呪いの種はふたつの脅威を芽吹く。
誰もが寝静まる時刻。
夜空に雲が立ち込めて、シトシトと雨が降る。
湿気と闇が合わさって、世界にまとう悪の影はさらに濃くなっていった。
この新生魔王討伐パーティーとは名ばかりの略奪軍のように。
ネフティスという未知なる妖女を引き連れて、勇者レイドの進行は今なお続いている。
刃毀れをおこした自慢の剣には、おどろおどろしい霧状のオーラがまとわりついていた。
それは赤黒く、そしてどこか水面のように光沢を放つ。
命を刈り取ることで妖しい瑞々(みずみず)しさを孕む剣は、ずっとレイドに語りかけていた。
────ひとつ摘んでは正義のため、ふたつ摘んでは平和のため、みっつ摘んでは世界の安寧のため。
レイドのために優しくつむがれるこの唄は、すでに狂気の猛毒に犯された心には十分すぎるほど効力があった。
この言葉が聞こえるようになってからというもの、彼の目は窪み、身体は痩せこけ、異様な雰囲気を漂わせている。
肌は血と煤で浅黒くなっていて、髪の毛も大分抜け落ちていた。
「レイド様、先ほどの村の"浄化"、お見事でございました」
「……」
「私の力をこうも簡単に我が物とされるなんて……、さすがはレイド様ですわ。古今東西、勇者の伝承は数多けれど、アナタほどの存在はおりますまい」
「僕は当然のことをしているまでだ。……世の中には心が穢れた奴が多すぎる。あの村の連中を見ただろ? 僕がこんなにも必死の旅をしているのに、年に一度の祭りだって? なんて醜いんだ。自分たちのことしか考えない愚か者ばかりだ。生きているだけであそこまで大罪を背負っている。国はなにをやっているんだ。あんなくだらないもの、さっさと規制してやらせないようにすればいいものを」
「────えぇ、おっしゃるとおり。えぇ、えぇ、レイド様の判断に間違いはありませんとも。しかし……その正しさが理解できぬ者が多いとなると、この世のままならなさをいやでも痛感いたしますね」
「さすがネフティス、わかっているね。……これまで殺してきた連中は、平和のために動こうともせず、進歩しようともしない惰眠をむさぼる怠惰の徒。あのまま生きていても、なんの意識もなく罪を重ねていくバカどもだ。むしろそうなる前に止めたのだから、世界にとっても良いことだし、彼らにとってはその分地獄の刑期が短くなるのだからむしろWinWinってやつだね。ハハハ」
ふたりの旅路の中でレイドは完全に殺戮に目覚めていた。
当初の目的は完全に形骸化し、眼前の不浄と思えるものすべてに刃を向ける日々を送っている。
それは魔物や野盗などの外道は勿論、村人や行商人などの罪のない人々にまで及ぶもの。
ネフティスと出会ってからはさらに悪化している。
────否、この女が悪化させているのだ。
内心ほくそ笑みながら、こうして世界が脅威にさらされることに快楽を感じている。
彼の心と身体には、すさまじいほどの"呪い"がためこまれていた。
それはレイドという重力場をして、様々な怨念と悪霊を招き寄せる特異点の具現だ。
『お前の正義には憎しみしかない』
かつてセベクが彼に放った言葉は皮肉にもネフティスの後押しによって完成された。
レイドを突き動かすのは歪曲した正義からなる憎悪と、徹底した人間不信。
それは世界への大いなる呪いとなって、周囲に撒き散らされる。
「レイド様ぁ。もっともぉっと強くなりませんか?」
「強くだって? なんだい、僕はもっと強くなれる素質があるというのか!?」
「えぇ! アナタのポテンシャルがこれで終わるはずなどありません!」
「なんてことだ……僕はまた、フハハ、フハハハハハ!」
「えぇ、なんたってアナタは勇者様。人類の中で最も神に近しき存在。方法はいたってシンプル。……もっと罪人たちの血を天に、大地に捧げるのです」
「もっとそうすればいいのか? でも、そろそろ魔王を倒さなければ」
「レイド様、物事には順序というものがあり、来るべき時というものがあります。今はまだそのときではありません。もっと、もっと力を蓄えるのです。さすれば、アナタは無敵のパワーを手にし、永遠にその名をこの世界、いいえ、宇宙に刻むことでしょう!」
ネフティスの言葉を聞いた瞬間、レイドの背筋に強烈な震えが走る。
無敵のパワーと永遠にその名を残すという偉業。
ゾンビのような顔をニタァッと歪ませ、天に向かって狂喜する。
レイドから発するおびただしい怨霊のような赤黒いオーラ。
それらは周囲にある木々や岩を犯し、みるみるうちに朽ちさせていく。
────自然たちが悲鳴を上げ死んでいった。
その光景を見て、ネフティスは実に満足そうだった。
大呪術を使った愉悦のための壮大なテロリズム。
それは徐々に実を結びつつある。
もうひとつの存在もそろそろできあがるころだろうかと、ネフティスは密かに笑んだ。
案の定その予感は的中した。
同時刻の別の場所で、彼女の蒔いた種が芽をふいたのだ。
────アンジェリカは黒いボロ布をマントのようにまとい、雨と雷の中で裸足で彷徨い歩く。
無骨な岩肌がのぞく大地を踏みしめながら、あてもなく進み続ける自らになにを感じているのか。
貴族の令嬢にして才気溢れる女魔術師として、華やかなスタートを切った、はずであるのに。
それなのに今のザマはなんだというのか。
肥大化したエゴと脳内にこびりつく呪いめいた不思議な感覚だけが、アンジェリカの存在を保っていた。
そう、呪いだ。
この世への呪いが、彼女の中で胎児のように蠢いている。
愛おしい。
マントの中で優しく下腹部を撫でた。
だがそれは慈愛からではない。
圧倒的なまでの破壊と愉悦。
なにかが自分の中で叫んだ気がした。
それに呼応するように、天候がさらに悪化していく。
肌を伝う雨は受けた痛みを体熱として、耳介に響く雷は無限の怒りを脳裏に呼び覚ましていった。
この仕打ちを課せた世界へ抱く感情、そのすべてが愛おしい。
その最果てになにを見たか。
────"無"だ。
この世一切への無の意識、無への渇望。
諸行無常、盛者必衰。
あらゆるものが無へと還る時間の流れ。
彼女は復活と同時にそれを操るパワーを手に入れた。
これ以上ないくらいの高揚感が彼女を支配した。
死んだことで全知全能となったような、神話めいた感覚をいだく。
「素晴らしいわ。この力があれば、もうなにもいらない。あぁ、ゾクゾクするわぁ。この力で、世界を、無に……アハ、アハハハハハッ!!」
天高らかにアンジェリカは笑いながらボロ布をはためかせる。
直後稲光とともにくっきりと浮き彫りになる裸身のライン。
アンジェリカの足元の影がグツグツと湯立ったように蠢くと、まるで植物の蔦か根っこのように彼女の肉体に張り巡らされていく。
非常に際どく、見る者の煩悩を揺さぶられそうな格好へと変化したアンジェリカ。
世界はまた別の脅威にさらされようとしていた。
それを告げるように雨足は強くなっていき、風は草木を揺らめかせて生温い気を大地に走らせている。
また雷が鳴った。
宵闇にまぎれ、暗雲が不気味な動きを見せている。
自然の持つ膨大なエネルギーが、ふたりの狂気と呪いに共鳴するかのように、彼らの周囲一帯を荒らしていた




