変わってしまった。
とめどなく殺し続けたセベクは己の腕を研ぎ澄まし、十分と言えるほどにまで強くなっていた。
だが、それでもまだ足りぬと言わんばかりに魔剣を振るい続ける。
「セベク、この砦はもう落ちた。我々の勝利だ」
「あん? もう終わりかよ。つまらねぇな。ここ最近の連中はどいつもこいつもダメだな。どうもキュンとこねぇ。セトっちと出会ったときみてぇなあの……胸がキュンキュンするあの感覚」
「わかったからもう」
セベクはゴブロクを後ろに、燃え盛る砦から出てると、夜闇が赤く染まる中で幾匹かの鳥が飛んだの見た。
視線を落とすと、瓦礫と炎と焼ける肉の臭いが充満した街を見下ろせる。
魔物たちが狂喜乱舞で破壊の限りを尽くすのを、セベクは冷めた目で見据えた。
欲しいのは手柄でもなければ、名誉でもない。
強者と交えるあの刹那の感覚。
戦いを通して自分が強くなっていくことで生の充足を得るのだ。。
セベクの欲はまだまだ満たせなかった。
「俺の魔剣、もっと強くならねぇかなぁ? もしも強くなるのなら、これ以上ないくらい愉しめそうな気がするが」
このとき、魔剣『蛇の毒』に不気味な光が宿り、一瞬脈動した。
まるで主がそう言うのを待っていたかのように、この魔剣は次の段階へと行こうとする。
セベクの魔剣に、異変が生じようとしていた。
その原因はまさしく……。
「お勤めお疲れ様ですわ。セベク殿」
「な!? 何者だ! いつの間に……」
「狼狽えるなゴブロク……で、アンタ誰? 俺になにか用?」
ふたりの背後にいつの間にやら現れたひとりの女。
「ふふふ、今あの人を寝らせてるから、ちょっとワープしてきちゃった。あぁ、そんなに怖い顔しないで。私は敵じゃないわ。むしろ、イイコトしに来たんだから」
「ふぅん……」
セベクはその女と向き合う。
漆黒の出で立ちに黒い髪の女は不気味な笑みを零しながら、こう続けた。
「アナタの持っている魔剣、私の力を以てすれば一層強くできるわ。どう?」
「……オタク、名前は?」
「セベクッ! このような者の相手をするな。むしろ……」
しかしそれを遮り、セベクは目の前の女の言葉を聞こうとする。
彼の直感がなにかを感じた。
目の前の女は確かに恐ろしい存在だが、自分にとっては有益になる存在だと。
セベクのそんな態度を、交渉成立と言わんばかりに微笑みで表現し、彼女は嬉々として名乗った。
「私は『涙する死魂の女』の記号を持つ女呪術師」
「ほう、呪術師?」
「あら、ご存じない? 呪術と魔剣、このふたつって切っても切れない間柄なのよ?」
「……詳しく聞かせろ」
セベクとネフティス。
蛮行の一夜で出会ったふたりの間に異様な空気が立ち込めた。




